高級チョコレート
ベッドの上で寝ているウィトのちょうどおへその真上あたりに、クラゲのような生物が浮遊している。その生物の触手がウィトの手足と額まで伸びており、ブォワン、ブォワンという音とともに、色とりどりの発光帯がその触手をのぼっていく。
ときおり、カーテンの隙間からプラズマのような青白い光がもれていた。
ウィトが身じろぎをし、それを合図とばかりにクラゲのような生物は触手を離した。そして、今度は触手を天井に向けて逆さに張りつくと、蛍光灯のような優しい明かりでウィトのまわりを照らした。
目覚めたウィトは、ぼんやりとした意識のなか、部屋のなかを見渡した。
「ここ・・・」
そこは病室のようだった。ただ、ウィトが知っている病室とは違って、広さがかなりあった。あまりにも広すぎて隅まで明かりが届いておらず、どこまで部屋が続いているのかわからなかった。見える範囲だけでもベッドが30以上ある。しかし、そのどれもが空っぽで、この部屋にいるのは自分だけのようだった。
そのとき頭上でポワンッという柔らかい音がわずかに聞こえ、天井を見上げた。二つの黒い点が、こちらを見つめていた。
「あっ!」と思わず声をあげると、ベッドの上に座った状態で、足をばたつかせながら後退した。と、乳白色に発光しているマシュマロのような生き物が、ウィトの頭上まで天井の上を動きだした。
「あー!」
ウィトはベッドから転げ落ちると、叫び声をあげながら駆けだした。頭上の生物もウィトの後を追って、すばやく動きだした。
そのときベッドの骨組みの金属が、ウィトの体から発する磁場に引き寄せられ、ウィトの足に張りついた。ウィトは必死に前進しようとするのだが、次々とベッドが引き寄せられ、終いにはベッドに囲われて身動きができなくなった。
「あー! 助けて! 誰か! あー! 助けて!」
と、部屋全体を照らす室内灯がつき、マシュマロは元のクラゲの姿にもどった。
「もういいわよ。ありがとう」
リーディアが声をかけると、クラゲのような生物は漆黒のサークルのなかに飛び込んで姿を消した。
白衣姿のリーディアはヒールを履いたままベッドの上にあがると、中腰になって下をのぞいた。そこにはベッドの足と足に顔を挟まれ、ゆがんだ顔でうめいているウィトがいた。
「それにしてもあなた、本当に強い電磁場をもってるのね。それも感情が高ぶると、より強い磁場が発生するみたい」
リーディアはベッドの上で体をおこすと、あたりを見まわした。ベッドがウィトを中心に、きれいな2つの円を描いて並んでいた。
「まあ、感情によってエネルギー量が上下することは、初学生にはよくあることなんだけど・・・」
「助けて・・・」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと待って」
リーディアが両手のひらをベッドにつけた。
「!!! ソレノイド・キャットフィッシュ 召喚 !!!」
体がコイルのようにぐるぐると巻いているナマズのような生物があらわれた。ソレノイド・キャットフィッシュはウィトのおへその上に飛びおりると、全身から電気を発生させた。ウィトはわずかにピリッとした痛みを感じたものの、それよりもベッドが自分の体から離れたことに驚いた。
ソレノイド・キャットフィッシュは仕事を終え、漆黒のサークルのなかに姿を消した。
「磁石にはS極とN極があるように、電磁石にも2種類あるの。あなたの電流と真逆の電流を流せば、磁場を相殺できるってわけ」
「・・・そうさい?」
ウィトは立ち上がると、自分の体を確認した。
「つまり、力と力をぶつからせて、消しちゃうってこと」
「ふ~ん」
「勉強になったでしょ?」
「じゃあ、ぼくはこれで普通の人間になれるってわけ?」
「いいえ。磁場を消していられるのは、せいぜい5分程度。5分も経てば、また元に戻るわ。だから、自分のなかで常に相殺状態にできるようにする。それが力をコントロールするってことなの。わかった?」
「っていうか、何でぼく、こんなところにいるの?」
「わたしが連れてきたのよ」
「何でそんなことするのさ。ぼく、早く返らなくちゃ団長に叱られちゃうよ」
「そんなにあの団長が好きなの?」
「・・・好きってわけじゃないけど」
「だったら、もう返る理由なんてないわ。あなたの新しい家はここなんだから」
「新しい家?」
「ええ。ここなら、あなただけが特別じゃないことがすぐにわかるわ。つまり、ここなら普通でいられる」
「普通・・・」
「ちょっとこっちきて」
リーディアはウィトを手まねきすると、ベッドからおり、窓際にむかった。
「あなたの仲間たちが、いま、一人前の召喚獣になるために、必死で訓練してるの」
リーディアがカーテンを開けた。
窓の外には、ドーム状の広大な敷地が広がっており、そこでは多種多様な生物たちが、あちらこちらで蠢いていた。ざっと500体。
「ここにいるのはみんな召喚獣のタマゴたち。それも、あなたと同じく雷属性の子ばかりよ」
とつぜん目の前を羽の生えた人間が飛びだしてきて、飛んでいる黒い球体にむかって手先から放出した雷を飛ばした。ウィトはそのあまりの明るさに驚き、後ずさった。
「でも、このなかで召喚獣として正契約できるのは、いいとこ10体ってとこね。召喚士と召喚獣はあくまで雇用関係だから、仮契約されても不必要だと判断されたらすぐに契約解除される。もちろん正契約と仮契約では賃金も保証も福利厚生も世間的な身分もまったく違う。だからみな、正契約を勝ちとるために、必死で訓練に励んでいるの。お金持ちの召喚士なら、たくさんの召喚獣と正契約を結んでるってこともあるけど、普通はせいぜい5体ぐらい。それに、同じ属性の召喚獣と契約してても効率がわるいから、今はだいだい1属性につき一契約ってのが主流かな。火、水、雷、土、木、光、闇が基本属性。まれに属性の混合種をもっていたり、レア属性をもっていたりもして、属性の種類自体は無数に存在する。あっ、ちなみに、わたしの召喚獣たちは学校が契約している召喚獣だから、5体以上いるわ。ここの生徒のなかにも、アルバイト契約で働いてくれている子もいるの。もちろん成績が優秀な、将来正契約間違いなしの子ばかりだけどーーざっとこんなところ。詳しくは授業でしっかり教えてくれるから、今はわからなくても大丈夫よ」
リーディアが隣のウィトを見やった。ウィトはただじっと窓の外を見つめていた。リーディアはポケットのなかから銀紙に包まれたキューブを取り出し、ウィトの目の前に差しだした。
「ん?」
「これ、あなたにあげるわ」
「なに?」
「ひょっとしたら、今、あなたが一番欲しいものかもしれないわね」
ウィトがそれを受けとる。
「開けていい?」
「もちろん」
銀紙をはがす。
ウィトはそれを見て息をのんだ。
「これ、ひょっとしてチョコレート?」
「ただのチョコレートじゃない。高級チョコレートよ」
「食べていい?」
「ええ」
「ほんとにほんと?」
「どうぞ」
「ほんとに食べちゃっていいの?」
「早くしないと溶けちゃうわよ」
ウィトがチョコレートを口に入れた。
と、すぐに苦い顔になり、目が充血しはじめた。
「口に合わなかった?」
ウィトが首をふる。
「ほっぺたが痛いんだ」