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双子の狼 Ⅰ  作者: ヨウカズ
第二章・狼の双子、親を失う。
6/9

6・後悔と、雪崩と。

『ボクは嘘つきじゃない、ボクは嘘つきじゃない、

 ボクは嘘つきじゃない、ボクは嘘つきじゃ―』


ガクッ、


「―あっ」


ズサササーッ!

片足がつまづき、廊下で転んでしまった。

震える手で上半身を起こすと、自分の顔に触れてみた。

傷一つなく、血も流れていない。


「痛い…のに、なんで…血、出ないんだろう…。

 ボクら…双子なのに。 同じなのに…」


『ボク、何で嘘ついたんだろう…。 ボクが怒られるだけなのに…』


気が付けば、血の代わりに透明な涙が流れた。 ―真実を言うべきだった。―


『冬紀くんも氷也も、自分のやっちゃった事と

 ちゃんと向き合って自分の中のそれを直すべきだったんだ…』


「でも…ボクは、もう…嘘ついちゃった。 だったら…突き通すしか― ハッ。」


カツン、コツン、カツン、コツン…

廊下のどこから響いてくるのかわからないが、

誰かが自分のもとに近づいている…それだけはわかった。

氷介は再び廊下の冷たい床に手をついて、

耳を隠していた髪の毛をどけ、音をしっかり聞こうとする。

だが、よくわからない。

音が何重にもなって響き、前からも後ろからも、誰かが来ているように思えた。


『な…なに? 誰…? か―、監督?? 怖いよ、怖いよ…』


カツン、コツン、カツン、コツン…。 足音は大きくなり、止まった。

氷介は顔を地面に伏せたまま、震えている。 その足音は、一言、こう言った。


「氷介…??」 「―!! おっ―、お母さああああぁぁぁぁあああん!!!」


氷介は自分の安心できるヒトのもとへ飛び付くと、こらえきれずにわんわん泣いた。


「ど、どうしたの??」

「ごめんなさい、ごめんなさい!

 ボク…嘘ついちゃったんだ…。

 ボク悪い子なんだ! ごめんなさい、ごめんなさぁーい!」


氷介はただ自分を責め続け、誤り続けた。




車の後部座席でひとり、氷介は眼を赤くしてうつむいている。


「…氷介、自分がやったって、嘘ついちゃったんだよな?」

「……違うよ…ボクが、やったんだもん…。」

「あら? さっき泣いてたときは、嘘ついたーって、泣いてたじゃない?」

「……。」


氷介はズボンの裾をぎゅっと握る。 何も答えようともしない。


「…なあ氷介、誰かをかばうってのは、とっても勇気がいることなんだ。

 自分だけが怒られるかもしれないし、

 かばわれた方は恩なんて感じないかもしれない。」

「…。」

「でも、その誰かを守ることはできる。 そうだよな?」


氷介の脳裏に真っ先に氷也の顔が浮かび、

その後に冬紀と、名前も知らぬふたりの顔が浮かんだ。


「…うん…。」

「……けどな?

 かばわれた方は、そのまま自分の間違いに気づけないままになっちゃうんだ。

 それが間違いとわからずに、そのまま大きくなったら、…可哀想だろ?」


氷介は想像してみた。

中学生になった ―なれるかどうかは今は別として― 自分たちを。

冬紀と氷也が、さっきのようにケンカをしている。

暴れ、物を壊し、泣きながら暴行をやめない、自分の弟の姿。

最終的に、誰にもかまってもらえず、それが暴力につながり、孤立していく…。

氷也は今でも力が強いから、成長したら、もっと強くなるだろう。

それに引き換え、自分は身体が丈夫とは言えない。

もし追い詰められ、もし生きることが嫌になった氷也を……


 ……ボクの力なんかで、止められるのかなあ?


「―!! 嫌だァッ!!!!!」


車は、一台ぽつんと走っていた道路の真ん中で、停止した。


「嫌だ…氷也…、氷也ぁ…」


雪江は小声で、柚彦に耳打ちする。


「氷介はまだ6歳よ? 可哀想の意味を、まだよくわかってないのよ!

 それで、ちょっと想像しすぎちゃったみたいね…。」

「ああ…、悪かった。

 氷介は物分かりがよくて頭もいいから、つい…、

 まだ6歳だってことを忘れちゃうんだよなぁ…。」


ふたりも一瞬忘れていた。 氷介と氷也は獣 ―狼の耳を持つことを。

そして、陸上哺乳類の中でも、狼は最も聴覚に優れた部類であることを。

バァン!

氷介は窓ガラスを力一杯叩いた。 氷也だったら割れてたかもしれない。


「早く走って! 何で止まるの走って! そしたら車の音で聞こえないよ!」


車は止まったばかりのエンジンを起動させて、またぽつんと一台走り出す。


「…氷介。」 「ボクに何も言わないで! 大声出したりして…ごめんなさい…。」


柚彦は片手で頭をかいた。


『うーん……だれだって、最初は間違えていいんだ。 そこから学んで行くんだ。

って意味だったんだが…。 やっぱり、難しすぎたか…』




カンカンカンカンカンカンカン…。

氷介は、受付で部屋番号を教えてもらっている両親を置いて行って、

盗み聞きした部屋番号をもとに、階段をフルスピードで駆けあがっていた。

途中で氷介の純白の髪や耳を見てギョッとするヒトもいたが、

そんなものは目に入っていない。

そして、203と書かれた部屋の戸をガラガラッと開け放った。


「氷也!」


そこには、ベッドの上で横になっている、弟がいた。

頭には包帯がぐるぐるに巻かれ、左目には眼帯、

所々にシップや絆創膏が貼られているが、本人は意外にも元気そうだ。

氷介は泣きながら ―うれし泣きだろうが― ベッドに駆け寄る。

さっきまで暗い気持ちだったのが嘘のようだ。 今はすっかり笑顔である。


「よー、にいちゃん。 笑えなくてごめんな。 顔、動かし過ぎると痛ェんだ。」

「へーきへーき! でも、手は握ってもいいよね?」

「…はぁ、好きにしろ。」 「ふふっ、ありがとー」


氷介は氷也の手を握ると、そばにあった椅子に腰を落ち着けた。

ガラガラッ。


「あっ。 こらー氷介! 勝手に走ってっちゃダメでしょー!」 「氷也。 元気かー?」

「父ちゃん、母ちゃん!」 「うっわー、凄い包帯の量ねー。 ―!! その眼は大丈夫なの?!」

「うん。 まぶたが切れてたけど、大丈夫だってよ。」

「そうかー、よかったよかった。 最初見たとき、心臓が止まるかと思ったぞ。」


とたんに氷介と氷也は、不安そうな顔になった。 

互いに繋いだ手を、ぎゅっと強く握った。


「お父さん、」 「母ちゃん。」 「ん? なぁに??」


不安げに、手は痛いくらいに握られる。


「……俺たちのこと、ちゃんと守れよな!」

「ボクらを置いて、どこか行っちゃったりなんか、しないよね!?」

「―!!」


『…氷介…氷也…。

 この子たちは、大人になった時…世界に受け入れてもらえるのかしら?

 …………ううん。 ふたりとも、わたしの大切な可愛い双子。』


「ああ。 ちゃんと守るから、そんな不安な顔すんな。 な?」


柚彦はふたりの頭を、くしゃくしゃになでた。


「…。 そうよ、お父さんの言うとうりよ? どこにも行かないわ。」


ふたりの顔は、ぱあっと向日葵のように明るくなった。


「本当?」 「約束してくれる??」 「ええ、約束!」


『誰が何と言おうと、絶対この子たちを守ってみせる…。

 以前のわたしと今のわたしは違う…今は…なんでもない、ただの母親よ!』


「あのー、息吹、さん?」 「へ? あ、はい!」 「あのー、院長が相談があるそうです…」


入ってきた看護婦は、氷介と氷也を見るなり「失礼しました。」と退室して行った。


「何でしょうね?」 「うん…。 ちょっと行って来るな?」

「えっ。 そん―」 「あ、そうだ氷介!」


柚彦は、氷介と氷也の繋いだ手を優しく握った。


「大切なヒトの手は、絶対に、何があっても、離しちゃダメだぞ。」

「……父さんは、この後離すじゃんか。」

「はははっ! よーしよし、戻ってきたら、また握ってやるさ。」




「入院できないって…どういうことですか?!」

「あの子の頭の骨には、ヒビが入ってるんでしょう?!」


院長に別室へと呼び出されたふたりは、激怒していた。


「ですから、ギプスで固定しておけば、自然にふさがりますし…」


バン! 柚彦が机を拳で叩いた。


「それは何度も聞きました。

 わたしは、何故氷也が入院できないのかを聞いてるんです!」

「そうです! わたしたちに、わかるように説明してもらえますか?!」

「いや~、そ、それはですねー…」


院長は冷や汗をかきながら視線をそらして説明を始めた。


「その…他の患者さんやお客様から、苦情が出ていまして…」

「苦情?! と、言うのは?」

「子連れの方からは、『この病院は動物病院なのか』、と…

 足を折られた男性の方からは、『気味が悪いから出て行かせろ』、と…

 打撲した男の子からは、『ノミが入って治りが遅くなる』、と… 夫人の方からは―」


バン!


「もういいです! あなたは、わたしたちの子供を差別するんですね?! まあ酷い!」

「こっちだって院長としての首がかかってるんですよ!

 あなた方には申し訳ないですけどね、

狼みたいな子供ひとりのせいで客が来なくなったら、経済面が危ぶまれるんですよ!」


とうとう、ふたりも限界だった。


「もうたくさんだ! 髪の色が違う、耳の形が違う!

 それだけで治療してもらえないような病院には、親として入院させたくないですね!」

「入院? とぼけた事言ってるんじゃないですよ! とっとと子供を連れて帰って下さい!」




ガラガラッ。


「あ、やっと戻って来てくれたー!」

「しりとりしてまってたんだぞー! で、何の話だったんだ?」

「氷也…。 あなたね、頭の骨にヒビがあるの。」 「…え?」

「でもね、お母さんここの病院じゃなくて、

 他の病院で診てもらおうと思ってるの。 …いい?」

「い、いいけど…。」


雪江は力なく、にっこり笑った。 つらそうに、悲しそうに…


「あー、よかった♪ じゃあ、今から行くわよー。

 氷介、氷也と一緒に歩いてあげて。」

「う、うん。」


『あれ? なんか…ふたりとも、変?』


「お父さーん、行かないのー?」

「え? あ、ああ。 ごめんな。 よし、行こう行こう!」


柚彦は、そう言って氷也をベッドから起こした。


「氷也、歩ける?」 「おう。 でも、早く歩くなよ。」 「わかってるって♪」




再び車は低いエンジン音を響かせて、走り出した。


「雪江、いくツテはあるのかい?」

「あら、忘れたの? わたしたちが人工授精してもらったヒトよ。

 ほら、この名刺に住所も書いてあるし。」


雪絵が柚彦に古い名刺を見せる。


「でー、あ! 違う違う右右!」 「うぉぉおっ?! っと。 ふー、危ない危ない。」

「ねえねえ母さん。 その病院、ヒト、いーーーっぱい、いる?」

「ううん。 たぶん、お医者様はひとりしかいないわ。

 それに小屋みたいなとこだから、病院って知ってるヒトはあんまりいないわよ。

 どうして?」

「病院って、ヒトがたくさんいるんだと思ってたから…」

「ふふっ。 そうじゃないとこもあーるーの。」

「じゃあさ、その医者の先生は、どんなヒトなんだ?」


眼帯をいじりながら、氷也が言う。


「うーん…わたしとお父さんが会ったときは、すっごく若かったわよー。」

「へぇー、何歳ぐらい?」

「んー、そうねえ…。 …あら?」

 

ゴゴゴ…ゴゴ…。 地面がゆっくりと揺れ始め、異変に気づいた氷介が口をはさんだ。


「おかあさん、これ…なあに? 地面がゆれてるよ…」

「ええ。 この槍ヶ岳ではめったにないのに… ―地震??」




雪の積もった崖の上で立つ、震える少年の姿があった。

見るからにサイズのあっていない大きな赤いコートに身を包み、

一台の車を見下ろしている。

ルーテだ。


「もう兄さんには任せておけないよ……僕が最初っから、こうすればよかったんだ。

 いちいちもうめんどくさいよ…。 あの双子も、母親も―、 消し去ってしまおう。」


ルーテは両手の中から、光球を作りだしていく。

恐ろしくも思える、中世的な笑みを浮かべている。


「クスッ。 巻き添え喰らう方は悪いけど―」


車の中で、夫らしい人は笑っていた。


「白虎くーん、フェンリルくーん、竜王くーん。

 僕の偉大な魔法に、力を貸してくれないかぁーい? あの人たちを…殺すために、ね?」


ゴオオオォォ…!

雪は恐ろしい唸り声を上げ、三体の神獣が、そこに姿を現した。

ルーテは白虎の首を優しくかく。


「よぉーしよーし。 さて…」


ルーテは光球につつまれた右手を、車に向ける。

それと共に、神獣たちの身体も光りだし ―カァッ!

突然ルーテの身体が鈍い光に包まれ、長い銀の髪は吹雪に揺れる。


「―このくらいで死ぬかな?」


ゴゴゴゴゴゴ…ズバァアァーーッ!!


大地は大きく揺れ動き、縦揺れの地震が崖全体を襲う。

ルーテは雪崩が多発する眼下をバックに、神獣たちに振り向く。


「ありがとう、皆。 あとは僕だけで大丈夫。 はい、報酬のお肉だよー♪」


そう言って、ルーテは空中から肉の入った袋を三体に渡す。

三体は満足したように、吹雪の中へ消えて行った。

ルーテはそれを見届けると、再び眼下を見下ろした。


「フフフフフ…さようなら、バケモノさんたち。」


激しい揺れで雪が滝の如く、一台の車に降りかかった。




バァアッ―。


雪が崩れて、崖を大河のように流れていく。

その大きな白い影を見て、雪江と柚彦は驚愕した。


「きゃあーっ! あなた! 雪崩よ!」


幼い双子はまだ、雪崩を知らなかった。

ふたりはその影を見ても、ぽかんと見上げているだけだ。 氷也が小声で切り出した。


「氷介…なんだ、あれ。」 「わかんない…」


『なんか…白くて大きな………鳥みたいだね~。』


驚愕する両親をよそに、ふたりはとても落ち着いている。

雪崩の恐ろしさを知らないのだ。


「こ、こりゃあ大きい…! おいふたりとも! しっかりつかまってろよ!」

「えっ? どうして―」


キキィイイーーーッ! ヴゥーーン―


氷介の返事を聞かないまま、車は猛スピードで雪道を走りだした。

タイヤのチェーンがガチャガチャとうるさい。

車の後ろ座席で、双子が戸や前席に頭をぶつける。


「いてっ!」 「うあっ! ちょっ、とうさん! どうしたの!?」


雪はどんどんスピードを上げて振りかかる。

雪江は席にしがみつきながら、窓越しに大きな雪崩を見た。


「もうこんなに近くに―! あなたっ! もっとスピードを上げてえっ!」

「無理だ! これが限界― あっ…。」


キィイィイーーーッ!

車が高い音を立てながら急停止する。

双子は腹が鞭で打たれたように吐感がしたが、シートベルトに命拾いした。


「ぐえっ!」 「ふぁっ?」 「ちょっとあなた! 何止まってるのよ! 早く―」

「いや…もう進めない。」 「え…?」


車から2,3mもしないで、道は途切れていた。

縦揺れの激しい地震のせいで、もろい部分が崩れたのだ。

小さな石ころが、パラパラと音を立てて落ちていく。


「そんな―…どうすればいいの…?」 「…。」


柚彦と雪江は窓の外を見てみた。

崖の頂上からここまでかなり離れているのが幸いだが、

雪崩は相変わらずスピードを増す。


『後ろはもう雪で埋まってるし…前は地面が崩れていてわたれない…』

『わたし…一体どうしたら―』


「おかあさん?」 「とーちゃん?」


氷介と氷也が身を乗り出して、暗い二人の顔を覗き込んだ。

ただそれだけだった。 それだけだったのに―。

ふたりの表情が、一瞬無になった。


「氷介…氷也…」


雪江はなにも言葉を発さない。


『…ダメね、わたし。 自分の子供が目の前にいるのに。

 夫とあなたたちと、一緒に死のうなんて考えちゃってた。

 ―バカね。 わたし、あなたたちの…』


雪江の顔は、微笑みを取り戻した。 同時に柚彦へ顔を向ける。

自分の夫はぽかんとした顔をしている。


「ゆ、きえ…?」 「あなた、…わたし、最後に本当の自分に戻るわ。」

「ええっ!? だ、ダメだ! だって、そんな事をしたら君が―!!」 「…?」


氷介たちには雪江の背中で見えなかったが、

柚彦の先の言葉は、雪江の口で止められていた。


「…―っ!」 「大丈夫よ。 あなたがいるもの。 だからこの子たちは生きていける。」


氷介と氷也には、自分の母が何を言ってるのかわからない。

雪崩は車まであと15m。 雪江はふたりに向きあい、抱き上げた。


「わっ。 えっ?」 「お、おいかあちゃ…」

「ふたりとも…お母さんにしっかりつかまってなさい!」


雪絵の眼には強い意志が宿っていた。 彼女は昔の彼女とは違う。 強い、母だ。


「雪江…。 僕が代わりになるから、お前がこのふたりを―」

「まだそんなこと言ってるの!? 時間が無いのよ!

 それに…あなたには、無理。 わかってるくせに…」


雪江の頬に雫が伝う。 雪崩は車まであと10m。 ついにふたりにもよく見えた。


「―っう!?」


『鳥じゃ、ない。』 『雪だ…!』


ふたりは今になって、自分たちに生死がかかっていることに気付いた。


「お、かあさあぁあぁん!!」 「わあぁあぁぁあーーっ!!」

「大丈夫よ…。 わたしはあなたたちの…お母さんですもの。」


雪崩は車まであと5m。 双子は涙を流し始める。


『いやだ…死にたくない…死にたくないよぉ…』

『病院行くんだろ? 何で死ぬんだよぉおお!』


「雪江…僕には、できることは、ないのかい…?」


雪江はその問いかけに悲しそうな顔をして、首を一回、縦に動かした。


「でも、わたし―」


雪崩は車まであと、0m。


―ドバァアアアアッ!!


大量の雪が小さな車に襲いかかり、圧力に任せて窓を破る。

双子の泣き叫ぶ、悲しい叫び声と、雪の暴れる音だけの世界―。


『わたし…。 今よ!』


―カアッ!


双子には目がくらんで、何が起こってるのか分からなかった。


「―!? あ、あなたっ! ダメよ―」

「でも―君をひとりで死なせられない!」 「――…、」


『…本っ当、バカな夫。 自分の子より、わたしなんかを―』


―…ボクはそのとき、聞いたんだ。

 それは、とてもかすかな声で、本当にそう言ったか、わからなかったけど…。―


「わたし………あなたと一緒になって、なんにも間違ってなかった。」


―ズバァアァァアアァアアアアッ ヒュッ― ガシャアァアーン―



―夜…。

さく、さく、さく…

ルーテが雪をブーツで踏むたび、軽い音が響き渡る。

そして雪崩がおさまったあの場所に降り立ち、

自分の身が落ちないように、崖の下を覗き込む。


「うっ!?」


途端にルーテは顔をしかめて、眼下の粉々になった車から目を離した。

雪の間からは、固く手が繋がれた、女性と男性の腕が見える。

どちらも、赤く染まっていたが。


「うえぇ…木端微塵だな。

 魔女が死ぬとき、周りにいたものはすべて枯れ死ぬ…

 【狼の双子】も、例外じゃあない。

 にいさんが直接殺さなかった理由が、わかった気がするね。

 自分の命は惜しいもの。」


ルーテは立ち上がると、大空へ飛び立った。

その顔は穏やかで、どこか何かを期待しているようにも見えた。


「兄さん…。 これで、少しはきっと―」




早朝―。


黒髪の少年が昨日のあの事故を知らずに、

陽気に歌いながら、あの槍ヶ岳を登っていた。


「おーれっのたぁーいしょーうっやーまひーつーじーっ♪

 あー…即興とかマジわけわかんねえ…」


買い物帰りらしく、エコバックの中には新鮮な野菜と牛乳が見えている。

しばらくして、あの雪崩があった所にたどり着いた。

巨大な雪の山が、少年の前に立ちはだかっていた。


「ん? うわっ! なんじゃこりゃあ!? やっぱ行きと帰りで違う道通るんじゃなかったなー。

 しかし、戻るにしては後ろの距離が超長ぇし…」


少し思案した後、少年はあたりをキョロキョロと見渡した。


「よ、よぉーし…誰も見てないな…。 せぇーのっ!」


ブワァンッ。

少年は空気抵抗など無いかのように、5mはある雪山を軽々飛び越えた。


「へっへーん! こんなの、軽い軽― いっ!?」


着地しようとした少年の前に、地震でできた巨大な割れ目が目の前にあった。


「ぎゃあああーっ!!」


少年はあわてながらも腕を伸ばすと、むこう側の割れ目のへりを掴み、

そのまま前転をするようにむこう側へ渡り切った。


「ふーっ。 久しぶりにこんなんやったけど、少し運動神経落ちてきたか? ―うえっ!?」


着地と同時に、少年の靴の裏に柔らかい感触がした。 おそるおそる下を見ると―


「は…? なんだ、こいつら… ―!!」


少年はそれを、知っていた。


「ま、まさか…!! ……。」


少年は口にエコバックをくわえると、

両手でそこに転がっていたものを拾い上げ、また静かに歩きだした。




氷介は真っ白な空間に一人、取り残されていた。


『ここは…どこ? まるで…雪の鳥の中みたいだ…』


氷介はそのやわらかい地面に、やっと安心できた顔で、顔をうずめた。


『ふふっ。 あったかいなあ…。 お母さん…』


そうつぶやいた途端、突如としてその空間は真っ暗になった。

やわらかく、暖かかった地面も、今や堅く冷たくなっている。


『―!? お、かあ…さん? うっ―』


突然息が苦しくなる。 喉を締め上げられているようだ。

顔を上げた時、暗い空間の奥に、

赤いコートを着た母が背を向けて立っているのが見えた。

氷介は、そのヒトにむかって駆けだした。


『はあっ、はあっ…おかあ、さぁん…っ! 苦しいよぉっ…』


氷介はすがりつくように、母の足にしがみついた。 とたんに、寒気が身体全体に走る。


『―!? ひゃ、あっ。』


母の足は、氷のように冷たくなっていた。

よく見ればその赤いコートは湿っていて、鉄の匂いがする。


『おかあさん…? ねえ、ボク苦しいんだ。 どうすればいいの?』

『……フフフフフフフ… そーぉ、ねーぇ…』


母の声は高く響き、歌うような口調だった。 そして、振り返った顔は―


『この世から消えたら苦しくないわよォ?』


母の眼はかっと見開かれ、皮膚はただれて変形し、顔全体は深紅だった。


『ひ、いいぃっ!!』 『おいで…わたしの子…』

『いやあっ! やだよぉっ、お母さん! ねえ、どこにいるの? おかあさぁぁぁん!!』


氷介の頬に涙が伝う中、一筋の光が差し込んだ。


『大丈夫だ。 お前は夢を見ているんだ。』 『えっ? …だ、だれ…??』




「何にも怖い事は無いよ。」 「う……っ、」


そう言って毛布をかけると、その顔はまだつらそうだったが、

取りあえず激しい寝言はおさまった。


「ふー…。 まさか、あんなところでこいつらと再会するとはなぁ。」


黒髪の少年はキッチンに椅子を持って行くと、

作り置きしていたシチューに火をかけた。


『にしても…何であいつらはあんなとこで倒れてたんだ?

 片方にはギプスが巻かれてたが、どうやら中の骨にひびがいってるみたいだし…』


「…まあ、おいおいわかってくるさ。 一応寝かせてあるし、起きたら話を聞けばいい。」


少年は自分で自分に言い聞かせる。 だが、それでも心の靄はぬぐい取れなかった。


『なんだ? この、不安な気持ちは…。

 さっきの寝言が伝線した? んな訳ないよな。 だとしたら…あ。』


少年はシチューを混ぜていた手を止め、

ソファーの上で寝ているふたりの子供に視線を向けた。


「ここにこいつらがいる事がバレたら…ヤバくね?」


少年の背筋に、ぞっとする寒気が襲った。




氷介はかすむ目を無意識に開けると、パチパチと燃える団炉が視界に入った。

身体には暖かい毛布がかかっているのがわかる。


『ん…ここ、どこ…?

 たしか、雪の鳥が襲いかかってきて、車が落ちて…何で生きてるんだろ。』


一瞬そんな考えが頭をよぎったが、すぐに大切なヒトの事を思い出した。


『―あっ、氷也は!?』


氷也は自分の左足にしがみ付いていた。

車ごと落ちた時、相当怖かったのか、氷介の足から離れようとしない。


「うう…ん…」 「…よかった。 ひとりかと思っちゃった。 …ん? クン…。」


何かスープのような香りがしてきた。


『いいにおい…なんだろ?』


氷介は氷也に毛布をかけ直し、

左足をそぉっと離してから、おぼつかない足取りでソファーから降りた。

自分たちがいた場所―それは、木製の小屋だった。

二階建てらしく、目の前には大きめのテーブルがあり、その奥にはキッチンがあって―


「―!!」


ドキッ―。 そこで氷介は心臓が止まりそうになった。

キッチンの前で、少年がいいにおいのするそれを混ぜている。

少年は自分たちより年上らしく、11、2歳くらいに見える。

氷介はその場に音もなくへたり込んでしまった。

その顔は、これから起こることもわからず、ただ恐れていた。

胸に手を当てると、心臓はドクドクと跳ね上がっている。


『ど、どうしよう…ボクらがここにいるのがバレたら…死んじゃう!?』


氷介はソファーへ戻ると、震える手で氷也を優しく起こそうとした。


「氷也、起きて…氷也ぁっ。」 「んっ、くあ~~ぁっ。」


氷也は堂々と伸びをして、大きな声であくびした。

予想はしていたが、氷介は大慌てで弟の口を塞いだ。


『ぎゃああーーっ! 氷也のバカぁ~~っ!!』


当然少年とそんなに距離は無かったため、起きたのかと振り返った。

少年は明るい笑顔で、高く澄んだ声で話しかける。


「ん? ああ! なんだもう起きたのか―」

「いやぁーーっ!

 やめてくださいごめんなさい何でもしますから殺さないでくださぁーーい!!」


氷介はそれだけ早口で言うと、また床にへたり込んで大泣きを始めた。

不思議と、涙は少しも出てこない。


「えっ!? ちょっ、何も取って食おうってわけじゃ―」

「ん~、うるせーなあ氷介。 なんだよ~…」


氷也が頭をかきながら起き上がり、一番に視界に飛び込んできたのは―

少年が兄の肩を掴み、泣かせている姿だった。

氷也の顔が無になって、少年を睨みつけた。 その視線に気づいた少年はあわてる。


「お前…何やってんだ?」 「あっ! いや、これはそうゆうんじゃなくて―」

「ふっ、えぇえぇ~んっ! やめて下さい~っ!

 ここにいた事は誤りますからぁ~っ!! ふえ~っ…」


ピキッ。 氷也の眼ががらりと変わる。


「…あ゛?」 「うわあ! 思いっきし敵を見る眼ぇしてるし!」

「どうゆうつもりか知らねえがなあ―」


氷也が毛布を振り切って立ち上がる。 少年は何かヤバい事が起きる予感がした。

そしてそれは、当たった。


「次やったら後はねぇぞこのクソジジイ!!」 「のお~~~~お~~っ!」


ドカァアッ!

氷也の勢いよく振りかざした足が、少年の背に命中し、壁に強くぶち当たった。

少年が動かない。


「ふえっ、ふえっ、んっ…」 「おい、大丈夫かー? あいつなら、ほら。」


そう言って氷也は少しへこんだ壁と、その下に転がってる人影を差した。


「ふぇ…? う…あああぁぁーっ! な、氷也! 何やってるのー!?」 「え? ダメか?」


氷也は自分が何をしたかが、全くわかっていないようだ。


「ダーメーだーよっ!」


『もう駄目だ…泣くんじゃなかった。 明日は我が身だよ、氷也…』

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