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家牢   作者: 詞奇
飛師家編
12/14

飛師 栞サイド 六話 因果

遅くなりがちですみません。

今回は栞編からです。


 雨は依然と止まず、傘を差してないあたしはずぶ濡れだった。

 でも不思議と冷たさを感じない。むしろ狂気と好奇心で体が火のように熱かった。

 視線の先には持ち主が身に着けていた物が積み重なって小さな山が出来上がっていた。


 こんなに自分が腐るなんて思いもしなかった。

 山を覆っていたカッパを払い抜けると積み重なった衣服の真ん中に小さな人影を見つけた。

 濡れた衣服の上で裸体を手で覆い、震えながら涙目であたしを見上げる人形。

 人形のくせに怪獣を見るような目であたしを見るな。

 腹が立って右足で容赦なく人形を踏みつけた。

 人形の甲高い悲鳴が癇に障り、何度も何度も踏みつけた。

 理由なんてない、ただコイツがムカつくだけ。

 人形は血を出さない。踏みつけても踏みつけても衣服が泥で汚れるだけ。

 ホント馬鹿な奴、あたしの行く手を阻むからこうなるんだよ。

 力尽きて倒れている、泥だらけの人形を一瞥して吐き捨てた。


 学習しない人形はせっかく手に入れた大きさを自らの行いで捨ててしまった。

「大人しくしてればよかったのに。なんでこんな真似をするの?」

 人形を指でツンツンと突きながら訊ねてみる。

 あれ? 前より体大きくなってない? 二回目だからかなぁ?

 それにしてもあれだけ踏んづけたのにグシャグシャにもならない、腕とか足も変な部分に曲がってない。ホント、腹立つ。

『・・・・・・耐えられなかったのよ』

「はぁ?」

『一人でいることに耐えられなかったのよ』

「ププッ、何その可愛い理由・・・お人形らしくて笑えるんだけど。わたし~、李可ちゃんがいないと寂しいの~。だから李可ちゃんをかえしてぇ~って、そんな子供の我儘であたしがアイツを素直に渡すと思ってるの?」

『・・・あなたにはわかんないわよ!』

「うん、解んない。人形とかいう小さくて弱くて惨めな存在の気持ちなんて解ろうとも思わないし」

『・・・フフフ』

「何がおかしいのよ」

『あなた、気付いてないの。魔女に体を乗っ取られてることに』

「知らないし。何が言いたいのよ」

『あの魔女が完全に乗っ取ったら、あなたはどうなるの?』

「知らないよ。それより自分の身を心配した方が————」

 あれっ、なんか違和感が・・・。


 急に足がフワッて浮いたような気分と同時に直接、ザラザラした何かに握られているようで気持ち悪くなった。

 視線は変わらないのに。何故か高い場所にいるような・・・。雨粒が大きくて冷たいし。

 


『小人の世界へようこそ。あ・た・し』


 嫌な予感がして恐る恐る後ろを振り返った。


「!?」


 悪戯っぽく微笑む巨大な顔と目が合った瞬間、大きな悲鳴を上げた。

『小人を散々痛めつけた自分がそれらと同じ立場になる。よくあるおはなしだと思わない?』

「そ、そんな・・・」

 ピンクのTシャツの上に赤の水玉模様が入ったキャミソールドレスを着て、左手には安物の腕輪。さっきまであたしが身に着けていた物。それを今、巨人が身に着けていた。そして、顔はあたしそのもの・・・。

 間違いなく体を乗っ取られていた。いとも簡単に・・・。

『大丈夫よ。これからはあたしが飛師 栞として生きていくから。邪魔なお前はそこのお人形にでもあげようかなぁ? ねえ、気付いてる。お前、今あの人形よりも小さいんだよ。それがどういうことか解る? さっきまで散々あの人形を苛めていたあ・た・し。ククッ』

 彼女(巨人)の言うことを即時に理解してしまったあたしの視線は下に向いた。

 泥だらけの人形、菊谷 真規。そいつはまるで玩具を見る子供のように潤んだ瞳を輝かせてあたしを見上げていた。

 嫌だ、アイツのモノになんてなりたくない。

『ふぅ、ムダムダ! 飯島すら抜け出せなかったのにお前如きに出来るはずないじゃん』

 必死に暴れたけど、当然、巨人の力は緩まない。その報酬に巨人はあたしを握った手を思いっきり上下に揺らした。

『遊園地のアトラクションみたいで楽しいでしょ? これ』

「うぅ・・・」

 全然楽しくないっていうか吐きそう・・・。たった数回揺らされただけなのに・・・。

『まぁ、楽しくて当然よね。これから雌同士、二匹で暮らせるのだから。百合なあたしには最高じゃん!』

「・・や・・・めて・・・」

 しかし、容赦なく真規がいる衣服の山にあたしを落とす彼女(巨人)。

 これが彼女(巨人)の答えだった。

『・・・あっ、お前たちにお洋服を与えないとね。いつまでも裸じゃ風邪ひいちゃうでしょ』

 言われて初めて自分が何も身に着けていない状態だと気付いた。よく考えれば、さっきまであたしが身に着けていた物は全部、彼女(巨人)の物。あたしは何も身に着けてないのも当然だ。髪を結っていたシュシュまでも奪われた。

 彼女(巨人)の指紋を気持ち悪いくらい味わったのはこのせいか。

 下品に笑いながら衣服の山に触れる彼女(巨人)。

 すると衣服の山が光を点ったまま消えて、代わりにあたしと真規は衣服を身に着けていた。

 真規が水色のエプロンドレスに対して、あたしはダブダブの黄色い布だけ身に着けていた。うぅ、動きづらい。

『ごめんね。お前に合うお洋服がなかったの。それで我慢してね。ククク・・・』

 そんなあたしをバカにして見下す彼女(巨人)。絶対ワザとだ。

『そうだ。二匹が住むのにちょうどいいお家があるんだよ』

 そう言ってあたしと真規は彼女(巨人)に捕まえられた。

 同じ手に握られたあたしと真規は今、互いに体が密着している。しかも、顔も向かい合っていた。

「ちょっと!? くっつかないでよ」

「不可抗力よ。あなたこそドキドキしてるじゃない」

「こんなに密着されたら誰だってドキドキするよ!!」

「同性なのに?」

「うるさい!!」

『ククッ、さっそくイチャイチャして・・・可愛いんだから、もう。仲良しで安心、安心。さっそくお前たちのお家に入れてあげるよ』

 彼女(巨人)が出したのはあたしが持っていた白いポシェット。

「「!?」」

 突然、拘束していた手が開き、あたしたちはそのままチャックの開いたポシェットの中に落下。

 ゴタゴタした中を確認する間もなく、チャックが閉められて真っ暗になった。

「いい場所まで運んであげる」

 ドスン、ドスンという轟音と共に中が揺れ始めた。彼女(巨人)が移動を始めたようだ。

 移動に呼応してあたしの私物も揺れ始めた。彼女(巨人)の歩くスペースが遅めのせいか揺れが激しくないのが幸い。

 屈辱だ。自分の持ち物と同等の扱いにされ、お気に入りだったポシェットが家になるなんて・・・。

 暗くて周りが見えない。そういえばケータイ持ってきてた筈・・・。適当に漁ってみると急に明かりが点って反射的に目を閉じた。

「あった・・・」

 明かりと共に映し出されたのはクマのぬいぐるみを背に眠っている亜来が映った待ち受け画像。

 なんか久しぶりに亜来を見た気がする・・・しかも嬉しいことに身体が小さいからケータイでも大画面。

「あぁ・・・なんて可愛いんだろ」

 大画面に感嘆しているあたし。

 でも、圏外になってる。助けを呼ぶのは無理みたい。仮に圏外じゃなくとも連絡したくないけど。

「・・・やっと明るくなったわ」

 明かりに反応して邪魔者が一匹近寄ってきた。

「・・・あっ、そういえばいたんだったっけ」

 数分前まで見下し、踏みつけていた人形、菊谷 真規。ソイツはあたしを見下ろしていた。


 大きくて長い両手はあたしをケータイから簡単に引き離し、掴んで持ち上げた。

 あたしとコイツの身長差は数センチ程度。それでもあたしにとっては大人と子供ぐらいの身長差だった。

「なにすんのよ!? 離せ!!」

 無駄にガッチリ掴んでるせいか手足を必死にバタつかせて暴れても全然ビクともしない。しかも『たかい、たか~い』とあたしを赤ちゃんみたく持ち上げて遊んでいた。少し前まで地べたに踏みつけていた奴に今は遊ばれている。コイツにまでいいようにされるなんて・・・。

「大丈夫だよ。大事に扱うから。せっかく手に入れた生活必需品を殺すわけにはいかないもん」

 生活必需品・・・その一言にカチンときた。

「何を偉そうに・・・イタッ、何すんのよ」

 お尻を思いっきり叩かれ、怯んでしまった。コイツ・・・。

「こら! 小さい子が大きな人に向かって偉そうにしないの」

「ひぃっ!?」

 一回り大きい顔が至近距離に迫り、鋭い目で睨んできた。

 逆らったらやばい。そういう雰囲気を醸し出している。

 かつて自分を飼って欲しいと飯島 李可に泣きついていた目とは到底思えなかった。

 凄い屈辱だった。本来ならばあたしが小さなコイツを脅している展開なのに。

 コイツより小さくなった、ただそれだけで立場が逆転してしまった。

「・・・・・・ごめん、なさい・・・」

 逆らったら何をされるかわからない恐怖にあたしは負けてしまった。

 恐る恐る菊谷 真規の顔を見る。

「はい、よく出来ました。いい子いい子」

 さっきとは対照的に柔らかい笑みを浮かべながら頭をなでなでしてきた。凄く腹立つ。

 しかもぎゅっと抱きしめてきて、あたしの顔が胸に押し寄せられたと思うと、今度はあたしを持ち上げてあたしの顔がコイツの顔と同じ高さになった途端にキス。

「またキスされたぁ!! お前とは嫌って・・・きゃっ!?」

 今度は頭を叩かれた。

「お前って呼んじゃだめでしょ? フフフ・・・」

「くぅ・・・」

 あたしを思い通りに出来たからか、コイツ、完全に調子に乗ってる。

 やり返したいけど、力はコイツの方が断然強い。抱きしめる力も強すぎてあたしは抵抗も出来ない。

 再び大きな胸に顔を押せ寄せられ、真規はあたしを撫でたり、触ったりとやりたい放題。

 あれ、コイツ。学校で見た時はこんなに胸が大きくなかった筈。そういえば顔も大人びているような・・・。

 その疑問は当人も気付いたようで口を開いた。

「あれっ、心なしか成長している気がする。いや、元に戻ったのかな? それより聞いてよ」

 急に親しげに溜口。逆らえないからってあたしを舐め過ぎだ。

「李可は制服のサイズを合わせるためだけにわたしの身体を幼くしたんです。誤魔化していたけど私はすぐに気付きました。そしてまた小さくなったと同時に不思議と元に戻ってました。でも、これどういう仕組みなんですか? 李可は魔法は使えない筈ですし・・・」

 頼んでもいないのにどうでもいい説明をありがとう。あとなぜ急に丁寧語? どうせ飯島はコイツサイズの制服を用意するのが面倒なのと、コイツの体型に飯島が嫉妬しただけでしょ。でも飯島はどうやってコイツを退行させたんだろ?

「ま、それはどうでもいいか。考えたって出るような答えじゃないし」

 あっ、元の口調に戻ってる。説明しているときだけか。

「栞も早く私を受け入れた方がいいよ。なにせ、これからず~っと私と栞、二人でここに住むんだから」

 ず~っと、という単語に身震いした。

 なんか立場が逆転してからコイツ、変になってる。

「そんなの嫌に決まってるでしょ!! あたしは亜来と二人で暮らすの!」

「どうせもう会えないんだから。そもそもアクもあなたとの二人暮らしは嫌がりそうだし」

「どういう意味よ! ここから抜け出して・・・」

「出来るの?」

 なんかバカにしているような言い方で腹が立った。

「出来るよ! 周りのモノを積み重ねてチャックまで届けば」

 この中はケータイ以外に財布やリップクリーム等の小物とかも入っている。それらを積み重ねればチャックに届くはず・・・。

「こんなに揺れているのに積み重ねられるの?」

「・・・・・・」

 彼女(巨人)は今も歩いていて、小物が揺れ動いている。積み重ねることは無理みたいだ。それにあたしもちょっと気分が悪くなってきた。乗り物酔い?

「仮に出られたとしてその後どうするの? すぐに捕まるオチしか見えないけど」

「・・・・・・」

 彼女(巨人)がこちらに注意を向けないわけがない。今でも頭上から鋭い視線を感じるくらいだ。チャック越しとはいえ、意識すると鳥肌が立ってしまう。出られても即刻捕まるのが見えていた。

 結局、今できることは何もなかった。


 数十分経つとこの揺れにも慣れてきて、気分の悪さもだいぶ治まった。

 真規もようやくあたしを解放してくれた・・・と思ったら未だにあたしにべったりと引っ付いている。理由を訊くと・・・。

「だって栞は温かいんだもの」

 とのこと。確かにコイツの身体は冷たかった。本当に生きているのか、と疑うくらいに。

 同じ小人でも亜来は人並みの体温だったのに・・・あぁ、亜来が恋しいよぉ。触りたい、着せ替えしたい、遊びたい・・・。こんな大画面に映っていても、本人とは触れ合えないなんて・・・。

「アク・・・元気でやってたんだね」

 あたしの後ろに引っ付いている真規が呟いた。

「そういえば知ってたんだっけ」

「うん。私、アクの介抱をしてたから」

 亜来が魔女に囚われていたころの話は当人から聞いていた。コイツは亜来と同じ場所で飼われていて、ずっと傍にいて、なにより介抱という名分で亜来の体を触り放題していたということだ。

 つまりコイツは・・・。

「あたしより先に亜来とイチャイチャするなんて・・・ずるい」

「何故そうなるの? 私もアクも魔女に怯えててそれどころじゃなかったのよ」

「うるさい! また小さくされていい気味だわ!」

「小さくされる覚悟はしてたよ」

「それじゃあ自分から小さくなりに来たようなもんじゃない。馬鹿なの? せっかく元の大きさに戻れたのに」

「・・・戻れたのは大きさだけ」

「はいっ?」

「元の大きさに戻っても、中身は元に戻らなかった。私の身体、違和感ない?」

「さぁ、精々冷たいくらい」

「うん。それとね、わたしの中には心臓どころか、内臓一つもない。胸の音、聞こえないでしょ?」

 そういえば・・・。

「じゃあなんで生きてんの?」

「生きてないよ」

 真規ははっきり言った。

「アイツの言った通り私は人形だもの。逆に聞くけど人形に内臓は必要?」

「・・・いらない、かも・・・」

 真規が元の大きさに戻ってもなお、彼女あたしは真規を人形呼ばわりしていた。

 理由は簡単、どんな大きさになろうと真規が人形であることには変わらないから。

「その体・・・治せるの?」

 変な聞き方だった。その問いに真規は首を横に振った。

「無理だって。魔法は消せるけど、魔法薬は体に染み込んでいるかららしくて・・・」

「・・・よくわかんないけど。死なないだけ便利なんじゃない。この大きさで普通の人間だったらきっとすぐに死んじゃうだろうし」

 あたしなりに励ましてみた。別にコイツに同情したわけではない。

「すぐに死ねた方が幸せだったかもね」

「それってどういう————」


『着いたよ。おチビちゃん達』


 突然チャックが開いて目玉が頭上に現れた。

 驚愕したあたし達なんてお構いなしに彼女(巨人)は巨木(手)で中を漁り、財布を取り出し、ケータイも手にした。

「それ、あたしの!!」

 反射的にケータイに掴むも彼女(巨人)はケータイを思いっきり揺らし、振り落とされてしまった。

『あたしのって、これは栞の物であってお前の物じゃないのよ。栞はあたしだし』

「あたしが栞だよ!」

 あたしが栞だ。他の誰にでも譲るもんか!

 彼女(巨人)は突然笑い始めた。

『えっ、な~に? そんなに本に挟まれたいの?』

「そっちの栞じゃない!」

『そっちってどっちなの~? 言っておくけどお前に名前なんてないよ。亜来と違って付ける価値もないし。生かしておく価値も無いから邪魔だから本当に本に挟んで殺しちゃおうかなぁ~?』

「ふん、どうせ脅しでしょ? 亜来みたくあたしも簡単に死なないようにしてるんでしょ?」

『ククッ、バカな奴。そこまでおめでたい頭をしていたとは思えなかったわ』

「なによ! 本当のことでしょ?」

『死なないんじゃなくて頑丈なだけって前に教えたよね? たとえ頑丈でも時間切れが来れば・・・ねぇ、そういえばお前の相棒さっきから一言も喋らくない? どうしたのかなぁ・・・』

「・・・まさか・・・きゃっ!?」

 慌てて振り向くと、その拍子に真規は後ろに倒れた。

「そんな・・・」

 パチリと開いた両目、無機質で作り物のような表情・・・。

 触ってみると肌こそは人間のように柔らかいけど、相変わらず冷たくて人間の体温とは呼べなかった。

 

『あ~あ、せっかく抱き枕を与えたのにもう時間切れか・・・残念』


 玩具の電池切れ。

 真規が動かなくなったのを、彼女(巨人)はその程度にしか思ってない口ぶりだった。

「どういことなの? 意味が解んないよ」

『そのまんまの意味だよ。そいつは正真正銘人形になりました~ってね。おバカなお前に理解できるか分からないけど、聴覚と視覚・・・う~ん一言でいうと意識かな? それは残ってるんだよね。ただ動かせない、喋れないだけで・・・。つまり今のあたしとお前のやり取りもその人形は見えているし、聴こえているんだよね』

 更に感触もねっと彼女(巨人)は付け足して容赦なく指で彼女を思いっきり突いた。

『喋れないだけで凄く痛がっているはずだよ。表情に出ないだけで・・・』

「・・・・・・」

 あたしは絶句していた。動かせない、喋れない、でも感触も意識もある・・・。それって人形じゃなくてサンドバックじゃないか。


 すぐに死ねた方が幸せだったかもね。


 今になってこの言葉の意味が理解できた。

 適当なことを言って励ました自分を後悔した。

 真規はこうなることを知っていたのか。

『そうそう。論点がずれてたね・・・』

 論点・・・何のこと?

 その答えが出る間もなく、頭上から巨大な手があたしを襲い、鷲掴みにした。そのまま彼女(巨人)の眼前に近づけられる。

「触らないで!!」

足をばたつかせて抵抗するも、もう片方の手の人差し指と親指があたしの右腕を摘まみ、反射的に動きを止めてしまった。

『ククッ、ちっちゃくて可愛いお手々。この指をちょっと捻るだけで折れちゃうね~』

 ま、まさか・・・。

「ぎゃぁああああああああああああああ!!!!!」

 彼女(巨人)は指を捻っただけ。

 それだけであたしの右腕は激痛と鮮血と共に歪な方向に曲がった。

『あ~あ、もうこのお手々は使えないねぇ~。次は何処にしようかな・・・」

「いたい、いたいよ・・・やめてぇ・・・」

『簡単に死なないんでしょ? ならいいじゃん』

「そんな・・・」

『う~んと次は左のお手々にしよ~っと』

「あぁああああああああああ!!!!!!!」

 同じ要領で左腕を、容赦なく折る彼女(巨人)。

『あ~あ、これでもう何も掴めなくなっちゃったね。大好きな亜来ちゃんも。どうせこんなちっちゃいお手々じゃ無理だろうけど・・・』

「ぐすん・・・」

 どうして? どうしてよ! 亜来はあたしが思いっきり握ってもなんともなかったのに。真規はあたしが滅茶苦茶踏んづけてもピンピンしてたのに。なんであたしはこんなに脆いの!!

『あら、もう泣いちゃった・・・。飽きたから終わりにしよ~っと』

 血だらけのあたしは両手の平の上に乗せられた。

 逃げたいけど高くて下りられない。動きたいけど痛くて動けない。

 彼女(巨人)は二つの親指で無抵抗のあたしの胸を抑えて圧迫してきた。

「あ、ああ・・・・・・」

 痛い、苦しい、息が出来ない・・・。

 薄れていく意識の中で歪んだ笑顔を見せる巨大な自分自身をあたしは見ていた。

 


『じゃあそろそろ行くね。そのダサいポシェットはあげるから人形と一緒にいつまでも幸せにね。あたしは亜来と楽しく暮らすから』

 彼女(巨人)の声で意識を取り戻した。

 あれ、生きてる? 腕も折れてないし、どこも痛くない・・・。

 彼女(巨人)はポシェットの中にいるあたしを覗き込んで笑っていた。

『長生きしたければ人間様に逆らわない事ね。お前の場合すぐに死んじゃうから』

「ちょっとま・・・あぁあああああ!!!」

 あたしを含めて中に入っているすべての物が一瞬だけ宙に浮きあがり、その後すごい勢いで落下した。

 多分、あいつはポシェットごと放り投げたんだ。

 

 

 彼女(巨人)がいなくなってかなり時間が経過した。

 人間が来ませんように、犬や猫がコレに気付きませんように・・・。

 初めのうちはダブダブの布を必死に握りしめ、ずっと祈っていた。

 やがて恐怖も和らいできて、体の震えもだいぶ止まった。

 静かになった今、聞こえるのは雨音のみ。

 今頃亜来はあたしを乗っ取ったアイツに苦しめられているだろうなぁ・・・。

 大丈夫かなぁ。亜来まで人形になったりはしないよね?

 ふと真規と眼が合った。

 騒がしかった真規ももう動かない。

 人が小さくなって人形になって動かなくなった。

 その当人が目の前にいるにも関わらず、あたしは薄情にも落ち着いていた。

 死んだわけじゃないから?

 真規はもう人間じゃないから?

 彼女(巨人)が言うには動かせないだけで意識はあるみたい。

 だとしたら真規はその動かない眼球でこんなあたしをどう見てるんだろう? どう思ってんだろう?

 嗤っているのかな? 馬鹿にしているのかな? 哀れんでいるのかな?

「ねぇ、喋ってよ」

 無駄だと知りつつ声を掛けた。当然、返事は返ってこない。

 これからどうしよう・・・あたし一人でここに住むのかな・・・。

 それならいっそのこと人間に捕まってみようかなぁ? いや、ダメ! 捕まったら今以上の恐怖が待っているんだから!! あたし一人でも生きてやる!!

 

 カサ、カサ・・・。


 草が揺れる音を聞いて反射的にダブダブの布の中に全身を押し込んだ。

 やっぱり怖い!! お願い気付かないで・・・ほっといて・・・。


 しかし、願いも叶わずチャックが開く音が響いた。

 大きな手が来ませんように、でっかい動物が入って来ませんように・・・。

 落ち着いていた震えがまた蘇った。


「栞、いるの?」

「へぇ!?」


 恐る恐る顔を出す。見えたのは大きな手でもでっかい動物でもなく見覚えのある小さな少女だったのでホッと胸を撫で下ろした。

 かつてあたしがペットとして飼っていて、片思いをしていた少女、亜来。

 亜来はあたしの存在に気付くとポシェットのチャックを少しだけ閉め、ずぶ濡れだった制服を脱ぎ捨ててその場にあったハンカチを体に巻いて、「隣、いいかしら?」と声を掛けてきた。あたしが「うん」と頷いて了承すると、あたしの隣に座った。感じる、亜来の体温。しかし・・・・・・。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 喋ったのはその一言だけで沈黙の空気がしばらく流れる。

 そりゃ、そうだ。あたしは亜来との恋愛を諦め、ペットとして扱い始め、散々酷いこともしたし、鳥かごに閉じ込めてたんだもん。嫌われて当然なんだ。

 対する亜来も飯島や小折に浮気をして、更に逃亡を図ろうとしていた。

 依然として関係は気まずいまま。

 そもそも亜来はなんでここがわかったの? あと、どうして来たの? 

 どうしよう、嬉しいはずなのに。なんか怖い。亜来はひょっとしてあたしの復讐に来たんじゃ・・・。

 今のあたしと亜来の体格差は、菊谷 真規とあたしの体格差ぐらい。そして、真規との違いはあたしの立場。真規に対して、あたしは小さく、真規に逆らうことが出来なかった。対して今はあたしの方が大きく、亜来が小さい。でも、あたしは亜来が怖かった。何を考えているのか、掴めない。チャックを少し開けているとはいえ、中は暗いので亜来の表情も見えないから尚更。ただ、あたしは以前のように大きさで屈服させる気はもう、ない。復讐なら大人しく受けるつもりだった。

 混乱しているあたしを察したのか、亜来は重い口を開いた。

「一つ・・・答えて。小折はどうしたの?」

 亜来はきつい目をしていた。あたしはその強い目つきに怯んでしまい、目線を逸らしてしまった。でも、これは答えなきゃ。

「・・・アイツ・・・小折は・・・施河 雪に・・・渡した・・・だってぇ――――」

「言い訳は別にいいわ。あんたが小折を捨てたことには変わりないし」

 亜来は弁解の余地すら与えない。やっぱり怒っている。

「・・・・・・ごめん」

「私に謝ってもしょうがないでしょ。ったく・・・」

「でも、酷いこと一杯したし・・・」

「それは私にも非があるからね。あと小折のことはもう責めないわ」

「えっ・・・どうしてぇ」

「だってそこらの道端とかゴミ箱に捨てたんじゃなくて、あんたの友達に渡したんでしょ。ソイツの扱いにもよるけど小折は無事なんでしょ?」

「うん、人形が大好きな奴だから大切にしてると思う」

「ならいいわ」

 それは許容なのか、諦めなのか今のあたしに判断は出来なかった。

「ちょっと寒いからくっ付くね」

「はいっ!?」

 亜来は体を横に動かしてあたしにぴったりとくっ付いた。

 ちょっ、亜来さん!? これっ、凄いドキドキするんですけど!?

 しかもあたしの左胸にちょうど亜来の顔が引っ付いているし!?

「あ、あたしの胸の音、聞こえる?」

「聞こえてる、異常なほどに。あんたはドキドキし過ぎ」

「仕方ないじゃん。こんなに引っ付いたことないんだから」

「今まで私を散々弄りまくってた癖に。よく言う」

「それは手の平だけだもん」

「た、確かにそうね・・・」

 ようやく亜来があたしに笑みを浮かべてくれた。

 なんか嬉しい。亜来の温かい体温、肌の柔らかさが伝わってくる。あたしが布以外何も身に着けてないから尚更。今まで手の平でしか味わえなかった感触が今では左半身全域に味わえる。小さいときは鼻を近づけでもしないと嗅げなかった亜来の匂いも間近で感じ取れる。泥と草の匂いが混ざっているけど、亜来の匂いは健在。まだ身長差はあるけどこうしてまた触れ合えることが何よりも嬉しい。いままで恐怖で怯えていた自分が馬鹿みたいに思えてきた。


 

「亜・・・先輩はどうしてここがわかったの?」

 身長も立場も近くなった今、さすがに呼び捨ては抵抗がある。

『きぃ』なんてもっての外。しかし、亜来は首を横に振った(あたしの胸に引っ付いたまま)。

「・・・亜来でいいわよ、もう。今更先輩ぶったってしょうがないし。・・・あと質問の答えだけど・・・魔女が嫌味ったらしく教えてくれたの。あんたはバッグと共に近所の公園の草むらに捨てたって」

 最後に「それと、きぃって呼んだら容赦なく殴るから」ときつい目をしながら付け足した。やっぱりというか、よっぽどその名前がお気に召さなかったらしい。あたしは割と気に入っていたのに・・・。うぅ、小さいくせに威厳がすごいよ・・・。

「・・・・・・ここ、公園だったんだ。中に入ったまま運ばれたから全然わかんなかった」

「そうよ。あんたの家からここまで結構時間かかったし、疲れたわ。何せ歩いてきたんだし」

 となると、恐らくあたしの家の近所にある小さな公園だ。たとえ人間の足で五分くらいでも、あたし達小人だと凄く時間が掛かる。更に雨という天候が加算されると・・・。今触れている亜来の体の所々に付着している泥がそれを物語っていた。本当にご苦労さん。亜来の頭を撫でようとしたけど、「やめなさい」っていって亜来に叱られた。

 そして、急に立ち上がって歩き出した。

 えっ、さっきので機嫌悪くなったと思ったけど勘違いだとすぐに解った。

 亜来が向かったのは真規がいる場所。

 暗闇に目が慣れたせいか、真規の存在に気付いたみたいだ。


 亜来はマキに声を掛けたり、体を触ったりしたけど、マキは無反応。諦めた亜来は溜息を吐いて、あたしの隣に戻ってきた。

「マキ、人形になってるわね・・・」

 亜来は静かに呟いた。どうやら真規の状態を知っているみたいだ。

「・・・うん、あたしの体を乗っ取った奴がそう言ってた・・・」

 本来最初にするべき話題だった。でも、最初は亜来が怖くて話題に出来なかった。

 それに普通、こんなこと言っても信じない。あたしだって信じたくない。さっきまで真規は喋って、あたしにべったり引っ付いて、ちゃんと生きていた。それが今は無機質のように動かない。

「魔女の奴・・・やっぱり許せないわ」

 亜来は何か知っているらしく、魔女に対して怒りを露わにしていた。

「やっぱり・・・魔女の仕業なんだね」

「そもそもあいつしかいないわよ、こんなことする奴って。ねえ、真規ってやたらとスキンシップをしてきたでしょ?」

「うん」

 あたしが小さくなってから常に引っ付いていた気がする。

「それはね、魔女の魔法の副作用みたいなものなのよ。なにか・・・生きている物に引っ付いてないと正気が保てないんだって。小折にもあったわ」

「ああ、だからか・・・」

 それは初耳だった。

 真規はあたしを生活必需品と言って、まるであたしを抱き枕のように扱っていた。

 あれは真規なりの処世術だったのか。

 一人でいるのに耐えられなかったって言っていたのは、ただの我儘じゃなくて正気を保てなくなった真規の悲痛の叫びだった。だからあんな無謀なことを・・・。

 小折が亜来にべったりだったのもその理由か・・・。小さくしたて無人の部屋で一週間閉じ込めた。酷いことしたな・・・。謝りたい。けどきっともう会えない。会えないようにしたのは他ならぬあたし自身だ。

「マキと小折は同じやり方・・・つまり魔法で小さくして、私は別のやり方で小さくさせられた。あんたはどうか知らないけど・・・」

「えっとね・・・。あたしはただの人間なんだって。体を乗っ取った奴が言ってた」

「それ、一番危険じゃないの! 無闇にここから出ない方がいいわ」

「でも、トイレとかは・・・」

「なるべく夜まで我慢して。でも、夜も危ないかも・・・」

「え~っ、あたし。亜来みたいに漏らすのはいやだよ~」

「漏らしてないわよ!!」

 無かったことにしようとしている。

「あ・・・ここ、公園の隅っこで人なんて滅多に近寄らないでしょ」

「それならあたしも見つかることはない、か・・・わかんないけど」

 それと亜来がお漏らししたのは事実だからね。例え亜来が忘れてもあたしは忘れないからね。

「あとは食料と水か・・・」

「すっかり忘れてたけど、それが一番の問題だよね。水は何とかなりそうだけど・・・食料は・・・どうしよう?」

 本当に忘れていた。あたしだけ体は人間だってこと。

 水飲み場とかあって水は大丈夫なはず。食料は・・・難しい気がする。

「ここ結構大きな公園でしょ。鳩に交じって食パンを漁って生きるか。花畑もあったし、蝶みたいに花の蜜を吸って生きるか。最悪、遊びに来るヤツの弁当のおかずを強奪するか・・・」

「えぇ・・・なんかやだな・・・」

 地べたに落ちたパンなんて汚いし、花の蜜なんかでお腹が満たされるとも思わないし、最後のは難易度が高いでしょ。

「そうでもしないと飢え死によ。しかもあんたが無闇に出られない以上、それらは私がやるんだから」

「うぅ・・・それなら・・・」

 鳩に混ざってパンを拾う亜来、花の蜜を啜ってあたしに口移ししてくれる亜来、人間に見つからないようにミートボールやウインナーを奪う亜来。どれも可愛いし、似合ってる。

「私ならお似合いって思ってるでしょ」

 さすがに鋭い。

「ひぃっ!?ごめんなさい! でもこれって亜来が捕まったら終わりのような・・」

「そうね、公園だし。小さな子供も一杯いるし。玩具と間違えられて持って帰られちゃうかもね。私が帰らなくなったら捕まったと思いなさい」

「うぅ、嫌な世界だ」

 亜来が捕まったらあたしもお終いか。

「それが現実よ。あんたも虫取りする時、捕まえる虫の事情何て考えないでしょ?」

「あたし、虫取りしたことないからよくわかんないんだけど・・・」

「理解できないなら別にいいわ」

 どういうことだろ? まあいいか。

 それよりも聞いておきたいことがあった。

「・・・亜来もあたしを恨んでる? あたし、酷いことしたし・・・」

 亜来だけじゃない。小折、飯島、真規・・・あたしは皆に酷いことをしたんだ。

 その問いに亜来は「当然よ。あんたの行いは許せないわ」と答えた。はっきり言われて少し凹んだけどそれ以上にスッキリした。亜来は更に喋り続ける。

「でもね、さっきも言ったけど私にも非がある、あんたに恨まれることもしてる。結局、私はあんたを裏切った。大人しくしていろっていう命令を破ってここにいる。お互い様でしょ」

「何それ、あたしのに比べたら全然マシじゃないそれくらい。むしろ、いいことじゃない。だって亜来はあたしのためにここに来てくれたんでしょ?」

 しかし、その問いに亜来は首を横に振った。うぅ、なんか期待していた自分が恥ずかしい。

「そんな綺麗なもんじゃないわよ。私はあの家を出るつもりだった。本来、ここに来る気なんてなかった。正直、あんたなんてどうでもよかった。だから、お互い様」

「さすがに・・・結構きついです・・・」

 傷口に塩を塗られた気分。

「・・・でも、予定が狂っちゃってね」

「へぇ・・・それ聞きたい。暇だから話して」

 どうせ出来ることなんて会話ぐらいしかない。

「・・・全部魔女の罠でした、の一言で終わり。そのとき、あんたの部屋のドアが開いていたのも、そのドアの音をずっと消していたのもね」

「えっ? あっ、そういえばドアはちゃんと閉めたし・・・ドアの音も何故か出なくなっていたんだよね・・・。それで亜来はあたしの部屋を出たと・・・」

「ええ、もう開いているとわかったらすぐにね。結局、魔女に捕まっちゃって・・・・色々あってここまで来たの」

「いや、端折り過ぎたよ!」

「で、その魔女は?」

 そもそもどっから魔女出てきたし。亜来の話からすると魔女はあたしの家に居たってことだよね?

「さあ?」

「さあ、って・・・」

「いや、本当に知らないし」

「じゃあ、どうやって家から抜け出してここに来たの?」

「う~ん・・・ごめん、長くなりそうだし、ここまで歩いて疲れてるの。明日にしてくれない?」

 あたしが答えるのを待たずに亜来はそのまま目を閉じて、すぐに寝息を立てていた。よっぽど疲れていたんだ。

 今、何時くらいだろう? ケータイはおろか、時計も入ってない今さっぱり解んない。

 外に出れば公園の時計があった気がするけど、確認する勇気もない。

 彼女(巨人)からケータイを奪われる直前は昼前だったけど、あれからもうかなりの時間が経っている。

 その証拠に少し開いたチャックから見える景色は暗いし、虫の鳴き声も聞こえる。

「あたしも・・・寝ようか」

 見張りなんてしたところでこの大きさじゃ脅威を退けるなんてまず無理。

 だったらなるべく動かないで休養を摂った方がいい。

 


 この大きさによる恐怖のせいか、それとも慣れていないせいか、はたまた亜来が隣にいるせいか全然眠れなくて、とうとう少し開いたチャックから日が差していた。

 亜来は身に着けているハンカチを開けて、寝息を立てながらぐっすりと眠っているのに。彼女はすでにこの大きさを受け入れて、小人の世界に適応しているからか。

 

 グゥ・・・。


 きゃっ!? 亜来がいる前で腹の音が鳴るなんて恥ずかしい・・・。

 そういえば昨日の朝からなんにも食べてないんだっけ。喉もカラカラだし・・・。

 早く亜来を起こそ・・・いや、待て。

「zzz・・・」

 なんかあたしより一回り小さいせいか、それとも亜来が素で可愛いからか、寝顔が天使に見える。

 きっと昨日の疲れがまだ残っているんだ。

 なんか起こしたら悪い気がする。

 なんかそのまま見ていたい気もする・・・。

 グゥ・・・。

 でも、お腹ペコペコ・・・背に腹は代えられないか。

 開けたハンカチをそっと直して、身に着けているダブダブの布を適当に結んで縛って、見つけたクリップで留めて、亜来が起きないように気を付けながら上手くポシェットを抜け出した。

 


 外の世界に出たあたしはまず喉を潤すための旅に出た。

 怖いなんて言ってられない。あたしはこの世界で亜来と生きるんだ。

 亜来一人に任せっきりにしてられない・・・と思うけどやっぱり怖い。

 落ち着け、落ち着くんだあたし。人間はおろか猫や犬だって今はいない(あたしが見えている範囲では)。ならここはただのサイズが大きな公園だ。恐れることなんてない。さ、さ~て・・・食料何てそこらに転がってるもんじゃないし、まずは水かな? 水ならわりとそこら中にあるし・・・。

 しかし、そう考えていたあたしは甘かった。

 昨日の雨の影響で所々に点在している大きな水溜まりに視線が泳いだけど、さすがに汚くて飲める勇気はなく・・・水飲み場も蛇口に手が届かず断念。トイレの水は・・・最後の手段ということで後回し。

 確かこの公園、噴水があったような・・・。

 記憶を頼りに、震える足を動かしながら空腹を我慢しながら歩いた。


「やっと着いたよ・・・ハァ・・・」

 歩いて十分ほどでようやくたどり着いた。この公園広すぎだよ。

 思いっきりジャンプして円形の縁に摑まり、持ってる力全てを振り絞って上った。

「綺麗・・・きゃっ、冷たい!?」

 高層ビル程ある巨大なオブジェからまるで滝みたいな大きな音を出しながら流れる水に圧巻していた。

 なんだろう、この達成感。

 水を求めて必死に歩いた甲斐があったよ。

「あっ、見惚れてる場合じゃない!? 飲まなきゃ」

 水場に必死に手を伸ばして水を手のひらで汲んで何度も何度も口に入れた。

 我ながら凄く原始的なやり方だけど今はそんなこと考えてる場合じゃない。

 食料が手に入らないかもしれない今、水を一杯飲んでお腹を満たさないと。


「うぅ・・・飲み過ぎてお腹いっぱい・・・」

 無事、喉は潤って、お腹は満たされた(水腹だけど)。

 さっき草むらで用を足したけど、まだ水腹は治らない。

 オシッコして水分が抜けてまたお腹が減るんじゃないかと思ったけど大丈夫だった・・・けど、まだお腹に水が・・・。

 あっ、そうだ。ここ、公園だよね。なら遊具が一杯あるし、遊んでいればその内治るかも・・・。ついでに小人の世界に馴染むためにも大きな世界を知る必要があるし。あたしって天才。

 さっそく目に着けたブランコに向かっていった。

 小さい頃に遊んだブランコも今はジャンプしないと手に届かなくて、しがみついた途端に大きく揺れ始め怖くて手を離して落ちてしまった。諦めて次は滑り台という巨大な坂に向かったけど、滑りやすい上に長くて途中で息切れして砂場という広場に戻された。ジャングルジムという太い鉄棒だけで成る建物はてっぺんまで登る勇気は勿論なく、一段目と二段目の鉄棒に摑まりながら遊んだ。

 そして遊び終わった結果・・・。

「実はあたしって馬鹿じゃないかなぁ・・・遊びすぎてまたお腹空いちゃった・・・」

 小人の世界に馴染むため(あと水腹を治すため)に色々遊んだけど、どれも遊具が大きすぎてまともに遊べない。むしろこの大きさなら遊ばれる方だ。おまけに空腹だし・・・。

「なんか食べたい・・・でも、何も落ちてない・・・土っておいしいのかなぁ・・・ってだめよ、あたし。それは食べちゃだめ。きっとお腹壊すのきまって・・・・でも小人だから平気かも・・・って小人関係ないじゃん・・・そういえば亜来は昨日花の蜜がどうのこうの言ってたっけ・・・。でも、あたし蝶々じゃないし・・・いや、案外おいしくてお腹満たされるかも・・・よし、持てる力を振り絞って・・・」

 走り出そうとしたところであたしの嗅覚はあるものを捕らえた。

 遥か向こうに見えるベンチに座ってお弁当を広げている少女の姿を。

 いや、ダメ! 捕まったら終わりなんっだよ! お腹なんてお花で満たせればいいじゃん!

 でも、お花何て食べたことないし、それに毒草かもしれないし・・・。たしか、有名な水仙にも毒があるって聞いたことあるし・・・・・・・・・・・・・・やっぱり食べれるかわかんないものより確実に食べられて美味しいものよね。仮に見つかってもひょっとしたら見逃してくれるかもだし。あたしも一人で出来るんだって亜来に見せたい。

 よし、そうと決まればすぐに行動。


 現実は甘くなかった。そしてあたしの考えは練乳が掛かったイチゴのように甘かった。

 少女が弁当を置いたまま、歩いて行ったタイミングであたしはベンチによじ登り、弁当に手を出した。

 ミートボールを掴んで口に入れようとした瞬間、手が迫ってきてあたしは簡単に捕まった。

『さっきからなにかちーさいのがこそこそうごいていてまさかとおもったらあんのじょうでしたぁ。わざとはなれてみたらかんたんにかかりましたぁ』

 とのことだった。

 少女はあたしの存在に気付いていて、罠を張った。そしてあたしはそれに掛かってしまったのだ。

 ちょっと考えればすぐにわかることなのに・・・・・・空腹があたしの思考を鈍くしたんだ。

「放して!!」

『あっ、しゃ、しゃべりました!? これってもしかしておねーちゃんが言ってたよーせいさんですかぁ?』

 焦るあたしとは対照的に少女は暢気だった。

「違うよ! あたしは人間! いいから放してぇ!」

 しかしいくら叫んでも、もがいても少女は放してくれない。

『こんなちーさいニンゲンがいるわけないじゃないですかぁ。あたしをだまそうとしてもムダですからね。おねーちゃんが言ってました。よーせいさんはウソつきだから言うことを聞いちゃダメだって』

「じゃあ妖精でいいから放して!」

『ダメですぅ。ここではなしたらぜ~ったいあたしにイタズラしてくるにきまってますっ!』

「しないよ!」

『よーせいさんの言うことはしんじませ~んだ。もってかえっておねーちゃんに見せなきゃ』

 このままじゃ持ち帰られて、オモチャにされてしまう。

 そうなったら終わりだ。

 掴まれた指に思いっきり噛みついた。

 すると、少女は怪獣並みに大きな悲鳴を出してあたしを振り落とした。

「いたたた・・・」

 水色のマットみたいなところに落ちたおかげで痛みは感じるものの、奇跡的に無傷だった。

『いった~い。まさかかみついてくるなんてぇ~』

 真上から少女の轟音が聞こえて、見上げた。

 二本の肌色の長い柱の上部は赤くて開けた大きな布の中に入って、そのてっぺんに白いものが見える。

 あたしはその内の一本の柱の足場の上に居た。

 つまり、あたしが振り落とされた先は少女の靴の上。

『きゃぁ~!? このよーせいさん、えっちですっ!! 女の子のよーせいさんのくせにあたしのスカートをのぞくなんてぇ』

「えっ!? 誤解・・・うわぁあああ!!!」

 足場が急に浮き上がり、そして物凄い速さで落下し、反動であたしは地面に振り落とされてしまった。

 頭がくらくらして気持ち悪い上に体のあちこちから痛みが・・・。

 振り落とされただけでこんなになるなんて・・・。

『うぅ・・・かまれたうえにおパンツをのぞかれるなんてぇ~。やっぱりよーせいさんはイタズラずきですぅ。おねーちゃんの言ったとーりでした』

 早く逃げないと。

 動くと痛いけど捕まったら終わりだ。

 しかし、持てる力を振り絞って動こうとしたあたしを巨大な手は無慈悲に捕まえた。

「いやぁあああああああああ」

 体が裂けるくらい強く握りしめられてあたしは大声で叫んだ。

『ふふふ、こんなイタズラばっかりするワルい子はあたしがしっかりときょーいくしてあげなきゃですぅ。さっきもあたしのおべんとーのおかずをぬすもーとしてましたし』

「お願い・・・、連れて行かないでぇ!!」

 必死の嘆願。しかし、返ってきたのは体が千切れそうなくらいの激痛と轟音だった。

『だ~め、あたし前からペットがほしかったんだもん。あたしのともだちはみんなペットかっていてうらやましかったんだもん。これでみんなにじまんできるしぃ』

「ああぁあぁあああああ!!!!!」

 幼い感情を爆発させて、手加減というものを知らない少女は思いっきりあたしを握った。

「やめてぇ・・・潰れちゃうよよ・・・」

『あっ、ごめんなさい。そうだよね。よーせいさん、ちーさいからつぶしちゃうところでしたぁ』

 やっと力を緩めてくれた。でも、あたしは全身が痛くて、轟音で耳がおかしくなって(辛うじて聞こえる)力が入らない。

 てへっと笑う少女。本当はそれでは済まされない。もう少し続けばあたしは死んでいたかもしれない。

 あたしは亜来と違って脆くて、お腹も空くし、喉も乾く。そんな体なんだ。もっと大事に扱って欲しい。

「許してあげるから放して」

『いやですぅ。あたしのペットにするのですからぁ』

「お願い!!! 連れていかれるわけにはいかないの!! 亜来が待っているんだから」

『ふ~ん、そのアクって子もよーせいさんなんですかぁ?』

「・・・しまった!? に、人間だよ。あたしと仲良くしている人間」

 うっかり名前を出してしまったけどなんとか誤魔化した。けれど少女は追及を止めなかった。

『じゃあ、その子に会わせて』

「な、なにする気?」

『こ-しょーするんですぅ。よーせいさんをうば・・・もらうために』

 奪うって言おうとしてなかった、この子。

『さあ、アクって子のばしょにつれてってください』

「・・・・・・」

 どうしよう・・・。

 咄嗟に人間だって誤魔化したけど亜来もあたしと同じ小人。

 この子に会わせるわけにはいかないし、ポシェットに連れて行くわけにもいかない。

 連れて行ったところで二人ともこの子に持ち帰られるだけ。それはそれでいいかもしれないけど。

「あっ、ほら。まだ朝早いでしょ。だから亜来もまだ来てないの。それに会う約束をしているわけじゃないから今日は来ないかもしれないし」

『じゃあしょーがないですねぇ』

「は、放してくれるの?」

『なに、よまいごとを言ってるんですぅ? アクって子がいないならこころおきなくよーせいさんをもってかえれるじゃないですかぁ』

「嫌ぁ、放してぇ」

『みぐるしいですねぇ。いーかげんあきらめたらどうですぅ? よーせいさんはあたしのペットになるしかみちがないのですぅ』

「嫌だぁ!! あたし、飼われたくない!!」

『あんまりあばれるとここでぺちゃんこにしちゃいますよぉ?』

「ひぃ!!?」

 凄い顔で睨まれて失神しそうなくらい、びっくりした。

 本当に潰されるかと思った。でも、恐怖で体が動かない。

『いー子ですねぇ。このままウチにかえりましょう』

 少女はあたしを掴んだまま公園の出口に向かって歩き出した。

 ダメだ。あたしはどうやったって逃げられないし、少女はどうしてもあたしをペットにしたいみたい。

 終わりだ。何もかも。

 せっかく亜来との二人きりの生活を手に入れて、亜来と近い立場になれたのに。

 それが全部崩されそうになっている。この、どこにでもいそうな幼い少女、一人の手によって。

 ・・・どうして欲が出たんだろう。

 亜来に何もできないなんて思われたくなくて勇気を出した結果がこのざま。

 あそこでお弁当のおかずを盗もうとさえしなければこんなことにならなかったのに・・・。

 空腹なんてなければ・・・。

 このまま亜来に何も言えないままお別れなんて・・・。

 こんな展開、認めたくないよ。

 と、諦めかけていた時、少女は突然、足を止めた。

『あらら、もういっぴきいますぅ』

 何事かと下を見てみると、小さな両腕を広げて少女を通せんぼしている亜来がいた。

「連れて行くなら私も連れて行きなさい。一匹よりも二匹の方がいいでしょ?」

「亜来、どうして?」

 まだ寝てた筈じゃ。でも、本物だ。ちゃんと制服にも着替えているし。

 亜来は動かずにただ少女を見上げていた。

『へぇ~アクって言うんだぁ。ま~たあたしをだましたのね、よーせいさん?』

「ひぃっ!?」

 きっとさっきあたしが亜来を人間だって言ったことについてだ。

 このあたしが少女に睨まれただけで怯むなんてぇ。

『まあいーですぅ。自分からあたしにかわれたいってでてきたかわいさにめんじてゆるしてあげますぅ』

 少女はもう片方の手で亜来を掴んだ。

『あれぇ、この子、こっちのよーせいさんよりちーさい?』

「そうよ。あたしはコイツよりも小さい。でも、私とコイツは恋人同士なの。一匹だけを連れて行くのはやめなさい」

 あの亜来が・・・あたしを恋人扱い?

『へぇ~、コイビトなんですかぁ? おんなじメスでべつのいきものなのに?』

 あたし達を雌扱いなうえ、別の生き物って・・・。あんまりな物言いに腹が立った。

「あたしと亜来は同じ人間で愛し合っているの! 女同士だけど」

『なにをいってるのですかぁ? よーせいさんとネズミさんでしょ? さっきも言ったけどこんなちーさなニンゲンがいるわけないじゃないですかぁ?』

 ネズミ扱いされた亜来は少女を睨んでいた。あたしも妖精扱いに納得がいかない。

「亜来をネズミ扱いしないで!! それとあたしは妖精じゃない!! 栞ってちゃんと名前がある人間だよ!!」

『・・・そんなのどうでもいーですぅ。それよりシオリちゃんっておなまえがあるのね、よーせいさん』


 あんたも虫取りする時、捕まえる虫の事情何て考えないでしょ。


 亜来が昨日言っていたことをようやく理解できた。

 そう、少女が欲しいのはペット用の動物。それが妖精だろうが、ネズミだろうが・・・小さな人間だろうが少女にとってどうでもいい。その小さな人間同士の関係や事情なんて尚更。あたし達がどんな関係を築いていようと少女はペットA(雌)、ペットB(雌)としかあたし達を見ない。


 そう、あたし達の事情は少女の大きさという暴力によって簡単に潰されてしまったのだ。


 ただ、あたしは別に亜来と一緒ならこの少女に飼われてもいい。

 絶望を覚悟していた時、亜来が来てくれた。あれだけ飼われることを嫌がっていた亜来が自ら捕まりに来てくれたんだ。

 扱いはどうであれ、亜来と暮らせるなら飼われてもいい。

 そう思った矢先だった・・・。

『でも、ねんのためアクをカンサツします』

 少女が意味不明なことを呟いたのは。

「へぇっ?」

「はぁ?」

 あたしと亜来が同時に反応した瞬間、亜来を握っていた手は少女の眼前まで上昇した。

 少女は亜来を舐めるように観察していたり、(あたしだけの特権が・・・)握っている指を器用に動かして服を開けさせ、亜来の体を色々触ってみたり、(あたしだけの特・・・)、鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅いだり(あたしだけの・・・)、そして最後にペロリと舐めた(あたしもやりた・・・)。

 亜来は日頃慣れているせいか(慣れさせたのは主にあたし)、その一連の行為に少女を睨むだけで全く悲鳴を上げなかった。そして全ての過程が終了すると握っていた手は定位置に戻り、少女は口を開く。

『・・・やっぱりいらない』

「えっ!?」

「嘘っ!?」

 少女の予想外の返答にあたしと亜来は同時に驚いた。

「どうして! 私のどこが気に入らないの?」

 予想外の返答のせいか、さっきの落ち着きがまるで嘘みたいに亜来は取り乱していた。

『だってぇ、アクみたいな子はコーカツだから気をつけなさいとおねーちゃんが言ってましたぁ。ぜったいなにかたくらんでいるにきまってますっ!』

「あんたが私の何を知っているのよ!!」

 亜来の叫びはごもっとも。しかし、少女は普通に無視。

 ただ少女が亜来を飼いたくない理由・・・何故か納得してしまった。でも、それだけで亜来を手放すなんて納得できない。

「亜来はいい子だよ。そんなこと、しないよぉ!」

『ふん、ネズミさんのブンザイでおーきさがピッタリなかわいーおパンツをはいて、おねーちゃんとおんなじかわいーセーフクをきて、あたしをユーワクしているジテンであやしいですぅ」

 えっ、じゃあコイツの姉もあたしと同じ学校? 亜来を見ると同様に驚いていた。

 驚いているのも束の間、あたしを握っている手が急に動き出した。

『シオリちゃんをみならいなさい! ダブダブのおよーふくだけしかきてないんですよぉ・・・ヤセーのいきものらしいじゃないですかぁ』

「なんで知ってんの!? あたし、見られた覚えないよ!!」

『つかまえたときにカンサツしました』

「・・・・・・」

 凄い恥ずかしい。

 コイツ、あたしのことエッチだと言った癖に自分も人のこと言えないじゃん。

 そして、もちろん納得がいっていないのはあたしだけじゃない。

「なんでサイズがピッタリなだけで狡猾だと見なされるのよ!! この変態幼女!!」

『うるさいですぅ。ワルクチ言うなですぅ』

「いやぁあああ」

 少女は亜来を持っている手を強く握ぎりしめた。

 暴言を吐いた亜来への容赦ない鉄槌。

 頑丈な亜来なら大丈夫かもだけど、あたしならきっと耐えられない。

「・・・そもそも私はこのようにあんたに握られただけで悲鳴を上げるような弱い奴なのよ! 企むも何もないでしょうが!!」

 亜来の言い分は滅茶苦茶。弱いからこそ何かを企むものなのに。取り乱しているうえ、強く握りしめられてまともな思考が出来ないのも無理はないけど・・・。

 当然、少女にも通じなかった。

『そうやってなんにもできないフリをしてあたしをユダンさせて、ネクビをカクゥ?にきまってますぅ』

「あんた、難しい言葉使ってるけど意味わかっってないでしょ? キャッ!?」

「・・・・・・」

 更なる亜来の暴言に少女はデコピンという制裁。

 傍から見ていたあたしは戦慄した。

 亜来ならまだしもあたしなら首が飛んでいそうなほどの威力。そんな攻撃をお仕置き程度で放つ少女に言葉も出なかった。

『うるさいですぅ。やっぱりアクってセーカクがワルイですっ。絵にかいたようなワルイ子ですぅ。ネズミさんみたいにずるがしこいですぅ』

「どいつもこいつも私を鼠扱いしてぇ・・・もういい加減にしてよ!!! わかったわよ。あんたには絶対逆らわないし、なんでもしてあげる。だから私も飼って」

 亜来の嘆願。出来ればあたしが大きかった時に言って欲しかった。

『もーいーですかぁ。はなしてあげますからネズミさんはおとなしくマンホールの中にかえりなさい』

 しかし、その嘆願も少女は聞く耳を持たない。よっぽど亜来が気に入らないらしい。

「誰が下水道なんかに行くもんか! ほら、私って珍しいペットでしょ。飼っていて損はないでしょ? 私は餌も水もトイレもいらないんだから」

 あたしのためにこんなに必死にアピールしてくれるなんてぇ・・・。やっぱり亜来はあたしのことが好きなのね。だから離れたくなくて自分のプライドを捨ててまで・・・。しかし、少女はそのアピールに違う感想を抱いていた。

『エサもおミズもおトイレもいらない? それってホントにいきものですかぁ? エサやおミズをあたえてかいぬしのアリガタミをわからせて言うことをきかせるのがおたのしみなのに。 それがないペットってかういみがないじゃないですかぁ?』

 これからペットにされるあたしにとっては絶望しか感じない、恐ろしい理由だった。

 ペットが欲しい(ペットを調教したい)少女にとって、亜来の唯一の利点は逆効果。

 亜来は自分で少女に捨てられることを決定させたも同然だった。 

「・・・・・・」

 肝心の亜来は少女に論破されて泣きそうな顔しているし・・・。

 このままじゃ最悪の展開に。なんとか、なんとかしないと!?

「じゃ、じゃあ亜来はあたしのペットってことにして、持って帰って! お願いだから」

『ふーん、あたしのペットのペットにするってことですかぁ? ・・・かわいーね、シオリちゃん』

「う、うん、そう。それなの!!」

 少女はあたしに向かって笑いかけた。

 やった。これで亜来は・・・。

『・・・な~んてね。な~にふざけたことを言ってるんですかぁ。ペットのブンザイでペットをかおーだなんてナマイキにもホドがありますぅ。これからイッパイきょーいくするひつようがありますね、シオリちゃん?』

「あぁあああああ・・・」

 少女程度の握力なんてもんじゃない!? なによ、この馬鹿力ぁー!! か、体が千切れちゃうよー!

 薄れていく意識の中で少女の声が響いた。

『な~んだぁ、もうねちゃったぁ。つまんないです。ま、いーかぁ。うるさいのがだまっちゃったし、いまのうちにネズミさんを・・・』

 やめてぇ・・・、亜来をすてないでぇ・・・。

 その声は少女には届かなかった。

 


「うぅ・・・ひっ!?」

『あ~、やっとおきましたぁ~』

 目が覚めて最初に少女の大きな瞳。

「亜来は・・・? 亜来はどこ・・・?」

『あんなワルイネズミさんはすてましたぁ。あたしがかうのはシオリちゃんいっぴきだけですぅ』

 ウソ、だよね・・・?

 少女の言うことが信じられないあたしは恐る恐る上半身を起こし、辺りを見回す。

 しかし、見えるものは全部無機質で大きなぬいぐるみばかり、その中であたしより小さい少女を見つけることが出来なかった。

『すてたといってるじゃないですかぁ。ネズミさんのことはわすれなさい。だいじょーぶですぅ。ネズミさんのことがきにならないくらいあたしがた~っぷりとかわいがってあげますから』

「いやぁあああああああああああ!!!!!!」

 理性が吹き飛ぶくらい大声で鳴いた。

 亜来が捨てられ、あたしだけが攫われて、まだ幼い少女にペットとして飼われる。

 それは想像していた中で一番最悪の展開だった。

 しかし、まだこれは地獄の序章に過ぎなかった。


 


読んで頂きありがとうございました。

次は亜来編です。

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