交響楽団の章〜第3話
絶望は反転し、そのまま剣を弾き飛ばして、後ずさる。
「戦えそうなのは一人、二人……」
絶望が僕らを指さす。
もう一匹いるよ、あおぞらがぽそっと呟いた。
「いや四人か」
誰かが近付く音がする。
後ろを振り返る。ダイアモンドさんとサファイアさんが斧と短剣を手に、悠然とそこにいた。
僕らに迫る教徒は二人によって、あっという間に切り払われた。とっさに女の子の目を覆う。
「城へと逃げたお前の影を追ってきたら、こうなるとはな。四対一だぞ、どうする?」
サファイアさんが短剣を構えながら、そう問いかける。
「四人……子供を入れても六人か」
「始めての音楽祭は、たったの六人だったな」
絶望がふと口を開いた。懐かしげな口ぶりだ。
「五年前、お前が街ごと消し飛ばしそうになったあれか」
サファイアさんは憎々しげに言う。
「古代楽器の鳴らしかたは分かったのか?お前は街の弦一本鳴らすこともできずに、すごすごと退場したよな」
「黙れ」
絶望の顔から、初めて笑みが消えた。
「気に入らないか、忘れたなら思い出させてやるよ」
挑発が繰り返される。五年前、古代楽器?いったいなんの話だ?
「五年前の科芸祭、まだ教徒も街にいたころに、お前は意気揚々と、古代楽器の再演を奏でようとしたよな、懐かしい演目だ」
絶望がサファイアさんを睨みつける。
飛びかかろうとするもその先には多数の剣が待ち構え、隙を見せることは許されない。
「不協和音の連続で、古代弦をまともに鳴らせず、暴走して炸裂する魔導の制御もできず。挙句の果てにこの城を廃墟にしたよなあ」
「ああ、そうだ、そのあおりで教徒の首謀者は処刑、残ったやつも丸ごと追い出されたんだっけ。可哀想に、下手糞な演者の下についてもろくなことがない」
「黙れ黙れ、黙れ!」
だだっ子のように絶望が吠えた。
「不要な言葉で、俺を語るな」
大きく両手を広げ、構えるかのよう。
「今度はいったい何人犠牲にするつもりだ?この街には教徒も、オカルトじみた交響楽も無用だ。お前の奏でる音楽はもういらないんだよ、絶望」
緊迫した空気の中四人が、周りを囲み、各々の武器を構える。僕とあおぞらに女の子は後ろに下がり、そっと情勢を見守る。
静かな空気の中で。
「五年間、待ったんだ。未熟な自分の腕を恥じて、さすらい。もう一度」
誰に語るわけでもなく、絶望がつぶやいた。
「そしてどうするんだ?お前の身代りになって処刑された、教主にでも詫びるのか?許しをこうお前の姿はまだ覚えているぞ」
挑発が続けられる。
うつむき、絶望がギシリと歯を噛みしめた。
「小さくかろうじて声を絞り出すその姿は、同じ人物とは到底思えない。
「もう一度音楽を、奏でたいんだ。この場所で」
サファイアさんの言葉がそれを遮る。
「そういえば、お前の女もあの事故で死んだな、たしか〝虚無″だったか?」
にやりと笑い、皮肉げに心をえぐる。
「うぅむ、恋人を殺した気分はどうだ?絶望。ん、どんな気分だ?」
最後のダメ押しとばかりに、サファイアさんが小馬鹿にするかのように話しかけた。
絶望が叫んだ。
仮面も、笑みもはぎとり、憎しみを込めて、一人の男になって、絶望がサファイアさんのもとへ神速の勢いで走りよった。
隙だらけのその体を、大剣が貫いた。
「がひゅっ」
絶望が血を吐き、剣に地面に縫い付けられたままビクンとのけぞる。
「無様だな」
サファイアさんが静かに言う。
「お、れは」
「俺はもう一度交響楽を、交響楽を奏でてやるんだ」
「そのために、ここまで」
「もウ一度・・・・・・」
血を吐きだす音と共に、今にも消え去りそうな声が聞こえる。
「もう無理なんだよ、お前には」
「最後だ」
結晶がすっと剣を振りおろす。
上半身を剣でそのまま切り裂き。
「死ね」
返す刀が、首を狙う。
その時に、女の子が握った僕の手を振りほどき、絶望に向かって走り寄る。
危ない!
そのまま、空中に絵を描いた。
「オ、れは、モう一度、ど、Do・・・・・・」
血まみれになった絶望が声にならない言葉を叫ぶ。
結晶の剣が絶望の首筋に食い込む、そのときに。
「Te S Ra」
絶望と女の子が神に捧げるようにして、静かな悲鳴と祈りを同時に上げた。
空気の色が変わり、冷たい衝撃が僕らの体を突き抜ける。
二人の発した言葉が風のように弦の街を吹き抜けた。
言葉は風になり、風は歌になり、歌は弦を震わせる。震えた弦の奇怪な音が街中を駆け廻り、城まで届いた音が、僕らの脳を揺さぶった。
音に導かれるかのように壁の落書きが光り出した。
「えっ」
目を奪われる。輝き出した落書きは連鎖的に広がり、壁から壁へ、城を越えて、街の方角でも女の子の描き残した、全ての落書きが輝き出す。
首に半分剣の食い込んだ、絶望の元へ女の子が走り寄った。
自嘲めいた笑いを浮かべ、近づく女の子へ絶望が弱々しく呟いた。
「俺を、助けてくれ」
女の子がうなずく。
再び空へと描くように手を動かし、ひときわ輝く落書きが現れる。
それは次々とつながり、弦の街に一筋の文字を描いた。
これは!?、まさか。
何が起きているのかはよく分からない、けど一つの仮説が僕の頭の中に浮かんだ。
女の子が五年間をかけて描いた絵は、全体で一つの〝文字〟だ。
これは落書なんかじゃない。何かの目的を持って描かれ、今この時に発動している魔法のような文字だ。
立体的な魔方陣のように文字が街中を駆け廻った。
真昼なのに、暗い。
空の色は黒、雨雲のように太陽を覆い隠し。日光が遮られた。降り注ぐのは雨だろうか。恐ろしく体が冷える。
静かな闇の中、小さな歌声が聞こえてきた。女の子が歌っている。
踊る落書きに囲まれ、絶望の首に食い込んだ結晶の剣が体ごと弾き飛ばされた。
女の子の体を抱えた絶望が、そのまま宙へとふわりと浮いた。
後ろに飛び去り、そのまま上の城壁へと軽く足をかける。そんな絶望の隣で、女の子が嬉しげに話しかけている。歌うように、笑うように。
「ずっと頑張ったんだ。教えてもらった文字を描くために、ずっと」
噴水のそば、街の壁、森の中、そして城。いつの日にか描かれたのであろう落書きが怪しく光り、この世のものとは思えない光景を描きだす。
祈りを込め、自分の中の全てを捧げて、この絵は描かれていたのだろうか?たった一人残されて、両親への思いに胸を焦がし続けて。
雨が僕の顔を濡らし、心の中に、言葉にならない苦しい思いが広がる。
その向こうで女の子が笑う。
ああ、パパとママにまた会える。そうやって女の子が至福の笑みを浮かべたときに。
女の子の体は二つに裂けた。
べらりと皮が剥け、頭から体の中央に黒い筋が入り女の子の体はゆっくりと裏返った。
その裏側には何もなかった。ただ、どす黒いものに覆われていた。
「ああっ!」
恐怖と驚きで僕と結晶が悲鳴を漏らすした。すぐに女の子の体は完全に裏返り、黒い繭となった。
次の瞬間、黒い膜を突き破り、色鮮やかな巨大な羽根が広がる。
葉脈のごとき血管が体中を這い回り、裏返った女の子の体から、濡れそぼった蝶のような生き物が浮かび上がってきた。
その体から、二対の人間の足がぬるりと生えた。
きれいだ。
白い体に、色とりどりの羽根。
「Te Te Mu Ma」
裏返り、蝶になった女の子が、どこか切なげな悲鳴を上げ、それは両親を求め続ける、叫び声にも似ていた。
空へ向かって大きく羽根を広げた漆黒の蝶、その姿はまるで虚無の象徴のようだ。
風が舞う。二人を中心にして冷たい空気が押し寄せて来る。
生まれたばかりの蝶のそばで、体を貫く剣をゆっくりと引きぬき、今再び青い絶望の瞳に生が灯った。
蝶と背中を合わせ、降り注ぐ雨を睨みつけ、天を仰ぐ。
〝絶望〟と〝虚無〟がそこに降臨した。
する。
同時に二つの闇が叫んだ。
破裂する笑い声と共に。
「行け、〝弓引き〟弦を鳴らせ」
絶望が漆黒の蝶をそう呼んだ。
三千世界の扉を開けろ。
空気が圧縮され、次の瞬間はじけ飛んだ。裏返った女の子から生まれた蝶が、めちゃくちゃな速度で空を駆け抜け、衝撃で城にかかる巨大な弦が振動し、千切れそうな音をたてた。
夢を見ているような気持だった。そして今はその悪夢が終わらない。
蝶を見上げる絶望のもとへ、ダイアモンドさんとサファイアさんが、絶叫を上げながら、斧と短剣を振るう。
空間を蝶と爪が薙いだ。
ダイアモンドさんの体が切り裂かれ、サファイアさんの体の一部が宙を舞った。