『とある会社の唐揚げ弁当』番外編 2.ナポリタンさんの憂鬱(2012.4.27)
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――自分へのご褒美って、大切だと思う。
つまりは、言い訳して贅沢しようってことだ。それでも、一人暮らしゆえに切り詰めながら生活しているのだから、たまにはそれもいいじゃない、と、これもまた言い訳してみる。
ご褒美といえば、いつもなら家からも職場からも離れたケーキ屋さんへ足を運ぶ。三ツ星パティシエがいるところではなく、スタイリッシュなカフェでもなく。一流ホテルのようでももちろんない。
私が気にいっているお店は、メルヘンでファンシーな内装で、その空間にぴったりな菓子が売っているところ。カップケーキは絵本に登場するかのようにアイシングが施され、星やハートのトッピングがかわいい。ケーキも期待を裏切らず、例えば商品名 木イチゴのムースを挙げよう。外見はホワイトチョコレートのドームで覆われているからなんともシンプルな半球。けれど、フォークでそれを割ると――中から現れるのは、ビスキュイ生地にのせられたバニラビーンズの入った濃厚な真白のムース、さらに木イチゴとイチゴ味の星型トッピングが飾られる。フォークをムースに差し込めば、中から淡いピンク色の木イチゴのムースの層が覗く。
毎回私がこのケーキを買ってしまうのは、甘くてかわいいものをたべたら、自分も少しくらいあやかれるのではないかと思ってしまうから。だってほら、実際おいしいものをたべると、頬が緩むし。
ところがどっこい、そこは”クラブのママ”と称された私。頬が緩んだところでモナリザの微笑くらいなもん。かわいらしい、とは程遠いのだ。モナリザさんには悪いけれども。
とにかく、私は先週から今日まで残業がんばりました。だからご褒美を買います。買ってみせます! しかも一つ四百二十円の小さなやつじゃない。今日は小さめのホールのやつです! なんの記念日? と言うなかれ。残業終わった記念日です。
と、意気込んだはいいけれど。
ケーキ屋さんの近くのショッピングモールに入った私は、すぐさまトイレへ駆け込んだ。別に、用をたしたいわけでもお腹が痛いわけでもない。むしろ至って健康。
そうして鞄から取り出したのは、デカ眼鏡と化粧ポーチ、それにマスク。
化粧落としシートは常に持ち歩いているから、それを使って顔を拭く。すっぴんになってもそんなに変わらない顔に、再度施す化粧は薄め。かわいい猫目メイクも憧れた時期があったけど、一度挑戦した結果、受けた感想は「女豹っぽーい!」だった。……同じ猫科だけどね。肉食っぷりが違うと思うの。猫と豹だと。
そんなこんなでデカ眼鏡とマスクを装着することで、色々誤魔化してみた。ついでに胸元の開いた服を隠すために、トレンチコートを完全に閉めた。
――それなんて口裂け女?
なんてツッコミはいりませんからあしからず。
ちなみに、毎度ケーキ屋さんへ行く時はこの姿。もう、万年花粉症って設定でよくない? 女豹がメルヘンにケーキ貪ってるとか思われるよりよくない? 肉食獣が実は草食よりの雑食かよって思われるよりよくない?
肉食系気取るんなら食うのは男だろ、とかわざわざつっこまれたくないわけで。
……かわいい女の子に、私は、なりたい。
そうこう内心ぼやきながら歩いていたら、目的のケーキ屋さんについた。
お店の扉は手動で押し開くタイプのもの。それを開けた拍子に、扉につけられたベルが”カランカラン”と鳴って、店員に来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
閉店間際の時間に出迎えたのは、栗色の髪を緩く三つ編みした女性。愛玩動物のような、ふんわりとした癒しの空気を放つ笑顔に羨望すら抱く。高圧的な私と正反対。
しかし、今の私は変質者さながらの姿。
もう買う商品を決めているのに、腰を屈めてガラスケースの中に鎮座するたくさんの華やかなケーキを眺める。これは、「これください」と店員さんに声をかける、心の準備時間なのだ。
かわいいお店にいるだけで、居た堪れない。好きなのに、人目が気になる。今の気分を例えるなら、軍に入ってまだ初日の新兵が総司令官に声をかける、そんな感じ。
深呼吸する。でもしすぎると過呼吸になるから一度だけ。
(……よし!)
一度大きく頷き、姿勢を正した。
(いざっ!)
「あの」
「あ、そうだ!」
私の言葉は店員さんの声で掻き消えた。
「少々お待ちくださいませ」
にっこりと、撫子の花のごとく笑み、彼女は厨房へと駆けて行く。
いやいやまってまって、「はい、待ってます」って私言ってない。覚悟が鈍りそう……。
動揺しつつも佇んでいれば、彼女は一口大の小さなケーキを持ってきた。正方形の、ビターチョコレートでコーティングされた土台に薔薇の花の形をしたムースがのったそれ。今回のものは少し大人っぽい。が、まだ見たことがないから、新商品だろうか。
凝視していたのがバレたのか、彼女は小さく笑ってそれを私に差し出した。
「試作品なんですが、よろしければ感想をいただけませんか?」
「え、私?」
つい眉根を寄せてしまう。ここで小首を傾げられれば、かわいい女子になれるかもしれないのに、いちいちどうしてこうなのだろうか。
しかし、私の反応を気にした風でもなく、店員さんは「はい」とやわらかく笑む。
「じゃ、じゃあ、いただきます」
マニキュアのついた指で、そのケーキに触れる。若干けばい爪であることを後悔しながら。
(あ、マスクとらないと食べられない……)
今更気づいてももう遅い。店員さんは期待の眼差しで私を見つめている。
仕方なく、私はマスクを外し、ケーキを一口でたべた。
「……」
――私、謝罪しないといけないことがあります。
昔、某料理アニメ二作品――一つは中華、一つは和洋中問わず――の「おーいしーいぞーーーー」表現を馬鹿にしていた時代がありました。だって口から虹が出てきたり、判定するおっさ……いえ、高貴なおじ様が宇宙に浮かんで絶賛していたから。
「んなばかな」と嘲笑しておりましたすみません。
だが、今、私はそんな気持ちだった。
(……な、なに、これ。見た目大人っぽいけど、食べてみるとまろやかに甘い)
アーモンドの香ばしさと、バニラの風味がする生地。チョコレートはビターだが、そのコーティングは薄く、苦さはほんの少しだけ。むしろ、チョコレートに含まれているシナモンの香りがおいしさの相乗効果を生んでいる。そして、生クリームの甘さと、ムースでできた薔薇の花。
(おいしい。おいしすぎるっ)
ふにゃ~っと私の顔は緩みきっていたと思う。イメージ崩壊注意。いや、仕方ない。これは不可抗力だ。私のせいではない。このケーキのせい。
幸せに浸っていると、声がふってきた。
「いかがでしょう?」
笑み含んだ声音は、私の表情の変化に対してだろう。恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じながら、いつもの調子を取り戻し、キリリと答えた……つもり。
「ええ、とてもおいしいです。見た目は大人っぽいのでお酒が強いのかと思いましたが、甘さ控えめではあるものの風味豊かで……後味も、いいです」
口に残る風味が鼻を抜けると、また頬が緩んでしまう。
もうこれ以上醜態はさらせない、と思った。
さっさと買うものを買って帰らなければ。
この小さな試作品が商品化したならば、たくさん買おう。そのために、自主出禁にはなるまい。
「注文、いいですか?」
突然の話の転換に、少し驚いた様子を見せた店員さんだったが、彼女はすぐに切り替えた。
「はい」
「この一番小さいサイズのホールを一つください」
「以上でよろしいですか?」
「はい」
刹那思ったことは、(やった……やったわ! 買ってやったわホールケーキ!)。そこでグッとガッツポーズをこっそり決めた時……ところが私は気づいてしまった。
(マスク、外したままだった……)
見た目女豹が、一人寂しくホールケーキ買って喜んでいる。ガッツポーズまで決めてはしゃいでいる。
しかも見るからに誕生日ケーキの種ではないものを購入。
途端、羞恥に焦った私は、気がつけば店員さんに注文をしていた。
「あのっ、プレゼント用に包んでくださいっ!」
「かしこまりました」
店員さんはにこやかに頷いて、引き出しからリボンを取り出した。
(あら不思議。……余計惨めになった気がしないでもない)
キレイにラッピングされていく箱。私が、一人ぼっちの部屋でほどくのだ。
(見栄っ張りな自分が憎い!!)
ならばいっそ、友達を呼ぶ?
いやいや誰かに分けるなんて、そもそも選択肢にすらない。
(食い意地張った自分が憎い!!)
というか、姫系家具が揃った部屋に呼べる友達がいない。
(……孤独が憎い。リア充滅べばいいのに……)
しょぼんとしながらお会計し、ケーキの箱を受け取った。
カランカラン、とメルヘンな甘い空間から外に出る。
外の空気は、どこか冷たく心に沁みた。
*** *** ***
他方、店内では、また別のやりとりがあった。
「いつもの人、どうだった?」
厨房から現れた一人の男性。
店員の女性はいたずらめいたように、唇に弧を描く。
「ほっぺた落ちそうなくらい、頬緩ませてたよ。ていうか、マスクとると、色気ハンパなかった」
「ふーん」
そう言い残し、再び厨房へ踵を返す男性。
女性はくすくす笑声を漏らす。
「とかなんとか言って、声がすっごく嬉しそうだよ? 試作品、あのお客さんをイメージして作ったくせに」
素直じゃないなー。
続く言葉に、答える者はいなかった。
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