FCなセンパイ
〈FCなセンパイ〉
あたし近江春子、今日から高校生!
新品の制服はまだサイズが少し大きいけど、とってもお洒落で、それだけでこの高校に進学してよかったと思える。
今は紅白に彩られた体育館で、入学式の真っ最中。校長先生のありがたく長ったるいお話を、これから同級生になる男女と肩を並べて聞いているところだ。
その講釈が終盤に差しかかった頃、不意にあたしの前に立つ女の子が振り向いてきた。
「次はFC先輩だよ、楽しみだね」
彼女はマミちゃん。式の直前のクラス発表で、早速仲良くなったクラスメイトだ。
「えふしー?」
「あれ、ハルちゃん知らないの?」
「え、うん」
そんな意外そうに言われても、FCなんてファミコンとやべっちくらいしか心当たりがない。
しかし彼女のさも知っているのが当然といった口ぶりに、気になったあたしは僅かに身を乗り出し、
「ねえ、それって――」
言いかけたところで、隣の男子が胡乱な目つきでこっちを見ているのに気づき、慌てて口を噤む。そうだ、大事な式だというのに無駄口を叩いてはいけない。
向き直ると、ちょうど話が終わったのか校長先生がぺこりと頭を下げていた。照明を反射して禿頭が輝く。新入生の拍手が鳴る。
間を置かず館内に響く司会の声。
『続きまして、生徒会長からの挨拶です。FC桐島くん、お願いします』
「あ――」
意図せず唇から声が漏れた。
さっきマミちゃんが言ったFC先輩とは、生徒会長のことだったのか。しかし、なぜ苗字の上にFCなんてついているのだろう。
ひとり首を傾げていると、長身の男子が壇上に登ってきた。
刹那、周囲から歓声じみたどよめきが起きる。
一点に集中する新入生たちの視線。あたしも生徒会長だという彼の姿に目を奪われ、愕然とした。
胸中に湧き上がる感情は、ただひと言。
――信じられない。
彼はちんちん丸出しだった。
絶句とはまさに現状のためにあるような言葉だ。人間、心底から仰天すると悲鳴すら出てこないらしい。
とはいえ、会場はすぐ大騒ぎになるだろう。
なにせ“ちんちん”だ。あの下半身になにも穿いていない変態が何者かは知らないが、入学式の場に相応しくないのは明らかだ。
きっと教職員たちが総力を結集して早々にとっ捕まえるはず……
……と、思っていたら。
「みなさん、ご入学おめでとうございます」
彼は爽やかな口調であたしたちに祝福の言葉を投げかけた。下腹部の立派なソレを小刻みに震わせて。
あまりに自然すぎる流れに驚いて左右を見回すと、みんな真剣な表情で彼の祝辞に耳を傾けている。
――な、なんで普通に進行してるのよ? てか、まさか本当にあれが生徒会長?
当惑しているのはあたしだけだ。新入生は男女問わず、FC桐島と呼ばれた彼に――ちんちんに見惚れていた。その眼差しには熱が籠もっており、どうしてか敬意や憧憬の念が窺える。
壁沿いに控える教員陣も、彼の堂々とした立ち姿を誇らしげな面持ちで眺めていた。
わけがわからず呆然としていると、ひと通り挨拶を終えたのか、FC桐島は一礼して悠然と壇上を降りた。当然だが、話の内容は微塵も頭に入ってこなかった。
『続きまして――』
司会はなんの滞りもなく進む。その間もまったくの無反応だった……いや、彼のイチモツに感動すらしていた新入生たちに囲まれて、あたしは自分がどこか別の世界に紛れ込んでしまったような錯覚を覚えた――
「なんなのあれ!」
両拳を机に叩きつけ、あたしは外聞も気にせず雄叫んだ。
入学式の後、退場した新入生たちは各々の教室に移動した。そこで担任の紹介など、初めてのホームルームを終えた直後のことだ。
同級生の怪訝そうな眼差しがあたしに集まる――が、構っていられない。とにかく吐き出したい気分だった。
混乱に弾けそうなあたしの頭を、マミちゃんがぽんと軽く叩く。
「荒れてるね、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……入学式のあれ見たでしょ? なんでそんなに平然としてられるの!?」
噛みつくように返すが、マミちゃんはピンとこないのか、しばし考え込むように宙を仰ぎ、
「――ああ、FC先輩のこと?」
「そう! みんな、なにも感じないわけ?」
あたしの必死の訴えに、マミちゃんはようやく合点がいったらしく、花咲くような笑顔を浮かべた。
……ん、笑顔?
「やっぱり格好いいよねー。憧れちゃうよねー」
「はぁ!?」
なにトンチキなことを言っているのか。あれに憧れるのなら、今すぐにスカートとパンティーを放り捨ててしまえばいい。
まったくもって意味不明な彼女の発言に、しかし教室中の人が深く頷いていた。
「俺はFC先輩のような男を目指してここに入学したんだ。式では生で見られて感動したよ」
「あのすべてを晒け出す男らしさ、とっても素敵よね……。私、生徒会に入って彼に告白しようと思うの」
所々から漏れ聞こえる台詞に、頭が痛くなる。
俄かには信じがたい話だが、どうやら彼女たちと自分の間には、決定的な認識の違いが生じているらしい。
あたし以外のあの場にいた全員は、式に下半身裸で闖入(ちんちんだけに)してきた不審者紛いの生徒会長へ、尊敬の感情や、人によっては恋慕の情すら向けているのだ。……確かに顔立ちはすこぶる整っていたし、足腰の引き締まったいい身体つきをしていた。が、そういう問題ではない。
FC桐島とやらの格好は立派なわいせつ物陳列罪、いや教師がみな容認しているとなると、女子新入生に対する学校ぐるみのセクハラだ。
あたしも、目撃した瞬間は驚くあまりつい凝視してしまったが、思い返すと赤面してしまう。初めて見た、男の子の大事なところ。性の象徴。あたしは網膜処女を奪われてしまったのだ。
「はあぁ……」
俯いて、胸に滞留するFC桐島への鬱屈とした感情を溜息に乗せて吐き出す。
マミちゃんたちを無視して真っ黒なオーラを全身から立ち昇らせ……ふと素朴な疑問が生まれた。今の状況は端から端まで理解できないが、とりあえずこれだけはハッキリさせておきたい。
「……まず、FCってなに?」
その問いに、マミちゃんは変わらず笑顔を携えたまま、あっけらかんと答える。
「なにって、もちろんフルチンの略だよ」
「ちょちょちょっとやめてよ!」
慌てて彼女の口を塞ぐが、もう遅い。既に卑猥な単語は、少女の可憐な唇から放たれてしまった。
いきなり堂々とフルチンなどと発言され、むしろこっちが困惑してしまう。
なに? Full Chin?
それがさも世間の常識みたいな口調だったけど、おかしいから。華の女子高生がそんなお下劣な言葉を躊躇いなく言うのもおかしければ、それが通称になっているFC桐島はもっとおかしい。
もはや対処しきれない異様な現状に、あたしは半狂乱で頭を掻きむしった。
「ああああああもう! なんで誰も変だと思わないわけ!?」
「お、落ち着いてよハルちゃん」
頭を優しく撫でられる。まだ疑問は止まないが、お陰で少し落ち着けた。
そして平静を取り戻すと、同級生たちのいたたまれないような視線を、急に意識してしまう。原因はともあれ、そこにマミちゃんも巻き込んでしまったのは反省しなくちゃ。
「ごめんね、取り乱しちゃって……」
「いいよ、あたしたち友達なんだから」
とにかく、頭の中を整理しよう。
他の人からしたら、FC桐島に文句をつけるあたしの方が異端なんだろう。不思議なことだが、ここはそういう環境なのだ。
諦念に似た気持ちが、心の奥底に沈殿していく。
両目を伏せたあたしに、慰めるような口調でマミちゃんは、
「ハルちゃんがなにを悩んでるかはわからないけど、あたしはいつでも相談に乗るからね。さ、気を取り直して部活にいこ」
さりげなく背中をさすってくれる彼女の優しさが、左胸に染みる。フルチン発言は気にかかるが、やっぱり彼女は素敵な女の子だ。
そうして気を遣ってくれるマミちゃんに引っ張られるようにして、あたしたちは教室を出て体育館へと歩を進めた。
ふたりが向かった部活動は、女子バスケットボール部だ。
あたしとマミちゃんが初対面で仲良くなれたのも、実は双方がバスケ経験者だったことがきっかけ。
本来ならば一年生が入部するのはもっと先だけど、あたしは中学生の頃に幾度かここに見学に来ていて、入学したらすぐ練習に参加させてもらうと約束をしていたのだ。
館内に足を踏み入れると、入学式のときの飾りつけは既に取り払われており、目的の女子バスケ部は内観の半分をネットで仕切って練習に励んでいた。
壁際に立ってしばし体育会系独特の熱気を感じていると、特に上背の高い先輩がひとり、手を振って近づいてきた。数少ない顔見知り、女子バスケ部の主将だ。
「やっ、入学おめでとう。早速きたんだね」
「は、はい! こんにちは!」「今日からお世話になります!」
ふたり揃って、喉を震わせて挨拶をする。
部長の精悍な顔立ちを見上げ、あたしはとある決意を固めていた。
――そうだ、高校では部活動を……バスケを支えにして生きよう。
FC桐島とかいう変態は、あたしとは別世界の住人。今後は彼に関する一切合切の情報を遮断する。健全な青春の汗と一緒に彼の記憶も身体からまとめて流してしまおう――
瞳に炎を宿らせるあたしを眺め、部長は満足げに頷いた。
「気合い入ってるね、頼もしいよ。じゃあ部活のこと、簡単に説明しておこうか。体育館の使用権は時間によって別の部活に明け渡すんだけど、今はあたしたちと……」
言いながら部長が指差したのは、ネットの向こう。こっちと対照に男子生徒が集まっている。
「男子バスケ部だね。実力は……正直女子よりずっと上だから、しばらく見学してもいいかも」
なるほど、確かに技術を盗むのも重要だ。
あたしたちは部長の指先を追って目を凝らし――
一際目立つ白い尻が、視界に飛び込んできた。
「へっ!?」
マミちゃんが仰天して素っ頓狂な声を上げる。
あたしは……どうしてか喉がカラカラに乾ききっていて、上手く言葉が出せなかった。
白いユニフォーム姿で練習試合をする男たちの中、ひとりだけ下半身裸で、こちらに引き締まった臀部を晒している。
思わず試合展開などそっちのけで愕然としてしまう。あのシミひとつない綺麗なお尻の持ち主は何者か。考えるまでもない。この学校に、下半身に一糸纏わずバスケに興じる人間など、彼をおいて他にいないはずだ。
――FC桐島。
彼の背中に記された数字は“10”、我武者羅に花道をひた走る男の10だ。
ついさっき、もう彼とは関わらないと決断したはずなのに、目を逸らせない。彼の後ろ姿には、人の目を惹き寄せる魔力があった。
唐突に彼は体勢を反転させた。そして、敵に渡ったボールを追う。
正面からその全身像を捉えたあたしは、意図せず瞠目した。
彼の下腹部でちんちんが、男の誇りが上下左右に激しく踊っているではないか。FC桐島の機敏な動きに合わせて、ソレは風を唸らせ空気を裂いていく。
ボールを奪った瞬間、彼は体躯を捻って再び翻した。ちんちんも大きく揺れた。
寸分の隙も見せず、鮮やかなドリブルでコートを駆けるFC桐島。
露出した肌に流れる汗が、宙に弾け飛んだ。ちんちんの先端からも間断なく滴っている。もしかしたら汗とは別の液体かもしれないが、深く考えるのはやめよう。
そして彼の跳躍とほぼ同時、館内の空気が震えた。
――ダンクシュートだ。
コートの内から外から歓声が沸く。ちんちん丸出しの男に、他の男たちが群がっていく。
彼が仲間とハイタッチを交わす姿を、あたしたちは呆気に取られて眺めていた。
「あれが男バスのエースだよ。あたしたちも見習わなくちゃね」
そんな部長の台詞も、今はまったく耳朶に届かない。ただ衝撃の光景に、ごくりと息を呑むしかできない。
ふと我に返って、改めて振り子のように揺れるちんちんを視認すると、自分の顔がみるみる火照っていくのを感じた。
「ああ……」
無意識に溜息が漏れ出る口元を両手で覆う。
入学式のときとは違った熱い激情が胸に流れ込んでくる。認めたくないが……この気持ちの正体は、そう。
――あたし、彼に恋してしまった。
読んでいただきありがとうございます!
入学シーズンにちなんで書きました! みんなの憧れの先輩を好きになっちゃうって定番ですよね。
ちょっと変な人だけど格好よくて、いつの間にか心惹かれていく……みたいな、少女漫画的な展開を意識してみちゃいました!
感想などくださると嬉しいですっ☆