弦の章〜第2話
街には昼過ぎについたというのに、疲れきっていた僕は、そのまま朝まで眠ってしまっていたようだ。
気づけば科学芸術祭の初日は静かに始まろうとしていた。
宿のおばさんが親切にも朝ごはんを作ってくれて、僕は半分寝ぼけながらそれを全部平らげた。
僕ぐらいの年齢で外部から参加許可をもらえる人は珍しいとのこと。そう思うとちょっと自分が偉くなったような気分で、嬉しかった。
今日は街中でのお祭りが主で、公演は明日らしい。
朝に弱いあおぞらは、宿を出てもまだ僕のバックの中で眠っていた。まあいいさ、ゆっくり寝ていなよ。
街中に、飾りがつけられ、ここへ来た時にもまして、華やかだ。
見渡せば弦につけられた旗が風になびき、バタバタと大きな音を立てていた。あたりを見回しているうちに人があふれ朝の静けさが嘘のように街の姿が変わる。あちこちに色とりどりの露店が建ち並び目映りする。
噴水や飾られた井戸の周りには、たくさんの人が集まり、楽しそうに喋っていた。
こんな雰囲気は、久しぶりだ。
まだ小さなころに一度だけ家族でお祭りに出かけたことがあった。今よりずっと小規模で、比べるのもばかばかしいぐらいのお祭りだったけど、父に肩車をせがみ、夕闇と熱気の中で、軽い興奮状態だったのを覚えている。
温かくて、僕はいろんなものに手を伸ばしたように思う。
燃え盛るたいまつ、露店の食べ物、光る石なんかがあるたびに、母さんはあわててそんな僕をとめたような気がする。
あの時父さんと、どんな会話をしたんだっけ、もう上手く思い出せなかった。父さんは僕のことをどう思っていたのだろう。
考えないようにしているけど、ふとしたことで幼い記憶がよみがえる。
急に歓声があがり、はっとして、前を見ると、大きな山車や騎士の鎧を身につけてパレードが始まっていた。
今はその雰囲気に馴染めない気がして騒々しい空気から逃れるように街のはずれの方へと歩く。
科学芸術祭が始まっても、外壁の警備は一層厳重に敷かれたまま、街と外の出入り口は中央の門一か所のみで、高くそびえる壁は外からの侵入を拒むようにそびえ立っていた。
何を警戒しているのかは分からないけど、よほどのことがない限り、騒ぎなんて起きそうもないと思った。
外壁をよくよく見ると、こんなところにもあちこち落書きがあった。あの女の子の仕業だろうか。
外壁の上には小さな見張り塔が突き出し、見張りの人だろうか、壁の上からピンと張られた太い弦に手を伸ばし、何かを探っていた。この弦は、他のより高い場所にあり、随分と遠くまで伸びているように見えた
気になってしまい、しばらくその行為を見つめてしまった。
「おい、何のようだ、そんなに“弦読み”が珍しいのか?」
「え、あ、初めて見たものですか」
見張りに急に話しかけられて、驚いてしまう。
「見ない顔だな、旅行客か何かか」
「ええ、お祭りへの参加許可証をもらいまして」
「ほお、若いのにすごいな」
見張りの顔が少し緩んだ。
「いったい、この弦で何をしているんですか」
前から気になっていたことを尋ねてみる。
見張りはしばらく考えたそぶりを見せると、すぐに顎で上がってこいと僕をうながした。
見れば、見張り塔の下からは円形に石階段が伸び上までつながっていた。
期待に胸を弾ませ、階段を三段飛ばしぐらいで、かび臭い塔内を駆け上がる。上がった先から
外を見渡せば、街の外も中も景色を一望することができた。
「ああ、まったくあの下手くそめ」
見張りが手に細い弦を持ちながら、文句を言っていた。
「おお早いな」
僕の方を見もせずに、そう言うと。
「この弦はな、通信用だ」
「通信?」
「決まった間隔と強さで震えさせることで、離れた場所と交信できるのさ」
通信以外にも、種類は色々あるんだがな。そう言いながらも、右手で弦を握り、じっと集中している。伝わってくる言葉を読み取ろうとしているのだろうか。
「なんだがな、この先にいる奴は、“弦伝え”が下手すぎて、細かいことが分かりにくいんだ」
そう言いながらも、右手は弦を握ったままだ。
「ああ、そう『こちら特に問題なし』か、ならいいさ」
そう言うと僕の方に向かい。
「お前もやってみるか?」
と唐突に聞いてきた。見張りの風貌は少し怖かったけど、好奇心に負けた。
「まずは、間隔を読むことだ、初心者はすぐ手を擦りむいちまうから、ほんとは革の手袋が必要なんだがな」
「素手で大丈夫です」
何事も、自分でやってみなければ分からない。そう思い、簡単な説明を受けた後、素手で弦を握る。風の振動で揺れる弦は手の中で動き、皮が直ぐに剥けてしまいそうだ。
ゆっくり手の中に少し空間を作ってみろ、風以外の感覚が分かるはずだ。そう言われ、全神経を右手に集中してみる。
最初は不規則に揺れているだけだったのが、次第に何かそれとは別の物を感じ取ることができた。よしやったと思った時に、弦が暴れ僕の手が弾かれた。
荒れた金属の弦で、手を擦りむいてしまった。空気に触れるとヒリヒリと痛む。
「何か分ったか」
「こんなリズムでした」
記憶を頼りに、感じ取った振動を、見張りの手のひらに再現する。
「なになに、これは、あの野郎」
急に怒り出した。
右手と左手で弦をつかみ、向こうへ返事をするのだろうか、何か特定の揺れを刻む。
「まったく、何が『はらへった、交代を望む』だ、ろくに見張りも務まらないくせに」
と見張りが、憤慨しながらぼやくのが最後に聞こえてきた。
見張り塔を降り、再び街の中を巡る。
少し気分が落ち着いた。
壁の近くから、再び露店の周りをうろうろすると、おいしそうな匂いが漂ってくる。
カバンの中がもぞもぞと膨らみ、匂いに釣られてかあおぞらが顔を出した。
すぐそばで、いい音を立てながら、柔らかい脂身がのった肉が焼かれ、熱々として湯気が立ち上っている。あれだけ朝ごはんも食べたのに、急にお腹がすいてきた。
お昼には少し早いが二人分のご飯を買って、食べながら見学する。
隣には新鮮なトマトや、滑らかなチーズがならべられ、とろける様な蜂蜜をかけて食べれば、すぐにお腹はいっぱいになった。
「野菜もちゃんと食べないとダメですよ、船乗りみたいに壊血病になっちゃいますから」
「うん、わかったよ」
目の前のキャベツをフォークでつつきながら、僕はそう言った。
あんまり好きじゃないなあ。
トマトやパスタの方が好きだ。地方ソーセージが食べたい。茹でてもいいし、炒めてもおいしい。生ハムもいいな。
お昼御飯のあとにあたりをうろうろしていると。中央階段前の広場が人ごみでごった返していた。
「すごいね、何をやっているのだろう。」
「あ、なにかいますよ、騎士だ」
見れば、中世の甲冑に身を包み、騎士が二人、剣舞のような見世物を行っていた。模擬戦だろうか。
と、すぐに、片方の剣士が、剣を構え場に緊張感が漂う。本物の決闘をみているかのようだ。
白い鎧を着こんだ一人は剣を肩に担ぎ、黒い鎧に身を包んだもう一人は目の前で剣をかざした状態で身構えていた。
踏み込み、垂直に突きあげられる刃が黒を襲う。黒はそれを後方に軽く下がり、すらりとかわし、そのまま剣を振り降ろし、一刀両断に白を切り裂こうとする。
その一撃は回転した表刃に阻まれ、お互いの剣がぶつかった。
僕らの後ろにぞろぞろとギャラリーが押し寄せ、みるみる広場は人でいっぱいになってしまった。
「おお、あっちの小僧は、屋根の構えか」
観客が黒い騎士を指さす。
「で、もう一人が門か、典型的な後の先だな。どうなるか、楽しみだ」
屋根、鍵?
剣の構えですよ、あおぞらが僕に耳打ちする。
「王都の騎士団が使う必殺技みたいなものです」
「門、屋根、愚者、双角の構えなんかで全部で大きくわけると、七つの構えがあるらしいです」
「個々人の性格や得意技なんかで、使う剣技は変わるし、一つを極めるのだって大変なんでしょうけどね」
ふうんと僕はうなずいた。カッコイイなあ、僕もそう言うのには少し憧れる。
白い騎士が一瞬で間合いを詰め、防御を破らんばかりに、必殺の一撃を繰り出した。
瞬く間もなく、白い騎士の剣が回転し、頭を狙う裏刃が黒い騎士の兜を弾き飛ばす。
勝負はそこで決まりだった。
白い騎士が兜を取って空を仰いで一息、深呼吸をした。
黒い髪が空を舞う。
白い騎士は結晶じゃないか、見とれて損をした。
こちらの視線に気がつくと、結晶はぷいと目をそらした。
あんのやろう。
むかっときた僕をなだめるかのように。
「普段はあんなんじゃないんですけどね」
あおぞらが申し訳なさそうにそう言った。
「知り合いなの、あいつと?」
「先生のところでは一緒でしたから」
王都でのことをあおぞらは少し話してくれた。弦の街よりさらに大きな都市があるなんて、僕には想像もつかない。
噴水広場を抜け中央階段を上がり、二層目を見て回る。
昨日はゆっくり見ている暇もなかったけれど、数式や図形が描かれた壁のそばには、大きな木枠に印刷された、文字や絵がはめ込まれていた。
二層目の奥には、何か大きな建物の尖塔が見えた。
うわぁ、すごいなあと、声が漏れる。
さっきから指さして、質問ばかりだ。
「明日の公演はあそこで開催します。王都から有名な人たちもたくさん来ます。で、それにあたって、ちょっとお願いしたいことが」
なんだろう、あおぞらが少し、悪そうな笑みを浮かべた。
連れられ気味に、近くの建物の中へと案内された。
「やだ、ぜったに嫌だ!」
建物の中で、唐突にお願いされて、僕は思わず大声をあげた。
顔が真っ赤になるのを隠せなかった。
「やだよ、そんなの……」
周りに、大人が並んで困った顔をしていた。
依頼された内容はこうだ。王都を騒がした、著名な要注目、新人研究員〝星座〟さんに急きょ簡単な公演か挨拶をお願いできないだろうかと。
僕の作った、望遠鏡と月のスケッチは予想以上に、王都で大騒ぎになったようだ。
こんな大きな大聖堂にいったい何人集まるのだろう。その前で、自分がおどおど話す様子を想像すると、顔から火が出そうな気分だった。
「嫌ですよ……」
あおぞらの隣に大人の人が立って、二人がかりで、僕を説得してくる。
「そこを何とか、先生も、期待してますし」
「でも、明日だよ、時間だって足りないよ!」
「王都での説明用に、資料はもっているんでしょう?」
「それは、そうだけど、でも先生に言われて」
あっ、やられたと、唐突に思った。
それじゃ、それで行きましょうと話がまとまり出して、もう僕の反論は通りそうになかった。しゅんと下を向いて。しょんぼりしてしまう。
「大丈夫ですよ、みんなあなたには期待してる。何か新しい風を起こしてくれるって」
みんなに励まされても、元気は出ない、明日じゃ、いくらなんでも急すぎるよ。
結局は押し切られてしまい、明日リハーサルがあるからよろしくと、僕はその場にいた人たちに固く握手をされて、細かい段取りを説明されてからようやく解放された。
僕の発表は、午後一にさらっと、お昼を食べた後に、行われるとのこと。
簡単でいいのよ、とみんなニコニコしていたけど、無理だよ、こんなにいきなりどうしろと。
若干ぐったりしながら、明日のことを考えて、気が重くなってしまう。
先生に見せようと思って、割と大きめに書いた月や惑星のスケッチ、天体の軌道考察、望遠鏡なんかを持ってはいたけど、いったい大勢の前で何を話せばいいのだろう。
「そんなに緊張することないですよ」
またそうやって根拠もなく励ましてくる。ジト目で見ても、意に介せずといったありさまだ。
一日中遊び疲れ、明日の発表に怯え、宿に戻ると、朝と同じように、晩御飯の準備がなされ、いい匂いを立てていた。
宿のおばさんに、お礼を言って、部屋に戻ろうとすると。
「一人で偉いわね、明日の公演にはあなたもでるの?」
笑いながら話しかけられた。
明日の公演は大聖堂で行われるらしく、演目は様々だ。街中で見たもの以外にも色々あるらしい。
・「星空と神話による舞台灯」
・「誰にも聞こえない声」
・「古代言語の解明」
・「王都宮廷騎士団による団体剣舞」
・「歯車式移動装置の試作」
・「死に至る病」
など、興味をひかれるタイトルの物が多く、どれから見に行けばいいのかさっぱり分からなかった。
夜になると、少し空が陰り、暖かい雨が降っていた。それでも熱気がやむことはなく、赤々と燃える炎や街灯代わりのたいまつの光が、そこら中に見えた。
時々笛のような楽器の音が今でも聞こえ、誰かが外で踊っているのが見えた。
夜の闇と灯りの間に、静かにたたずみながらも科学芸術祭はまだ終わらない。
一日の思いでにふけりながら、窓の外を見ていると何かが、そこを横切った。なんだ?と僕が思ったその時に、カタカタと猫が歩くような小さな足音が聞こえてくる。
誰だ。窓を開け、ゆっくりと外を見渡す。重い音を立て窓が開いた。
夜の闇の中を猫のように、歩く姿は僕に、あの日、不思議な鳴き声を残していなくなったくらやみを思い出させた。
目をこらせば誰かが夜の雨の中立ちすくんでいるのが見えた。
降りしきる雨の中、落書き好きなあの女の子が、悲しそうな顔をして空を見上げ、じっとしていた。
驚いて、言葉に詰まる。
「そんなとこにいると雨に濡れるよ、家に帰りなよ」
降りてすぐそばまでいった方が良いか僕が一瞬迷う間に。
僕の言葉が届いたのだろうか?女の子は下を向きどこかへ走り去った。暗い路地を走り去る音が、不可解なぐらい耳に残り、その姿がひどく気になってうまく寝付けなかった。