17
まばら、とはまだ言えない程度には人はいたが、移動はかなり楽になっていた。
近くの屋台に、と言う男の話を聞く義理はなかったが、ダグラスはついて行くことにする。
同意を示すと、ジャックが不満そうな顔をして、マックスを目で示した。まだ、本来の目的を遂げていない、と訴える。
仕方ないのでダグラスが、申し訳ないがと、犬が排泄できるような所はないかと問うと、男は笑って、屋台の近くにあると告げた。
屋台の回りには椅子が何脚か置いてあり、座って食べられるようになっていた。その、空いている椅子について、ダグラスとジャックは飲み物を頼み、待っている間にジャックは示された空き地にマックスを連れていった。
「よく躾けられてますね。……あなたが?」
ジャックが空き地に連れて行き促すとマックスは排泄をする。それは、ジェインがいつもしていることだったが、ジャックの言うことも聞くとは知らなかった彼は、少しばかり驚いた。
「いえ、飼い主は別にいるんですが。……私も驚きました」
柔和な笑みを浮かべる男は、親しみ易い雰囲気を持っている。が、ダグラスは自身のことを「私」と言ってしまう。そのことに気付いて、背筋に力を入れた。
「本当に大人しい。彼も褒めていましたね」
「ええ。たまに、人の言葉が判るんじゃないか、って思うこともあります」
ダグラスは、意識的に、話してよいことと悪いことの線引きをする。
「あなたは、彼とは……?」
「今は、一応保護者ですね。知り合いの子どもと一緒に面倒を押し付けられました」
苦笑をして説明をすると、男は思いのほか真剣な眼差しを向けてきた。
「祭りを見るために、保護者役を買って出られた?」
「みたいなものです」
ならば、と男は軽く息をついた。
「以後はもっと気をつけて」
このような夜に、子どもを一人で歩かせるようなことを言っていることは、すぐに察せられた。だからダグラスはすぐにうなずいた。
「ええ。後悔しています。本当に、見つかってよかった」
男の目の色が少し柔らかくなる。
「私にも子どもがいました。ちょうどあの子くらいの年齢で……」
男は、こちらに戻ってこようとするジャックを見た。
「女の子でしたがね」
おどけるように言って、少し口をつぐむ。
「あんな感じの赤毛でした」
ダグラスは口を開きかけて、何も言葉が出ず、少しばかり逡巡した後に視線を下に向けた。
同時に、下手に言い訳をしなかった自分を褒める。すべてを語らずとも、その口ぶりから子どもを失ったことは判る。そういった相手に何を言い訳できるというのだろう。
「……祭りは初めてですか?」
ふっと表情をあらためて、男は訊ねてきた。
「ええ。こちらの街へは八年ほど前に来たので」
「ならば、この祭りでの混雑はご存知なかったのでしょう。きっと彼自身もすぐに戻ってこられると思っていたのでしょうし」
「いえ、それでもやはり、私の責任です」
ダグラスは首を横に振る。
もしこのままジャックが何らかの事故に巻き込まれてしまっていたら、彼の両親に何と言ったらいいのか。それを考えると背筋が凍る。
「次に同じような場面があったら気をつけたらよいのです。今は、無事に保護者のかたと出会えたことの幸運を喜びましょう」
男は話を打ち切るように言って、こちらにやってくるジャックを見た。
彼が椅子に腰を下ろすのを待って、男は口を開いた。
「あなたたちは、この祭りの意味を知っていますか?」
「意味、ですか?」
ダグラスは、ジャックと顔を見合わせた。
「祈りの子どもを選ぶ、って」
ジャックは呟くように言う。言うが、そのことの意味までは考えたことはない。
「そう。十二年に一度の大祭、と呼ばれていますが、私たちにとっては、公園広場に集まって、子どもの中から十二人を祈りの子どもとして選ぶ、それだけです。神殿側では、もっといろんな祭事が執り行われていますが、公開はされていませんしね」
男はジャックの方を見た。
「ジャックくん。さっき君に渡したお守りを出してくれるかい?」
「あ、はい」
「……何か貰ったのか?」
言われて服の下から何かをごそごそと取り出そうとしている少年に訊くと、彼は肯く。
取り出されたのは、ジェインに渡したものと似たようなデザインのペンダント。
それを首からも外そうとするのを男は留める。
「そのままでいいよ」
そして、いつの間に取り出したのか、またもや似たようなデザインのものを取り出した。
「あの、これは……?」
「こちらは、神殿のシンボルです」
男が指したのは自身が取り出したものだ。よくよく見れば、丸い何かが彫られた金属の板にはめられているのは、透明な石だ。ジャックが首からさげているのは、ジェインと同じ緑色の石。
「え? でも神殿のマークは違いますよね?」
ダグラスは自分の記憶をひっくり返しながら言う。世界各国にある神殿は、統一のマークを掲げている。円に星を重ねたようなものだ。
「ええ。あちらは表向きの、と私は解釈しています」
男はにっこりと笑う。が、ダグラスはこのままこの場で話し続けて良い内容なのかと緊張する。
「大丈夫です。そんなに隠されたことではありません。これは、祈りの子どもに選ばれた子が、神殿から渡されるものの複製なのです」
なら。と、ダグラスはジャックが手に持っているほうを見る。これは何だ?
「この大祭の意味は、健康な子どもを十二人選ぶことです。こちらのペンダントはその目印です」
「目印?」
「ええ。私は、あまり良いものではない、と考えています」
目の前にいる男は、あくまでもにこやかな笑みをたたえている。まるで、他愛の無い世間話でもしているような雰囲気だ。だが、実際にしている内容は、こんな誰が聞き耳をたてているか判らないような場所でしていい話とは思えない。
ダグラスのその気持ちを察したのか、男はくすりと笑った。
「大丈夫です。この回りに座っているのは、みんな知った人間です。私たちの声は、その向こうには届いていません」
この回り、と言われ、ダグラスは辺りを見回した。無造作に置かれた椅子に座っているのは、老若男女取り揃えられていて、不自然さは無い。
だが、それならそうと早く言って欲しい、という気持ちもあった。
男はそれも察したのか、申し訳ない、と続けた。
「時間が余り無いので」
言われて、ダグラスは腕の時計に目を走らせた。あと一時間ほどもすれば日が変わる。
「ええ。儀式まであと一時間です。その間に、神官たちは目星をつけた子どもたちにこのペンダントを渡します。……本来なら、公園広場で行われますが、今回は何かがあったようで、公園広場には人は殆ど残っていないようですから」
男はそこで言葉を切り、ジャックにペンダントをしまうように言い、自分が持っているものも懐にしまった。
「よく判らないのですが、爆発があったようですね? そんな状態なら、祭り自体が中止になるのでは?」
男の口ぶりでは、祭りは執り行われるらしいが、このような状態になってまで続けることができるのか、疑問だった。
「祭りに意味がないのであれば、中止にしても問題はありません。ですが、意味があります。……申し訳ない。今、神官の一人が近づいてきています。説明だけ先にさせてください」
男は、にこやかな顔つきは崩さず、早口になる。
「この大祭で選ばれた子どもたちには、あのペンダントで印がつけられます。ペンダントそのものは、二年ほどすると壊れてしまうものですが、その間、子どもたちは生気を吸い取られます」
ダグラスは目を見開く。男は小さく肯いて続けた。
「それは、ほんの僅かなもので、子どもたちの生活には大きく影響しません。また、ペンダントが壊れてからは何事もなく暮らせるようです。私たちは、別の地の大祭からそう結論付けました」
「何故、判ったと…?」
子どもたちの生活に大きく影響しないのなら、不思議に思うわけがない。
男は大きく肯いた。
「あのペンダントを持っていると、ほんの少し良いことが起き易くなります。……そうですね。籤に当たり易くなったり、欲しいと思っていたものが手に入っいたり。ほんの僅かなことなので、注意していないと気付きません。が、後で振り返るとなんとなく良かったと思える程度には、良くなっています。だから、そういったウワサを知っている人は、病弱なわが子に、と健康な子どもを代役に立てることがあります」
「……その子どもが、体調を崩すことが多い、と」
「………ええ」
男は少しの間の後、強い口調で肯定した。それから、話を続ける。
「ペンダントを渡される時には他の人には渡さないようにと、しっかりと言われますが…」
ダグラスは、神官は今どのあたりにいるのかが気になった。
「大丈夫です。今、そこの角を曲がったようです。まだ時間はあります」
男はにこりと笑った。どうやら、なんらかの方法で連絡を受けているらしい。
「ここからが本題です。……ジャックくんには、そのペンダントを受け取っていただきたいのですそして、それを私に譲っていただきたいのです」
「何のために?」
「不幸な子どもを減らすために」
「失礼ですが、もしやお子さんは……」
「ええ」
ジャックは目を見開いた。男はそれを少し哀し気な目でみつめ、どうですか、と返事を促した。
彼は、ダグラスを見た。もともと、祈りの子どもなどに選ばれようとは思ってもいなかったから、ペンダントを渡すくらいはどうでもいい話だ。だが、男の話を信用して良いのか、と不安になった。
「自分で決めろ。大丈夫だ、その結論を俺は応援する」
ダグラスは、不安そうな眼差しの少年の背中をポンと叩く。
「なんだよ、他人事かよ、おっさんは」
決められないから意見を訊きたかったんじゃないか、とジャックは唇を尖らす。
「他人事だよ。残念ながらね。でも、それはそうだろう? ここで意見が言えるほど、俺だって判っちゃいないんだからさ」
つまり、ダグラス自身にも、男の言葉を信じて良いのか判らない、ということだ。
ジャックは素直に直感を信じることにした。
不安なのは、男に対しての情報が無いからだ。同じことをダグラスが言ったのなら、信じるだろう。それは、ダグラスがそういったことで嘘を言うような人間では無いと知っているからだ。
ならば、ダグラスよりも長い時間一緒にいる自分が判断するしかない。
「判りました」
じっと男の目を見て返事をすると、男は安堵したように表情を緩めた。
「ありがとう。では、後で」
男が礼を言うのと、隣の席の二人が立つのは同時だった。さりげなくそちらに目を向けると、神官が一人こちらに向かってきているのが見えた。
「この場は、私が払っておきますよ。ジャックを助けてくれた礼です」
ダグラスは、途中の話などなかったかのように、朗らかに言った。
「いえ、そんな。困った時はお互いさまですよ」
それに対する男の態度も同じものだ。
「でも、もう気をつけてくださいね。ジャックくんも」
「うん」
元気に肯くジャックに手を振って男が去っていく。
そして、それと入れ替わるように神官はやって来たのだった。