黒猫の章〜第1話
ある晴れた日に家の外で黒猫を拾った。
名前がないのは困るから、「くらやみ」と名付けた。
澄んだ空気の中、くらやみはぽつんと座り、僕の方を見上げている。
雪が今にも降りそうで、随分と寒い日だったように思う。石造りの小さな町を馬車が通りすぎ、カタカタと車輪の音がしていた。暖炉に薪を入れて火を起こす。
工房の方も見てこないと、そう思って外に出たときに、そいつは、のどをゴロゴロと鳴らしぼくの方へと近づき、何かを言いたそうだ。
「よしよし」
そう言って、のどをなぜる。
嬉しいのだろうか?
青いろの眼が僕を見据え、ひげを震わせながら、鳴き声を上げた。
「Ra!」
「ラ!?!」
思わず驚いて、変な声がでた。
いったい今なんて鳴いた?
「Ra!Ra!」
「Syu A Ca Ru!」
「Ma Se Nu」
「Te S Ra Ve Nyu Nya Nya」
僕には聞き取れないぐらい、澄んだ高い声で、くらやみが歌うように言葉を絞りだす。
あまりのことに、随分と驚いたけど、透明な鳴き声は、それすら忘れさせるぐらい不思議な魅力にあふれていた。
「何か言いたいことがあるのかい?悪いけど、君の言葉は僕には分からないよ」
少し申し訳なさげにそう言うと、くらやみがちょっと悲しそうに身を震わせた。そしてぐっと縮まった後に。
大きく伸びをして力をため、どこか遠い世界から運ばれて来るかのように、言葉を紡いだ。
「Mu Ni Ca」
それだけ言うと、くらやみはくたりと力尽きたかのように倒れた。体がゆっくりと崩れていき、後にはもう何も残らなかった。
僕の名前は「星座」これはぼくの小さな町から始まる。そんな物語。
僕の毎日は工房での、ガラス作りから始まる。
いつも火が付いている大きな炉に、ガラスを溶かすための器具。それから鋳型に、金床。以前は騎士用の鎧や刀を作ることもあったらしい。
昔は薪をくべた暖炉のそばで、しょっちゅう母さんに本を読んでもらったっけ。
父親にはよくこの工房で叱られてばかりだった。怖くていつも怯えながら、おそるおそる作業をしていた。褒められることは結局最後までなかったように思う。
僕は、そこから毎日のようにガラスを削って磨いて、やっとのことでレンズを作り出した。
空に透かせば虹色の光がそこには見える。
鉛を溶かし、筒状にしてレンズと組み合わせる。近くにほうったままの設計用紙には何べんも光の軌跡を考えた後が書き残されていた。
冷たい空の下、鉄柵を打ち台座を作り、地面に半固定して、白い息を吐きながら、期待に胸を弾ませて空を見上げた。
幼いころの物語には、人は死ねば、みな星になる。そう書かれていた。
それならば、この広い夜空のどこかには自分の両親もいるのだろうか?
寒空の下、大事な人の影でも見えないものかと、深夜まで星空の中を探し回った。
記憶に残る思い出が、微かながら蘇る。
毎日の作業の後に、一人遅くまで残り、誰もいない炉の前で、クズ鉄で小さな型を作り、炉の中に砂や石灰と共に火にくべた。
初めはなかなかうまくいかなかったけれども手のひらに無数の火傷をこさえながら、幾度も失敗を繰り返すうちに、気泡だらけの小さなガラスの塊を作り出すことができるようになった。
キラキラと光るそれを、初めて見たときの興奮を言葉にすることができるのだろうか?
それが、映しだすものを想像すると、どんな宝石よりも貴いもののように自分の眼には写った。
頭上に望遠鏡を向け夜空を旅した。
それでもこの空には誰もいない。輝く星がどれほど光っても、この空には誰も見ることができない。
だったら、だったらもっと大きな物を作ろうと思った。
この空より広く、高い場所で、もっと大きなレンズを備えて、もっと大きく、美しく星空の隅々まで見通せるぐらいの道具を作ろう。
大平原の空の下、満点の星を一つずつ、巨大な望遠鏡で見て回ろう。あらゆる範囲の空を余すとこなく見回り、その影に潜む姿を探し求めよう。
一歩ずつでもいいから進んで行こう、そう思った。
王都では科学研究が盛んだと聞いたから、星の詳細について、自分の見たことを丁寧にスケッチした。それを手紙と一緒に王都の学者たちに送ってみた。
もしかしたら、奇跡的に僕みたいな子供でも、研究員としての働き口があるかもしれない、そこでなら、大規模な星の研究に関わることもできるかもしれない。そう思った。
何度か続けても、さっぱり音沙汰もなく、がっかりと落ち込み、ふてくされてはいたけれど。地道にそんなことを繰り返すうちに、ほどなく一通の返信があった。
王都へ招待する手紙を運んできたのは、郵便夫でも何でもなく、一羽のカラスだった。
地動説から天動説へと星の時代は変化を続ける。
ある昼下がりに、まだ返事ももらっていないうちから、王都へ呼ばれることを妄想して、いそいそと荷物をまとめていた。
レンズ、望遠鏡、ランタン、マッチ、大小のナイフに小ぶりの短剣
それから貴重な調味料にあれやこれやと、はやる気持ちを抑えきれずに、荷物カバンは、ふくれあがり、床にまであふれた。
一体これを全部詰めることはできるのかと、我ながらあきれるぐらいの量になってしまった。
一息つこうと木枠の窓を開けるとバタバタと、大げさに羽ばたきながら、目の覚めるような群青色のカラスが飛び込み、こちらを見つめ。
「こんにちは」
と、唐突に人語で話しかけてきた。
くらやみのこともあり、カラスがしゃべるぐらいではもう驚かない。
「あれ、あんまり驚かないんだね」
なれなれしくカラスは話しかける。
随分爽やかで、よく通る声だと思った。
何の用ですか、冷たくぶっきらぼうに言い放つと
「王都から手紙を持ってきたんですよ」
カラスがにやりと笑いたそうな顔をしてそう言う。
見れば首から胸にかけ、筒状のものがたくさんついた衣服をつけている。
羽根を器用に操り、ここだと言わんばかりに指さした。
飛びかかるようにしてカラスの胸元に手を突っ込む。どれだけこの日を待ったことか
暴れる鳥を、無理やり押さえつけ、苦しそうなきゅうという悲鳴を無視して、筒の中から、蝋で厳重に封をされた分厚い手紙を取り出した。
そこには、自分の送った月の姿に対する考察と、観察記録に対する長い長い対論。それから最後に、王都の研究室へ来ないかという熱烈な歓迎の文字が躍っていた。
君さえよければ、案内人として
カラスを送る。人語を話せるとても頭の良い品種だ。と、最後に記されていた。
それから旅費の足しになるようにと、今までの自分では到底稼げないような量の金貨と、宝石が手紙の中には詰められていた。
強引にとりだした拍子に、手紙から金貨がこぼれ落ちる。
「で、どうします?」
カラスが押さえつけられたまま、下からこちらを見上げてそう言った。
「行かないんなら、それは渡せないですよ」
「行くよ、行くに決まってるじゃないか!」
はしゃいだ声と、こぼれる笑みを隠しきれない。
「決まりです、それじゃあ」
あおぞらって言います。カラスはそう自己紹介した。