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悪逆の開花



 そこからは案外すんなり事が運んだ。「娘の婚約者がどうかしている」という事実が効いたのだろう。僕は仕事だから行かないという伯爵を追加の大癇癪おねだりわがままビブラートでねじ伏せ、馬車には全員で乗りたいとさらに全身ドラムでとどめをさした。ノクター伯爵が不満を口にすることを察知した僕は、伯爵が口を開いた瞬間すぐ腰を落し、アンコール予備動作をすると伯爵の心は完全に折れたようで以降僕を死んだ目で見ている。


 そしてレイ・ノクターも疲れているようだ。心から同情する。


 馬車に乗り込むと、僕の屍を越えなければ誰も出ることはできないよう、扉側に陣取った。父が僕をさり気なく移動させようとしたけど、手を睨み短く唸って威嚇をした直後、目を見開き満面の笑みで息を大きく吸い込んだら引いた。今の僕に譲り合いの精神があると思わないでほしい。大きい声を出します。


 さり気なく隠し持っていた縄を取り出し、内側の手すりに通し、座席下の金具に結ぶ。これで僕の腕力関係なしに、縄により扉を固定することが可能だ。この縄は昨夜、メロに用意してもらった。耐久テストもしてある。簡単には千切れない。心配なので内側に取り付けられている手すりも念の為握りしめておく。


 馬車の中は異様な空気に包まれ、みんな僕に怯えている。


 でもこれからもっと、怖いことが起きる。



 夜の景色が車窓を流れていく中、僕は劇場に到着するのを待っていた。この馬車が劇場に辿りついた時、人を殺そうと決意し、あまつさえ実行する人間が現れる。

 今まで生きていて、「こいつをどうにかしてやる」と恨む相手はいた。弟を一方的に糾弾し、筆箱を破壊した人間だ。しかし殺すと決意し、あまつさえ殺害計画を練ってまで殺したいと思った人間はいない。前世時代、トラックの運転手だって、僕をひき殺そうとして突っ込んできた訳ではない。あれは事故だ。


 しかし、これから先対峙するのは人を殺せる人間。だからこそ不安だ。そんな人間を挑発しなければならないし僕がただ失敗して殺されるならまだしも、馬車の中のみんなや、この馬車を走らせる御者が危ない。


 ぽつぽつと店の灯りが車窓から差し込むようになってきた。もうすぐだ。もうすぐ。心臓が軋むように鼓動して、呼吸が浅くなっていくのが自分でもよく分かる。馬車を開く手すりを握りしめる力を強めていくと、劇場の広告が見え、徐々に馬車は減速していく。


「もうすぐ到着するみたいだな」


 安堵を滲ませノクター伯爵が呟いた。やがて馬車は止まる。


 そしてすぐ、人影が馬車の扉の前に現れた。待ち構えていたかのようなタイミングだ。男が劇場の灯りを遮り、こちらに影を差すように立ち、馬車の扉をノックする。


「こんばんは、僕です。ジングです。姉さん開けてよ」


 妻の甥です、とノクター伯爵が両親に説明した。


 穏やかな声なのに、どこか切迫したものを感じる。この人が夫人を殺そうとしている。扉の手すりを握りしめる手が固くなり、汗がにじむ。縄もあるしこちらから開けない限り大丈夫なはずなのに、心臓の音が煩い。


「ミスティくん。開けてちょうだい、紹介するわ」


 僕を諭すように語り掛けるノクター夫人の言葉を無視した。口を固く閉ざしじっと扉を見つめていると、異変を察した両親が僕に声をかける。


「どうしたのミスティ?」


「ほら、早く開けなさい」


 僕は両親の声すら無視し、窓越しにノクター家の甥に視線を向ける。


 穏やかそうな男だった。不審者にも変態にも見えない。ぽつんと夜道にたっていても怪しまれなそう。世間一般が想像するような殺人犯のイメージ……暗く陰気な男とはかけ離れている。明るくて親しみやすい、なにかのパンフレットに載っているような爽やかな人だった。


 なのに、瞳の奥にぞっとするものを感じた。


 性格が暗いとか陰湿とかそういうのじゃない。あ、殺されるなと肌で感じる。


 しかし負けてはいけない。怒らせなければいけない。怒らせて、捕まるよう誘導しなければ。ぎゅっと取っ手を握る力を入れ睨む。


 しかし、何か挑発しなければならないのに、言葉が出ない。相手が刃物を持っていることを認識し、失敗を考えて、言葉自体は頭に浮かぶのに声に出せば手の力が緩んでしまいそうで怖い。


 でも駄目だ。今日失敗したら、夫人はいつ殺されるかわからない。このままではいけない。甥を睨み付けて、肺に呼吸を入れて、お腹に力を入れる。


「夫人は伯爵を選んだ。伯爵と幸せになることを選んだ。貴方が何をしようとしても何も変わらない。助けてなんて思ってない。それは貴方の想像の世界。助けを求めてる設定で動きたいだけ。子供のごっこあそびから抜けられない。おもちゃのナイフが本物の刃物になっただけで、なにも成長してない」


 はっきりと甥に告げた。


 挑発は、これでいいのだろうか。


 様子をうかがっていると、それまで笑みを浮かべこちらを伺っていた甥から表情が一瞬にして消えた。効いている。確かな手ごたえを感じることと反比例するように、手すりを握りしめる実感はどんどん薄れて、代わりに酷いぬめりを感じた。足がすくみそうになるのを押さえ、甥を見据える。


「貴方は自分をただ夫人を愛してるだけだと思っているのでしょうが、それは違う。自分の想いを拒絶されることが受け入れられない、自己愛だけが肥大化した救世主気取りの加害者だ。愛してるなんて理解できてない。それっぽく自分の感情が本気で受け取ってもらえる言葉を選んでるだけ。だから何にも届かない──っていうか媚びるのだけが上達した無害ぶった笑い方気持ち悪いんだよ」


「君、さっきから一体何なんだ‼」


 甥が反応する前に、ノクター伯爵がこちらに身を乗り出してきた。伸ばされた手を防ぐように肩に力を籠める。その時だった。


「うるさい、うるさい、うるさい! あたしと彼女は結ばれる運命なんだ!」


 甥の表情が、一転して荒々しいものに変わり、ナイフを取り出した。その声に先ほどまでの穏やかさは無く、煮えたぎる憎悪と渇望が詰まっている。甥はドンドンと狂ったように扉を叩きつけはじめた。ナイフで切り付けているのか、耳を貫くような不快な音が響く。内側の手すりは縄で縛り抑えているのにも関わらず、扉が破られそうな衝撃に、全身の力を入れて踏ん張る。


「ほら、出ておいで、痛くしないように、一瞬で殺してあげるから! 二人で幸せになろうね!」


 そう言っている間にも強く扉を叩き続ける。力負けするんじゃないか。早く来てくれ、劇場の守衛でも護衛でも何でもいいから。全体重をかけているのに、扉と一緒に身体ごと吹っ飛ばされそうに感じる。最悪刺し違えてもいいから、誰か。そう願うと同時に、手すりを握る手にがっしりとした固い手が重ねられた、この手は。


「おとうさっ……」


 父とノクター伯爵が扉を抑えるのに加勢してくれている。そう気づくと同時に母は僕やノクター夫人、レイ・ノクターをまとめて抱き込んだ。みんなを庇うようにきつくきつく抱きしめてくる。


「お前が、ノクター家が、お前が全部悪いんだ! お前さえいなければ!」


 母の肩越しに、甥が怒鳴りつける姿が見える。甥の目がノクター伯爵を捉えた瞬間勢いが倍になった。振動が激しすぎて、訳が分からない。


「お前がっ! 彼女を閉じ込めたせいで全部おかしくなったんだ! お前……がぁっ」


 ふいに振動が止み、母が僕を抱える力が緩んだ。甥は守衛や護衛に後ろから羽交い締めにされ、馬車から引き離されている。やった、これで。


「取り押さえろっ」


「こいつっ」


「ナイフ取れナイフを!」


「離せ、返せ! 彼女を返せよ! あたしは! 彼女を解放するんだ! どけよ! あたしは、彼女を幸せにっ! しなくちゃならないんだよお!」


 後から来た衛兵たちが甥を五人がかりで取り押さえている。間に合った、終わった、大丈夫。これで……ほっと安堵し、母の腕からそっと身を離そうとした、その瞬間だった。


「愛してるよ、あたしは君を愛してる!」


 目を見開き、全身のすべての力を込めて馬車に向かって、甥が叫ぶ。それを、その目を、はっきりと見た。もう完全に取り押さえられ、連行されるというのに、目の前で刃物を持っているような感覚に襲われていると、目の前に勢いよく黒い影が通り過ぎた。


「貴様がああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 ノクター伯爵が勢いよく扉を開け放ち馬車から飛び出す。メロが破れないと言っていた縄は引きちぎられている。


 急いでノクター伯爵を目で追うと、甥めがけて突進し、周囲なんてお構いなしに甥を殴りつけた。そのまま一発、二発と何度も右の拳で甥を殴り続け、護衛が慌ててノクター伯爵を守りつつ押さえ始めるとその手を振り払い、また甥に対して拳を振り上げた。


「今まで俺の妻に! 薄汚い手紙を! 殺す! どけっ邪魔だっ邪魔するなあああああああああ殺すぞ‼ 貴様は今ここで殺す‼ 絶対にだ‼ どけえええええええええええええええええ‼」


 甥じゃない。まごうことなきノクター伯爵が放った言葉だ。しかも二言目の、邪魔だ殺すと言っている対象は衛兵である。甥を殺せない、邪魔だと衛兵に言っている。怖すぎる。声色も怒りと憎しみがこもり、別人なんじゃないかと思うほどの豹変だ。夫人のほうを向くと夫人も呆然としている。その表情は甥への恐怖というより自分の夫に対してだった。


「うるさいうるさいうるさい! お前が金に物を言わせて、彼女を買ったんだろうが! 卑怯な手を使って! 元は使用人の分際で!」


 甥が言い返した。追加で駆けつけた衛兵や劇場の守衛が混乱している。甥は五人がかりでしっかり押さえつけられ地面に伏し、虫の息に近い中で呻くように叫んでいるが、顔はぼろぼろで弱々しい。しかしノクター伯爵は八人、九人と人が増えてもなお勢いが止まらず、多勢で引き離しているのに、衛兵事どんどん甥と距離を詰めようとして甥に罵声を浴びせながら暴れ衛兵を振り払い暴れ狂っていた。


 どこから出ているんだあの力は。どんどんノクター伯爵を取り押さえる衛兵が増え、ノクター伯爵は見えなくなっているのに。


「俺の妻は金で買われるような人間じゃないんだよおおおおおおおおおおおおおっっ‼ いいか、これで助かったと思うな、どこに収容されようが必ず見つけ出して貴様を殺してやるからな。死刑になろうが関係が無い、司法の生ぬるい裁きなんか受けさせてたまるか‼ 苦しめて苦しめて、殺してやるからなぁあああああああああああああッ」


 冷静沈着で機械的だったノクター伯爵は、歯をむき出しにして、甥に向かって怒鳴りつける。僕の母は僕とノクター夫人やレイ・ノクターを抱きしめていて、僕の父は、みんなを守るように立っているけれど、甥もそうだけどノクター伯爵からも僕らを守ってくれているように感じた。



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