2・自分たちの姿
元来た廊下を戻っていくと、着きあたりに鋼雅がいた。
「あ…」 「お、戻ってきたね。 こっちだ、地下に通じているよ。」
カツーン、コツーン、カツーン……ガラガラガラッ。
幼稚園の地下には、体育館のような広い空間があるだけだった。
さっきから鋼雅が、リモコンのようなものを動かしてる。
「やれやれ、一度修理を施さないとはいけないな?
反応が鈍くなっている…まあいいだろう。 さあ、ごらん!」
ズズズズ…ドオン… 地面に大きな穴が出てきて、黄緑色の地面が出て来た!
「これ…何なんだ?」
「サッカーコートと言うのだよ、この地面でサッカーをするのだよ。
この幼稚園には、他にもたくさんのコートがあるのさ。
ここで君のキック力を試すために、サッカーをしてもらうよ」
「うわぁ~…大きいねぇー… よし、氷也頑張ろう!」 「お、おう…」
「ふふふ…。 いい心意気だね? では、こちらのサッカーチームに出て来てもらおう!」
鋼雅の指差す奥の黒い戸が、大きな音を立てながら開いていく… 中には―
黒いユニフォームを着た、11人の園児たちが出てきた。
「―?!」 「冬紀くん…?」
その中には冬紀の顔だけではなく、あの青紫の兄弟もいた……。
鋼雅はポケットの手帳を、ペラペラとめくる。
「…【白鳥幼稚園のお約束・その21。
お友達に暴力を振るったら、グーパンと地下遊び】。」
氷介は驚きの表情を見せる。
「そ、それって…なぁに?」
「ふふふ…。 この幼稚園はもうひとつの顔を持っているのだよ。
表は、子供たちを天使と呼び、優しく見守る幼稚園…そして!
裏は………お約束を破った子供たちをしつける、【地下の間】としての顔をね!!」
『ふふふ…2体11かァ。 面白そうだね。』
「そ、そうだったんですか?!
ですが…あなたがなぜ、そんなことを知っているんですか?」
「ふふ…わたしが裏方の仕事ばかりをしていると言いましたよね?」 「はい…あっ!」
双子の両親はやっと理解したようですね。
まあ、時間がかかるのは仕方ありませんが…。
「そのとうり。 わたしは、その日地下へ送られた子供たちの面倒を見ているんです。」
「……」
「……言葉が出なくなるでしょうね。
わたしもそうでした…純粋な子供たちを、遠くでもいいから観察して、
真の愛について深く知りたいと思い、ここへ来ました。
…ですが、その結果は今話したとおり、散々でしたよ。
あの鋼雅先生が子供たちを……殴りつけているのを、
私はいつも遠くで見ているしかありませんでした…。」
「どうして? …貴方のような方のほうが、園長に向いてると思いますが…」
わたしは、椅子を立って背を向けました。 何故そうしたのか、よくわかりません。
「……わたしの顔は…ヒトの顔をしていません。」 「――!? え…?」
「好奇心の高い子供たちは、近づいたらおそらく…わたしのフードを取るでしょう。
子供たちはただでさえひどい目に会っているというのに、
わたしの顔を見て子供たちはさらに泣く…
そんな子供たちを見るのが、怖いんです。 だから…わたしは、何も…」
ガタッ!
雪江さんが立ったみたいです。
あのタイプの女性は気が荒いので、すぐわかるんですよ。
「それならなぜ…あなたはここにいるんですか?!」
「―――!! それは…」 「おい、雪江!」
「それも答えて頂けないなら、貴方の顔を見せて下さい!
わたしたちの子だって、ヒトじゃ―」
「それ以上言ってはいけません!」
つい、大声を出してしまいました。 その後の反応を見て、少しあわてましたが…
「…あ、声が大きかったですかね? 申し訳ない…
……ですが ―貴女は今、我が子の悪口を言ったかもしれないのですよ?」
「あっ…」 「雪江…」
「ハア…あなたがそんなつもりで言ったのではないことはわかります。
ですが、あの子たちが頼れるのは……
…貴方たち親だけだということを、忘れてはいけませんよ…?」
やれやれ…最近は、ついそのことに
気づけない親御さんが増えてるんですよね…悲しいことです。
「はい…わかっています。」
「もちろん、そのつもりです。 あのふたりは、わたしたちが守ってみせます!」
わたしはまた席に着きました。
「頼もしいですね、うんうん。 それでこそ、愛でしょうね♪
……ちなみにわたしの顔は、貴方がたの双子さんたちより、
ずっとひどいですから。 お見せすることは、無いでしょう…」
「いいんです、わたしのわがままでしたから。」
「…わたしは、あのふたりは小学生になるまで、守っておいた方がいいかと思います。
でも、本人たちが行きたいと言った時が、一番いいのでしょうね…」
「はい。 今日は本当に、ありがとうございました!」
「貴方は、本当に…素晴らしい方ですね」
双子の両親は笑いました。 だから、わたしも笑いましょう。
この世で笑顔は、何よりも美しいですから…
鋼雅がルールブックを、ポンと閉じた。
「だいたい理解できたかね?」 「は、はあ…なんとか。 氷也、わかった?」
「ま、まあ取りあえず、あっちのでかい四角に―」
氷也は足をかけていたボールを蹴り上げると、 ―ドガァッ!!― 強く蹴り出した。
「な?!」 「んだべ??!」
ボールは冬紀たちの間を縫い ― バシュウッ!!― 相手ゴールに突き刺さった。
「すっ…すっごいだぁ…!」 「…狼のくせに…」
鋼雅は呆然と立ちつくしたまま、砂煙を上げるゴールにくぎ付けになっていた。
「速い…!! 鋭く、激しく、尚且つ美しい!! すばらしい、素晴らしい力だ!!」
皆が氷也の方を振り返ると、本人はポカンとした表情で、
自分がしたことを理解していないらしい。
だが、すぐに事を自覚したようでゆっくりと笑顔に変わっていく。
「叩き込めばいいんだな?」 「氷也…っ、すっごーい!!」
氷介が手を叩いて弟の手を握ると同時に、
氷介以外のヒトは皆、「へ?」という拍子抜けした顔になった。
「すっごいよ氷也ぁ! はじめて蹴ったのに、シュートが入っちゃった!
あっちからあっちまでビューンって」
「お、落ち着けうるせぇっ!! 取りあえず手を離せ手を!」 「…気に入らない…」
そういったのは、冬紀だった。 下を向いて、握り拳を震わせている。
「俺より凄いシュートなんて…お前なんかが…
化けもんが打っていいもんじゃねえんだよ!!」
カチン。
化けもんと言われて、氷也はカッとなる。
冬紀はそれを知ってか知らずか、恨みを込めたまなざしを氷也に向ける。
「―あ?」
「あ、れ? ひょ、氷也!
だめだよ、次は冬紀くんのチームがボールを蹴るんだから。
ねぇ、どうしたの??」
つかつかと冬紀の方へ行く氷也の腕を、氷介が止めた。
「は・な・せ!!」 「ひゃっ!」
氷也が右腕をぶんっとふると、氷介は木の葉のようにコートへ落ちる。
「いた、たっ…」 「おい、鋼雅ぁ!」 「えっ?! わ、わたしが何か…」
『ううっ…そらしたいのに、そらすことのできないあの目つき…やはり―』
さっきのシュートを見て、我が身を案じる鋼雅。
氷也は4歳とは思えぬ冷たい目つきで、言った。
「ボール、あと5個ぐらい持ってこい。」 「え? は…はい?」
「持ってこいっつってんのがわかんねえのかよ!」
「ひいぃぃぃいっ!! わ、わかりましたわかりました!」
鋼雅はどう考えても気迫負けすると悟り、
その辺に放置されていた練習用ボールを抛った。
「こっ…これで、いいでしょう、か?」 「よし。 冬紀、」 「んだよ。」
氷也は冬紀に向き合うと、意地悪く笑った。
「てきとーに蹴んぞ。」 「ふん、ならこっちも標的はお前で。」
冬紀も承知したように笑う。 雪也と士郎は、こっそり氷介を立たせる。
「だ、大丈夫だか?」 「あっ…あ、りがとう…って! あのふたり…」
「んだ…」 「なんか…すんごくやっべぇ気がするだよ…」
「ケガせんように、気ぃつけんとまいねー…」
「この程度で勝とうなんて、甘いこと考えてんじゃねーっ!!」
ダーン、ズーン、ドッッカァ――ン!
―しばらくして、やっと爆発音が止まった。
フィールドは粉々に破壊され、暗い天井からは太陽の光がのぞいていた。
ようは、地下のこの場所が破壊されたわけで、
破壊した張本人、氷也は瓦礫のてっぺんでボールをキープしていた。
「ったく、弱すぎなんだよ…しかもサッカーって簡単だな。 なあ、兄ちゃん!」
その兄、氷介は瓦礫のふもとに立っていた。 頭を撃ったらしいが、問題ない。
「いたた…うん。 ビックリしたよー、氷也、こんなにすごいシュート打っちゃうんだもの。
ゴールも壊れてるし… ―!! ひょ、うやぁ!」
「?! てめえ、何しやがんだよ!」
みれば、鋼雅が氷介を捕まえていた。
「やれやれ、やられたなあ、これほどまでの威力とは…
やはり君たち双子は、【あれ】を受け継いでるんだねぇ?」
「氷也…怖いよ、氷也ぁ……」
氷介は目に涙をためて、頑張っている。
「この野郎―」
「おっと! 近づくんじゃあない。 わたしは大人だ。
だから、こんな子供は、ちょっと首を締め付けるだけで…」
ギュウゥ~…
鋼雅は氷介の首を軽く締め付ける。 氷介の細い首が悲鳴を上げた。
「ゲホッ、げほっ、ゲホッ! い…た、い…やめ、て、下さい…うぐっ、ゲホゲホッ!」
「にいちゃ…! ふざけんな! とっととやめろぉーっ!!」
「うん、いいだろう。
だが、君たちを研究したい…その条件と引き換えでは、どうかね?」
「はあ?! なによくわかんねえこと言ってんだ!」
「君たちは貴重な生物だ。 なにしろ、【あれ】を受け継いでいるのだからな?
君たちの身体を研究したいと思っても、不思議ではないだろう。
お兄さんを助けたいなら……協力してくれるね?
なにしろ、獣はヒトより忠誠心が強いからなぁ」
ピクッ。
「……誰が…誰が獣だぁああああああ!!」
ギュオオォォオオッ!
氷也の感情に呼応するかのように、ブリザードが吹き荒れる!
その強風に、鋼雅は思わず身を引いた。
「おおおっ?! 素晴らしい…【生まれてはいけない】獣の子よ…素晴らしい力だ!」
「うるせぇ!」 「―?!」
「【あれ】ってなんだよ! それに俺は獣なんかじゃねぇえええっ!!
お前のよくわかんねえ事なんかに協力してやるか!!」
「くっ……! どうやらわかってもらえないようだね。
しかたない、子供と言えど手加減しないさ!!」
鋼雅は氷介を捨てて、氷也に殴りかかろうとした。 が――
「お前の話は長ぇんだよ!!」
ドカ――――――ン!!
「ぐばァ―――――――――――!」
冷気を込めた氷也の拳は、しっかりと鋼雅の急所を撃った。
「な、なんてパワーですかぁぁ――――?!」
そして、鋼雅は空の彼方へと飛んで行った…。
「もう二度と来るなよ~。」
氷也は空の彼方に手を振ると、瓦礫の山を下りて、氷介のもとへと駆け寄った。
「兄ちゃん、兄ちゃん!!」 「ううっ…ケホッ、ケホッ…うん、大丈夫だよ、氷也…」
兄の無事な姿を見て緊張がほどかれたのか、氷也の目から涙があふれた。
「うわぁああーーん!! よかったぁ、生きてくれててよかったあーーっ!!
うわぁーん! 怖かった、俺怖かったんだぞ!!
弟をこんな怖い目にあわせるなんて、お前なんか兄ちゃん失格だぁーーーっ!!」
そう言いながらも、氷也は兄に抱きついて思う存分泣いていた。
「うん、ごめんね…でも、ありがとう…氷也! ボク君が大好き!」
氷介は氷也を抱きしめたが、当然抵抗される。
「ふ、ふざけんな! 俺たちは双子だろ?!
相手が大嫌いじゃ助けたりなんかしてやらねーよ!!」
『氷也…ボクには君っていう弟がいる…こんなに心強いことは無いよ!!』
ふたりは壊れた地下から外に出ると、誰かが追いかけてくる足音が聞こえた。
「ん?」 「あ。」 「あああああっ!! いや、あの、えと、あああああっ!」
そこには、青紫の兄弟の小さい方がいた。
顔を赤らめたり動揺したりと、落ち着かない。
「お前! 何かまだ文句でもあるのか―」 「氷也! もういいじゃない。」 「甘い! 一発―」
「ちっ、違うんだべ! あの、その…あ、ありがとうございましただべさ!」 「え…?」
「お…おらたちゃな? 本当は鋼雅せんせにあすこでひどい目に会ってたんだべさ…
でも、君らが壊してくれたおかげで、それももうなくなるべ! ほんとに、感謝するべや!」
そいつの目には、疑いようが無い心からの喜びがあった。
「―じゃあ、俺らのことを、もう【生まれちゃいけない子】なんて言うな。」
「あっ… すまんかったべや…
昔、狼の兄弟が何したかはわっかんねぇけんど、
おら、あんちゃらは大好きになってまっただ!
そんに、さっきの見て決めたん、あんちゃらみたいになるべ!
いくらちっこぐても負げね、強ぇおんたさなるべさ!」
そう言うとその子は、嬉しそうに走って、転んで、走り去って行った。
「いっちまったな…」 「うん…。 でも、嬉しそうだったから、よかった…」
「ところでよぉ、あいつ、後半なんて言ってたんだ?」 「さ、さあ…?」
あまり外に出ないふたりにとって、方言は理解不能だったようだ。
「とうちゃーーん!!」 「おかあさーーん!!」
両親の姿を見つけた途端、双子は一斉に飛びついた。
氷也に抱きつかれた柚彦は、勢いに押されて慌ててよろめく。
「うおっとっとっと! はははは、氷也は力強いなあ?」
「当たり前だろ? 俺は無敵だからな!」
「ふふふ。 さあ、お家へ帰りましょう?」 「うん!」
と、雪江は氷介がこっちをじいーっと見つめているのに気づいた。
「ん? どうしたの、氷介。」 「あ、あのさ…おかあさん大丈夫だった?」 「ええっ?」
両親がなぜか驚いたので、氷介は顔を赤くした。
的が外れたのか、恥ずかしかったのだろう。
「いや…さっき、おかあさんたち黒い人につれてかれたでしょ?
だから、おかあさんたち大丈夫かなって…でも、大丈夫だったみたいだね?」
「氷介…」 「ふふふ…あなた方は良いお子さんをお持ちですね、雪江さん。」
ハッ!
振り返ると、黒ローブの青年がそこに立っていた。
とたんに氷介は母から離れ、氷也はすぐに身構えて、いまにも飛びかからんばかりだ。
「あ、あのぅ…誰ですか?」
「ああ、申し遅れましたね。
わたしは【不死鳥】というものです。 本当の名前ではありませんが…」
「――てめえ…!!」 「あっ―」
ガシッ!
不死鳥に飛びかかろうとした氷也を、慌てて氷介が腕をつかんで引き止めている。
だが、氷也の力は想像以上に強い。
「ちょっ…何すんだよ!」 「氷也やめて! おかあさんもおとうさんも無事だっただろ?!」
『うわっ、す、すごい力だなあ…こんなに小さいのにー!! ううぅ…』
「うるせぇな! 引っこんでろよ!」 「うわあっ!」
ドンッ!! さっ、ドサァッ!!
氷也は氷介を弾き飛ばして、不死鳥を押し倒してしまった!!
「おっとと! い、痛いですね~。 まあ、元気がいいお子さんで…」
「るさいっ!」 「氷也やめなさい!」 「こらっ、氷也!」
「氷也くん、わたしは何もしてませんよ?
ほ、本当ですよっ! 貴方は誤解をしていま…痛ぁあっっ!!」
ドカァアッッツ!!
氷也は起き上がりかけた不死鳥の背中を、力いっぱい蹴り飛ばした!!
「この野郎!! しらばっくれてんじゃ―」 「氷也やめなさいって言ってるだろ!!」
ビクッ!!
初めて聞くその怒った声に、
氷介はその場に凍りつき、氷也は柚彦の方を見て蹴るのをやめた。
氷介は母の服の裾をしっかりとつかみ、氷也は口をポカンと開けて、
氷介ほど状況を把握できていないようだ。
柚彦が氷也につかつかと近づいて来て―
パシ―――ン!!
わがままでやりたい放題だった氷也にとって、生まれはじめてのことだったろう。
父親に殴られたのは。 氷也は赤く腫れ上がった頬を、泣きながら押さえていた。
「氷也―!!」
氷介は氷也の所へ駆け寄ろうとしたが、雪江に引き戻された。
氷也はまだ恐怖に怯えるように、震えていた。
「と―、とうちゃ…」 「氷也!! 痛いだろ!!」 「う、うん…」
「不死鳥さんも今のお前みたいに痛かったんだ!
だから、誰かを殴っちゃだめだ!! わからないのか?!」
「うぅ…―」 「返事は?!」 「は…い。」
「ああ! あまりお叱りなさらずに。 わたしなら大丈夫ですから。」
「ですが……他人に手を上げたことは事実です。
それでなくても、氷也は日頃から好き勝手やっています。
こいつにも、いけない事をわからせてやらなきゃいけません!
………わたしだって、我が子をぶつのはつらいです。
でも、不死鳥さんを殴ってしまいましたから…
ほら、不死鳥さんに何か言うことないのか?!」
「ううっ…、ふえっ、えっえっ…うえぇええっ!」
氷也は大きな声で泣くのを必死にこらえてるらしい。
不死鳥はそんな氷也を、他人からは見えぬ目で見つめた。
「その子は見知らぬわたしが貴方たちに近づいたのを見て、
心配のあまり、わたしを敵だと思ってしまったのでしょう。
そして氷也君にとって、敵であるわたしを攻撃しただけですよ~…
……それは間違ったやり方ではありますが、
彼なりに頑張って出した、愛なのではないでしょうか?」
「で、ですが……」
「……叱ることも大切ですが、叱るだけでは、成長しない面もありますからね…」
「…では、わたしはどうすれば…?」 「…御自分で決めなさるとよいでしょう」
柚彦はもう一度氷也を見降ろして、氷也の前にしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
下を向いて涙を流し、歯を食いしばって、何も言わない。
「氷也…お父さんとお母さんを、守ろうとしたのか?」 「………ん。」 「そうか…」
氷也の声は、鼻声だった。 柚彦は、氷也の頭に触れる。
「その気持ちは、父さんは嬉しいよ。
でも、何があっても、もう誰かを叩いたりしちゃいかんぞ?」
「………うん…」 「よーし、よし。 良い子だ良い子だ!」
氷也は肩をポンとたたかれ、しっかりとした足取りで立ち上がった。
「さて! 事も済んだことですし、どうします?
この幼稚園に通いますか? もっとも、強制はしませんが…」
「あ、はい! 氷介と氷也は、どうしたい?」 「俺行かない。」 「あ、ボクも。」
以外にも即答。
「こらこらっ!」 「だって、鋼雅がいるとこなんか行きたくねーもん!」
氷介も、申し訳なさそうに、うなずいた。
「ふうむ…わかりました、わたしから鋼雅先生に話しておきましょう。」
それを聞いて、親子はほっと安心した。
「ありがとうございます。 こいつら、本当にわがままで…」
「本当に…申し訳無い、なんてお礼を言えばいいか…」
「い、いえいえ! 子供たちの本音は大切にしないと!
それにわたしは、ただ……ちっぽけな違いでの差別を、無くしたいだけなんです。」
冬紀は、青紫の髪の兄弟と帰っていた。 冬紀は地団駄を踏む。
「いってー…ったくもー、何なんだよ、あいつら!」
「でも、あのおんちゃん、冬紀くんの事かばってぐれただなぁ。
いじめたのはこっちなんに、優しいべさぁ~…」
背の高いほうの兄がにこにこ笑う。
「それがムカつくんだよ!
弟は…初めてのくせに、おれよりサッカーうまくて…兄は優しすぎるし…」
「まあまあ。 おらたちゃは助けてもらったんけ、てことは、ええヒトなんらべ?」
背の低いほうの弟もにこにこ笑う。 だが、冬紀はぶすっとしたままだ。
「あいつら…いつか絶対勝ってやる!」
冬紀の心は、負けた悲しみと嫉妬心で溢れていた。
悔し涙をこらえ、上を向いて歩いていた。
「ふーん…大の大人を一発で…とうとう動き始めたのかァー。」
「はい、そのようです。」
黒水晶の少年は、また、あの太陽の瞳の子に跪いていた。
「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」 「なあに?」
「…貴方は一体、何をしようとお考えなのですか?」 「―決まっている。」
太陽の瞳の子は、いきなり真面目な顔になった。
「狼退治さ。」
「おやすみ、氷介、氷也。」 「おやすみなさーい。」 「ん…。」
電気が消える音がして、雪江の足音は遠ざかって行った。
「氷也、どうだった? 今日のこと。」
「スッゲーマジで疲れた。 何だよ、いきなり急にサッカーって…」
「ふふ…ボクもだよ。 …いたっ! 今傷に当たったよぉ。」 「あっ……わりぃ。」
氷介には暗闇の中でも、氷也が泣きそうになったのがわかった。
「ああっ、へーきへーき!」 「俺のせいなのにつよがんなよ、バカ。」
「バ、バカって言うほど馬鹿じゃないもん!」 「うるせーな、バカはバカだろ?!」
「氷也だってボクのこと助けてくれたじゃん!
泣くほど怖かったくせに! だから、そっちがバカ。」
「うっ…、お、俺はその前にかばってもらったから、恩返ししただけだっ!
あとバカは兄ちゃんだっ!」
「…ボク、死ぬかと思ったんだよ? ボク、氷也よりも体が弱いから…
今ここにボクがいるのは、氷也が頑張ってボクを助けてくれたからだよ。」
氷也には暗闇の中でも、氷介が微笑んでるのがわかった。
「なっ?! ~~~~っ、うるさーーーーーーーーーーいっ!!」
「だーかーらーぁ、何度も言ってるはずだよ?
君にはこれからも監視を続けてもらうって。」
「ですが、やっぱり嫌なんです!
あの双子は…外見以外は、普通のどこにでもいる兄弟なんです。
どうも、害がある様に見えなくて…」
「…はるか昔に結んだ約束を、忘れた訳じゃないよねえ?」 「うっ! …。」
「はい、そーゆーこと。 それにね、よく考えるんだ。
あの双子は小さいうちは、君の言うとうりかもしれない。
けどね、平気平気って思ってたら………遅いんだよ。
分かったら、情報収集を続けてね?」
「…かしこまりました。」
双子は寝入る、やすらかに。
持って生まれた恐怖の始まりが、一歩一歩、近づいているとも、知らずに。
ここは寒冷地方。 年中ほぼ、雪の積もったままの、果てしなく白い地方。
太陽がその真下で遊ぶ、小さな影をふたつ、見下ろしていた。
「行くぞー。 氷介、パス!」 「ナイスパス、氷也!」
小さいうちの子供の成長はとても早い。
顔つきや体形はまだ幼いままだが、手足や胴が伸びて、大きくなっている。
双子は6歳になっていた。
5歳の誕生日にもらったサッカーボールで、毎日のようにグラウンドに行く始末である。
「よーし、氷也―」 「オイお前らァ!!」
その声に反応して、双子は振り向いた。 不良だ。 と、ふたりは思った。
不良の方は少したじろいだが、すぐに強気になった。
(無理もない。
同じような顔が、同時に振り向くのを想像したらわかる。 ちょっと怖い。)
「ここでオレタチ遊ぼうと思ってんだけどよォ。」 「ふーん、そうか。」
この程度で譲る氷也ではない。 つんとした顔で答える。
当然怒りを買うのは当たり前。
「てめえ! ジョージさんになんて口の―」
「黙れってトク。 あれ? こいつら、狼チャンの双子じゃん!」
「あ、本当だー! へー、あっし初めて見ましたぜ。」
不良は氷介と氷也を、物珍しそうに眺めまわしていた。
「へぇー…変な頭してんなあ。 オイ、笑ってやれよ! 恐れ多くも、狼さんだぜぇ!!」
ワッハハハハッ! だが双子は挑発に乗らず、ガン無視して去ろうとしている。
「腹減ったなー。」 「今日の晩ご飯はハンバーグって言ってたよ?」 「やったー!」
「ってオイオイオイオイ! 逃げんじゃねーよ、犬っころども!」
ピクッ。 氷也は立ち止まって、すぐそばにあったレンガに―
―――バキィイイッッツ!!
レンガは粉々に砕け散った。 (げっっ!!!)
「あ、あわわあ…」 「ほぉう…犬かぁ。 誰に向かって口をきいてるんだ? お前ら」
ふたりは不良たちに向かって歩いて行く。
氷也はガキ大将のような笑みを、氷介は誰にでも愛される笑みを浮かべながら―。
「氷也、お腹すいたって言ったよね?」 「ああ。」
「運動したら、もっと美味しく食べられると思うなあ。」
「ふーん、それはいい考えだな。 …俺様の悪口を言う丁度いい的もいるしなぁ!」
ヒュッ、ドカッ! 不良たちは慌てて逃げようと走るも、ボールが追いつき―、
「俺たちは犬じゃねぇーーーーーーーーーーーーっ!!」
「いやああああああああああああああーーーーーーーーーっ!!」
空の星となった。
「覚えていやがれーっ!」 「めんどくせぇから覚えねーよ。」
「ゴメンね? さよならー。」 「じゃなー」
双子はいたずらっぽく笑い、家へと駆けだした。
「ただい」 「まー!」 「あ・ん・た・た・ちーーー!!」 「―?!?!」
そこには鬼のような顔で、母・雪江が立っていた。
「あなたたち、まーたいたずらして怪我させたりしたでしょう?!」
「チッ。 あいつら、もうチクりやがったな! つーか、生きてたのか…すげえ。」
「ああっ、お母さん、氷也は悪くないんだ! ボクが―」
「言い訳は聞きたくありません! お外で反省してなさい!」
バタン! 氷介が説明する間もなく、戸にはカギをかけられた。
「あ…」 「……」 「ごめんね、氷也…」 「バカ…」
氷介はきょろきょろと周りを見ると、雪がかぶさった大きな木を見つけた。
「あ…あそこで座らない?」 「…ん、」
氷介は氷也の手を引いて、木の根元に腰掛けた。
「…」 「…」 「なあ…」 「なに?」
「俺がボールで奴らを吹っ飛ばしたんだよな?」 「うん。」
「じゃあ何で氷介がゴメンなさいなんだ?」 「…それは…、ボクがお兄ちゃんだから。」
「…は?」
氷也は驚いた顔で、氷介を見つめた。 氷介は黙りこくって、下を見つめている。
「氷介、アホじゃねーの? 双子なんて一緒に育ったんだから、兄も弟もあるかっての。」
「それはそうだけど! …一応、ボクがお兄ちゃんだから…」
氷介はなぜか、兄ということにこだわっている。
「…お、俺は。 そんなことより、もっと気になることがあるんだけどよー。」
「なにが?」 「俺たち、全然母ちゃんや父ちゃんに似てねーよな」 「えっ…うん、」
そうだった。
自我が芽生え、さまざまなことが
わかるようになったふたりにとって、それは少しつらい真実であった。
だがしかし、父とも、母とも、似ているところは考えても見つからない。
それを考えるたびに、氷介も、氷也も、
自分が本当に実の子なのか、何者なのか、分からなくなってくる。
「『兄ちゃん』…」 「?」 「俺、どうしてこんなに凶暴なんだ?」 「氷也…」
氷介は、久しぶりに『兄ちゃん』と呼ばれた。
その理由は、もちろん氷也にしか分からない。
「どーでもいいじゃないか、そんなの。」
「はあっ?! 俺は真面目に悩んでんだぞ!!
俺って、カッとなったらすぐ手が出ちまうから…
押さえようって頑張っても、相手がウザくて、許せなくて、気が付いたら…」
「そうそう、そーゆーこと♪」 「ってどーゆーことだよ!!」
「だからさー、君は何の意味もなく暴力は振るってないじゃん?
いつも自分を守るためだったり、ボクを守ってくれるためだったり……」
「―!! で、でもよお、さっきのは俺から蹴りかかったし…」
「謝っちゃえばいいんだよ。
相手がどんなに痛かったか、どんなに腹が立ったかを、よく考えてさ、」
「…氷介は変わってるな。 いつも俺に都合のいいこと言いやがって。」
「そんなことないよ、ボクはさー ―あれ?」 「どうしたんだよ、話しは終わってねーぞ」
「今、あっちの木のとこに、誰かいたような…」 「え? 別に…何もねーぞ??」
4つの緑の眼が、一点をみつめた。
そのあっちの木のところにさっきまでいたのは、
銀髪の太陽の目の子と、月の目の子だった。
ふたりは、双子の眼の届かない雪原からそれを眺めていた。
「へー、あれが狼の双子?」 「ああ…、美しい髪だな。」
「えー? 僕らには到底及ばないよ。」
「だが、今まであんな髪の子は見たことが無い。」
たしかに氷介と氷也の髪は美しく、生まれるはずのない色。 生まれてはいけない色。
この寒冷地方では、そう。 【白銀と黄金の髪】はタブーだった。
そして、氷介は雪原のような目立つ白銀、氷也は橙色っぽい金髪。
大昔の事件をもとにした童話の、【白銀の体毛と黄金の体毛】に、似ているから―。
「そりゃあそうでしょ。 あの一族は絶滅したかと思ってたもん」
「だが、生きていたんだ。
人間たちによって数は減っているが、しっかりと生きている。」
「その血をひいてるってことなんだから、やっぱり危険だね。」
「ドクの芽は早く取り除くべきだと、ル・リフェスがよく言っていたな」
「成長してからじゃ取り除けなくなるって、愚痴を言いに来てさ~。
ねーもー帰ろうよ、ここ極限まで寒い。」
「ああ…だが、哀れな双子だな。
ただでさえあの母親なのに、その父親が、…ヒトの形すらしてないのだから。」
そう言って、ふたりは吹雪の中へと消えていった。
「うぅ…吹雪いて来たね…そろそろ帰ろうか。」 「ん…でも、入れてくれっかなァ。」
「入れてくれなかったら屋根に上って、屋根裏部屋の窓ぶっ壊して入ればいいよ。」
さらっと恐ろしいことを言うものだ。
「おおー! 頭いいなーお前。」 「へへへ…あ。」
みれば、母親が玄関に立っていた。
「あっ。 氷介、氷也!」 「かぁ…」 「ちゃん…」
「早くしないと、ハンバーグ冷めちゃうわよ?」
その言葉で、ふたりは顔を見合せて笑った。
「はーいっ。」 「うんっ!」 「ふふっ。 もう、こんなに冷たくなっちゃって。」
ふたりは飛ぶように食卓に着くと、すぐにハンバーグが出てきた。
「いっただき」 「まーす!」
「こらこら、よく噛まないと喉つっかえるよ?」 「へーき、へーき!」
氷也はがつがつと、氷介はゆっくりと口へ運ぶ。
「………ごちそうさまぁっ! あー美味しかった♪ ありがと、おかあさん!」
「や-ねぇ。 ま、嬉しいけど♪」 「…あ、」
『俺も、お礼言わなきゃ。 ありがとう……たった5文字の言葉だろ? 言えよ、俺…。
~~~~っ、くそっ、出てきやしねえ……』
氷也はもどかしくて、フォークで皿を叩いた。
「? どうしたの、氷也?」 「あ。 いや、何でもない…」
「? 変なの。 あ、お風呂沸いてるからね?」 「はーい!」 「…ん」
「ほら早くしなって、お湯冷めちゃうよー。」
氷介が浴槽から氷也を呼ぶ。
「うるせぇなぁ、暑すぎたらすぐダウンするくせによっ!」
「お母さんが温度調節してくれたからだいじょーぶ!」
「あーはいはい、分かったわかっ ―たぁーーーっ!?」
ずてーーーん! 氷也は風呂の床に向かって、いきなり転んだ。
「いっ、てェー…おい、氷介! 石鹸でも塗ったろ?!」
すでに湯に浸かった氷介は答える。
「靴下方っぽだけはいてるからじゃないの?」
「あ…う、うるせーっ! そんな目で見んな! バカじゃない、バカじゃないぞーーーっ!!」
「氷也落ち着いて。 分かったからもうお風呂入りなよ…」 「わかっとるわァ!」
そう言いながら風呂に入り、少し多めの髪を指でとくと、小さな耳が見えた。
「氷介は銀色でー、」 「氷也は金色っぽいね。」
耳の形は、まるで獣のようだ。
「でもさ…ボクらだけ何でこんなふうなんだろうね。」
「他のヒトは、こんなじゃねえもんなぁー、」 「うん、そうだね…」