二十五話 欲望
「なるほど、それでその子犬はうまく殺せることが出来たと。気分はどうでした?」
「楽しかったよ。けどさ、やっぱり人間でやりたいよ」
朝日が完全に登りきり徐々に空気に熱が灯り始めた午前十一時、勝生は三丸病院近くにある廃工場へと足を運んでいた。
おそらく使われなくなってから何年も経っているにもかかわらずその室内には未だ油の匂いが漂っている。
夏場のせいだろうか、むわりとした熱気に溶け込んでいるように油の匂いが以前より強くなったようにも感じられた。
まるでサウナのように蒸しきった室内は立っているだけで汗が流れ出す、そんな中、ヒルだけは涼しい顔で灼熱の階段に腰掛けていた。
階段上からこちらを見下ろすその格好はなんだかやけに様になっていて、まるでこの人々に忘れ去られた世界の王のようにも見えた。
「人間ですか」
「ダメ?」
呟くヒルの顔が少し険しくなったのを気にして勝生はそう聞き返す。
普段、雄一郎に限らず誰に対しても強気な彼もこのヒルを前にすると途端にしおらしくなってしまう。
それはヒルの出す圧倒的な存在感のせいであった。
まるで、自身の目の前に巨大な山か海でもあるかのような錯覚感、それがいおうなしにも自分がいかに小さな存在なのかを思い知らされ妙に卑屈な態度をとってしまうのだった。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。約束したでしょ貴方の願いを叶えてあげると。ただ狙うなら誰がいいかと思いまして」
ふむと腕を組み思案し出すヒルを前にして勝生は目を輝かせながら提案をする。
「なら、俺のクラスメイトの浅見雄一郎とかどう?」
「浅見雄一郎?」
「あいつなら簡単だよ弱いし馬鹿だから簡単に騙されて殺れると思う」
コレは妙案だと、嬉々として語る勝生に対しヒルは静かに戒める。
「それはやめたほうがいいでしょう」
思わぬ反対に勝生の声は自然と荒がる。
「なんでだよ、あいつなら絶対簡単に・・・」
「人が殺害されればもちろんそれに近しい人間がまず疑われます、警察の仕事は疑うことですから。貴方はその雄一郎くんと仲がいいのですか?」
「仲がいいというかよく一緒にはつるむよ、アイツ俺の言う事なら何でも聞くから」
まるで自分のおもちゃを自慢する幼子のように得意げな勝生にヒルは少々ため息をつきたい気持ちになった。
この少年は人を殺すということのリスクをきちんと理解しているのだろうかと。
「ならやはりやめた方がいいでしょう。それだけいつもつるんでいるようならいくら子供のでも警察が来る可能性が高いでしょうから。標的は貴方と無関係の人間のほうがいい、貴方の年齢なら捕まっても刑事責任は囚われないが貴方もリスクは少ないほうがいいでしょう?」
嗜めるような優しい言いようがすんなりと頭へと木霊し勝生はその意見にすんなりと頷いた。
「そうだね、たしかにそうだ。うん、じゃあ誰を殺すの?」
「そうですね、では相手は自分が用意しときましょう、貴方でも問題のない人を用意しますよ。ただし、やるのは貴方、せっかく用意するのですからきちんと殺してくださいね」
感情無くつぶやくように語りかけるヒル、その瞬間この世界の温度が少し凍えた気がした。
いつからだろうか、夜の街を歩くことに抵抗がなくなったのは。
夜は危険で危ないものだと子供の頃から教わり僕自身もそう思いながら暮らしてきた。
夜の世界は僕みたいな平凡な子供がいるべき世界じゃない、あちら側にいるのは僕なんかとは縁遠い輝かしい人たちか悪い人間だけそんなふうに思っていた。
もし本当にそうなんだとしたら今夜の街にいる僕は一体どちらなんだろう?
それは多分後者のほうなんだろう、そしてこの人も。
「随分遅かったじゃん雄一郎」
「ごめんなさい。栄絵さん」
歩道橋の下で一人佇んでいる少女、まるで月明かりに染められたかのような淡い金髪に夜の冷たさを感じるような面立ちの少女、それが青渕栄絵だった。
浅見雄一郎は毎週金曜日の十時半毎回この歩道橋下へと呼び出されていた。
浅見と青渕のふたりはかつて同じ施設で育った者同士であったがその当時はこのように話すことなどないほどに疎遠な間柄であった。
そもそも当時まだ八歳だった雄一郎と十四歳の少女だった栄絵、しかも内気な少年の雄一郎と素行の悪かった栄絵、そんな二人が親しくなるなんてあることもなく結局同じ施設にいながら会話すらほとんどしないままあの事件で分かれることとなった。
そんな二人が再開したのが先月のこと、勝生に強要されて夜遅くまで遊びに付き合わされた帰りに偶然、本当に偶然この場所で出会った。
雄一郎の方は最初彼女に気づかなかった、なんせ最後に会ってから五年も経っているんだかつては十四だった彼女も今は十九、男性ならまだしも女性の成長は劇的なものでまるで別人のように変わるのだか恐ろしい限りである。
だから雄一郎も気づけなかった、いやたとえ気づいていたとしても彼なら話しかけたり等はしなかったろうが、けれど意外なことに彼女の方が彼の存在に気づき話しかけられた。
あの頃では想像できない屈託のない笑とあの頃を奮闘させる狐のような細い目で彼女は彼に近づいてきたのであった。
そしてその日から毎週彼女に会うことが雄一郎の新たな日常となっていた。
「どうしたの今日は?」
「ごめんなさい」
うつむきながらそう謝る雄一郎に栄絵は苛立ちを覚えてしまう。
「ゴメンじゃなくてさぁー、なんで遅れたか聞いてんだけど?」
うつむく彼の顔を顎を持ち上げ強制的に自分と向き合うようにする。
こうすると彼は決まって。
「あっ、うう~」
と、口ごもるのであった。
「ッ~!!」
彼女、青渕栄絵は彼のこの子犬のような仕草がたまらなく好きだ。
だから度々このようにわざと彼を困らせてその反応を楽しんでいたのだった。
この顔を見ると無性に下半身が疼くのだ。
「まぁ、いいわ」
火照った体を抑えるために気分晴しにタバコをつける。
そんな彼女の姿を見て雄一郎は『あっ』と声を漏らした。
「うっさいな、なに?」
「た、タバコ。まだ吸っちゃいけないんじゃ」
もっともな正論が聞こえてきた。
「いいのよ、どうせあと一年で吸えるんだし、問題ないって」
「でも・・・体にも悪いし」
なおもうずる雄一郎、気弱な性格なのに変に正義感が強い。
だがそれが今回は禍となる。
「ふ~ん、アタシのこと心配してくれるんだ?優しいね」
「い、いえ」
急に極上の笑みを見せ出す栄絵にびくつきながらも答える。
「そんな優しい君だもん。もちろん火を消す手伝いくらいしてくれるよね?」
「え?」
そういうが早いか、栄絵は雄一郎の手を引き寄せては火のついたタバコをその手に押し付けた。
「ぎっ!うっー!!!」
腕に穴があくと錯覚するほどの熱さに苦悶の声を上げる雄一郎、そんな彼の口を栄絵は肘で塞ぐ。
肘と自らの歯に押さえつけられ唇を切ってしまう雄一郎だったがそんな痛みはより強烈な痛みの存在によって掻き消えてしまう。
「ダメよ、大声出したら近所迷惑になっちゃう」
「ふぐ~!」
目頭に涙をため痛みと恐怖を堪える彼の愛らしくも健気な姿を見て栄絵は再び自身の中の怪しい火が再び灯るのを感じた。
その火は下半身から脊髄を這いながら上昇していき脳の理性を沸騰させる。
ゆっくりと掌から離されるタバコ、火は既に完全に消えておりそのかわりに彼の手にはその火を移したかのような真っ赤な烙印が現れた。
「うわー真っ赤、ねぇ、イタイ?」
やけに嬉しそうにそう尋ねてくる。
「大丈夫、アタシが直してあげるから」
突如傷口に舌を突き刺す栄絵、先程の比ではないほどのまるで神経そのものをヤスリで削られるかのような痛みが雄一郎を襲う。
「~!!!!!!!」
舌の先端を傷口に押し込みグリグリと舐め回しながら唾液を注ぎ込み唇を押し当て吸い上げる。
「ジュル、ピチャ、クチュ」
いかがわしい音をあたりに振りまきながら、なおも彼女は夢中に傷口を犬のように舐めまわす。
その行為はどれほど続けられただろうか?
まだそんなに長いことは舐められてはいないはずだが、断続的に続く痛みのせいでやけに時間が長く引き伸ばされたように雄一郎は感じていた。
「や、やめ、やめてよぉ。いたぁい、痛いよ」
「ふふ、ごめんね」
デロリとした唾液を傷口から伸ばしながら栄絵は口を離す。
「そんなに痛かった?お詫びにとてもいいものをあげる」
そう言うと彼女はポケットから何らかの錠剤を取り出し、それを口に入れると口移しで雄一郎へ移そうとする。
わけのわからない薬の侵入を必死で拒絶しようとするが無理やり舌で押し込められ胃へと収められる。
瞬間、頭が揺れ呼吸が乱れ異常な高揚感が体をおそう。
「な、何を飲ませたんですか?」
「安心して、毒じゃないよ」
毒じゃない、彼女はそう言ったが雄一郎の体をおそう目眩がこの薬が尋常なものでない物と語っていた。
栄絵が飲ました薬は認識錯覚誘発剤といういわゆる麻薬の一種であり、作用としては意識の混濁と判断能力の低下という作用をもたらす。
この薬は数ヶ月前よりこの街に流れ出した代物で栄絵も仲間口から手に入れていた。
胸を抑えながらすがるような目で栄絵を見る雄一郎。
「さ、栄絵さん、助けてぇ。苦しいよぉ・・・体が熱いの」
この薬の効果は聞いていた栄絵だったがまさかここまでのものとは思っておらずこれは彼女にとって嬉しい誤算だった。
「うん、助けてあげる。あんたの苦しみ全部アタシが受け止めてあげる」
「ほ、本当に?」
「ええ、だからあたしの言うとおりにするんだよ」
「うんうん」
そう何度も頷く雄一郎にはもはや栄絵は天使のようにしか写っておらずまるで忠犬のように従順な存在とかしていた。
「そう、なら近くに公園があるからそこの女子トイレに行こうか。あそこならたぶん人も来ないし都合もいいから。そこでアンタを解放してあげる」
「はい」
手を引かれ言われるがままに栄絵についていく雄一郎、この二人の目に映るのはもはや互の姿だけであり宿る気持ちはいかんとも知れない肉欲だけ。
そして雄一郎はそこで彼女に言われるがままに自身の痛みを全て吐き出したのであった。
そう、全て彼女の中に。




