12
どれくらい経った頃だろうか、ドアが開いたので彼は、読みかけのディルの日記を閉じてそちらに視線を向けた。廊下に腰を下ろした状態のまま見上げた先には、一歩だけ部屋から出た後輩がいて、目が合う。彼女は目を丸くして、そのまま動きを止めていた。
「どうかしましたか?」
中からジェインの声が聞こえてきて、再び動き始めるまでの数秒、彼女はただただあきれたようにダグラスを見ていた。
「何でもないわ。じゃあまたね」
まるで、そこに彼がいることを気付かれたくないかのように急いでドアを閉める。笑顔を貼り付けたまま、彼女は、ダグラスの片腕をつかんだ。
「ちょっと来てください」
体をかがめて、ダグラスの耳元でささやくように、けれど有無を言わさぬ調子で言う。
「え?」
とっさに意味が判らなくて聞き返すのを無視して、彼女は部屋の入り口が見える廊下の端までずんずんと引っ張っていった。
「……なんで、話のきこえる距離にいるんですか」
険しい表情で彼女は言う。
それならば、室内にいてくれたほうがマシだったと、付け加えて。
「いや、聞こえなかったし」
パティの怒りが何によるものか見当もつかず、ダグラスはとりあえず説明を試みる。
「そういう問題じゃありません。私とあの子はなんのために二人っきりで部屋にこもったのか、理解しているのか、って訊いているんです」
「や、だから」
「もし、あの子があんなところに座っているあなたを見たら、どう思うと考えてるんですか」
もし、ジェインが見たら。
そう言われてようやく思い至った。
女性同士二人っきりの方が話し易いだろうとわざわざ手配して、声が聞こえるかもしれない距離で待っている男…。
「先輩って、むっつりすけべだったんですね」
言葉を無くしたダグラスにパティは容赦ない。
「え、だから」
「女の子の信用を壊さないでください。この先の二年、一緒に過ごすんですから」
「……すまない」
ようやくダグラスは謝った。
「考えが足りなかった」
パティもようやく表情を緩めた。
「判ればいいんです」
どこか上から目線な態度と言葉でそう答えて、パティは少しだけ苦笑した。
「……あの子、いい子ですね」
「……ああ」
ダグラスは肯いて、日記を持つ右手に少しだけ力を込めた。
日記は、六年前から書かれていた。毎日ではなく、特定のことに特化して、何かが判った場合のみ書かれているようだった。とはいえ、その量はなかなかの分量で、まだ三分の一も読み進められてはいない。
だが、何について書かれているのかは、数ページ読めば理解できた。
「驚きました。彼女の荷物は、ほぼ完璧です」
パティは驚いたというよりいぶかしんでいるようだった。
だが、ダグラスは、そうだろうな、と思った。
その様子を注意深く見ていた彼女は、眉根を寄せる。
「もし、手に負えないと思ったら、連絡をください。力になります」
ダグラスは肯く。
「ありがとう」
気持ちだけでも嬉しい言葉に礼を言う。本当に助けを呼ぶかどうかは判らないが。
ダグラスの表情を見ていた彼女は小さく首を左右に振った。
それからおもむろに腕の時計を見た。
「……先輩? ジャックくん、遅すぎませんか?」
「……そうだな」
出かけてからもうそろそろ一時間にもなろうとしている。
マックスの排泄に出ただけのはずなのに、一時間以上もかかっている。
いくら人ご込みの中に出ていったとはいえ、遅すぎる。こんな時にゆっくりのんびりはできないし、するような性格もしていない。
「ちょっと探してくる。パティは部屋に戻って、ジェインといてくれないか」
言うと彼女は返事をして、すぐに部屋へと向かっていった。