弦の章〜第3話
科学芸術祭二日目。
二日目も、街中でお祭りはやっているらしい。けれども今日のメインは大聖堂で行われる公演とのこと。
大聖堂は街の中央にある城を除けば、二層目で最も大きな建物だった。彫刻の施された柱に支えられた、二つの尖塔の窓は様々なステンドグラスで飾られていた。
入口に向かう途中、同じ方向を目指すのであろう結晶の後ろ姿が見えた。
足早に路地裏を駆け抜けながら、僕の目の前を颯爽と通り過ぎる。
近くの路地には消えかけた小さな落書きが残され、特徴のある描き方から、ここにもあの女の子がいたことを示していた。
結晶は、その落書きをしばらくじっと眺めて、それから不愉快なものでも見たようにして、絵の描かれた地面を思い切り蹴り飛ばした。
いつも一生懸命に何かを込めるようにして絵を描く女の子と姿が頭をよぎる。
「なにするんだよ、せっかくあの子が描いた絵じゃないか!」
僕は結晶に背後から叫んだ。振りかえった結晶は。
「何か用?」
そう冷たく一声かけてきた。
詰め寄る僕に対し。
「なんだよ、あの子がなんで絵を描き続けているのかも知らないくせに」
結晶が僕を睨みかえした。
あおぞらが横で困った顔をしている。
結晶はにらむ僕にそう言いかえすと。踵を返すようにして先に大聖堂の中へと向かった。
大聖堂の入口は人ごみでごった返していた。入場するだけで、随分と時間がかかりそうだ。結晶の姿はもう見えない。
やっとのことで中に入ると、大広間には惑星と恒星からなる大きな天球儀の模型や、十二星座と、地動説を説明するような、金属でできた球体がいくつも置いてあった。
中に進むと、小さな廊下の脇で結晶が目を輝かせながら誰かと話しているのが見えた。
大人びた女性だった。結晶と同じような黒い髪をして、どこか雰囲気が似ていた。
笑顔で嬉しそうに話す結晶の姿は、いつもの険悪な雰囲気とは別人だ。
廊下を通り、らせん階段を抜け、公演が行われる中央の礼拝堂にたどり着く、はずだった。
けど大聖堂の中は随分と広く、うろうろ歩いているうちに、僕は裏手かどこかに迷い込んでしまったようだ。
気づけば、近くには誰もいなくなっていた。
光の射す中庭を通り過ぎ、柱を仰ぎ、誰もいない小部屋を通り過ぎた。入口の混雑で、あおぞらともはぐれ、途方にくれてしまう。
「誰?」
鋭い声が後ろから響いた。
振りかえれば、先ほどの大人びた女性がこちらを見えていた。
「実は、迷ってしまって……」
「こっちは公演者側の控室よ、こんな方に来るなんて」
女の人は呆れたように、僕を見た。
その表情は結晶にそっくりだ。
「すいません」
「あなたぐらいの年齢で、さすがに公演発表者側ってことはないわよね」
僕の方を見なが女の人がそう言う。
結晶と同い年ぐらいかしら、とぽそりとつぶやいた。
「結晶とは知り合いなんですか?」
「あの子の姉よ、あの子、私みたいにいつかはここで発表するんだって、自慢げに言うのよ」
そう言うと女の人はくすりと笑った。
自分の兄弟が無邪気に背を伸ばす姿が、愛おしいのだろうか。
「なんでも研究室に今度はライバルもくるみたいで、絶対負けないって、あの子粋がってるのよ、馬鹿みたい」
「そいつは、一人で天体観察を成し遂げて、天才もいいとこだなんて、手紙にまで書いて寄こすのよ」
驚いた。そんな自分の表情を見せてしまったのだろうか。
「もしかして……あなたが、そうなの?」
うなずいた。僕があいつに、そんな風に思われていただなんて予想もしなかった。 僕はただ単に馬鹿にされていただけかと。
「そうなんだ」
女の人はうなずくと
「あの子と仲良くしてあげてね、私みたいな研究者になるって言って、研究ばかりでろくに友達も作らず、いつも独りだから」
「はい!」
「それじゃあ、私の発表が近いから、これで」
一般の人はあっちよ、今度は迷わないようにねと場所を教えてくれた。
「ちゃんと聞いてよね、この日のためにすごい頑張って準備してきたんだから」
女の人はそう僕の頭をなぜると、長い黒髪をなびかせ、踵を返して、控え室の方へと足早に去っていった。
教えてもらった道を忠実に守って、歩きながらなんとか目的の場所へ戻ると。
「いったいどこに行ってたんですか、心配したじゃないですか」
「ごめん、ごめん」
あおぞらにまた怒られてしまった。
礼拝堂の中は公演を待つ人であふれ返っていた。やがて大聖堂の鐘がおごそかに鳴る。
同時に雰囲気を出すためか、入り口の扉がゆっくりと閉じられた。
太陽の光がステンドグラスを通して、様々な色に分光される。
「皆様お集まり頂き、どうもありがとうございます」
灯りに照らされた声が響き渡る。結晶の姉さんが壇上に立っていた。
通路の両脇に蝋燭がずらりと並べられ、その姿を優雅に浮かべていた。
天井のステンドグラスからは、太陽の光が様々な色に分けられ部屋の中を彩る。
「五年前に起きた、悲劇の科芸祭から、こうして、再開できたことを喜ばしく思います」
盛大な拍手が大聖堂の中、鳴り響いた。科芸祭午前の部が、健やかに始まる。
結晶の姉さんが開催の挨拶をした後、いくつかの公演が行われていった。その中には
騎士団員アラゴナイトさんのものもあった。模擬戦の僕のそばに座っていたひげ面の人だ。内容は難しく、理解しづらかったけど、それでも断片的に伝わってくる内容は物凄く。少し背筋が寒くなった。
その次が、結晶の姉さんの発表なのかな。どんなことをしゃべるのだろう。胸の高鳴りが止まらなかった。
ふと視界を脇へ移せば、発表が行われる礼拝堂に、警備の兵だろうか、大げさな装備をした、姿がちらりと見えた。
僕のそばにも一人、そんな者が控えていた。伝令役がそこに走り寄り、ひそひそ声で話しているのが聞こえてきた。
「壁の外で、楽器教徒の連中がうろついているのを見つけたみたいです。」
「状況は?」
「数名の兵を出してすぐに捕獲、見張り塔から見る限り、他にはいません」
「警戒を続けろよ、何しろ五年ぶりの科芸祭だ、あいつらどれだけこの祭りを邪魔したいか分らないからな」
ぼそぼそと声が聞こえる。教徒は科学を否定しているとあおぞらは言った。
それならば、やはりこのような集まりをひどく嫌うのだろうか。
結晶の姉さんの話に耳を戻す。壇上での話はいよいよ佳境に入ってきた。
「私は、過去に楽器教徒が使っていた、不可思議な単語に注目しました」
「彼らは通常話す言葉以外に、独自の言語を使います。文献や実際に教徒と接触して、私はその言葉を学びました」
ざわめきが止まらない。
「彼らの言語は二十六の元素からなる多重言語です」
「単語は力を持ち、特定の状況以外では発音できない、そう信じて言葉をとても大切に扱います」
手を振り回し、大げさながら聴衆に良く伝わる声で話し続けた。
「彼らの古の言葉では、挨拶は短く一言です。これぐらいなら許されるでしょう」
何しろ大事な皆さんへの言葉ですから。そう言って彼女は歌うように、言葉を紡いだ。奇妙な響きに聴衆から笑い声が上がる。
あれ、この発音は……その音はくらやみが発した言葉と同じだった。
くらやみはなんなのかな?僕がそう思ったときに。
なぜか、虫の騒ぎがして、ふと窓の外に目を移すと、子供たちが井戸のそばで遊んでいるのが見えた。数名でひもを引っ張り、ひどく重そうにして水をくみ上げている。
みんなで力を合わせて、かぶをひっこ抜く童話みたいだ。僕がそう思って
思わず笑いそうになったとき、水の入ったバケツが上がった。
バケツの上には、奇妙なぐらい尖った教徒の頭が飛び出していた。
「ああっ」
思わず息を飲んだその瞬間に井戸から飛び出し、続々と教徒が、広場へとあふれ出していく。
噴水広場を色とりどりに染め、こちらへ向かって、恐ろしい速度で走り寄って来た。
外の惨状を、僕があわてて伝えようとする間にも、結晶の姉さんは、話を続けていた。
けれども警備兵の大きな叫び声に邪魔され、ムッとした表情を浮かべる。
「ですから、このように、古い言葉は」
その時、何かが駆け抜けステンドグラスが、派手な音を立てて割れた。
青い眼が鬼火のように輝き、残像を描いて走る。
黒いフードを纏った、教徒の男が、稲妻みたいな速度で飛び込み、壇上まで走り抜けた。
「姉さん!」
結晶が絶叫を上げ、立ち上がるのと同時に、前方からかばうように警備の騎士が飛び出し、黒いフードの男の進路に立ちはだかった。
人ごみのせいか、動きが遅れた。
結晶は教徒の男から守るように姉のそばへ駆け寄り、警備騎士は男めがけて、高速に刺突剣を突き出した。
まばたきするほどの間に、結晶が素手で顔面を殴られ、地面を跳ねた。ひどい音を立ててその場に転がった。
不安定な体勢から繰り出された、刺突剣を受け流して、あっさりと男が警備騎士の懐にまで入った。
男の左手の手甲と指に取り付けられた鉤爪は、分厚い鎧をそのまま貫いた。
左手を捻り、警備騎士を蹴り飛ばして、結晶の姉のそばへと、一瞬で駆け寄る。
「近寄らないで!」
気丈にもそう叫んだ。
「Ra Ha Na」
彼女の言葉をさえぎり、無情な声が残響と共に大聖堂に響き渡った。
全てがあっという間のことで、僕には何が何だか分からなかった。
言葉と共に炎が六方向に広がり、大聖堂を内側からあっという間に飲みこんでいく。炎に照らされる男の姿が、陽炎のように揺らいだ。
悲鳴が、あちこちから上がり、恐怖を必死に押し殺した。
ふと眼を上げれば、壇上に進んだ男が手を上げ、炎が生き物のように集合した。
結晶の姉さんが炎に包まれ、どさりと倒れたその時。
〝絶望〟だ。
誰かが、静かに呟く声が聞こえた。
一瞬で記憶が蘇る。笛の塔で教徒の先頭に立っていた〝絶望〟あいつの名前なのか。
「フム」
フードの男、絶望が黒く焼け焦げた、姉の方を見る。
ぴくりとかすかに彼女の左手が動いた。
「その人から手をどけろ、絶望」
鎧を貫かれ、胸から血を流しながら、警備騎士がそう言った。
ゼイゼイと呼吸をして、虚ろな響きを上げながら血を吐いた。
絶望は無言のまま、くるりと振り返り、どさりと彼女を地面に投げ出して
天を仰ぐ。
大聖堂に、闇の讃美歌が響き渡る。
「トパーズか、安心しろよ。死んじゃいないさ」
気取るように絶望が手のひらを空へ向けて、警備騎士へそう言い返した。
「大事なんだろ、必死で飛び出したよな、守ろうとして。動揺が現れたぞ、動きが鈍い」
「お前が、彼女を語るな」
警備騎士が憎しみと怨念のこもった眼で、突入してきた教徒の男、絶望を睨みつけた。
「そんな眼をするなよ、こっちも辛くなる」
小馬鹿にしていると、そう思った。
ドアが開かない、助けてくれ、叫び声があちこちから聞こえ、礼拝堂の中は大混乱を極めていた。
その時ものすごい轟音と共に入口の扉が吹き飛んだ。
「トパーズ隊長!」
ドアを砕き屈強な騎士が大聖堂に飛び込んできた。絶望の残した火柱が一気に燃え上がり、祭壇や、分厚い絨毯に飛び火し、もうもうと黒い煙を上げた。
止まった空気が動き始めた。誰かが叫び声を上げて、開いた扉へと殺到する。
誰かに蹴られ、転び、足を取られ、倒れそうになるのをなんとかこらえた。
今にも押しつぶされそうになるのを避けて、壇上へと乗り上げ自分の身を守った。
炎と悲鳴に包まれながら
「かくして科芸祭は失敗に終わり、大聖堂は炎の向こう側へと朽ち果てる」
両手を広げ、絶望が誰に問うわけでもなく、雄弁に語りかけていた。
「はは、今日は記念すべき日だな」
「ははははははははは」
のけぞり天を仰いで絶望が笑う。
ドアを破った屈強な騎士が、そのまま入口から一直線に走りより、巨大な斧を振り回す。
倒れた警備騎士を守るようにして。
「お前が今さら何を……」
轟音とともに振り回される斧をかわし、踊るように優雅に言葉を続ける。
「一人でどうにかなるとでも?」
絶望の声が響き、左手の爪が蛇のように屈強な騎士を襲う。
「二人だよ」屈強な騎士の背後に隠れたもう一人の短剣が影のごとくすかさず絶望の首筋を狙う。
どれほど隙をついても、浅く笑った表情は変わらず、焦りはない。
軽がるとはじかれた短剣から、火花が上がった。目もくらむような攻防が繰り広げられ、僕の視界から一瞬で消える。
いつの間にかあちこちに火の手が回り、礼拝堂の中は煙にのみ込まれ、身動きすら危うい。
呼吸がうまくできなかった。剣劇の音、悲鳴、そして絶え間なく続く、場違いな笑い声。
早く逃げ出さないと、早く。
ああ、でも。
最後に僕の頭をなぜてくれた、優しい手の感触を思い出す。あの人と約束したんだっけ。仲良くしてあげてねって、言われたんだ。
結晶を助けないと。
壇上から、少し先に結晶は倒れていた。鼻から血が流れて、意識を失っているようだ。。
煙にむせながら、必死で近づく。
震える足を押えながら、壇上の上を進んだ。足がすくんで、わずかな距離を進むだけでもやっとだった。結晶のそばまでなんとか近づき、鼻血の垂れた顔を起して、腕をとって肩に担いだ。
眼の前に誰かが立ちはだかる。
「子供は邪魔だな」
冷たい青い眼を携えた、絶望が僕を、見降ろしていた。
僕に向かって振り下ろされた絶望の左手は、誰かの体で遮られた。
警備騎士の右肩にふかぶかと爪が突き刺さり、絶望を睨みつけていた。
死相の浮き出た表情がさらに陰る。
動きの止まったその隙を縫うかのようにして、さらに入口付近の壁が吹き飛び、新鮮な空気が流れ込んできた。
こもる煙の向こうで、大勢の人が騎士に連れられ、避難を繰り返すのが見えた。
「隊長」「隊長!」
警備騎士を先頭にして、屈強な騎士とその相方、そしてさらにその後ろにぞくぞくと集結していく。この炎の中、なんてことを……
「ははは、ぞろぞろ集まってきたな」
火の手が一層強くなった。
ずぶりと、肩に突き刺さった爪を引き抜き、流れ落ちる血を滴らせながら、騎士をそのまま蹴飛ばした。崩れ落ちうずくまる。
ははははは、陰気な猫のような笑い声を残して、絶望が後ろに跳ね距離をとる。
手を振り上げて、狭い空間の中をかき乱す。僕の目の前がくらんだ。
そこから先のことはよく覚えていない。黒い煙を吸い込みすぎて、もう目の前がぼやけていた。
けれども薄れゆく意識の中で屈強な騎士に僕も結晶も抱えられて、光の射す方へと連れられた。新鮮な空気の匂いがした。
かすかに開いた瞼の向こうに、大聖堂が炎と煙に包まれ、無残な音を立てて、崩壊していくのが見えた。
途絶えかけた意識の中で、いくつかもの恐怖が僕の頭の中をよぎる。
炎、煙、襲撃、崩れ落ちた体。
結晶は、姉さんは無事だろうか。
それにどうしてみんな襲撃してきた教徒〝絶望〟のことを知っているかのような口ぶりなのだろう。
一体、昔の科芸祭では何があったというのだろう。
それが最後で、僕の意識はどこかに消えた。ゆっくりとした暗闇に飲みこまれていく感触だけが残った。