弦の章〜第1話
あれが王都?すごい大きいね」
笛の塔を過ぎ、教徒をやり過ごした後には、広大な街が見えた。心なしか、弦がこすれるような不思議な音が聞こえてくる。
「いえ、違いますよ。あれは〝弦の街〟です」
「王都へは直接向かわないの?」
首をかしげる。
「先生から、ちょっと寄り道してこいって仰せつかっています」
「ふうん、そうなんだ」
「きっと楽しめると思いますよ」
弦の街では今〝科学芸術祭〟が始まる所ですから。
あおぞらは意外と物知りだ。
古い占星術や研究され始めたばかりの微積分法についても、きちんと知っていた。
僕もこうして、外の世界に出る前には小さな家の中で、暇をみつけては科学と芸術について書かれた本を何冊も読んでいたけれど話についていくだけでやっとだ。
小さな部屋を思い出す。誰もいない中で、仄暗いランプの光を見つめながら、ささやかな言葉にどれだけ励まされただろうか。
占星術を中心とした、天球儀の時代から、これからは天文学へ新しい世界が広がる。
期待に胸を弾ませながら道のりを歩く。少しずつ、見たこともない街の姿が近付いてきた。
街の入り口には、物々しい警備がしかれ、出入りを厳しく制限しているようだった。これも科学芸術祭の影響なのだろうか。
「許可証を」
いかめしい顔をした門番が、僕に向かってそう言った。
思わず困惑して、あおぞらの方をちらりと見る。先生の手紙を見せてあげてください。
そう耳元でささやかれ言われた通りに、手紙とその最後に記されたサインを見せる。
「ああ、あの方のご知り合いですか、どうぞお通りください」
先生のサインはずいぶんと有効なようで、あっという間に門番の顔はほころび、僕らはすぐに通された。
「先生ってやっぱり有名なんだね」
「そうですよ、今回の科芸祭でも本当は主催の一人ですから」
「ここには来てないのかな?」
「先生は月へ行くつもりです」
「へ?」
唐突な言葉に、驚いてしまう。
「月のスケッチ送ってくれたでしょう?あれ、王都では結構な騒ぎだったんですよ。研究者の間では、ひそかに望遠鏡ブームが起きて、あれ以来みんなで星を眺めようと必死だったんです」
先生はそこからさらに、発展して、月まで行くことを夢想してました。
王都でもおっきな望遠鏡のプロトタイプも何個か作りました。でもあまり上手くいかなくて。
全然レンズが作れなくて大変でしてね、そう言って照れくさそうに笑った。
「それから壮大な計画がもちあがってるんですよ、まずは巨大な望遠鏡、それから五年をかけて、でっかい大砲を作って砲弾を月まで飛ばすそうです。何かの頭文字をとってベルヌ計画って呼んでました」
「先生は今、王都でその総指揮をとっています」
それでこの街にはこれないらしい、残念だ。
物々しい門をくぐると、街の中が一望できた。街は全体を大きな壁で区切られ、外の壁からは長い金属で編まれた弦が中央に向かって伸びていた。
街中の全ての弦はここから見る限り、すべて中央の高台にある、巨大な城まで続いていた。
あたりを見渡すかのように、あおぞらが真上に飛び立った。
ちょうどその時に、後ろから、ぼくと同じ年齢ぐらいの、端正な顔立ちをした子が許可証を見せて入ってきた。男の子なのか女の子なのかよく分からない。
ぼくの顔と、先ほどまで肩にとまっていた青いカラスをみて、何か合点が行ったようにうなずくと、こちらをにらみながら近寄ってくる。
黒い髪の毛をおかっぱ頭のように切りそろえて、腰には帯刀までしていた。
ぼくよりちょっとだけ、脊が高かった。
「君が〝星座〟か」
そう一呼吸置くと。
「 僕の名前は〝結晶〟先生の研究室で働いている」
「こんど君も先生の所にくるんだって?そんな君のことが大嫌いだ」
そこまで一気に結晶は吐き捨てた。
「ケプラーの第三法則は知ってる?」
唐突にそう聞くと、答えられないぼくを見て鼻で笑った。
なんだ知らないのかよ。王都で考えだされた天体運動の理論だよ、田舎者め。
おかっぱ頭の黒い髪の毛が、ぼくのことをあざ笑うかのように、風に揺れて、ふわりとなびく。
「たいした能力もないのに、望遠鏡とかそんな金属のガラクタをつくったぐらいで、先生の所へ行こうなんて思い上がりも甚だしい」
どいてよ、邪魔だ。
結晶はそうぼくのことをまるで生ゴミでもみるような目でみると、つま先をくいっとふって退くように促した。
なんだよ、あいつ。
結晶は少し憤ったぼくを背にして振り返る間もなく、いなくなってしまった。
どうしていいのか分らず、こんなに誰かに嫌われるのは初めてだったから少し落ち込んだ。
「どうかしました?」
戻ったあおぞらが落ち込むぼくを気づかってか、首をかしげながら聞いてくる。
「ううん、なんでもないよ」
あんまり悲しい顔ばかりしていると、本当につらくなりそうだから、適当な笑顔でごまかした。
沈んだ気分もすぐに吹き飛ばしてくれるぐらいに弦の街は賑やかだ。
ここにはぼくの知らないものがたくさんあった。
あおぞらもここに来るのは初めてなのだろうか、二人でであたりをキョロキョロしながら、見て回った。
街の作りはこんな風だ。
門をくぐり右に抜けると、路地がいくつも立ち並び、レンガと漆喰で組まれた小奇麗な家が立ち並んでいた。街は高さによって三つの階層で区切られそれぞれを大きな階段でつながっていた。
石畳の路地は、歩くと乾いた音を立て、爽快な気分になった。自分の知らない世界が広がっている。その世界にほんの一歩でも踏み出すことはなんと楽しいことか。
この街からでも夜になれば、星をみることができるだろうか、なるべく高くて、明かりが少ない場所がいい。街中を歩きながらそうやって空想にひたる。
噴水のある広場では子供たちが、はしゃぎながら遊んでいた。小さな女の子が一心不乱になって、落書きを続けていた。
白いチョークで、大きな人形の絵が石畳に描かれ、その横を乱暴に男の子たちが走り回りながら、落書きを踏み消していく。女の子は一人だ。
どうにも気になってしまい、しゃがみ込んで話しかけてみた。
「上手だね、お絵描き」
小さな女の子は、どきりとしたようにこちらを見上げ、少し照れて、はにかんだような笑顔を見せた 汚れた赤い服を少し恥ずかしげに、はたいて、異国風の裾をしゃっきりと伸ばした。
それからぼくの視線があちこちの落書きに向いているのを見るときまりが悪くなったのか、逃げ出してしまった。
やれやれ、申し訳ないことをしてしまったように思う。
こんなつもりじゃなかったのだけど、うまく他人と話すのは難しい。もう少し器用にできれば、結晶ともうまくやれたかもしれないのに。
チョークの落書きが残る街の中央広場を抜けて 横町を通り過ぎると、大階段から、街の中心となる。弦の張り巡らされた城が見えた。
ここは不思議な街だ。
何に使うのかも良くわかない弦が街中の主要部に張り巡らされ、時折風に揺れて、奇妙な音を奏でている。
そのうち何に使う物なのか、誰かに聞いてみよう。
知らないものばかりで、見るものすべてが真新しかった。
「あおぞら、どこに向かうの?」
「とりあえず、泊まるとこ探しましょう」
ぱたりと羽ばたきながら、何でも答えてくれるのが頼もしく思った。
一層目の階段を上ると、城壁が張り巡らされ、その隣を歩けば、壁一面に刻まれた無数の円の図形や、数式が見えた。
隣にたてられた説明文を読めば、何でも昔、人間の感情を数式にあてはめ、喜怒哀楽を制御しようとした者がいたらしい。
もっとよく見て解析したい誘惑に駆られたが、あおぞらに渋い顔をされて、泣く泣くあきらめた。
城壁の横には、小さな文字で何かおまじないのようなものが書いてあった。
王都へたどり着くのは少し、遅くなってしまいそうだが、この街だけでも学びたいことは多すぎて、しばらく飽きることはなさそうだ。
鼻歌を歌いながら。
「ほら、あおぞら、はやくいこうよ」
おもわずはしゃいでしまう。
宿泊する建物はすぐに見つかった。
金縁でできた板状の看板には。
『山猫亭』
と宿の名前が刻まれ、ドアをくぐり受付を済まし、二階に上がれば、きれいに敷かれたシーツとベッドが並び、ぼくの体に残る疲れも吹き飛びそうだった。
一日の疲れもあり、すぐにベッドに倒れこんでしまう。