3話
廊下を駆け抜け段飛ばしで階段を降り体育館が見えてきたとき更衣室から出てきた彼女の姿があった。
同じ部活の仲間と話す彼女は笑っていたがその背中には寂しさが漂っていた。
一部の生徒からの視線に恥ずかしさを感じながらも荒れる呼吸を整え彼女にバレないように物陰に隠れた。
視線を彼女に移しメガネを右手人差し指でクイッと上げた。
彼女を助けられるのは俺しかいない...!
神様...お願いします!
心のなかで神頼みをしてメガネを触りながら呟く。
「速水夏希」
その瞬間、初めての感覚に襲われた。
快感でも不快でも無い。自分の脳がミキサーにかけられているような細胞たちが暴れている感覚。そして見たことない景色が俺の頭のなかに入り込んできた。
薄暗い部屋。視界の端にはカゴに入ったサッカーボールやハードルが置いてある。
ここは...体育倉庫...?
目の前の扉が開く。見覚えのある男が入ってきた。その男は近付いてくると彼女の脚を竹刀で叩き出した。
「ごめんなさい...!ごめんなさい!!!」
彼女は泣き叫びながらうずくまる。
「いい加減にしろやてめえ!!!」
叩くペースが速くなっていく。
激しい打撃音と悲痛な叫びが狭い空間でこだまする。
「てめえが悪いんだからな!」
その男は勢いよく扉を開け外に出ていった。
次の瞬間また別の光景が広がる。今度は明るい光に照らされて陸上大会の賞状やトロフィーがたくさん置いてある。
ここは...彼女の部屋か。
彼女は救急箱から包帯や絆創膏を取り出しそれを脚に付けていく。
そうかあのとき見たものは...。
今朝の光景を思い出す。
気まずそうに隠した痛々しい脚は顧問の本郷がつけたものだった。
すると俺の脳がまた先程の不可思議な感覚に襲われそれが収まると目の前にはグラウンドに向かう彼女らの姿があった。
彼女の記憶は何時間にも感じられたが現実では一瞬しか過ぎていないらしい。
そんな事を考えていると彼女達がこっちに近付いてくる。俺は急いで教室に戻った。
席に座り考えようとするが悲惨な光景を見たショックで頭が回らない。
彼女の気持ちを考えると胸が苦しくなる。
俺の頬を生温かい物が伝っていって机の上に落ちた。
遠くから聞こえる楽器の音で我に返った。
とりあえずあの男の大罪を他の教師たちに伝えなくては。
"あの男"
彼女の記憶に出てきた奴。あれは恐らく陸上部顧問の本郷だ。
本郷は陸上の強豪であるT大学出身で教師になったあとは色々な学校を転々としてこのT高校に来たらしい。体育教師であり俺も1年生のときに授業で受け持たれたことがあるが挨拶が小さい生徒を容赦なく怒鳴りつけたり運動神経が悪い生徒にはパワハラすれすれの指導をしていた。
他の教師にクレームを入れる生徒と親もいたらしいが教師達でさえ本郷には逆らえず彼がやっていることに目を瞑っていた。
どの学校でも体育教師のカーストは高く下の人間は逆らえないのだから当然だ。
もし今日見たことを本郷以外の教師に伝えても相手にしてもらえないのではないか。
教師が頼れないとなると方法は1つしかない。
本郷を晒す。
彼がやったことは許されることではない。
誰も裁ける人間がいないのなら俺が刑を執行する。
とは思ったものの先程見た光景はあくまで俺の頭のなかにあるものであり証言だけでは証拠にならない。だから証拠を探しに行くことにした。あの記憶だと本郷が体育倉庫の扉を開けたとき外は暗かった。となると体罰が行われた時間は夜。陸上部は昨日も活動していたから部活後だろう。とりあえず俺は部活が終わるまで教室で一眠りすることにした。セットしたスマホのタイマーで目が覚める。時刻は18時。
「頭いたっ」
立ち上がろうとした瞬間ふらついて転びそうになる。
喉もイガイガする。
これがメガネの副作用とかいうやつか...?
そんなことより証拠を掴みに行かなくては。俺は1階に向かった。
玄関に着くと部活終わりの生徒達で溢れかえっていた。そのなかに陸上部の生徒もいるが速水さんの姿はない。
「速水先輩、今日も自主練だって!本当に努力家だよね!ここ最近調子崩してたけど全国大会絶対に優勝できるよ!」
下級生の女子2人が楽しそうに話している。
本郷は速水さんが大会で結果を出せずにいたから八つ当たりしてたに違いない。
急いで靴を履き替え他の生徒ととぶつかりながら外に出た。なるべく誰にも見つからないように泥棒のような挙動でグラウンドに向かう。
広い砂地に着くと人気は無い。小走りで体育倉庫に向かい冷たい鉄の壁に耳をつけると例の打撃音が聞こえてくる。
耳を離し深呼吸をして扉を少し開けてカメラを構える。
「てめえいい加減にしろや!何度言えば分かるんだよ!!!」
彼女の綺麗な脚に細い棒が何度も当たる。
「ごめんなさい...。ごめんなさい...。」
その声に生気は無かった。
すると本郷がこっちに近付いてくる。
もしかしてバレたのか?
尋常じゃない速さで鳴る鼓動を感じながら足音を立てないように倉庫の裏側に身を潜める。
勢いよく扉が開き大きな足音を立てながら本郷は建物の方に消えていった。
鼓動が収まったのを確認して急いで扉を開ける。そこには横たわり泣きじゃくる彼女がいた。
「速水さん!!!大丈夫!?」
急いで彼女に駆け寄り声をかける。彼女は体勢を起こしながらギョッと目を見開きかすれた声で言う。
「お願い!!!誰にも言わないで!!!私のせいで皆に迷惑かけたくないの!!!」
見たことない彼女の迫力に身体が動かなくなってしまう。
「何でだよ!?本郷がしたことは許されないことだろ!!!現に身体も心もボロボロになってるじゃないか!!!!」
彼女の威勢に飲まれ俺も声が大きくなってしまう。
「吉野君には分からないんだよ!!!余計なことしないで!!!」
彼女は倉庫を飛び出していきその後を追いかけようとするが体育以外で運動しない俺が全国優勝候補に勝てるわけもなく遠ざかっていくその小さな背中を見ることしかできなかった。




