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水晶魚【すいしょううお】  作者: 今西薫
【第1章】
7/28

ディルの日記を片手に持ったままでいたことを思い出し、テーブルの上に載せる。

 『まだ見ぬ明日のために』

 およそ日記にふさわしいとは思えないタイトルが手書きの文字で書かれている。

 表紙をめくると、紙が一枚挟まれていた。

 『あの時の約束のままに』

 ダグラスは思わず表紙を閉じ、コートの内ポケットに入れた。やけに厳重だ、と感じたのだ。

 アリシアがこれを探し出したのは、一人で地下室に下りて行った時だろうか。

 この表紙を見てこれをとってきたのだとすれば、彼女には、ここに何が書かれていたのか判っていたということにならないか? そして、ディルも彼女がこれを求めていることを知っていたということにならないか?

 …いつか『帰ってくる』きみ。

 つまり、アリシアは帰ってきたのではないのか? やってきた、のではなく。

 グラスに残っていた酒をあおり、目をつむる。

 思わず苦笑が漏れた。

 昨晩までは、こんなことが起こるとは思ってもいなかった。

 流されるようにジェインとジャックを連れて家を出て、この先二年を逃げて過ごすことを決めてしまっている。

 まだ、一日も経っていない。

 そしてまだ、心のどこかで迷っている。

 たかが二年、されど二年だ。

 受け入れてしまっているのは、それしかないと、心のどこかで思っているからだ。

 それ以外の選択肢を思いつかないからだ。

 ……なのに、気になってしかたがない。

 ディルじきじきに頼まれたとはいえ、自分は赤の他人だ。

 アリシアからも頼まれたからとはいえ、受ける義理はない。

 選択肢が無いように見えるとはいえ、それは、ジェインを連れてのことで、自分一人のことではない。

 なのに、気になって仕方が無い。

 何故、ディルはいなくならなければならなかった?

 何故、アリシアはやってきた?

 何故、ジェインは逃げなくてはいけない?

 何故、二年という区切りがある?

 疑問は次から次へと湧いてくる。

 だが同時に、それらが身の丈に余る好奇心だということも判っていた。

 彼はまぶたをあけ、薄暗い天井を見つめた。

(でも、ここで逃げたら後悔するよな…)

 浮かぶのはジェインの笑顔だ。

 恥ずかしそうに困ったように笑う十歳の少女を、置いて逃げる選択肢は彼にはなかった。

 少なくとも、せめて誰か信頼できる人物にまかせるまでは。

 彼は再び苦笑する。

(なら、決まりだ)

 そして、わざと心の中で呟いて立ち上がった。

 

 

 心が決まれば、しなくてならないことは次から次へと浮かんできた。

 まずは、金銭面だ。

 幸いなことに、働いていた時分の貯えが少しはある。それで二年間暮らせるかどうかは判らないが、少なくとも当面の間はそこには困らない。

 次は、どちらに向かうか、だ。

 本当なら、ディルを追いたいところだが、アリシアも追うということが判っているのにそれをすることには抵抗がある。アリシア自身がジェインのそばに居ることが問題と言うのなら、物理的に距離が近くなることも避けた方がいいだろうと思えた。

 ならば次にしなくてはならないことは、アリシアとは別の方向に進むことだが、本人が教えてくれるかどうかは謎だ。できればヒントを得るために日記に目を通したい。

 腕時計に目をやり、部屋に引き上げることにする。

 少なくとも、不特定多数の目があるこの場よりは落ち着いて読めるだろう。

 他にもいくつかしなければならないことを考えながら、立ち上がると目ざとくみつけたおかみさんがやってくる。その手に二人分の硬貨を載せて軽く手を振って出口へと向かう。

 と、目の前に見知った顔をみつけた。

 戸口に手を置いてとおせんぼするようにしながら荒い息をしている。

「課長」

 パティの仕業であることは容易に想像できた。

「間に合ったか」

 息を切らした男は、ようようそれだけを言うと、呼吸を整えるためにひたすら深呼吸を繰り返す。

 四十代くらいの山男のような男だ。

「まさか走ってきたんですか?」

 ダグラスが呆れたように言うと、恨めしそうな顔をしてから、親指で外を示した。

 どうやら出ようということらしい。

「いや、今あんまり遠くには…」

 行けない、と伝え、店の中に戻ることを提案する。と、ぎろりと睨まれた。

「あー、えーと。はい。判りました…」

 何故、時分はこの男に弱いのだろうと首をひねりながら、ついていくのだった。



 男……元上司であるロブが連れていったのは、宿のすぐ近くのベンチだ。祭りで賑わう目抜き通りからは一本中に入った通りのせいか、人通りはそう多くはない。あくまで比較の結果ではあるが。そのせいか、そのベンチにも座る人がいなかった。

「あー、死ぬかと思った」

 ベンチに腰を下ろしさらに数分たって、ようやく呼吸が整ったらしい。

「もう年なんだから、無茶しないでくださいよ」

 心配を隠し呆れた顔と声で言ってやる。

「……元気そうだな」

 が、相手にはなってくれないようだ。

「……わがままを聞いてもらったおかげです」

 仕方ないので首をすくめて礼を言う。それは本心からのことだった。

「戻ってくることを期待してたんだがな」

 苦笑を漏らす。

 その様子を見ながら、変わらないなと思う。最後に見てからほんの数か月なのだから当たり前だが。むしろしっかりと成長を見せたパティの方が恐ろしい。

「すみません」

「聞いたよ。旅に出るって?」

「はい」

「だから辞めるって?」

 ダグラスは思わず笑った。

「もっと早く言うべきだったのに、ずるずると延ばしていただけです」

 元上司はイヤそうな顔をした。

「…休みなんかやらずに、とっとと連れ戻せばよかったぜ」

「そんなことされてたら、もっと別のところに逃げてましたよ」

「ま、だろうけどな」

 軽く言って肩をすくめる。

「この後、家内と子供たちと待ち合わせなんだ」

 賑わっている通りのほうへ目を向けて彼は言う。

 夜中、日付が変わる頃、広場には家々から持ち寄られた供物の形をした蝋燭が集められ火が灯される。広場の中央をあけ、ぐるりと取り囲むように火の灯った蝋燭が置かれる。中央には、観客の中から子供が数人選ばれて入れられる十二年に一度の吉凶を占い、平安を祈る祭りだ。

 子煩悩で知られる上司らしいと、ダグラスは笑う。

「少しの間でも、会えてよかった」

「こちらこそ、ありがとうございます」

「帰ってきたら、連絡を寄越せ。働き口くらい世話してやれるかもしれん」

「その時は、是非」

 二人は黙ったまま互いの手を握りあった。

 

思ったところまで進みませんでした…


しかも、セリフばっかだし。


「課長」は悩んだ末のものです。

一応「チーフ」とか、単に名前とか考えたのですが。

これについては、そのうちかえるかもしれません。


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