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変なやつまとめ(長いやつ)

02 - 映画館

作者: 櫻井ゼノン
掲載日:2026/04/24

私は映画を映画館で観るのが趣味だ。


もちろん自宅で静かに観るのも好きなのだが、

大画面で目に飛び込んでくるような映像と、広く囲まれた迫力のある音響、

そしてあの映画館特有のポップコーンとコーラを楽しみにしていた。


今日も私は、月一の息抜きとして、映画館に来ていた。

ただ、毎度のことだが、何の作品を観ようとは決めていない。


流行りものを先に知ってそれを観に行くというより、

映画との一期一会のドキドキ感を大事にしていたからだ。

流行に乗るのが嫌いな、ただの天邪鬼な性格であるとも言えた。


今回はもっと思い切りを良くして、

観に行く映画館自体を別のところにしてみた。


そこはいつも通っている映画館よりはかなり小さく、こぢんまりとしていたが、

そのおかげか空いていて、チケットの購入も待つことなく、

すぐに窓口でやり取りをすることができた。


他に客はいるので、独占しているわけではないのだが、

ただそれだけで、自分のために用意された場所のような気さえしてしまう。


チケット購入の窓口にいた店員は、私を確認して視線が合うと軽く微笑み、

慣れた所作で軽く頭を下げ、話しかけてきた。


「いらっしゃいませ。お客様は、当館のご利用は初めてですか?」


「あ、はい」


「では、当館について、ご説明いたしましょうか?」


映画館の説明か。今更だし良いだろう。

静かに、他の客の迷惑にならないように、スマートフォンの電源を切って、

飲食物は持ち込まず、ポップコーンや飲み物も自分の場所で…どこでも同じだ。


「あぁ、いえ。大丈夫です」


もしかしたら、ポイントカードのようなものがあるのだろうかとも考えたが、

特にそういったことは言われず、チケットの購入へと移った。


ここのチケットは「二本立て」でやっている映画館のものなのだろう。

一種類だけしかなく、どの映画を観るかなどは決められなかった。

先ほど尋ねられた「ご説明」とは、これのことだったのかもしれないな。


料金は大人一人1500円。やはり一般的な二本立てのチケット代だ。

今日の映画が何かは分からないが、いつもの私の観方を考えれば、

そんなことを気にする必要はほとんどない。これもまた、一期一会だ。


私は料金ピッタリで支払って、チケットを購入すると、

隣の飲食物の販売コーナーへずれて、何が置いてあるのかを確認した。


…というか、こういった小さな場所でも飲食物が売られているんだな。珍しい。

元々期待はしていなかったので、これは嬉しい誤算だった。


ここには大きな電光掲示板などはなく、

代わりに小洒落た喫茶店の前にあるような、折り畳み型の黒板が立ててあり、

そこに細かくメニューが書かれていた。


飲み物の中には一般的な映画館のようにコーラもあったが、

カモミールティーや、無糖のホットココア、ホットミルクなどもあり、

私は目新しさから、せっかくなので、カモミールティーをいただくことにした。


食べ物もケーキやタルトまであって、

ここは本当に映画館で合っているのかと驚いてしまう。


どちらかというと、看板もそうだったが、まるで喫茶店のようだ。

売店の裏は一体どうなっているのだろう。


私はそんなことを気にしつつも、

つい、パンケーキと、フルーツタルトを注文してしまった。

何を隠そう、私は甘い物には目がないのだ。


いつものようにポップコーンも頼んでみたかったが、

カモミールティーにはあまり合いそうになく感じられたので、

とりあえず今回は、甘いものだけを楽しませてもらうことにした。


私が注文をしてからしばらく待っていると、

小さなトレーに商品を乗せた店員が戻ってきた。

うーん。どれもちょうど良いサイズで、とてもおいしそうだ。


私はまた代金を支払い、それらを受け取る。

かなり割高ではあったが、これはまぁ、映画館料金だな。

飲食物を購入して映画館にお金を落とすのも、これはこれで大事なことだ。


ハチミツがかかり、バターの乗ったパンケーキの、

温かく、甘じょっぱそうな香りを楽しみながら、

なんだか既に幸せな足取りで、私はシアターへと向かった。


シアターの内部は、ぼんやりとした、暖かみのある明かりに包まれていた。

中を見渡すと、既に、まばらに座っている人たちがいる。


しかし、シアターへ入ったはいいが、

チケットには、特に自由席か指定席かが書かれていないことに今更気が付いた。

まぁ、何も書いていないということは、自由席ということで良いのだろう。


私は真ん中のあたりの列に、すすっと入り、

四十代か五十代に見える男性から、数席離れて席につこうとした。

しかし、先にその男性がブランケットをひざに掛けているのが目に留まった。


この歳の男性がブランケットを掛けているなんて珍しい。

いや、人を見かけで判断してはいけないか。

今日は確かに曇りで、少々冷え込んでいたからな。


むしろ、私もブランケットが欲しいと思ってしまった。

足に何かが掛かっていると、それだけで落ち着いた気持ちになれるものだ。

このおじさんも、ゆったりと映画を楽しみたいのかもしれない。


私は視線を前に戻すと、沈み込むようなふかふかの席にゆったりと座った。

ひじ掛け部分には、横から水平に引くタイプの台座があり、

それを引くと、その上にトレーをしっかりと乗せることができた。


頼んだ食べ物は簡単につまめるようなものではないから、

映画が始まる前に食べきってしまった方が良い気がする。

照明が落ちたらほとんど見えなくなってしまうからな。


ということで私は早速、手始めにパンケーキを、

プラスチック製のフォークでサクッと切って一口頬張った。

口の中に広がるバターとパンケーキの香りに満足し、そのうまさに舌鼓を打つ。


うーん、うまい。ハチミツの甘さがちょうど良い。

バターもいい塩梅だ。これはタルトも楽しみだぞ。


熱いくらいのカモミールティーも、少しずつ間にはさみながら、

私はそれらをもくもくと食べてしまった。

たまにはこういう日もいいな。まぁ、私は映画を観に来ているはずなのだが。


私が至福のひと時を終えてから少しすると、

ブザー音がすることもなく、静かに照明が落ちていった。


素晴らしいタイミングだ。

私は軽く姿勢を整えてから、正面のスクリーンを見た。

さて、今日の映画は私にどんな体験をさせてくれるのだろうか。


私がじっと正面を見ていると、そこには薄っすらとだが、

映画が映る範囲と同じ広さで、白く四角い画面が映し出された。


白ではあるが、真っ白というよりも、どちらかといえば、

ベージュやアイボリーのような暖色系のものに感じる。


しかしなぜだか、そのぼんやりと明るいスクリーンの画面から、

映像が先へ進まない。ただ白い長方形が映し出されているだけだった。


映画館側のミスか、それともこの映画館では最初はこうなのか、

あるいは映画がこういった始まりなのか、

私には判断することができなかったが、とにかく私はその画面を見続けていた。


そして、二十秒ほどすると、囁くような入りで「G線上のアリア」が流れてきた。

だが、画面は白に近いベージュ色の四角から何も変わらない。

私はこれがミスなのか、演出なのか、段々そわそわとし始めた。


そこから少なくとも、また同じくらいの時間、この状態が続いていた。

なんだか不思議な気持ちになってくる。いや、不思議というか変だ。

ホラー映画を観ているときよりも落ち着かない。


私は気持ちを抑えるように、

残っていたカモミールティーを少しだけ口に含んだ。


そして、他の人も同じ様子なのかが気になり始めたので、

近くに座っていた、先ほどの男性をちらりと見た。


その男性は目を閉じていた。


そして驚いたことに、私の側から見えるその静かに閉じた目から、

つぅと、一筋の涙が流れていた。


照明が落ち、ほとんど正面の明かりしか見えない暗い部屋の中でも、

わずかなスクリーンの反射で、涙がきらりと光っているのが見えていた。

私がそれを見てからすぐに、男性は片手を使って、軽くこするように涙を拭った。


私は思わず自分を恥じた。


そうか、これはそういうものなんだ。

この画面を見て、音楽に耳を傾け、このベージュ色の画面の向こう側に、

想像の世界を自分で広げていく。そういったものだったのだ。


そうだ。一時間以上真っ青な画面を映し続ける映画があったのは知っている。

それにかなり近い試みだと思われた。

あれには人の声があったと記憶しているが、これは本当に音楽だけのようだ。


こんな小さな映画館で、そのような前衛的なことをするとは予想できず、

私はこの状況に色々と頭を巡らせることになった。


音楽でいえば、4分半程度の音のない演奏というものもあった。

また、既成のものにタイトルをつけただけのものを芸術作品と言い張ったり、

ただ同じ絵の具一色で塗りたくっただけのような絵画もある。


それらも芸術といえば芸術になる。

現代アートというか、なんというか、私には理解の及ばない世界だった。


だが、幸いにも、このベージュ色の画面と、

流れてくる「G線上のアリア」を楽しむくらいの心は私にもあった。


この薄暗い映画館の中で、

ただひたすらに、このぼんやりとした一色の画面を見つめている。


この時間は何なのか、どんな意味があるのかとも思ったが、

同時に、私の人生についても考えさせられていた。


今までこんな風に、瞑想のような時間を過ごしたことがあっただろうか。

しかし、ただ「空」になる瞑想とは違い、どこか温かみがある。

温かさに包まれている。そんな風に感じられていた。


私は隣の男性のように、一度、目を閉じてみた。

この音楽を聴いていると、私の胸の内が穏やかになり、

春の草原と、その間を緩やかに流れる、細く長い小川の情景が目に浮かんだ。


一面の緑鮮やかな明るい草原が、

柔らかな風で波打ち、さらさらと音を立てている。

私は小川を見下ろせる、なだらかな斜面に立っていた。


小川のすぐそばまで、さくさくと草の音を立てながら近づいていくと、

そこからちゃぷちゃぷと川の流れる音が聞こえてくる。


とめどなく流れている川の水面を眺めれば、

その澄んだ水の表面は、優しい太陽の光を、いきいきと煌めかせていた。


ふと空を仰げば、気持ちの良い水色が、どこまでも広がっている。

そこを小さなふわふわとした雲が、のんびりと風にあおられて進んでいた。


私は両手をそっと広げた。

暖かな空気の中、草原と一緒になって、

少しだけ涼しさを感じる風を全身に受けていた。


思えば、私の人生は忙しいものだったな。


何かをしなければいけないと、何かをして生きていなければいけないと、

そう思い込んで、ずっと走り続けてしまっていたのかもしれない。


そんな自分をいたわるような気持ちと安らぎからか、

想像の草原に立っている自分と、今の自分を重ねてしまい、

自然と私の目から涙がこぼれ、頬を伝っていた。


私は一度、想像から離れ、目を開く。

スクリーンには相変わらず、ベージュ色の明かりが映っていた。

先ほどより、少しだけ明かりが弱くなっているように感じる。


それをしばらく眺めていると「G線上のアリア」の曲が静かに終わった。

そして、今度は「モーツァルトの子守歌」がオルゴールの音で流れてきた。


オルゴールの、ポロン、ポロンとした優しい響きで、

私はどこか、赤ん坊に戻ったような感覚を覚えさせられていた。


私はまた、想像の世界に誘われるように、目を閉じた。


心地の良い、静かな音色を聴いていると、夜の星空が浮かんできて、

同時に、母親に見守られているような感覚にもなった。


そうか…私にも、そういった愛情を受けていた時期もあったのだな。

何かにひどく苦しむこともなく、悩むこともなく、

何も考えずにいても、ただひたすらに、幸せで、愛されていて…


再び心の芯が震えてきて、目頭が熱くなってくる。

どうしても、今の歳をとった自分と、小さな頃の自分を比べてしまう。


何も知らず無垢であった頃…赤ん坊の頃など、私の記憶にあるはずもないが、

戻ってみたい、心から愛されてみたいと、心の奥底でそう思ってしまった。


私は深く、背もたれに体を預けた。

体の力を抜くと、白いベビーベッドに入れられ、

色んな人たちにあやされている、赤ん坊に戻った自分がイメージされた。


天井にはプラネタリウムのように、星空が映し出されている。

それを見ながら、届くわけがないのに、短い両手を必死に伸ばして触れようとし、

それでも私は嬉しそうに、無邪気に笑っていた。


ああ、あの星が取れたらいいのにな…

そんなことを思いながら、いつの間にか、気がつかないうちに、

私はゆっくりと意識を手放していた。


―――


私は肩を優しく揺すられる感覚で目を覚ました。


「おはようございます。お時間ですよ」


私は「ん…」と小さく声を出し、ぼーっとした意識のまま、

固くなってしまった体を伸ばすため、軽く体を動かした。


そして、寝ぼけ眼をこすりながら、声をかけてくれた人の方へ顔を向けると、

女性の方がこちらを見ていた。店員さんだろうか。


「あ、ええと…」


「あ、起きましたね。おはようございます。よく眠れましたか?」


優しく声をかけられるが、なんだか頭がふわふわとする。

私は何をしていたんだっけ。

…ああ、そうだ。映画を観に来て眠ってしまったんだ。


既に部屋は明るくなっており、

スクリーンをちらりと見ても、もう何も映っていなかった。


「あ…あれ、映画は…終わっちゃいました?」


「あら、まだ寝起きでぼんやりしてらっしゃいますかね?」


「…ん? ああ、ええと…途中で寝てしまって」


「あっ…あの、ここ映画館じゃないですよ? 起きたときに勘違いされる方、そこそこいらっしゃいますけど」


女性店員さんが小さく、くすくすと笑った。


「入口で説明を受けませんでしたか? ここ、映画館を使って、その雰囲気で寝たい方向けの施設ですからね」


「えっ…? んっ…?」


えっ、いやいや。


いや…えっ。あれっ。


いやだって…あれっ…えーと…そんなはずは…


だって、そういう想像力で映画を観る前衛的な…あ、あれ…


私が妙な恥ずかしさを感じて、頭の中があたふたとしているところで、

少し離れた席に座っていた、あの男性が、もぞもぞと動いた。

そして目を閉じたまま、私と同じように伸びをした。


「ふわ~あ…」


男性はそのまま大きくあくびをした。

そのぎゅっと閉じた目から、涙が一筋、こぼれて落ちていくのが見えた。


…あっ。


スゥー…と思わず、音を立てて息を吸い込んでしまう。

そっか。ああ~、そういうことね。そういうことだったのね。


…い、いや。でも、あの体験自体は間違いではなかったし。

私は私の想像でちゃんと感動したし、音楽は良いものだったし…

悪くはなかった。…悪くはなかったよな。


そう言い聞かせようとしたものの、

やはり心の芯に、恥ずかしさは残ってしまった。


ここで食べた食べ物も良かったし…ああ、そうか。カモミールティー…そうね。

映画館の窓口で説明。なのに映画の説明は無し。小さいところなのに飲食物あり。

ブランケットも、暖かい照明も、ブザー無しも、ベージュの画面も…ああ、もう。


全部が全部、繋がってしまった。

普通の映画館と違うところはいくらでもあった。


…ああ、うん。そうだな。


知らないところに行った時は、説明が受けられるのならちゃんと聞いておこう。

私は今回の体験で、そう、固く誓ったのであった。


…しかし、まぁ。色々と疲れたら、またここに来るのも悪くはないか。

今度はブランケットを持ってきて、別の甘いものも楽しませてもらおう。

映画館以外の楽しみが、一つ増えたと思えばいいんじゃないか。


私はごちゃごちゃとした考えを振り払うように首を振った。

そして、もう一度ぐっと伸びをすると、

隣の男性を真似るように「ふわぁ」と大きくあくびをした。


そうやっているうちに、頭がだいぶすっきりとしたせいで、

今の状況を改めて考えてしまい、小さく自嘲気味にため息をつく。


それを誤魔化すためかは分からなかったが、

私は席を立つ前に、思わず、ふっと笑ってしまった。

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