『ある脇役の選択』番外編 ロシェット、義姉兄に問うてみる(2013.6.18)
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夕日の茜色に染まった空。それは地平から天辺にかけて色調を変える。
一番星が、キラリと瞬いた。
リビングの窓辺から空をなんとなく見上げていたロシェットは、首を回らす。
昼食からおよそ四半時が経った時刻ゆえに、腹の虫が主張した。
そして、そんなロシェットの鼻腔を擽るのは、芳ばしい良い香り。それは台所に立つユキが作る、夕食の匂い。
ロシェットはユキの作る料理が好物だった。料理はシチューやハンバーグからクッキーやシュークリームまで幅広く作るユキだが、ハズレはほとんどない。玄人には及ばずとも、家庭料理という範囲ならば上々の腕前だ。
そうして、匂いの正体が気になり、足早に台所へと爪先を向けた。
「ユキちゃん、今日のお夕飯は?」
こてん、と首を傾げ現れたロシェットに、ユキは口角を上げた。
「今日は旬野菜の冷製パスタと、魚のムニエル、それにポテトサラダだよ」
ロシェットはああ、と頷く。だから、にんにくの香りがしたのか、と。
旬野菜の冷製パスタ、と聴いたロシェットは、機嫌を良くした。彼女はその料理が好物の一つだから。
にんにくの香りと唐辛子の辛味のついたオリーブオイル。それにだしの効いた魚介スープと、それらに絡める細麺。季節によって合わせる物は異なり、魚介類の時もあれば野菜の時もあるが、どれも旬のものが選ばれる。
一つの料理で季節が味わえるパスタ――それが好きな理由。
鼻歌でも歌いそうなほどに相好を崩したロシェットは、問う。
「ねぇユキちゃん、なにか手伝うよ。なにしたらいい?」
パスタは現在茹でている只中。香りのついたオリーブオイルも魚介スープも、既に準備が終わり、熱を冷ましている段階。野菜の準備も済んでいるし、魚も下ごしらえしてあり、焼くだけ。
あとは――と調理台見回したロシェットに、ユキは潰されたじゃがいもの入ったボウルを渡す。
「じゃあロシェットには、ポテトサラダをお願いしていい?」
「了解!」
ボウルと匙を受け取って、ロシェットは意気込んだ。
調理の最中、ロシェットとユキは雑談を交わす。
そこで、ロシェットはふと、疑問に思ったことを口にした。
――ずっと、訊いてみたかったこと。
でもなんとなく、訊く機会がなかったこと。
隣に並び立つユキを、横目で見やる。彼女は、茹だったパスタを氷水で洗っていた。
ロシェットはぐしゃぐしゃと、塩胡椒、それにマヨネーズをじゃがいもと馴染ませる。
「あ、ポテトサラダ用のお野菜は、これね」
ユキが茹でて荒熱をとった野菜の皿を、ロシェットの前に置いた。
その皿の中身をボウルに入れ、さくさくと交ぜる。ちら、ちら、とユキの様子を窺いながら、言葉を紡いでみることにした。
「そういえばね、ずっと訊いてみたかったことがあるの」
「うん?」
ユキはパスタの水きりをしながら、相槌を打つ。
料理の邪魔にならないよう願いながら、ロシェットは言葉をついだ。
「あのね、いつから兄さんのこと好きだったのかなって」
なんとなく、を装ってみたつもりだ。だが、どこか余所余所しくなったかもしれない。
そも、ロシェットとユキは仲が良いものの、恋愛の話は滅多にすることがなかった。それは、ユキは恋人がいる様子を見せず、仕事で一杯一杯のようだったこと、さらにロシェット自身、気になる異性がいなかったためである。
けれど、ユキとクロードは婚約した。
ロシェットは、前々からクロードがユキを特別視していることに薄々気づいていたが、ユキがクロードを異性として見始めたのがいつかはわからなかった。だから、訊こうと思った。
ユキは少しだけ動きを止め、考えるように天井を見上げると――数拍後、なにかに閃いたらしく表情を変えた。
思い出し笑いなのか、ふふ、と頬を緩め、目を三日月型に細める。
そして、語った。
「いつからっていうと難しいんだけど、多分、私が高等部に入学するかしないかの頃かなぁ」
――そんなに前だったの?
驚くように、ロシェットは目を丸くした。
ユキは言葉を連ねる。
「たまに、朝、クロードさんを起こしてたの。でも、あの日は――あまりにクロードさんが幸せそうに眠っているから、ベッドに頬をついて、ちょっとだけ、その横顔を眺めてたの」
――横顔、ということは、クロードは仰向けで寝ていたのだろう。
そうロシェットは推測した。
照れるように、それでいて嬉しそうに頬を染めるユキ。
ロシェットは「それで?」と続きを促した。
「えぇと……うーん……。それで、ね。堪能した後で、クロードさんを起こそうとして名前を呼んだの」
「うん」
ここまでで、まだユキが恋に落ちたきっかけは見つからない。ロシェットは首を傾げるばかりだ。
「えぇと、それでね、うーん……」
「うん、それで?」
少しずつ顔が紅潮していくユキだが、その理由がロシェットには見当もつかない。今までの話で、赤面する理由はあっただろうか。
「あのね……」
どこか言い辛そうに、ユキは再開した。
「寝ぼけたクロードさんが、身体の向きを変えて……」
「うん」
「こっちに向いて……こう、唇がね、こう……」
しどろもどろな言葉に、ロシェットは想像し、察する。
つまり、ベッドに乗り出してユキが眺めていたために、身体の向きを変えたクロードと唇が重なった、ということだろう。
(だから、顔真っ赤なんだ)
にんまりと形を変えそうになる口元を必死に抑え、さらに続きを求める。
「うん、それでどうしたの?」
「それで……それで、ね。私は硬直して動けなかったんだけど、違和感に気づいて起きたのかな? クロードさんが目を見開いて起き上がった後、何回か目を瞬いて。それから瞬時に後ずさるようにして身体を離したんだけど……そのクロードさんが、どうしようってくらいに可愛くて」
ユキは笑零す。
「口元を手で押さえて、目をまん丸くして、顔も耳も真っ赤に染めたクロードさんが、愛おしくて。それまで、頼もしい姿しか見てこなくて、格好いいクロードさんしか知らなかったから……それがとっても新鮮で、どうしようもなく好きだなって思ったの。多分、それが、恋の芽生えた瞬間、かな?」
照れ隠しをするように、再び料理に没頭するユキ。ロシェットは、”こちらが中てられてしまった”と言わんばかりに苦笑した。
――ロシェットは、ユキもクロードも大好きで、大切だ。
だから、二人が幸せそうに過ごしていることが、とても嬉しい。
クロードの罠に嵌ったかのようなユキだったけれど、実は、恋は既に芽吹いていて。それが育っていなかっただけで、最近成長し、花咲いただけなのだと思った。
――よかった、と安堵する。
追い詰められたユキが、逃げ場を提供したクロードへの感情を恋と錯覚したわけではないのだとわかって、心から安心した。
ロシェットの腕にあるボウルの中身――ポテトサラダは交ぜに交ぜたから、完成している。ゆえに、調理台に置いた。
「ユキちゃん、ポテトサラダできたよ」
すると、ユキは「ありがとう」と微笑む。
「お疲れ様。じゃあ、あとはゆっくり待ってて。パスタももう完成だし、後は魚を焼くだけだから」
「うん」
頷いたロシェットは、踵を返す。
ユキの惚気を脳裏に描き、リビングのソファに向かう。
ソファには、クロードが座っていた。いつからいたのだろうか。
(わたしもいつか、二人みたいな恋をするのかな)
そんな風に、少しだけ恋に夢見ていたロシェットが、クロードの前に回り込む。が、その足は、突如ピタリと止まった。
「……。…………」
ロシェットの頬が引き攣る。
「………………兄さん、いつからここにいたの……?」
ひくつく喉で問うてみる。
ロシェットの存在に今気づいた様子のクロードは、立ち竦む彼女を見上げた。
「ん? どうして?」
そう言うクロードだが、ロシェットの目には明らかだ。
(絶対わたし達の話聴いてた!)
――だって、表情筋が緩みっぱなしなんだもん!!
今まで見た事がないほどに、とけてしまいそうなクロードの表情。それは、美貌の人が笑み崩すために、目撃者が蕩けてしまうのか、はたまたクロード自身が惚気でとけてしまうのかはわからない。
とりあえず、美形に耐性のあるロシェットは思う。
(暑い。とめどなく暑い……)
そうして、クロードからそれとなく距離をとった。
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