交響楽団の章〜第1話
ぼんやりと意識が回復してくる。過ぎた時間のことはよく分からない。
見上げると、白い天井がそこにはあった。古くなった本の匂いや、ごわごわした絨毯の感触が、肌にまとわりつく。
ここは、どこだ?大聖堂は、科芸祭はどうなった?
ふと隣をみれば白くて薄い布をかけられて、結晶が寝かされているのが、見えた。ゆっくりとした呼吸で布が上下に揺れる。
無事だったのか、よかった・・・・・・。
まだ寝ているのを起さないようにそっと、身を起こした。
あたりを見回せばそこいらに、大きな本が棚の中に並べられ、積み上げられて、山となっていた。
そのまま立ちあがろうとしたけど、
煙を大量に吸ったせいか頭がずきずき痛んだ
「あいたたあ」
1人間抜けな悲鳴を上げて飛び上がる。
街中にはたしか中央図書館があったような気がする。
どうやらそこへと運びこまれたようだ。
外はどうなったのだろう。みんな無事だろうか?
教徒はどこへいった? それに絶望は。
窓から外を見れば、地面がぼこぼこと陥没して、町中に巨大な穴が開いていた。あれはいったい何だろう。
あそこからも教徒は進入してきたのだろうか。
そんなことを僕が考えていると。
「ここは?」
後ろから弱々しい声が聞こえた。
結晶がふらりと身を起し、あたりをきょろきょろと伺っていた。
「起きたんだ、大丈夫?炎に巻き込まれそうだったけど、なんとかなったよ」
結晶を気づかう。
僕の言葉をぼんやりと聞き流し、あたりを見回して。
「そうだ姉さんは!、姉さんは無事!」
半狂乱になる姿が痛々しかった。
「ぶ、無事だよ、どこか別の部屋で治療を受けてる」
嘘をついた。どうなったのかは僕にも分らない。でも事実をそのまま伝えることはできなかったから、最後に見た、光景にかすかな希望をのせる。
あの人の左手は微かにまだ動いていた。
結晶は、一瞬ほっとした表情を見せた後に。
「き、君に助けてくれなんて、言った覚えはないよ」
精一杯強がっている様子だった。
「うん、ごめん」
冷たい沈黙が、立ちこめてしまう。
隣に腰かけて、、次の言葉を探す。何も見つかりはしないけれど。
静かな図書館の空気はどこか冷たい。
「姉さんは、頑張り屋だったんだ」
結晶がうつむいたまま、ぽそりとつぶやいた。
びくっと反応して、おもわず、脊筋が少し伸びる。
「誰よりもまじめに、言語の研究をして、誰よりも遅くまでずっと」
「それがあんなことになるなんて」
「きれいな姉さんを傷つけたあいつを僕は、絶対に許さない」
結晶がそう言った。どこか濁った怒りに満ちあふれていた。
空のように純粋でいたい、けどそれはきっと許されないことなのだろう。
僕らは大人になりながら、怒りや悲しみ、いろんな汚れを体の中に貯め込んで生きている。
そうだ、それが世の中の常識なのだろう。けどそんなものに、負けたくはない。
「ねえ、結晶、りんごはどうして地面に落ちると思う」
「何をいいだすんだよ、いきなり」
「この世界の全てに働く不思議な力を僕は重力って名付けた」
「これ一つで、りんごも天体ももすべての動きがきっと説明できる」
「計算してみたいな、きっと世界の常識が変わりそうだ」
結晶が弱々しく微笑んだ。
「星の動きは重力が決める。それならいったい僕らの運命は、誰が決めるのだろうね」
「僕には分らないよ」
結晶が炎を見つめながら、うつむいてそう言った。
僕らは何に支配されて、いったい何に翻弄されているのだろうか。また空間に沈黙が降りつもる。
「ねえ、王都の研究室のことを教えてよ」
僕も王都まで行くことができれば、春からは研究員の一人だ。
「知りたいの?ろくな場所じゃないよ」
「大体の人間は二十歳以上で、僕らより凄い年上だ。僕がいるとたいていみんな驚く。小さいのにねって言って」
「ずいぶん馬鹿にもされたなあ、子供の来る場所じゃないよって」
「でもさ、でも」
結晶がいたずらっぽく笑った。
「一回散々、年齢をからかわれて、あんまり頭に来たから、言ってやったんだ」
「絶対解けなさそうな難しい問題を出してやって、今まで何してきたんですか?って」
「どうなったの?」
「心をへし折ったみたいで、しばらく呆然としてたよ」
くくく、と結晶が笑う。
「もうそれから馬鹿にされることはなくなった」
「年齢がなんだ!僕は頑張ったんだ」
興奮したのか、毛布を跳ねのけるようにして、立ち上がった。
「いろんなしがらみや、足の引っ張り合いはもうたくさんだ!」
「僕は僕のやりたいことをやって、なりたい自分になるんだ、年齢なんて関係ない、誰にも笑わせやしない」
そう、結晶は吐きだした。
「結晶は強いなあ」
僕は心の底から、そう思った。
「そんなことないよ」
照れて頭を掻いて、いつの間に暖炉の火が少し暖かくなっていた。静かにそれでも途切れずに話は続く。
「年齢の違う人ばかりで、話し相手もいなかった。気遣ってくれる人はいたけど、なんだか同情されているみたいで嫌だったから、こっちから無視した。
結局いつも一人で、僕は研究のことばっかり考えてた。姉さんみたいになるんだ、姉さんみたいにって。いつかそうなりたかった、それだけしかなくて、だから」
だから、こんな風に話せる日が来るなんて思いもしなかった。
僕はずっと一人ぼっちだったから。
ぼそぼそと話す横顔はどこか泣き出しそうだ。
しばらく無言でそのままだった。言いたい言葉は吐きだせたのだろうか。
なんとなく壁の隅を見つめるとそこの彫刻には、弦の街の城壁にあった文字が彫り込んであった。
「あれ、なんだろうね?」
「ん?どれ?」
「あれ」
「ああ、それは健康だか厄よけのおまじないだよ、姉さんが言ってた」
病気を否定するんだ。
今にぴったりの意味なのかもな……たしかこんな発音らしいよ。
結晶がそうやって、変な言葉をたどたどしく言った。
Ma Se Nu
その音はくらやみの発した言葉によく似ていた。どうしてなのだろう。
僕の心の中に再び疑問がわき起こる。
でも今はそのことは忘れよう。
「そう言えばあの女の子のこと、何か知っている?」
「女の子?」
落書きしていた子だよ、僕に怒っただろ、何も知らないくせにって。
「ああ、あれか」
結晶が少し口ごもると、話を続けた。
「あの子は五年前の科芸祭で両親を亡くしているんだ」
どこかに緊張が走る。
「悲劇の科芸祭は大失敗で終わった」「僕は詳しいことは知らないけど、何かの実験が失敗して、町中が壊滅しそうで、死者も大勢出たってさ。そう姉さんから聞かされた」
「その時にあの女の子の両親も?」
多分ね、そう結晶がうなずく。
「それからあの子は、絵を描くことで、自分の願い事がかなうって信じてる。もう届かない何かを手に入れるために、いつもいつも・・・・・・」
「やめろっていっても理解しようとしないんだ。お父さんとお母さんは必ず帰って来る。その一点張りで」
「五年間ずっとだ!」
結晶が吐き捨てるように叫んだ。
「僕が知る限りでも休む間もなく、呪われたように絵を描き続けている」
「そんなもの、僕は認めない」
失ったものはもう、帰ってこないんだ
乾いたような表情でそう結晶が言った。姉さんはまだ生きている。そう何度も自分に言い聞かせるように繰り返しながら。
僕は、何も言うことができなかった。ここで伝える言葉は、どこにもいないような気がして。
でも今は僕が結晶のそばにいることで、少しだけ、その辛さを和らげてあげることができる。
そんな気がした。
「外が気になるから、僕は出てくるよ」
しばらくの時間がたったとき、僕はそう言った。
重たい樫の木のドアを開けて、外をうかがう。こっそりと覗き込んだ部屋の外には冷たく暗い廊下が広がっていた。
ドアを閉めて、一歩を踏み出そうとするとき。聞こえないぐらい小さな声で
「ありがとう」って言う声がした。
意地っ張りな結晶が溶けだした音を聞いた瞬間だと僕は思った。
「よう、ガキども元気か?」
「うわあ、あああ」
急に眼の前に人が現れて思わず悲鳴をあげてしまう。
外に出た僕を押し戻すようにして、街の城壁にいた見張りが部屋の中に入ってきた。僕に弦読みを教えてくれた人だ。
「ここは緊急用の避難室だ、しっかり休めよ、特にそっちのおかっぱ頭のガキは、脳しんとうまで起こしていたからな」
そう言うと僕らのそばに腰かけ〝ジャスパー〟だ、よろしくな。と改めて自分の名を名乗った。
「僕らを助けてくれたんですか?」
「ああ、正確には俺たち騎士団メンバーのダイアモンドとサファイアが頑張ったんだがな」
炎の中から、何とか無事に救い出せたよ。あの女の人もな、少し口ごもりながらジャスパーさんは言った。
結晶が息を飲む。。
「姉なんです。会えないですか・・・・・・顔を見たいんです」
「今は集中治療中だよ、残念だがな、素人が太刀打ちできる傷のレベルじゃあない」
行っても邪魔になるだけだ。そうはっきりと言われて、結晶がしゅんとなる。
よほど深手なのだろうか。そうだろう、あんな火傷をおって生きている方が奇跡だ。
そうだ僕も聞かなきゃなことがあるんだった。
「僕をかばってくれた、あの人は無事ですか?」
訊ねてみる。
「トパーズ隊長か?ピンピンしてるよ、今は下の階で指揮を取ってる」
そうジャスパーさんは言うと、一階までついて来るか?と僕らに聞いた。
僕と結晶はお互いの顔を一瞬見つめ合った後、同時にうなずいた。
「ほら、こっちだ」
ジャスパーさんが、僕らを先導する。
ドアを開け廊下を歩いて、また一つ大きなドアをくぐった。
図書館一階の大広間には大勢の人でごった替えしていた。騎士団が集結して、けが人の面倒を見たり、あちこち足早に歩いていたりする。
そこにあおぞらの姿を見かけた。
「おーい」
「ああ、無事でしたか、よかった」
久方ぶりの再会に思わず抱きしめてしまう。
中央大広間を見渡せば、図書館の中央にあったであろう、本棚はすべて、脇へとどけられ、広間は即席の司令室と化していた。
あちこちに怒号が飛び交い、今の混乱状況を教えてくれる。
「住民の避難は?」
「ほとんど全員、図書館地下保管庫か、多目的音楽施設に、誘導済みです」
「地下は気をつけろよ、教徒のやつら、水脈を止めて、地面の下から、この街を強襲しやがったからな」
「了解です。そのせいで、街中に陥没が起きてますね、ひどいもんだ」
騎士間でそんな伝令がなされ、小気味のいい返事がする。
窓から、ちらりと外を見たときに、あちこち地面が凹んでいた。陥没とはあれのことであろうか。
無数の弦、伝声管、それから複数の弦読み士が広間に配置されて、絡みあった弦は気まぐれな蜘蛛が張った巣のようだ。
臨時司令塔〝蜘蛛の巣〟だ。ジャスパーさんが小声で教えてくれる。
弦は、図書館の窓を通り、そのまま、外へと伸びていた。街中の弦に、それらは絡みつき、外の兵士を通して戦場全体の情報を教えてくれるのだろう。
図書館に配置された全ての弦の中央に警備騎士ことトパーズ隊長がどかりと腰をおろして座っていた。
傷はもう大丈夫なのだろうか?いかめしい表情からは何も読み取ることができなかった。
思わず目があってしまいペコリと頭を下げる。
「おい、そこの子供はなんだ?」
苛立った声が聞こえた。
「ああ、カラスの主人だとかなんだからしいです。奥の部屋で療養させてましたので」
「ガキは邪魔だ、ジャスパー。こんな所をうろつかせるな」
ジャスパーざんがうへっ、しまったという顔をする。どうしよう、このままじゃまた部屋に連れ戻されてしまう。
「僕も、ここにいさせてください、何かのお役に立ちたいんです」
「ダメだ!足手まといだ」
一喝される。
「望遠鏡を持っていて、カラスの主です。偵察か何かの役に立つかもしれません」
ジャスパーさんが僕をかばうかのようにそう言った。
「それならジャスパー、お前」
頭をかきながら、隊長がそう言う。
「はい」
「あと、全部面倒見ろ」
「えええ、ひどいですよ、そんな」
「そもそも、子供をここに入れた責任を取れ、これ以上こんな茶番を繰り広げている暇はないんだ」
「はあ・・・・・・」
ジャスパーさんが、深く溜息をついた。やった、思わずはしゃいでしまった。
「ああ、それから」
隊長さんがそう言うと僕の方を向き直り、頭をゴツンと殴った。
痛みで目の前がくらむ。
「子供が、あまり出しゃばるんじゃない」
「これは、そもそも教徒との戦闘だぞ。
みんなを守るために俺たちはここにいて危険に身を晒している」
「その本人が、飛びこんでくるなんて」
しかも、こんな小さいのに。トパーズ隊長が少し悲しそうな眼をした。
「すみません・・・・・・」
頭はまだヒリヒリと痛んだけれど、そうやって頭を下げた。なんだか今日はあやまってばかりだ。
「ダイアモンドやサファイアだって、そんな気持ちでお前を助けたわけじゃないぞ」
トパーズ隊長の隣にいた巨漢の騎士が、ぐっと腕をまくった。
ああ、あの人が僕たちを抱えてくれたのか。
「さあ、もう行け、ジャスパー、子供達と一緒に見張りと、火器の整備でもしておいてくれ」