表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

わかっちゃいるけど

作者: とと
掲載日:2013/08/19

 わかっちゃいるけど…なんとなくわかっちゃいるんだけど…そんなお(はなし)

 社会人(しゃかいじん)でも学生(がくせい)でも組織(そしき)(なか)ではよくある(はなし)(ちまた)では「(おこ)られているのか、注意(ちゅうい)されているのか」は自分次第(じぶんしだい)などと()われています。

 社会人(しゃかいじん)なら相手(あいて)上司(じょうし)先輩(せんぱい)か、学生(がくせい)なら先生(せんせい)先輩(せんぱい)か、はてさて、本当(ほんとう)自分次第(じぶんしだい)なのか?

 (ほか)会社(かいしゃ)学校(がっこう)頻繁(ひんぱん)()いてしまうと危険(きけん)言葉(ことば)「がんばれ」と「(きみ)(ため)(おも)って…」見本(みほん)手本(てほん)もないままに言葉(ことば)だけでこれを連呼(れんこ)する人物(じんぶつ)はどうなんでしょう。

 「自分次第(じぶんしだい)」なんて無責任(むせきにん)、「がんばれ」なんて他力本願(たりきほんがん)、「(きみ)(ため)」なんて綺麗(きれい)ごとに(だま)されてばかりではいけません。

 まず「自分次第(じぶんしだい)

 第三(だいさん)(しゃ)(てき)経験(けいけん)(じつ)結構(けっこう)前向(まえむ)きな思考(しこう)(つね)とする(ひと)でも受動(じゅどう)(てき)立場(たちば)自分(じぶん)(かさ)ねてしまうものです。

 (たと)えばドラマの(なか)主人公(しゅじんこう)上司(じょうし)(やく)俳優(はいゆう)さんに失敗(しっぱい)(のの)しられているシーンがあったとして、どちらに感情(かんじょう)移入(いにゅう)しますか?

 御贔屓(ごひいき)のタレントさんが上司(じょうし)(えん)じていたとしても、物語(ものがたり)構成(こうせい)(じょう)たぶん、主人公(しゅじんこう)(がわ)感情(かんじょう)移入(いにゅう)する。

 ()しくは主人公(しゅじんこう)がどう()()めるか?自分(じぶん)があの状況(じょうきょう)だったらどう()()めるのか?そう(かんが)えるのが当然(とうぜん)です。

 (ひと)行動(こうどう)受動的(じゅどうてき)なものが(おお)く、行動(こうどう)のきっかけとして状況(じょうきょう)受動的(じゅどうてき)()()める(ふし)があります。

 もう(すこ)しつけ(くわ)えるとするならば、農耕(のうこう)民族(みんぞく)としての発祥(はっしょう)起源(きげん)をもつ日本人(にほんじん)(とく)にその(かん)じが(つよ)()ます。

 理由(りゆう)はこうです、狩猟(しゅりょう)民族(みんぞく)食料(しょくりょう)調達(ちょうたつ)しようと(おも)ったら、(みずか)獲物(えもの)(さが)しに移動(いどう)をしますが、農耕(のうこう)民族(みんぞく)食料(しょくりょう)()()()っていますからただそこへ()かいます。

 狩猟(しゅりょう)民族(みんぞく)(みずか)らの目的(もくてき)(たっ)する(ため)主体(しゅたい)(てき)移動(いどう)し、行動(こうどう)しますが、農耕(のうこう)民族(みんぞく)(みの)りを()つことで食料(しょくりょう)()ます。

 だからといって例題(れいだい)ドラマの主人公(しゅじんこう)農耕(のうこう)民族(みんぞく)上司(じょうし)狩猟(しゅりょう)民族(みんぞく)ですなんて()まらない結論(けつろん)()しません。

 この場合(ばあい)主人公(しゅじんこう)狩猟(しゅりょう)民族(みんぞく)(けい)なら「(おこ)られている」と(おも)い、農耕(のうこう)民族(みんぞく)(けい)なら「注意(ちゅうい)されている」と(おも)うという結論(けつろん)でもありません。

 (ひと)客観的(きゃっかんてき)なシチュエーションの(なか)でも、行動(こうどう)感情(かんじょう)決定(けってい)づけるのに簡単(かんたん)(ほう)(えら)びがちだということです。

 つまり、これが(じっ)体験上(たいけんじょう)になれば尚更(なおさら)で、ピラミッド(がた)社会(しゃかい)組織(そしき)(ひと)()(つね)である以上(いじょう)九割(きゅうわり)()える確率(かくりつ)(ひと)指示(しじ)()ける(がわ)()たされます。

 指示(しじ)()すという行動(こうどう)や、他人(たにん)行動(こうどう)統率(とうそつ)し、理由(りゆう)づけをするという行為(こうい)指揮者(しきかん)勘違(かんちが)いしがちですが、(ほとん)どの場合(ばあい)その指揮者(しきかん)行動(こうどう)理由(りゆう)づけをした指揮者(しきかん)存在(そんざい)しているということです。

 ()()られた、(いち)シチュエーションにおいて観察(かんさつ)すると、前段(ぜんだん)例題(れいだい)のように、(はっ)する(がわ)()ける(がわ)()かれているように()えますが、(じつ)はあの例題(れいだい)(なか)登場(とうじょう)した上司(じょうし)もタイムラグを()けて、受動(じゅどう)(てき)立場(たちば)にいた、つまりは主人公(しゅじんこう)上司(じょうし)上司(じょうし)(なん)らかの指示(しじ)()けていたと(かんが)えるのが普通(ふつう)で、そういうものだということは「わかっちゃいる」(こと)ではありませんか?

 とすれば、主人公(しゅじんこう上司じょうしという関係かんけい客観的きゃっかんてきせられた場合ばあい端的たんてき主人公側しゅじんこうがわ移入いにゅうしてしまったら、それにたいしての見識けんしき非常ひじょうあさはかなものになってしまいます。

 それをまえて、上司じょうしないしは先輩せんぱい会話かいわをしたときに「おこられているのか、注意ちゅういされているのか」はそれでも自分次第じぶんしだいでしょうか?

 上司じょうしまたは先輩せんぱいがビジネス社会しゃかいにおいて部下ぶかまたは後輩こうはいせっするにあたり、ハッキリとした定義付ていぎづけが出来できていないこと、もしくは、指示しじするがわ事象じしょう正確せいかく理解りかいしていない場合ばあいこるシチュエーションがこれではないでしょうか。

 能力(のうりょく)(ひく)上司(じょうし)先輩(せんぱい)によって使つかわれる手法しゅほうで「おこられているのか、注意ちゅういされているのかは自分じぶん次第しだい他者たしゃわせ、さらにその判断はんだんを「自分じぶん次第しだい」という言葉ことば責任転嫁(せきにんてんか)をさせている(てい)のいい()くちです。

 もうわけないはなし介在かいざいして「どうおもうかは自分じぶん次第しだい」ってひと責任転嫁せきにんてんか片棒(かたぼう)かついでしまってるんですけど、あこがれているひとなどにわれるとついついそのになってしまうんです。

 本来ほんらい、ピラミッドがた組織そしきにおいては報酬(ほうしゅう)うえからしたながれるわりに、責任せきにんしたからうえがっていくものなんですが、腐敗(ふはい)していくと、報酬ほうしゅう責任せきにんうえからしたってしまい「蜥蜴(とかげ)尻尾(しっぽ)り」なんて言葉ことば現実げんじつにならないように注意ちゅういして、雰囲気ふんいきながされないようにしなければなりません。

 勿論もちろん指揮者しきしゃ立場たちばになったら、そうおもわれないようにしなければ、なかなか評価ひょうかしてもらえませんよ。

 つぎは「がんばれ」

 「がんばれ!」ってとっても素敵すてきひびきにこえますし、わる言葉ことばではないようにおもうのですが、いやらしい言葉ことばだったりするので、あまり無責任むせきにん()(つくろ)いや鼓舞(こぶ)するためだけにまり文句もんくとして使つかうのはけるべきでしょう。

 しかも「がんばれ」という言葉ことば愚劣(ぐれつ)さをかっているかのように、薀蓄(うんちく)くわえられる場合ばあいはもっと悪辣(あくらつ)危険きけんです。

 そのめい文句もんくは「無理むりすることとがんばることちがう」です。

 如何いかにも道理どうりわきまえているようにかんじてしまい、好人物こうじんぶつ錯覚さっかくしてしまいがちですが、まさにたんなる錯覚さっかくでしかありません。

 ただし、本当ほんとう理解りかいしている場合ばあいもあり、その場合ばあい発言者はつげんしゃ当人とうにんが「がんばれ」と鼓舞(こぶ)したもの管理かんり観察かんさつし、保護ほごしている場合ばあいです。

 ですから、親子おやこ兄弟きょうだいなどのあいだ使つかわれる場合ばあいは、条件じょうけんげた環境かんきょうととのっているケースがおおいので、基本的きほんてき問題もんだいはないとおもわれます。

 この条件じょうけん満足まんぞくととのっていない状況下じょうきょうかはっせられる「無理むりはしないでがんばれ」は危険きけんです。

 なぜなら「がんばれ」の本質ほんしつ個人こじん能力のうりょく最大限さいだいげん発揮はっきしたうえ他人たにんからの鼓舞こぶによって上乗うわのせをのぞむわけですから、これほどに無責任むせきにん()()文句(もんく)はないようにおもいます。

 なぜ無責任むせきにんなのか?そもそも能力のうりょくには個人差こじんさがあり、万民ばんみんおな能力のうりょくゆうしているわけではないからです。

 能力のうりょくちがい、が、そのまま優劣(ゆうれつ)むすびつき、差別化さべつか(つな)がるわけではないと、(あらかじ)ことわっておいたうえすすみます。

 現段階げんだんかいでの能力のうりょく実力じつりょくにどれだけ「がんばって」上乗うわのせするかは本人ほんにん次第しだいです。

 しかし、かんがえてみればおかしくはないでしょうか、ひと水中すいちゅう呼吸こきゅう酸素さんそれられないがゆえ潜水せんすい時間じかんには個人差こじんさがあり、その能力のうりょくかならずしも肺活量はいかつりょう比例ひれいするわけではありません。

 身体しんたい能力のうりょく体調たいちょうにも影響えいきょうけるので、たんなる数値すうちでは判断はんだんできません。

 ただ、潜水せんすい時間じかんばす方法ほうほうとして「がんばる」「我慢がまんする」という手法しゅほうがあります。

 おそらくみずからの意思いし潜水せんすいした場合ばあい生命せいめい危機ききおよぶまで潜水せんすいつづけるひとはいないでしょうし、その限界げんかいろうとするひともいないでしょう。

 もし「がんばれ」とわれたら、どこまで「がんばる」かどこまで「我慢がまん」するかは個人的こじんてき裁量さいりょう(ゆだ)ねられ「がんばれ」とったひと度量(どりょう)ひと能力のうりょく判断はんだんするため技量ぎりょうや「無理むりはしないように」という基準きじゅんすら「がんばる」当人とうにんゆだねられるわけです。

 えれば第三者だいさんしゃうところの「がんばれ」=「きっかけをつくって、応援おうえんするけど、それ以外いがいこと自分自身じぶんじしん責任せきにんなか限界げんかいつけてください」とっているようなものです。

 「そんなつもりはない」と弁護べんごしても「がんばれ」とわれた当人とうにんがそういう意味いみだとおもわない以上いじょうはこれほど無責任むせきにん自分自身じぶんじしん能力のうりょく限界げんかいらぬままに行動こうどうこさせる言葉ことばはないのではないでしょうか。

 「がんばれ」とこえをかける相手あいて特定とくてい事柄ことがらなか相当そうとうおのれ能力のうりょくっているひとたとえばスポーツ選手せんしゅたぐいなどはてはまったとしても、たんなる社会しゃかい組織そしきない不用意ふよういに「がんばれ」とうことは、個人的こじんてき能力のうりょくえ、とき限界げんかいすらえさせてしまう非常ひじょう危険きけん言葉ことばなのです。

 会社かいしゃ学校がっこうといった、生物的せいぶつてきなグループではないグループないでは能力のうりょく向上こうじょう目的もくてきとしている意味合いみあいもあり、努力どりょくすることで、能力のうりょく向上こうじょうはかられているようにおもわれがちですが、じつ結果的けっかてき能力のうりょく向上こうじょう自体じたい能力のうりょくであり、どれだけ努力どりょくするのかということ自体じたい個人こじん能力のうりょくほかならないのです。

 その能力のうりょく、すなわち個人こじん限界げんかいっている上司じょうし先生せんせい先輩せんぱい部下ぶか生徒せいと後輩こうはいたいして「がんばれ」と鼓舞こぶすることはゆるされたとしても、個人こじん限界げんかいらぬままにただ「とにかく、がんばれ」というのは非常ひじょう無責任むせきにんきわまりない言葉ことばだとえるでしょう。

 おもわず使つかいたくなってしまう単語たんごですが、安易あんい使つかうと相手あいてにとっては非情ひじょうおもわれ、くるしめてしまう、さらには限界げんかいえさせて、らずらずに無理むりをさせてしまう悪魔あくま呪文じゅもんだということを理解りかいして使つかわなくてはなりません。

 ある、事象じしょう事例じれい業務内ぎょうむないにおいて個人こじん能力のうりょく個人こじん範疇(はんちゅう)責任せきにんなか最大限さいだいげん発揮はっきさせたいのならば「がんばる」のではなく、出来できことをやる、出来できこと具体的ぐたいてき行動こうどう指示しじ(にく)場合ばあいは「かない」という表現ひょうげん使つかうのが相応ふさわしいのかもしれません。

 最後さいごに「きみため」または「きみためおもって」

 ひとだれしも自分じぶん一番いちばん大事だいじだと皮肉ひにくいます。

 それがすべてではないことは、生命せいめいとしての親子おやこ関係かんけい恋人こいびと同士どうしなどにはかならずしも適応てきおうできないですし、愛情あいじょうというひと独特どくとく精神せいしん世界せかい自分じぶんよりも相手あいて優先ゆうせんさせる決断けつだんをくだしてきたれいがいくつも報告ほうこくされています。

 よって、ここでは「おもう=愛情あいじょう」ではなく「おもう=かんがえる」という後者こうしゃについてかんがえました。

 じつはすでにこたえのひとつをいてしまっているということにお気付きづきでしょうか?

 「きみためおもう」という言葉ことば(おと)対象者たいしょうしゃたいして安心感あんしんかんあたえてしまうというのがひとあくです。

 所謂いわゆるおやなどがそそ愛情あいじょうを「きみためおもう」と表現ひょうげんすることとおなおとくことで、われたがわ過去かこ学習がくしゅうした安心感あんしんかんおもし、相手あいて本意ほんい確認かくにんすることなく、みょうしたしみをかんじてしまうからです。

 そんな毛頭(もうとう)ないのに、対象者たいしょうしゃ安心あんしんして自分じぶん信用しんようしてくれることから、社会しゃかい同一どういつ組織そしきぞくしているだけの軽薄(けいはく)信頼しんらい関係かんけいなかでは乱用らんようされたりします。

 もうひとつのあくは「きみの」という二人ににんしょう具体的ぐたいてき表現ひょうげんすること対象者たいしょうしゃしぼり、さも特定とくてい個人こじんへの愛情あいじょうのような錯覚さっかくおちいらせてしまうというてんです。

 さて、この言葉ことば使用しようするとき注意ちゅういしなければいけないのは、真意しんいがどこにあるか、間違まちがっても「きみため」と発音はつおんしながら、脳内のうないで「自分じぶん自身じしんため」なんておもってしまったら、使用しようひかえたほういでしょう。

 不思議ふしぎなもので、自分じぶん使用しようしているときにはさも相手あいておもって、全身ぜんしん守護しゅご天使てんし神神こうごうしくひかりかがやいているように、自己陶酔(じことうすい)してしまいがちですが、われるがわたされると、意外いがいにも滑稽(こっけい)かんじてしまったりしませんか?

 うらおもてなどというものは、かくそう、使つかけようとすればするほど(みにく)姿すがたをあっさりとせてしまいますので、たん自己じこ保身ほしんため責任せきにん転嫁てんかするならば、ちが表現ひょうげん使用しようしましょう。

 そこまであくになりきれないのであれば、正直しょうじきに「きみわたしため…」と本音ほんね素直すなおってしまったほう誠意せいいつたわるというものではないでしょうか。

 わかっちゃいるけど、なかなかむずしいですね。

  

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ