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水晶魚【すいしょううお】  作者: 今西薫
【第1章】
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 それから、と言って、アリシアは部屋の隅に行き、自分の荷物をごそごそと漁ってからジェインの前に戻ってきた。小さな紙の箱を持っている。

 くすんだ赤い色の箱は、戻ってきたアリシアの手によって、ジェインの右手に乗せられた。

 見上げて問うと、少し緊張したような面持ちの彼女は「博士へ渡して欲しい」と言った。

 ジェインは混乱する。

 アリシアも祖父を探すのではないか? と。

 それは、急に現実が押し迫ってきたように感じられたことでもあった。

 今朝まではごく普通の日常と同じだった。それがいきなり違うものになった。起こったことが現実ではなかったなどとは思っていない。ただ、自分は巻き込まれるまま流されるままで、今までは考える余地がなかったのだ。

 先ほどのアリシアとの会話の時も、それは変わらなかった。

 おそらく説明をしてくれるだろうダグラスはその場にはいなかったし、すぐにでも出発という雰囲気でもなかった。

 だから、なんとなく、まだ先だと思っていた。まだ先のことだと思って、自分で自分を落ち着かせていた。

 でも、違うと、そうではないと、目の前の女は言っている。情け容赦なく、これから行わなければならないことを、突きつけてくる。

 ジェインにはそんなふうにも感じられていた。

 押し寄せてくる不安から、助けを求めるようにダグラスを見つめると、彼は小さく肯き、口を開いた。

「おそらく保険だろう」

 保険。心の中で呟きながらアリシアに視線を戻すと、彼女も肯いた。

「急を要することだ。私も早く見つけるように努力するが」

 ジェインは、うつむいて手のひらの箱を見つめた。

 肯けば、始まってしまう、と思った。

 思ってから、それは違うと気づく。

 もう、始まっているのだ。

 知らず、服の下のペンダントを握った。

 握って、一度ぎゅっと目を瞑ってから開いた瞳で、ダグラスを見た。

「ダグラスさん。一緒におじいちゃんを探して貰えますか?」

 見つめた先の男はわずかに目を見開いた。

 やっぱり、とジェインは思う。そして言葉を探す。

「私一人ではおじいちゃんを探すのも、逃げるのも無理だから」

 お願いします。と続ける。

「うん、そのつもりだよ。ジェイン。一緒に行こう」

 ダグラスは柔らかく微笑む。それに笑みを返して、一旦手の上の箱を見てからアリシアの方をへ視線を移す。

「これ、絶対におじいちゃんに渡します」

「ああ」

 アリシアがほっとしたように肯いた。


  


 目の端にぐっと歯を食いしばっている赤毛の少年の姿が映る。それはダグラスをいたたまれない気持ちにさせた。 

 この場で会話に参加できない存在であることを、彼自身、誰よりも判っている。そして、誰よりも参加したいのだ。

 ダグラスは気づかれないようにそっと息を吐いた。

 連れては行けないことは、判りきっていることだ。

 でも……と、連れて行くためのる理由を探す自分に、心の中で苦笑する。

 ジャック側の理由を横に置いても、自分に荷が勝ちすぎるのだ。

 それに加え、疑問は増すばかりだ。

 アリシアは、二~三日間はここで過ごしてから、ディルを探しに行くなり逃げるなりしろと言う。あの家に戻ることと、アリシアと一緒にいることが問題なのだから、別行動をとれば問題ないと言う。だが、ダグラスにはそれはいまひとつ信じられない話だった。

 アリシアの話が本当なら、あの男達はあの家からではジェインを特定できない、という話になる。そしてアリシアと一緒にいない限り、特定されない、という話になる。

 そんなバカな、と思う。

 隣の家まで随分離れているとはいえ、完全に孤立して生活しているわけではない。ジェインは学校にも行っている。写真だってどこかにあるだろう。

 家を捨てて逃げなければならないほど切羽詰まっているこの状況で、こんなに暢気に長時間同じ部屋に一緒にいることは、危険ではないのか? と、思わずにはいられない。いくら、この宿には三人と一匹しま泊まっていないことになっていても、だ。

 アリシアは、大嘘をついているわけではないのだろう。が、ところどころ発言に矛盾があるのが気にかかる。

 気にかかるのはジェインもだ。

 ダグラスはサンドウィッチに手を伸ばしながら、先ほどの会話を反芻する。

 ――ダグラスさん。一緒におじいちゃんを探して貰えますか?

 このセリフは、ダグラスではなくジェイン自身が隠れなければならない身であると、知っているからではないのか?

 状況が状況だから、自分のせいだと彼女が思ってしまう可能性もあるだろう。だがそれなら、何故もっとためらわない? 彼女の性格なら、自分に助けを求めることに躊躇するはずだ。……少なくとも、今朝までのジェインなら。

 どこかおかしい、そう思わずにはいられなかった。

 


「ジェイン」

 サンドウィッチを食べ終わり、お茶に手を伸ばしながら腕時計に目を走らせる。そろそろ約束をした時間だ。気持ちを切り替えて、しなければならないことを、実行することにする。

「はい」

 ジェインはまっすぐな瞳を向けてくる。

「いまさらの話だけれど、しばらくあの家には帰れないことは判っているね?」

 少しだけ不思議そうな顔をして、少女は肯く。

「彼女が言うには二年だそうだ。その間の、準備が必要だろう?」

「準備なら…」

 ジェインはチラリと自分の荷物に目を走らせる。

 それに小さく肯いて。

「でも、二年分じゃないだろう? だから、旅慣れている知り合いに、どういった準備をしたらいいか話を聞こうと思うんだ。俺も詳しくはないからね」

「あ、はい」

 少し納得したように肯く。

「昔、勤めていたときの後輩なんだが、若い女性だから話しやすいと思う。いろいろ訊いて、必要なものがあったら、この数日の間に揃えよう」

「はい」

 ようやく理解できたというようにしっかりと肯いた。

「いつ頃になる?」

 訊いてきたのはアリシアだった。

「そろそろだと思うが」

「なら、そろそろ出ることにしよう」

 祭りの最高潮は午前〇時頃だが、既に街は人出で賑わっている。これからどんどん増えていく今の時間に出かけるのは得策だろう。

「遅くとも二~三日したら、俺達も出る。とりあえず、被らない方向へ向かうつもりだが、どう行けばいい?」

 問うと、アリシアは少し考えるように唇を閉じた。

 答える気があるのか、無いのか。ダグラスは、彼女の様子を窺う。

「西へ」

 簡潔な返事に、目で問う。

「私は西へ向かう予定だ。それ以上は伝えられない」

「判った」

 立ち上がり、右手を差し出す。一瞬いぶかしむようにその手を見てから彼女も自分の右手を出した。

 互いに軽く握りあってから、ダグラスが「ありがとう」と伝えると、彼女の瞳に迷いが浮かんだように見えた。

 それを見なかったふりをして、再度腕の時計を確認すると、「あの」と声をかけ、ジェインが慌てて彼女に寄った。

「私からも。……ありがとうございました」

「いや……」

 首を横に振り、わずかに辛そうに瞳を揺らす。

 ジェインもそれに気づいたのか、少し表情を曇らせた。

 それを振り切るように背を向けて壁際の自分の荷物をとると、左肩に引っ掛ける。

「無事を祈る」

 ドアを閉める直前に、そんな言葉がようやく聞こえた。


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