二十六話 過去の邂逅
「オイ、澄乃。ヒプノシス・ブレインって知ってるか?」
昼休みただの気まぐれで先輩にあたる岸野にコーヒーを持っていった澄乃悠はそんな質問をされた。
「たしか、今出回っている覚せい剤でしたよね?主に相手の理性をなくす効果があるとか」
「ああ、なんでも相手を意のままに操れる魔法の薬だそうだ」
「バカバカしい」
そう一笑する。
「まぁな」
岸野の方もコーヒーを受け取りながらそう苦笑した。
「でもしかし、それが本当なら驚異的な薬ですね」
「バカか、そうじゃなくとも十分驚異的だ。そんな触れ込みで広がってるんだとすれば、それを信じたやつらは間違いなく自分じゃなく他人に飲ませる。そう、薬なんてものとは無縁の市民にな。この薬を広めた奴の目的はそれだろうより多くの中毒者を出し儲ける、忌々しい限りだ」
チッと舌打ちをする岸野。
「荒見組から流れたとの情報もありますが、どう思いますか?」
「今の状況からじゃなんとも言えんな。まずは売人を探し出さんことにはどうにもならんだろうな」
「そうですね。でも、どうしたんですか急にそんな話、何かあったんですか?」
「この女」
懐から一枚の写真を出す岸野、そこには金髪のつり目が特徴的の二十前後女性が写りこんでいた。
見るからに派手、俗ぽっく言うと遊んでてそうな女だった。
「この女が何か?」
「こいつは青渕栄絵だ」
青渕栄絵その名には覚えがあった。
「確か、時実養護施設の」
「そう、あの施設にいたガキの一人だ」
岸野のその言葉に澄乃は軽い頭痛を覚えた。
「はぁー、いい加減にしたほうがいいですよ岸野さん。刑事だからって限度っていうものがある、あの少年たちにいつまでもつきまとっていたらその内、捕まるのは岸野さんの方ですよ」
辛辣な言葉だが的を射っているため岸野もむぅと唸るだけだ。
「分かってはいるんだがな」
「煮えきれない感じですね、例の感ですか?」
「そう馬鹿にするな、何も本当に全て感というわけじゃないんだ」
「と、言うと?」
「この青渕、例の薬に手を染めている」
「まさか!?」
驚きで声を漏らす澄乃は咄嗟に手で口を抑え人に聞かれるのを防ぐ。
「証拠はないが確証はある。まず間違いないだろう。本人が使ってるのか他人に使わせているのかは知らんがな」
「よく調べましたね」
「まぁ、ここまでこのガキどもに気が向いたのはお前にもらった資料もあってな」
そう、パサリと岸野は机の引き出しからファイルされた資料を取り出した。
それは、澄乃自身が数年前に渡した時実養護施設の子供たちに関する資料だった。
あの時は岸野の気が少しでも収まるならと渡したものだったが。
「まだ持っていたんですか?」
「おいおい、自分が用意したものに対してその言い方はないだろう。これでも結構役に立ったんだぞ」
「これがですか?」
ペラペラと自らの作成した資料を見ると、ところどころに切れ目や汚れが目立ち何度も見返した跡が見て取れた。
「この資料を見てまっさきに思ったのが子供たちの奇妙な境遇だ」
「ああ、たしかにみんな家族を失っているというのは変な話ですよね。しかもほとんどが殺人、何かあったんですか?」
「事件自体には何もない。どれも関連性のない事件だ、一部はもう終結してるしな。けど、その後は違う」
「どういうことです?」
そこで岸野は目を伏せ大きく息を吐いた。
「つまりこのガキどもは故意に集められたということだ。集められた条件は家族を事故もしくは殺人で失った子供達。つまり、理不尽な死によって一人残された遺児たち」
「どうして、そんなことを?」
「お前は、時実正という男を知っているか?」
「ええ、確か時実早子の夫でしたよね?7年前に亡くなったらしいですが。その後早子は院長の座を引き継いだ」
「よく調べてるな。なら、時実正があの施設造る以前どんなことをしていたかは知っているか?」
「いえ、流石にそこまでは」
「時実正、奴は元々精神外科の医師だったそうだが。まぁ、知っての通り精神外科は今の世では禁止されている。それが奴にとっては耐え難かったんだろう。どういった心情だったかなんて想像できないがな。そこで奴は考えた手術が無理ならそれと同等のショックを脳に持つものなら似たようなことはできないかと試みたんだ」
「それがあの子供達?」
「ああ、家族を失うというショックが癒えないうちに子供たちを集め何らかの精神改造をしようとしていたらしい。空っぽになった心に新たな人格を作ろうとした。結局その試みは奴の事故死で水の泡になったんだがな」
「時実早子はそのことを?」
「さぁ、どうだろうな。何も知らんということはないだろうが、もしかしたらそのことが殺人の真の動機だったりしてな」
「それは軽率ではありませんか?」
憶測で語るにはあまりに不用意な言葉に静止をかける澄乃、しかし岸野は特に悪びれた素振りを見せないので話を進めることにした。
「けれどこの話、信憑性のほうはどうなんですか?僕の資料だけじゃここまで調べられるとは思いませんけど」
「あの施設について調べるには、やはり時実の過去を追うのが一番だと考えて奴らの周囲を徹底的に調べ上げ手に入れた」
簡単に言うがそのためにどれだけの無茶をしたのだろうか?
この施設の全容よりその調査の仕方を聞くほうが恐ろしく感じた。
「なるほど、それで施設について調べるうちに青渕に行き着いたわけですか」
「ああ。どうだ、俺の感と執念もバカにできんだろう」
「ええ」
まさに蛇のようだ、その執念はもはや異常だと心の内で思う。
「それで、青渕の奴はどうするのですか?」
「しばらく泳がせる。これに釣れられる形でもっと大きな事件が発覚するかもしれないからな」
「餌にするというわけですか?」
「ああ、俺の感が告げるんだよ、この施設にはまだまだ何かあるってな」
そう語る岸野は少し自分に酔っているようにも見えた。
「あまり、無茶はしないでくださいよ」
忠告はしてみたが、資料を読みふける岸野には届かなかったようだった。
次の日、澄乃は有給を取ることにした。
その日は朝早くから家を出ていき快速の電車に乗り込んだ。
電車を乗り換えながら目的地についた頃は時刻が午前十一時に差し掛かっていた。
電車に乗り込んだのが午前六時前だった、かれこれ五時間は電車に揺られていたということだ。
「さすがに、座り続けるのも疲れるな」
ホームに降りたところで体をほぐそうと腰をひねるとボキボキと軽快な音が響いた。
途端に打ち付けられていた釘が抜けるような開放感が広がる。
「う~!!」
年甲斐もなくすっとんきょうな声を出してしまう。
これも故郷に帰り気が緩んだ証拠だろうか?
「ここに来るのも三年ぶりか」
改札口を出ると広がる懐かしき故郷の風景、この風景を見ると昔を思い出し澄乃は胸を締め付けられる思いに駆られる。
『数年経っても、傷は癒えないか』
自らの胸をおのが手でつかみその見えない傷を隠しながら故郷の町並みを歩き出す。
ズキズキとまるで自らの歩みに呼応するかのように痛む傷、なんでこんな思いをしてまで俺はこの傷の元に会いに来たんだろう?
あれからずっと避けてきたのに。
自分でもよくわからない己の行動に違和感を覚えつつも澄乃の足はただひたすらに目的の場所へと向かっていく。
別に何か考えがあってここへ来たわけじゃない、ただ己の心に駆り立てられるように足が向いてしまった。
「今更どんなツラして会うつもりなんだよ」
ごそりと胸ポケットからタバコを取り出しふかす。
煙越しに見える風景に人影はない、俺の故郷はこんなにも寂しいものだったろうか?
ふと横を見ると寂れた看板に『ようこそ!名城波へ』というかすれた文字、それが一層もの寂しさを出していた。
名城波、数年前まで悪魔が巣食っていたこの町はその悪魔が消えたというのに静かに死へと向かっているようだ。
ならきっと、この滅びは必然なんだろうと澄乃は思う。
悪が消えても止めることのできない滅びは多分運命なんだろ。
そんな現実を噛み締めつつ、太陽の日差しに焼かれた長い坂を登りきる、その先にあるのは向日葵畑が目に付く白い一軒家。
周囲には他に建築物など一つもなく小高い丘の上に建ったその家からは綺麗な夏の海の姿が見て取れた。
頬を撫でる風からは磯の匂いがし、丘の下の街とは打って変わりこの場所はまるで生気に満ち溢れているかのような輝かしさがそこにはあった。
「いい場所だな」
「そうでしょ、私もこの風景を見たら心が和むんだ。だから、ここで暮らすことにしたんだよ」
自身のひとりごとに同意する声、その声には聞き覚えがあった。
「朱莉ちゃん」
「久しぶりだね、悠にぃ」
澄乃悠のことを悠にぃと呼ぶ白いワンピースに身を包んだ女性、彼女の名は桜井朱莉。
歳は三十前だというのにその顔には未だあどけなさが残り、少し垂れ下がった目元が彼女という人の優しさの象徴のようにも見えた。
「そうだね、五年ぶりってところかな?」
「そうだよ!悠にぃったらっ全然会いに来てくれないんだもんな。だから、昨日は驚いたよ、急に会いに期待だなんて。唐突すぎ」
「悪かったな。なんだか急にお前たちの顔を見たくなって」
子供の頃のように軽く頭をなでると朱莉はとたんに笑顔になった。
ああ、こういったところは昔のままだなと、澄乃はしみじみ思う。
彼女の姿を見て思うことはいろいろあるがどれも言葉につまりうまく話せない、悩んだ末出たのは、
「元気にしてた?」
なんていう、あまりにもありふれた言葉だった。
「うん、そうだね。元気だよ、私もこの子達も」
ひょこりと向日葵畑の中から姿を見せる二人の子供。
可愛らしい男の子と女の子の兄妹がでてきた。
「こんにちは」
挨拶をしてみるが二人は驚いたような表情を見せたあと再び向日葵の中へと隠れていってしまった。
「こら、二人共ちゃんと挨拶しなきゃ」
「いいよ別に。それよりあの子達、いくつになったんだ?」
「うん。碧が七才、光月が四才よ」
「そうかあれからそんなに経つのか」
ぼんやりと二人の幼子を見ながら無自覚に出てしまった言葉、それがとんでもない失言だということに気づくのには遅すぎた。
ハッと朱莉の方を見る、すると彼女はさきほどと変わらない優しい面持ちで、
「そうだね、私の両親が亡くなってからもう、8年も経つんだね。あの頃が懐かしいよ」
と答えてくれた。
その答えで分かってしまった、彼女は未だあの悪魔に囚われているんだと。
その事実に心底吐き気がして、そんな事実を知る羽目となった発言をした自分を本気で殴りたくなった。
「どうしたの?悠にぃ、なんだかとっても悲しそうだよ」
「いや、大丈夫。俺なら大丈夫だよ」
そう俺は、大丈夫。
俺は当事者じゃないから。
「お前はどうなんだ?」
「なにが?」
「いや、なんでもない」
屈託のない微笑み、その顔が胸に突き刺さる。
ああ、この人はもう苦しいと思う心まで亡くしてしまったのかと。
それからきっちり一時間後、澄乃はこの桜井家を後にした。
「お母さんさっきの人は?」
「もう帰ったよ」
見知らぬ客人が去ったことを察したのか再び幼子二人がひまわりの中から顔を出す。
向日葵からひょっこりと頭だけをのぞかせるそのさまはなんだかモグラのようで、おかしく思えた。
「もぉーだめでしょ。お客さんが来たら挨拶しないと」
「だってあの人見ててあんまり面白くないんだもん」
先ほどの行いをたしなめる母に娘はそう抗議する。
面白いか面白くないかこの娘の人間の基準はそれだけ。
それは幼いこの娘が少ない情報の中で人を判断する材料なんだろう。
「あら、でも気になったから顔出したんでしょ?」
そんな娘の感性を最も知る母はそう言い当てる。
この子が本当に何も興味を持たない相手ならこの子はまず顔を出すこともしない、そうなかったということは口で言う割に彼に興味を持ってしまったということなんだろう。
「そ、そんなことないもん!お母さんハズレだよ!」
図星を突かれた為か、ぷいと顔を背けるその姿はわが子ながらとても可愛らしく朱莉はつい微笑んでしまう。
「ミドリのところ行ってくる」
未だ一人、向日葵の中で遊んでいる息子のもとへ走りゆく娘、その後ろ姿を見て思う、あの子は一体何を基準にして面白い人とそうでない人を区別したいるのかと。
それは、母である朱莉をもってしても未だにわからない我が子の思想だった。




