交響楽団の章〜第2話
図書館の屋上に立って、霧に包まれた城を眺める。とうの昔に忘れ去られ、廃墟のような姿の城。
霞む姿に阻まれて、そこに多数いるであろう教徒の姿はまるで見えない。
耳を澄ませば、街の奏でる弦の旋律に混ざって、教徒特有の管の音が聞こえてくる。通り抜ける風の音だろうか。音は止むことがなく、複雑に絡まり、弦と合わせて不協な和音を作りだしていた。
ふと屋上から見降ろせば、吹き抜けの天井によって、一階にいる、トパーズ隊長の姿が見えた。下の階層から上まで、無数に弦が並んでいた。
何かに取りつかれたように、弦の中央で指示を飛ばす姿は何か、別の生き物のように見えた。
一瞬霧が晴れた。城壁の様子が浮かび上がる。
「星座、そこから何か見えるか?」
後ろに立ったジャスパーさんが僕に訊ねた。
「ええとやっと見えました。城壁に見張りの教徒が数名、城の門は閉ざされていて、 あたりまえですけど、侵入するのは難しそうです」
見た物を全て伝え振り返ると、ごくろうさん、そう言う声が聞こえ、ジャスパーさんが軽く弦をはじいたのが見えた。何かの言葉を伝えたのだろうか、下で隊長が動き、無数の弦読み士たちの動きが一気にあわただしくなる。
「街まで奇襲をかけて、挙句そのど真ん中で籠城とか、奴らはいったい何を考えてるんだ」
ぼやくジャスパーさんの声が聞こえた。
確かに色々意図が見えない。お祭りを中止させるだけにしては、捨て身の行動すぎる。それでも地下水脈をとめ、井戸から侵入してきた手口と、その後、城までの撤退の素早さは、非常によく練られていて、無駄のない動きに思えた。
いったい絶望や教徒は何が本当の狙いなのだろう。
あおぞらが羽ばたき僕の手元に戻る。
「上空から見ても、あまり意味がなさそうですね、城壁の上に数名の教徒。固く門は閉ざされて、籠城の構えです」
「見る限りだと、城の中にあった武器で武装しているようです」
あの小人数で、こちらと戦うつもりなのだろうか。
城の周りをあちこちさらに観察していると、何か赤いものがうろうろと動いているのが見えた。教徒だろうか?そう思い、望遠鏡をひねり最大倍率まで拡大してみる。
崩れかけた城の側壁に女の子がこっそりと落書きをしていた。随分と危険な場所にいる。
「結晶!」
「どうした?」
「あれ見て!」
あわてた僕の声に結晶が駆け寄り、僕の望遠鏡を覗き込む。
「あんな所に……攻城戦が始まったら危ないぞ、早く連れ戻さないと」
「城の北端か」
下に戻った僕らの報告を受けてトパーズ隊長がそうつぶやく。
壁一面に貼られた街の地図。
そこには、赤いピンのようなものが貼られてどこに誰がいるのか分り易く表示されていた。
中央の城、僕らのいる図書館、城の南と東に展開された部隊。そして、城の北側へと近づいた女の子。
「お前ら、あいつを連れ戻して来い」
ぎくりと背筋が伸びる。
「今はまだ作戦前だ、まだ間に合う。人質にでもなったらやっかい極まりないからな。うろうろする小娘を探すだけなら、カラスやらなんやら使えるお前たちの方が身軽だろう」
苦々しげにトパーズさんがつぶやく。
「教徒どもは、今は城の中だ、部隊を展開して、夕闇にまぎれて一斉に攻撃を仕掛ける。それまでが勝負だ」
「はいっ!」真剣にうなずく。
すぐにでも向かうため、部屋を出ようとするとき。
「自分も行かなくて大丈夫ですか?」
最後にジャスパーさんがつぶやき、トパーズ隊長が言葉を返すのが、ドア越しに聞こえた。
「城の裏側にはすでに〝クリソコア〟が向かっている」
「クリソコア!?!一大戦力じゃないですか・・・ あいつもここに来ているんですか?あの陰気な野郎」
「救出作戦なんぞに向いてる奴じゃあないが、念のため連絡用の弦をはじけ、距離はあるが増幅すれば大丈夫だろう。ガキが二名向かった。フォローする必要はないが、確認だけはしておけとな」
トパーズ隊長が言葉を続ける。
「任せるって言ったんだ、もう後は信用しようじゃないか。王都のあの学者に、認められた子供たちだぞ、十分だろう」
「行こう、星座、こっちだ」
「うん」
司令室と化した図書館を抜け、僕らはひそやかに城の方へと向かいだした。
女の子のいた方角を目指して全力で走る。
「急げって」
「まってよ」
結晶の身はおそろしく軽い。
心配そうに見送るジャスパーさんに
別れをつげ僕らは図書館を後にした。
結晶は剣を身にまとい。僕は小さな銃を一丁護身用に借りた。
教徒は全員城の中にこもって、ひそやかに息を殺し、その時を待つかのよう。
「女の子の救出と、それから、可能なら偵察を頼む」
出る直前にトパーズ隊長はそう言った。話しながらも大聖堂のことを思い出したのだろうか、いつの間にか感情を置き忘れたかのように、能面的になる表情は少し怖かった。
そしてそれは、目の前をひたすらに走る結晶も同じ。
誰もが何か、濁った感情に取りつかれ、憎しみに燃えている。
「まってよ」
先を走る結晶と、空飛ぶあおぞらが僕を振り返った。
息が切れて、呼吸が荒い。
「早くいかないと、あの子を連れ戻すんだ」
「わかったよ」
ふと誰かが僕のことを見ているような気配を感じた。僕には到底見えないが、後ろの森の闇には誰かが潜んでいるようだ。隊長が言っていた。騎士団の人だろうか?闇から闇へ、飛び交いながら視線だけを感じる。
ふたたび走り出しても、結晶もあおぞらもものすごいスピードだ。僕はあっという間に引き離されてしまい、脊中がふと遠くなる。足がもつれ、うまく走れない。息が苦しい、一体何をやってるんだ。
ああ、どうしよう、そう思った時に、唐突に誰かが僕の背中を押した。黒い騎士の鎧に長い黒髪の女性だ。無言で僕を支え、走りながら脊中を押し、前を指さすと、お前ならできるとでも言うように僕のお尻を思いっきり叩いた。
痛いよ!!変な活を入れられたせいか、少しだけ元気が出た。
僕にかまった後、騎士の人はあっという間にまた樹上へと姿を消した。もう気配も何も感じない。
先ほど話していた。クリソコアさんかもしれない。
またお礼を言わなきゃならない人が増えてしまった。
遅れながらも前を必死に追いかけた。
森を突っ切り、あたりに気を配りながらそのまま進む。上空のあおぞらが、近くの安全を確保し、僕らは足早にかつ抜け目なく周囲に気を配りながら、城の方角へと進んでいった。
城の目前には森と湖の切れ目が広がっていた。北側は周囲を湖に囲まれ、天然の要塞だ。湖の浅瀬の向こうには巨大な城が鎮座する。威嚇するかのような長大な壁、そこから伸びる小さな壊れかけた橋。
城からは古く巨大な弦が六本、街の外壁そばまで伸びているが、そのうちの一本がだらしなく垂れ下り、しなびた芋虫のような姿で湖の中まで落ちていた。
随分前にそうなったのだろうか、落ちる拍子に城壁が崩れ、あたりに瓦礫をまき散らしたままになっていた。
朽ち果てかけた大きな壁近く、女の子はそこにいた。
いつも通り、鼻歌を歌いながら、小刻みにスキップして、手にしたチョークで古びた壁に落書きを続ける。
タンポポの絵だろうか、いくつもの綿毛、魚のような巨大な生き物を描き。
くるくるっと野草の上を跳ね、花畑の上にでもいるかのようで幸せそうに、踊っていた。
少しほっとした。こんなに楽しそうな姿は初めて見たから。
城の方角を警戒しながらゆっくり前に進み、驚かせないように女の子に笑い掛ける。
女の子がはっと息をのんだ。
優しく話し掛ける。結晶とあおぞらは、僕の前に出て、油断なくあたりを見張る。
「さあ、街へもどろう、ここはあぶないよ」
僕の方を真剣な黒い瞳で見ると女の子はゆっくりと首を横に振った。
「だめなの」
静かにそう言う。
「どうしてさ?早くいかないと、ここだっていつ戦場になるか分りゃしないよ」
「もう誰にも傷ついてなんか欲しくないんだ、頼むよ」
必死に手を掴んで強引に引っ張ろうとするけど、女の子は信じられないぐらいの力で抵抗した。
「だめなの、絵を描かないと……
絵を描かないと、パパとママに会えなくなっちゃう
会えなくなっちゃう、だから……
ギリッと奥歯を噛みしめる。
女の子が嬉しそうに絵を描く。
願いを込めて、手を動かし続ける姿が脳裏をよぎる。
同時に、五年間ずっとだ。そう言った結晶の言葉が僕の心を揺さぶる。
「君の父さんと、母さんは・・・・・・」
こんなことを言いたくはない。
「もう死んだんだ!!」
「死んだ人間は帰ってこない、君はもう独りなんだ!」
おおきく眼を見開き、僕の方を見ると、そんなことない、そんなことないよ。女の子が繰り返す。一瞬の動揺もすぐに強い意志にかき消されてしまうかのよう。
「頼むよ、こっちに来て、少しでもここから離れよう」
「このままじゃ、君まで戦火に巻き込まれて死んでしまう。そしたらもう父さんにも母さんにも会えないんだ」
僕にだって分かる。
大事な物求めてさまよってしまう気持ちが。一人ぼっちで雨に濡れて、もう帰らない人を待ち続ける気持ちが。
でももうそれは終わったことなのだ、そこから少しでも前に進まなければ、どこにも行けなくなってしまう。
僕の真剣なまなざしと声は少しでも届いたのだろうか。
女の子は手を止め、少し考えるそぶりを見せた。
黒い瞳が僕を見つめる。
それからゆっくりとうなずいた。
「うん、ちょっとだけだよ。またすぐここに戻りたいな」
「向こうの壁にもあのお城にもまだまだたくさん絵が描けるの」
よかった
さあ、戻ろう。みんなで安全な場所に戻るんだ。そう思った。
「帰ろう、こんなとこから早く逃げないと」
緊張感のとけた結晶が、ほっとしたかのように呟いた。
その時、空気がどろりと、濁りを帯びた。
「それは困るな、それは困るんだよ」
後ろから聞こえる冷たい足取り、陰気な笑い声。
澄んだ青い目に、漆黒のフード。
金属製の鈍く光る左手の爪を携え、口にするのもおぞましい
〝絶望〟がそこにいた。
数名の教徒を引き連れ、ずるりずるりと何かを引きずり森の中から姿を現す。
城に派遣された、偵察隊の一人だろうか、短い茶髪の男性が首をあらぬ方向へひねられ、白眼を向きそのまま、絶命していた。
「お前!!」
結晶の髪が逆立ち、空気の色が変わる。一足飛びで剣を抜き切りつけた。
「ほお」
絶望が感嘆する。素早く引きずり倒していた騎士の体を投げ出し、左手の爪で受け止める。
受け止められてもそのまま結晶は体を捻り、なおも剣をねじ込む。
切っ先はわずかに皮膚をかすめて逸れた。
「ははは、どうにもならないな」
翻弄されても、なおも無言で結晶は切りかかる。
僕の方へ残りの教徒がするりと迫ってきた。女の子をかばうようにして、腰の銃に手を伸ばす。
大丈夫、撃ち方は習った。僕ならできる。僕なら、怖さを忘れるためにも呪文のように繰り返す。
その時空気が震えるほどの殺気をまき散らして、森の中に何かがいた。
木々がミシミシと倒され、ものすごい勢いでクリソコアさんが巨大な大剣を振るい、森ごとあたり教徒を薙ぎ払った。
動きを止めた僕らを見据えながら、絶望へと超高速で切りかかった。鋭い眼光を携え、頭上で高速回転される長大な剣が宙を薙ぐ。
風が泣き、木々の幹が宙に舞う。
絶望が超高速で降りおろされた大剣から距離を取ろうと、必死に下がる。当たればただでは済むまい。
同時に、隙間を縫うようにして、結晶の斬撃が、ガラ空きの顔を狙う。大剣の回避に集中する絶望には止められなかった。
防御をかいくぐり、顔へ刃が突き出された。今度こそ……
ギシミシと鈍い音がした。
ミシリと結晶の剣を噛みしめ、血が滲みながらも絶望が凄惨に笑う。