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短編集  作者: 梅雨子
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青い薔薇のルクレティア番外編   3.そして、彼は願う (2011.10.11)


 密葬が終わり、ルクレティアはアリスフォンと共に静かな眠りについた。

 ディオクレスは、アリストフォンがルクレティアの後を追ったことを知っている。実家に帰った際、聞かされていたのだ。棺の中で隣り合っているのだから、どうせ隠せないと判じ、否応なく話したのかもしれない。

 けれど、少年はルクレティアが死んだ理由も、アリストフォンが自殺した理由も知らない。

 邸に戻ってすぐ、彼はその足でルクレティアの侍女であった娘を捜し、詰め寄った。

 彼女は俯き、視線を彷徨わせながら、静かに語った。

 ルクレティアが夜会で恋をしたこと。その相手が、共に死を選んだアリストフォンだったこと。しかし、アリストフォンは別の娘との婚約を選び、ルクレティアを捨てたこと。それを確かめようと行った夜会で、ルクレティアが襲われ、身を守るために男に怪我を負わせたこと。そして、家名を汚したとされたルクレティアが両親に体罰を受け、その傷が原因となって高熱に浮かされ、死に至ったこと。

 ルクレティアが寝込んでいる時、アリストフォンはその事実を知らず、彼女の部屋の前で愛を囁き続けていたらしい。彼女が亡くなる、その日まで。

 彼女が死んだ後、アリストフォンは部屋の人払いをした。その間に、寝台の天蓋を纏めるための紐をルクレティアと自身の手首に巻き、花瓶に活けられた青い薔薇をそえて、護身用に持っていた短剣で自殺したのだ。

 ――加害者は、誰だろうか。

 ディオクレスは考える。

 ルクレティアは、男を傷つけた。正当防衛だった。

 両親は、躾と称してルクレティアに鞭打った。彼女の死因は傷口から入った感染症であるから、両親に殺意があったかはわからない。

 アリストフォンは、ルクレティアを捨てた。しかし復縁を望み、呪いを施して自害した。

 なにが悪いのか。誰が悪いのか。正義と悪の、二元主義的思考では判断がつかない。

 ただ、ディオクレスにとっての真実がある。それは己の感情だ。

 ルクレティアを身体的に傷つけた両親が憎かった。どうしてそんなにも彼女に鞭を振るったのか。怒りがこみ上げる。

 ルクレティアの心を傷つけたアリストフォンを恨んだ。捨てるのなら、どうして構ったのか。後を追うほど愛したのなら、どうして捨てたのか。やり場のない憎悪をどこに向ければいいというのか。

 歯をくいしばり、渦巻く感情を沈めようと努める。そうしなければ、すべてを破壊してしまいそうだった。そんなことを、ルクレティアはきっと望んではいない。

 腸が煮えくり返るような、黒い激情。嫉妬が雑じっていることは否定できない。

 ――この感情を、なんと名づければよいのか。

 悲しくて悔しい。どうしてルクレティアは自分が帰るまで待っていてくれなかったのかとさいなむ感情と、守るべき存在の喪失で心はい交ぜになる。

 涙は、出なかった。

 ただ、彼は、張り裂けそうな胸の痛みに顔を歪めた。




 + + + + + + + + + + 




 ルクレティアの死から、どれくらい経っただろうか。

 その後、ディオクレスは無事寄宿学校を卒業し、伯爵位を継承した。

 彼は、両親を見向きもしなかった。どうしようと、どうなろうと関心などない。自分の邪魔をするというのなら、叩きつぶす、ただそれだけだ。

 そうして、家のためだけに結婚した。相手の娘は、結ばれることのない男に恋をしていた。あえて、その娘を選んだ。

 ディオクレスに妻への家族愛はあったが、恋愛感情が生まれることはなかった。それは、ルクレティアに対してとは真逆のことだった。むしろ、実姉である彼女に抱くべき愛情を妻に向け、妻に向けるべき感情を実姉に向けていた。

 しかし、それでいいと彼は思う。彼女にも愛する男がいるのだ。互いが別の者を愛していれば、愛憎は生まれない。夫婦における一方通行の愛は、母を見ていて避けるべきと悟っていた。



 さらに時が経ち、ディオクレスの琥珀色の髪はすっかり白くなった頃。

 寝台で臥せることが多くなった彼は、死期が近いことを知っていた。

 身体は重く感じ、老齢になったと目元に皺を刻んで自嘲する。

 杖をつきながら、彼はゆっくりと外を歩いた。

 向かった先は、ルクレティアとアリストフォンの墓。

 黒い森の中、彼女らが眠る場所の目印は名前が刻まれた石板しかない。

 けれど、そこについたディオクレスは微笑んだ。

 石板の周囲に、青い薔薇が育っていたから。暗い森に彩な青い薔薇。それは、定期的に墓参りをしていたディオクレスが植えたもの。

 ルクレティアが亡くなってなお、ディオクレスは彼女に会いに来ていたのだ。彼女が笑んでくれるような、楽しい話を携えて。

 共に眠るアリストフォンもその話を聞いて笑っていたら癪だと思いながら、彼女の笑みを望む。幼い頃と同じように、今もずっと。

 ――ディオクレスはその感情の正体に気づきながら、秘め続ける。

 彼は、地面に腰をおろし、石板に耳をあてるように横たわった。

 ゆっくりとした動作で、生えている青い薔薇の蔦を自分の手首に巻きつける。

 ――ひどく、眠たかった。

 森の中は、ひんやりと冷たい空気が流れる。

 ふと、やり残したことはなんだろうかと、考えた。

 ともすれば、思いつくのは、ただ一つ。

「ルチアが自由になれるよう」

 伯爵家は、既に次代に移っている。家族のことも、自分にできることは最早ない。

 だから、あとは――。

 瞼が重たい。視界は、ぼんやりと掠れる。

「……もし、アリストフォンの呪いが成功したら、来世で今度はその男に囚われるかもしれないからな」

 ディオクレスは独り言。

 ――ルチアが望んでくれるなら、今度こそ俺があなたを解放するよ。

 そう心の中で呟き、彼は目を閉じた。




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