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水晶魚【すいしょううお】  作者: 今西薫
【第1章】
3/28

 視線の先にはジェインがいた。

「ジェイン、ジャック、中に入れ。この人とは俺が話す」

 ダグラスは女から視線をはずさず言った。ジェインが怯えているように見えて、軽く肩を叩いて促す。我に返ったジェインは小さくうなずいてそっとあとじさった。女の視線はジェインを追ってゆく。姿が見えなくなった処でようやくダグラスの方を見た--ようだった。

「誰だ」

「おまえに用はない」

「俺にも用はないが、名前を名乗らないような奴の質問に答える気はないんだ」

「--名乗ったところで、おまえには判らないだろう。わたしは博士に会いたいだけだ。いないのなら、ここには用はない」

「そうか。なら、ここにはいない。心当たりもない。そっちの戸を開ければ部屋だが、探したけりゃ、探すがいい。じいさんのことは俺も一発殴ってやりたいところだ」

 ダグラスは慎重に、淡々とそう言う。怒りは頂点まできていたがこの程度の皮肉で抑えられたのは奇跡に等しい。

 女は入口に寄り掛かるようにして腕をくんだ。

「博士はいい用心棒を雇ったようだな。--二日酔いか? 酒くさいな」

「俺は雇われてはいない」

「--そうは思ってないのに?」

 女の口許が笑みを刻む。

「生憎と、見ず知らずのあんたに、正直な気持ちを告げなければならない義理はない」

「それはそのまま、肯定ともとれるな」

「どちらとでも」

 そこで会話はとぎれた。女は何を望んでいるのか、薄笑いを浮かべたまま、入口から動かない。いつの間にか暖炉の火も消え、気温はかなり下がっている。

 どうするか、と意識をじっと黙っている二人に向けたときだった。小さなくしゃみが聞こえた。ジェインだった。

 次の瞬間女が動いた。中に入って戸を閉めた。

「--悪かった。探させてもらう」

 中に入るとその容姿がはっきりと判った。 薄い金色の髪と氷のような薄い青い色の瞳と透き通るような白い肌が、とりわけ美人という顔立ちでもないのに女を美しくみせていた。落ちついたというよりは度胸の据わった物言いと態度がなければ十七、八歳に見える。

 女はゆっくりと、迷わず炊事場の向かいの戸に向かい扉を開けた。いないことを確認するように首をめぐらせる。振り返った女は苦笑した。

「そう、緊張することはない。博士以外には用はない」

「信用はできないな」

「まあ、そうだな」

 女は暖炉の横の戸に手をかける。地下室への扉を女は開けて、ためらわずに降りてゆく。その姿が見えなくなったところで、ダグラスは振り返った。

「寒くないかい」

 ジェインは青い顔のまま、不安そうな顔のまま、左右に首を振る。

「ダグラスさんこそ、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ、おっさんなら」

 不機嫌にジャックが言う。

「椅子にでも、座っているといい」

 苦笑してそれだけ言うと、ダグラスは注意をまた、女の方に向けた。

 女はまだ出て来なかった。遅いなと口の中で呟く。地下室は、階段を降りてもう一枚ある扉を開けたところにある。大人の背丈の二倍ぐらいはある高さでかなり広いが、一部屋しかない。今は中央には気球が、壁にそって作りかけの発明品が置いてあるが、どこにも隠れるようなところはない。探すのに手間取っている理由が判らない。

 しばらくして女が上がってきたが、その表情に特に変化は見られなかった。女は扉を閉めると階段に目を向けそちらに向かった。

 足音が階段を登り切ったと判断したところで、ジャックが自分の上着を脱いでジェインに差し出した。

「これ、着てろ」

「え? いいよ。ジャックがカゼをひいちゃう」

「俺は大丈夫だから」

 ぶっきらぼうに言う。その様子を見ていたダグラスは苦笑した。

「ジェイン、せっかくジャックが言ってるんだ。いまのうちに受け取っとかないと、いつ取り返されるか判らないぞ」

「誰がするかよ」

 ジャックはあくまでも不機嫌だ。

「でも……」

 ためらうジェインにダグラスは妙に真剣な表情を向けた。

「男が、わざわざ申し出てくれてる時っていうのは、カッコつけたい時なんだからおとなしく受け取っとけばいいってことだよ」

 ジャックは赤くなって無理やり上着を押しつける。まだまだガキだなあと微笑ましく思いながらジェインを見ると、そちらは目を丸くして首を傾けている。可哀相にとダグラスは思わずにはいられない。

「おい、おっさん」

「なんだよ、ぼーず」

 同情を禁じえないままダグラスは返事をする。

「てめーには優しさとか、思いやりってーもんはねーのかよ」

「……ぼーず。気づいてないのか? 俺はこれでも人を見る目がある。誰かれかまわず優しさを振りまいてたら大安売りになるだろ? だからな、ぼーず。たまたま自分に優しさが向けられないからって、人のせいにするんじゃない」

「……な!」

「ぷっ」

 ジャックの上着を抱き抱えたままジェインが笑う。ようやく空気が和んだ。

 ダグラスは安心し、階上の気配をうかがった。どこもかしこも人の隠れる隙間などない部屋ばかりだ。そう長くはかからないだろう。残る部屋はそうするとここしかない。

「ジャック、火をおこそう。寒くてかなわん。ジェインも、暖炉のそばに移動だ」

「--おい、おっさん」

 ジャックが慌てて声をあげる。

「ま、大丈夫だろう」

 軽く言って、二階の様子をうかがう。降りてきた女がここに入ってきて入れ替わるより、先に出ていたほうがましだろう。

「じいさんはいなかったんだろ?」

 確認をとりながら、ダグラスは動きだす。

「ああ」

「なら、大丈夫だろう」

「どうして」

「それくらい、自分で考えろ」



 ジェインはそっと息を吐く。その様子に気づいたのはマックスだけだった。渋々火をおこしにいくジャックの後を追いながら、思い出す。ダグラスが気づいて中に入れてくれるまで、あの女の人が見ていたのは自分だったことを。色の薄いガラス玉みたいな瞳。恐いとは思わなかったが、何故自分を見ているのだろうと不思議に思った。あれはどういう意味だったんだろうと思う。

「ジェイン?」

 呼ばれて我に返るまで、自分が薪をじっとみつめていたことに気づかなかった。

「どうしたの?」

「ううん、ごめんなさい」

 つみ重ねられた木と、マッチを持ったジャックと丸められた紙くずと。準備の整った様子を見て首を横に振る。最後の薪をわたして、膝を抱くようにして火がおきるのを待つ。いぶかしそうに見ていたジャックもあきらめて火をつけた。紙屑は簡単に燃え上がった。その火は積み重ねられた薪の下に置いてある紙に燃え移り、やがて木にも火が移った。

「いないらしい」

 いつの間にか降りてきたらしい女が苦笑するような声で言った。ジェインは驚く。女のことはすっかり忘れていたのだ。

「言った通りだろう?」

 ダグラスは視線を返してそう言った。

--きれいなひとだな……。

 ジェインは二人を見てそう思う。腰までの金色の髪。薄い青い色の瞳。すき通るような白い肌。そして、それらすべてを際立たせる獣のような雰囲気。野生の動物とはまた違う、したたかな美しさ。粗末な着物を身につけていてさえもその美しさは隠せない。そんなふうに考えて、ジェインは否定した。そうではない。粗末な着物だからこそ際立つ美しさなのだ。

「そうだな。--どこへ行ったか見当もつかないか?」

 女は階段の横の壁に背をもたせかける。腕組みをして、ダグラスに問いかける。期待はしていないような調子だった。

「言う義理はないが?」

「そうだな」

 女は思案しているようだった。

 ダグラスはそんな女を試すように見つめている。

 ジェインは事態が飲み込めずに混乱していた。はじめから、マックスを遣いに出そうとした時から、どうもおかしくなった。それは判っている。変だと思った直後に女が現れた。まっすぐに自分に向けられる視線が不思議で、ダグラスが何故か警戒しているようにみえて、ジェインは悪い状況なのだと思ったのだ。実際のところは、何がなんだかまったく判っていない。突然やってきたこの女がなにをしたのか、何故ダグラスが警戒しているのか、まるで判らない。

 女はそんなジェインの思考を遮るように、壁から体を離した。

「邪魔をした」

 目の前を横切ってゆく女の姿を追う。このまま帰してしまってもいいのだろうか。どうしたらよいのか判らなくて、ジェインはダグラスの方を見る。

「どこへ?」

 ダグラスの視線は女へと向けられていた。ただまっすぐに出入口に向かっていた女は、振り返りもせず止まりもせずに「教える必要はない」と言った。

「……じゃあ、じいさんはどこへ行ったんだ? --さっき行方を尋ねたのは確認のためか。……知ってるんだろ? じいさんがいなくなった理由と、行き先をさ」

「知っているのら、バカな質問などするわけがない」

「芝居だったとも考えられる」

「騙すための?」

 立ち止まり、振り返った女は薄く笑う。

「残念ながら、博士の行方は判らない。博士に会えないのなら、わたしはわたしの用事を済ませるだけだ」

「用事、ねえ……」

 ダグラスは品定めでもするように女の顔を眺めた。

「じゃあ質問だ。どんな用事なんだい?」

「答えなけれならない義理はないな」

「答えられないとはっきりと言ったらどうだい?」

「答えられないな」

 あっさりとそんなふうに返す女を楽しそうに見る。

「正直だねえ。おじさんは、そーゆーのは好きなんだけどねえ」

「そうか? わたしは嫌いだが? 意見が合わないようだな」

「ああ、そうだな。けど、俺は本当に気に入ったよ。いい根性をしている。ご褒美をあげたくなってしまうな」

 ダグラスは女からジェインに視線を移す。

「--ジェインお茶を入れてくれ。そちらのお嬢さんにご馳走してあげよう」

 ジェインは驚く。ダグラスを見つめると彼は大丈夫だよというように目で笑う。

「必要ない。わたしは帰る」

「そう言うなよ。じいさんはもう少ししたら帰ってくるんだからさ」

「え?」

 声をあげたのはジェインだった。

「待ってたらいい。じいさんに用があるんだろう?」

「……そちらのお嬢さんは驚いているようだが?」

「そりゃあね。じいさんたってのお願いだからね」

「ダグラスさん。どういうことですか?」

「……ジェイン。じいさんはね、俺に頼みごとをしたんだよ。昨日の夜ね」

 思い当たるふしはあった。わざわざ席をはずさせた酒盛りの直前のこと。

「今日やって来る客人にはいないと言えとね。それであきらめて帰るようならその客はほうっておいていいってさ」

 ジェインは首を傾げる。その程度の頼み事でわざわざ席をはずさせるだろうか。

「敵を欺くにはまず味方からっていうだろ?」

 ジェインの疑問に答えるようにダグラスは言う。

「……なんでも、よほどの用事らしくってさ。断りきれなかったんだよ」

「……では、待たせてもらおうか」

 女は、仕方ないというようにそう言った。

「昼までには帰ってくるんだろうな? ……昼になっても帰ってこないようなら諦める」

「……いいのかい?」

「ああ。今日の夜には、次の村に着いていたい。ゆっくりはしていられないんだ」

 女はうすく笑ってみせるとジェインをみつめた。

「もう少し邪魔をする」

 つられたようにジェインもうなずいた。


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