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さてどうするかと、ダグラスは考える。女は何か知っているとカンが告げていた。だから、もう少ししたら帰ってくると嘘をついたのだった。もしそれを振り切ってまで出ていくというのなら、いないと知っているということだと問い詰められたのだが、どうやら女はなかなか頭の回転がいいらしい。このまま昼まで待って帰ってこなかったら引き止める手段はなくなってしまう。
--打つ手はなし、か。
ダグラスは心の中で呟く。あまりにも情報が少なすぎた。
ジェインはお茶を入れ、クッキーまでも添えて、居間にいる女に持っていく。その不安そうな表情は変わらない。そうだろうと思う。自分のしたことは、あまりにも説明不足だ。だが、今、一から説明することは、女に、ディルの不在を知らせるようなものだ。
「おい、おっさん」
テーブルの上に乗るようなかっこうでジャックは身を乗り出してくる。あくまでも小さな声で。
「どういうことだよ」
「なにがだ?」
ダグラスはテーブルの上に乗せられたクッキーを一つつまむ。
「俺は、そんなにバカじゃないんだぞ」
ジャックは真剣な表情だ。だが、時と場所をわきまえてはいない。
「……充分バカだ」
「おまえな」
「年上に向かってその口のききようはなんだ。お母さんは悲しいぞ」
「誰がおまえの息子だよ!」
「声がでかい」
ジャックは慌てて居間の方を振り返る。驚いたようにこちらを見ているジェインと目があってしまい、背を向け、真っ赤になりながら、小声で「ふざけるなよ」などと言うが迫力が伴わない。
「じいさんは帰ってくるんだろうな」
「あと十五分か。それで判るだろう」
あと少しで一時だ。さすがに、それ以上は女も待ちはしないだろう。
「不服そうだな。昼までに帰ってくると言っていたじいさんが帰ってこない。だからといって俺を責めてもらっちゃ困るんだよ。じいさんにはじいさんの都合がある。この雪だ、予定が大幅に狂うこともあるだろう。判断するのは、あちらのお嬢さんだ」
「そういうことだな」
女が炊事場の入口に立っていた。
「あと十五分あるが、諦めるか」
「博士にどういう事情があるか知らないが、もうそろそろ行かなくてはならないようだ」
「じいさんに伝言はないか? 伝えておくよ」
女は微かに表情をあらためた。
「--体に気をつけて、と。健康がなによりだから」
「判った。伝えておくよ」
「ありがとう」
女はコートの前をしめながら体の向きをかえ、その動きを止めた。
次の瞬間、扉が勢いよく開かれた。
「え?」
女は、驚いて入口の方を見るジェインの腕をいきなりつかんでひっぱり、炊事場に押し込むと駆けだした。
入口にいたのは男二人で、二人とも右手に銃を構えていた。すぐにでも引き金を引くつもりだったようだが、突進してくる女にわずかにひるんだその隙をつかれた。
銃声が響いて物が落ちる音がすると、今度は女が、手首を押さえている男に左手で銃口をつきつけていた。足元には銃を握ったままの右手を踏まれて動けないでいる男が倒れている。
「帰れ」
低い声で女が言った。
「ここでお前たちをやりたくはない」
「逃がしてくれるというのか? 余裕だな」
銃を向けられた男は震える声で言う。
「そうではない」
男はふっと笑った。
「……そうか、ここか」
「そうだな」
女は顔色も変えずに右足に力を込める。倒れている男がうめき声をあげる。
「否定しても、信用はしてはくれないだろうからな」
「もう、伝わっているさ」
媚びるような笑いが男から漏れる。
「そうか」
女は小さく呟き、引き金をひいた。
誰もが立ち尽くすなか、女は落ちて床に転がっている銃を拾い、倒れている男の手からも銃をもぎ取ると肩からかけたリュックサックの中に無造作に入れた。
「ここを出る。準備をしろ」
そんな一言を告げてからすぐのことだ。
なにが起きたのか頭では判っていても理解まではできていない三人は、催促するように振り返った女を見て我に返った。
「どういうことだ」
一早く冷静になったダグラスが、代表して質問した。テーブルを回り込み、両の手を口許に当てて震えているジェインの肩に手を置いてそっと体の向きを変えさせる。
「ここは危ない。できるだけ早く出た方がいい。質問はここを離れてからだ」
「どういうことだよっ!」
ジャックが叫んだ。
「おまえには関係ない」
女は一瞥し、ダグラスを見る。
「娘とおまえだ。準備をしろ。五分待つ」
腕の時計に目を走らせて女は背を向けた。
「ちょっと待てよっ!」
「ジャック」
無視されたジャックは女の方に寄ろうとする。それをダグラスが止めた。
「意味が判んねえよ。どういうことだよ。なんだよこいつらは。おっさんもだよっ! ずっと、ワケ判んねえよ、俺は!」
「八つ当たりだ、それは」
図星をさされてジャックは一瞬黙った。が、ぎゅっと両の拳を握って睨み返す。
「そうだよ。八つ当たりだよ。関係ないって? なら、なんでおっさんは関係があるんだよ。俺にないって?」
判んねえよと呟いてジャックは俯いた。
「一つ質問だ。--どこへ行くつもりだ。じいさんのもとへか?」
女は二つの死体を家の中に引きずり込んでいるところだった。流れ出る赤い血が床にたまっていたが、引きずられたために伸びて、妙な模様を描きだす。
「とりあえず安全なところだ。ここは危ない。帰ってはこられないと思っていたほうがいいだろう」
女は、まるで感情がないかのように淡々と答えた。
ダグラスは息を吐いた。腹をくくらなければならないらしい。昨夜のディルの不振な言動が指していたものがこれだったのかと、ようやく理解した。
--俺は了解してないぞ……。
反論すべき人物はここにはいない。そしてまずはそばにいる少女の身の安全を考えなくてはないないのだと自分に言い聞かせた。
「ジェイン、準備をしておいで。じいさんを探そう」
震えていた少女は顔をあげた。恐怖と驚愕とが混ざった表情のまま、言葉の意味を訊ねるような視線を向けた。
「ここを離れよう。俺も準備をする。大丈夫、そばにいるから。……じいさんを探そう」
肩を軽くたたいてやる。小さな、小さな肩を包み込むように手を置いて、目線を合わせる。
「着替えを一回分と、上着と、それからお金とを鞄に入れるんだ。背負えるものがいい」
うなずいて走りだすジェインを見送って、ダグラスはジャックを見る。悔し涙を流す少年に近寄り、頭に手を乗せる。
「じいさんの車を出せるか?」
「え?」
「車を出せ。急いだほうがいい。俺には用意がある。早くしろ」
半信半疑の様子でジャックはダグラスを見上げる。
「頼む」
軽く頭をはたいて、ダグラスは自室へと向かう。しばらくぽかんと見送っていたジャックは我に返って車庫へと走った。
予定時刻を二分オーバーして、四人と一匹は出発した。ディルの作った、雪道でも走行可能な自動車だ。運転しているのはジャックで、女は不審そうにそれをちらりと見たが、特になにも言いはしなかった。だが、危険なのは判り切ったことだった。女が無関係だと言いきるのなら、そうなのだろうと思っても、自分がこの車の運転くらいできるのだとしても、今の彼の仕事を取り上げる気にはならなかった。--せめて、街に降りるまでは。
街まで行けば、移動するには逆にこの車は目立つ。列車を使った方が、人込みに紛れることができる。大切なのは、家からとにかく早く離れることなのだ。それならば、街まででいい。自分の好きな少女を、関係がないために守ることも許されない少年に同情しても、仕方のないことではあるが、それでもなにもできないよりは随分とマシなのだ。
「質問だ。あんたは誰だ」
助手席に座っている女に、ダグラスは言った。
扉が開くよりも早くその気配を察し、開いた時には中に入ろうとする二人の男の片方の腕を蹴り上げて銃を飛ばし、もう片方の男の腕を掴んで引き倒し、使えないように右手首を踏みつける。そんな芸当を瞬時にしてしまえるのだ、この女は。そして、顔色一つ変えることなく、人を殺すこともできる。たったそれだけの事実からでさえも、聞かなければならないことはたくさん出てくる。
「博士の古い知り合いだ」
「……名前は?」
「--アリシア」
「年齢は」
アリシアと名乗った女は、後部座席を振り返って関係ないだろうというような眼差しを向けたが、諦めたように、再び前方を見た。
「--十七」
「じゃあ、アリシア。じいさんの行方を本当に知らないのか?」
「私は知らない。……探すなら、まずは安全なところまで逃げてからだ。二、三日は姿をくらましたほうがいい。それからならばかまわない」
「ってことは、あんたも一緒に探すのか?」
「私は別行動だ。言った筈だ。私には用事がある」
そこまで言うとアリシアは自分のリュックの中をかき回し中から銃を一丁放ってよこした。
「私と一緒にいる間は、私がお前たちを守ってやる。その後は、多分大丈夫だとは思うが、もしものことがあったら、それを使え」
受け取ったダグラスは、それを持て余す。生まれてこのかた、持ったことも使ったこともない代物だ。
「……ってことは、あんたと一緒にいると危険というわけか?」
アリシアは首を横にふる。
「そういうわけではない。ならば逃げたりはしない。一緒にいる方が目立つというだけのことだ」
「……判った。あと一つだ。理由は、教えて貰えないのか?」
「博士を見つけたら、訊ねてみるがいい。私の口からは言えることではない」
「……会えたら、だな」
「そうだな……」
ダグラスと女の会話をジェインは聞くともなしに聞いていた。耳に入ってきていただけと言ってもいい。足元に座ったマックスが顎を膝の上に乗せていても、その頭をなぜていても、なんだか自分一人取り残されているような感じがした。ゆっくりと考える時間が欲しかった。ゆっくりと頭を整理する時間が欲しかった。なのに繰り返される光景は、一つだけ。
女が引き金を引き、男が倒れる。
その繰り返し。
頭の中で繰り返される光景を無感動にじっと見ていたジェインは、ふとダグラスの膝の上の物に気がついた。黒い小さな銃はジェインで繰り返される頭の中の光景と結びつき、ようやく恐怖を呼び起こした。
そして、悲鳴をあげた。