元召喚士リーディア・クローシス
裸電球だけの薄暗い部屋のなか、ウィトは木製の器にはいったスープを木製のスプーンですくって飲んでいた。破れた黒いTシャツにサンダルを履いている。水風呂には入ったが、ショーでかぶった砂鉄は落としきれず、いまだ全身にまばらに残っていた。
ヒールで石畳を歩く音が廊下から聞こえ、ウィトは手を止めた。
「さっきの磁石人間はあなたかしら?」
その女性の声にひるんだウィトは、簡易ベッドの上にあがって、布団を頭からかぶった。
「おびえる必要はないわ」
女性が鉄格子ごしに優しく声をかけたが、ウィトは布団をかぶったままだった。
「わたしはリーディア・・・リーディア・クローシス。一昨年まで召喚士をしていたの。さきほどのショーを見させてもらった。すごい力ね。見た目は普通の人間と変わりないのに、あそこまで強力な力を持っている陰獣を見たのは初めてよ。どこで手に入れた力なのかしら?」
ウィトはじっと黙ったままだった。
「わたしが恐い? わたしにはあなたの力のほうがよっぽど恐いわ。その力、悪用されるとやっかいなことになる。今までに、わたしのようにあなたに接近してきた人はいなかった? ・・・それとも、わたしの言葉がわからないのかしら?」
「・・・どちら様・・・ですか?」
ウィトが布団をかぶったまま言った。
「やっと喋ってくれたわね・・・わたしはリーディア・クローシス。召喚士を引退したあとは、あなたのような特殊な能力を持った者をスカウトしているの」
「スカウト?」
「ええ。召喚獣として将来活躍できる才能を見つけ、成長のお手伝いをしている。あなたの力はとても魅力的よ。将来化ける可能性大ありだと思うわ」
「それで・・・ぼくを?」
「ええ。あなた、今の生活に満足?」
ウィトはただ黙ったままだった。
「よかったら顔をだしてくれない?」
布団からそっと顔をのぞかせる。
「あなたいくつ? ずいぶん幼いように見えるけど・・・」
首をふる。
「自分の歳、わからないの?」
うなずく。
「名前は? 名前ぐらいはあるんでしょ?」
「・・・ウィトン・シュタール。でも、みんなからはバケモノとか、マグネットとか、ユーマとかって呼ばれてる。だから、もうその名前、忘れそう・・・」
「ご両親は?」
首をふる。
「どこにいるかわからない?」
うなずく。
「お金はもらってるの?」
首をふる。
「1クーツも?」
「・・・お金もらっても、手にくっついちゃうからつかえないんだ」
そう言って、ウィトが苦笑いをうかべた。
「力の制御の仕方がわからないの?」
ウィトはその言葉の意味がわからなかった。
「まあいいわ。あなたがもし良ければの話だけど、わたしと一緒にその能力を最大限引きだしてみない? あなたなら、きっとすばらしい召喚獣になれると思うわ」
ウィトが首をふる。
「一生、あんなくだらないショーだけをして生きていくつもり?」
ウィトはベッドの上からおりると、飲み残しのスープに再び手をつけた。
「あんな屈辱をうけて平気なの?」
「・・・ここはぼくを必要としてくれてる。だれも必要としてくれなかったころにくらべたら、とてもありがたい」
「それは本心?」
うなずく。
「あなたをもっと必要としてくれる人がたくさんいるわ。わたしもそのひとりよ」
「あなたもぼくを道具として必要としているだけでしょ? みんなぼくを必要としてるわけじゃない。ぼくの能力を必要としてるだけだ。どこに行っても同じ。だからここにいる」
「そうね。たしかに、あなたの言うとおりかもしれない。でも、それは特殊能力を持っていようが、いまいが同じだと思う。道具として使い、道具として使われる。それが社会というもの。だからみんな、他の人とは違うものを持ちたいと思うし、違いをアピールしたがるの」
「ぼくはみんなと同じがよかった。みんなと同じなら、こんなに孤独になることもなかったのに・・・」
「ここではあなたは特殊かもしれないけど、わたしたちの世界ではあなたは特殊じゃないわ。あなたは生きる世界を間違えたのよ。さっき、あなたの能力をすごい力って言ったけど、今のあなたぐらいの能力なら、わたしたちの世界には腐るほどいる。文字通り腐ってるやつもいるけど。あなたの秘めている力はすごいと思うけど、それは今の力ではない。才能という意味。伸ばそうと思わなければ、あなたも腐っていくだけよ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「あなたを初めて見たとき、衝撃を受けた。あなたは間違いなく雷の属性よ。それも、潜在的には莫大な量のエネルギーをもってる。ひょっとしたら、あなた”ゼウスの子”かもしれない」
「ゼウスの子?」
「いえ、ただの比喩よ。気にしないで。今の話をきいても、やっぱりここにいたい?」
「・・・団長が許してくれないと思う」
「団長っていうのは、あのヒゲ面の、小太りの、ムチ持ってたオッサンのこと?」
「うん・・・そういえば、どうやってここまで入ってきたの? 部外者は入れないはずなのに」
「いえ、すんなり通してくれたわ」
「団長が?」
「ええ」
「そう・・・」
「それで、あなたのことを話したら、ウィトが良ければ連れていってくれてかまわないって」
「団長がそう言ったの?」
「そうよ」
ウィトはしばらく考えをめぐらせた。
「・・・ねえ、リーディアさん、チョコレートって知ってる?」
「ええ」
「食べたことある?」
「ええ、もちろん」
「ぼく、チョコレートっていうものを一度食べてみたいんだ。甘くて、とろけて、すっごくおいしいんだって」
「じゃあ、今から買いにいきましょう。おいしいチョコレート」
「ほんとに?」
「ええ。山ほど買ってあげるわ。あきるほどね」
「じゃあ、みんなを呼んできてくれる?」
「みんな?」
「ここから出るには、みんなの力が必要なんだ」
「どうして? ここの扉、カギはかかってないみたいだけど・・・」
リーディアがふれると、あっさりと扉が開いた。蝶番の錆びついた音があたりに響いた。
「カギはかかってないんだけど、扉のふちが強力な磁石になってるんだ。だから、そこから出るには大人の男性4、5人が必要なんだ。ぼくが逃げ出さないようにするためと、ぼくがさらわれないようにするためみたい」
「ずいぶん手の込んだことを・・・」
「だから、みんなを呼んできてよ。それとも・・・やっぱりできない?」
「その必要はないわ。もうみんな寝ちゃってると思うし」
「寝てる? まだ夜の8時ぐらいだよ」
リーディアは両手のひらを地面につけた。
「!!! ファイア・スターター 召喚 !!!」
石畳の地面に漆黒のサークルがあらわれ、そこから尻尾が二つあるイタチのような動物が飛びだした。イタチのような動物はリーディアの腕を駆けあがり、右肩にとまった。
ウィトが驚いた様子でそれを見つめた。
「危ないから離れてて」
リーディアはファイア・スターターを右手のひらに乗せると、その口を鉄柵に近づけた。ファイア・スターターが口を開けると、青い炎が吹きだした。炎はみるみるうちに鉄柵を溶かし、ものの1分とかからぬうちに、そこに大きな穴をあけた。仕事を終えたファイア・スターターが漆黒のサークルに飛び込むと、サークルとともに姿を消した。
「さあ、これなら出られるでしょ?」
だが、ウィトは完全におびえきっていた。
「どうしたの? さあ、ほら」
「い、今の何? どうやったの?」
「言ったでしょ、元召喚士だって。元って言っても、召喚がつかえなくなったわけじゃないの。まあ、つかう機会はずいぶん減ったけど」
リーディアが穴をくぐって、鉄柵のなかに入った。
「ぼ、ぼくをどうする気?」
「なにを言ってるの? また初めから説明させる気?」
「ぼく、嫌だよ・・・嫌だ! 嫌だ! 助けて! 誰か助けて!」
リーディアがため息をついた。
「しょうがないわね・・・」
ふたたび両手のひらを地面につけた。
「!!! クール・トランス 召喚 !!!」
今度は先ほどよりも大きなサークルがあらわれ、巨大なお腹をした二足歩行のタヌキのような生き物がニョキッと出てきた。クール・トランスが自分の腹をたたき出すと、キャンディーボールが壁にはね返るときのような音があたりに響きわたった。
ウィトのまぶたが次第に下がりはじめ、床の上に倒れると、まもなくして寝息をたてはじめた。
リーディアがウィトの体を抱えあげると、リーディアの首にぶら下がっていたロケットペンダントがウィトの額に張りついた。
「まずはその力の制御の仕方を覚えましょうね・・・」