二十三話 その男、異常
薄暗い部屋の窓から外の風景を眺める、時刻は午前5時23分、それの彼方にうっすらと黄金色の光が登り始めていた。
窓を開けると涼しい風が頬を撫でる。
「今日はいい天気になりそう」
空を眺める浅見雄一郎の目には光がなく、まだ光の当たらない夜空のごとく暗い。
今は夏休み、本来ならこんなに早く起きる必要なんてない、けれど彼にはどうしても外せない用事があった。
素早く動きやすいジャージへと着替え、昨日の夜に用意していた荷物を入れたバッグを片手に玄関へと向かう。
幸い寮長はまだ寝ているようでうまいこと抜け出すことができた。
向かう先は元時見養護施設跡地の裏手にある滝見山。
山というよりは小高い丘と言ったほうがしっくりくるほどのこじんまりとした小さな山、その入口の前に朝霧に隠れるように少年は雄一郎を待っていた。
「お、おはよう。秋保くん」
そう挨拶する雄一郎を彼、秋保勝生は不機嫌な顔で出迎える。
「おっせーよ!バカが!なに俺よりあとに来てるわけ?お前ホント、愚図な」
罵声を上げるとともに雄一郎の腹部を蹴り上げる勝生、それは一切の手加減のないまるでそこらへんに転がるボールを蹴るほどの勢いだった。
「うぇ」
勝生は苦悶の声を漏らし地面へと倒れる雄一郎の髪をつかみ顔を無理やり持ち上げる。
「なに、大げさにやってんだよ?ほら、立てよ。ほんとお前ってひょろいよな。」
「ご、ごめ・・ん。ちょ、ちょっと・・・待って」
蹴られた衝撃と痛みでうまく呼吸さえできない雄一郎の声は切れ切れで、その目には涙が伝っていた。
そんな彼を勝生は、
「うざい顔だな」
と言うと、今度は頭を殴り彼の肩からバッグをひったくり中身を確認しだす。
「ちゃんと持ってきたみたいだな」
ニヤニヤしながら取り出すのは工具用のハンマーとペンチ。
「そんなの、どうするの?」
「どうって、遊び。もちろんお前も来るよな?」
その不吉な笑みに恐怖を覚えながらも彼の迫力に押されそのままついていくことにしたのだった。
案内されたのは山の入口付近にある山小屋、休憩所なんて銘打っているがその様はまさに廃屋そのものでところどこ木製の壁は壊れておりここを使う人なんてきっといない。
ここは人々に忘れ去られた過去の残骸。
なんでこんなところに?
そう思う雄一郎の疑問はすぐに解消された。
「おっ、良かった。まだ生きてる」
にこやかに笑いながら勝生は小屋の近くにある木に巻かれた紐をたぐり寄せる。
その紐は小屋に床下まで伸びていて、勝生が引くたびにズズッという砂利の擦れる音とキャンキャンという壊れたスピカーのように不快なほど甲高い鳴き声。
そして床下から姿を現した音の正体は。
「犬?」
そう、そこにいたのは一匹の可愛らしい子犬だった。
茶色い毛皮につぶらな瞳、耳は垂れ体の所々が汚れていた。
おそらく雑種の野良だろう。
身を縮ませ地べたに張り付きながら必死に抗う姿は見ていてかわいそうに思えてくる。
「ど、どうするの、その犬?」
不穏な空気を感じ、雄一郎が尻込みをしだす中、勝生はとてもにこやかだ。
「こうするんだよ」
おりゃー、なんていう掛け声とともに子犬の顔あたりを思いっきり蹴り上げる。
ボスっという鈍い音とギャンという悲痛の声があたりに響く。
子犬は少し宙にその身を浮かしたあと力なく地面に倒れふせる、口からは少量の血を吐き手足は小刻みに痙攣したまま動かない、おそらく蹴られた反動で脳震盪でも起こしているのだろう。
「な、何してるの!?」
「はぁ?バカかお前見ての通り蹴って遊でんだよ。つか、うるせーよ、もっと静かにしゃべれ、殺すぞ」
「でも、」
それ以上喋ろうとしうたところで石を投げつけられたので雄一郎は黙るしかなくなるのであった。
「次はこれだな」
取り出したるはペンチ、それを彼は何のためらいもなく子犬の耳へと当てると、思いっきりペンチを握り締めた。
恐ろしい程の悲鳴が辺りたりにこだまし、それがうるさいと彼は近くにあった石で子犬を殴りつける。
「ちぇ、なかなかうまく切り取れないや。耳ってぐにゃぐにゃしてて切るの難しいや」
血に染まったペンチを片手に笑う、勝生はそれこそまるで悪魔のように邪悪な存在に見えた。
雄一郎はあまりの険悪感と光景の生々しさに吐き気を覚えその場に座り込む。
必死で目をそらし口元を覆う、そんな姿が面白かったのだろうか勝生は、
「オイ、お前もやれよ」
突き出されるのは血に染まったペンチ、ペンチなんてただの工具で誰でも一度は使う機会のあるだろうもの、それが今はこんなに怖く見える。
道具から凶器へ用途が変わるだけでこうも印象が変わってしまうことを雄一郎は初めて知った。
「い、いやだよ」
「はぁ?テメーの意見なんて聞いてないんだよ!さっさとやれ!!」
右手に無理やりペンチを押し付けられる。
咄嗟に逃げ捨ててしまいそうになる気持ちをどうにか止めた。
引きずるほど重い足取りで瀕死の子犬の前に立つ。
「できない」
すがる様に言ってみたが、勝生は聞き入れない。
「なんでだよ、耳に当てて切るそれだけじゃんか、簡単じゃん。そんなこともできねぇーのかよ」
そして再び石を投げつけられた。
廃屋の壁を背もたれにしこちらの様子をニヤニヤと見つめている。
彼は明らかに楽しんでいた、犬をいたぶることもそうだがそれ以上に雄一郎の反応を楽しみにしているようであった。
そしてこの廃屋の壁際は彼にとっての特等席、無様な二人の生き物を観覧できる最高の場、けれどその内の一匹があまりに無様すぎて愉快だった彼の気分は次第に苛立ちへとすり替わっていく。
いつまでもオロオロと子犬の前にいる雄一郎その姿がイラついてもうひとつの道具、金槌を片手にその背後へと近づく。
「何チンタラやってんだよ、見てろ!こうするんだ」
そう言うなり何度も金槌で子犬の頭を殴りつけ始めた。
「なっ!ああ」
雷に怯える幼子のように頭を抱えその場にうずくまる雄一郎を無視し勝生は無心に金槌を振るう。
「オラ!!さっさと脳みそぶちまけろ!ピンクのピンクの肉片をよォー!!あっはは、なんだこいつスッゲービクビクしてんよ。目とか飛び出してきてまじ気持ち悪ぃーの!」
「ううう、ぁああ」
恐怖のあまり頭をかきむしりながら錯乱し出す雄一郎、そんな彼がうるさくて勝生は金槌で彼の太ももを殴打した。
「うぎぃ!」
「うるさいよお前、しらけるだろうが。せっかく乗ってんのにさ、マジ空気読め」
「ご、ごめんなさい。許して」
「なら、この犬の死体と金槌、片付けとけよ。あっ、誰かに見つかったりしたら殺すから」
未だ地面にうずくまる雄一郎を一人残しさっさっと帰ってしまう勝生、あとに残ったのはおのが足をさすりながらすすり泣く少年がひとりいるだけだった。




