人は気付かないうちに死亡エンドにはいる
「ここが客間だよ。といっても、この間来たところだけれど……」
そう言って、レイ・ノクターは客間を前にして困ったように笑う。でも、僕も困っている。
地獄の沈黙から二週間。何故か我が屋敷に届いたノクター家からの招待状により、何故か僕はまたノクターの屋敷に招かれていた。
およそ一週間前ノクター家から送られ、てっきり「婚約お断りでしょ、間違いなく」と期待し開いた手紙には超要約して「またお話がしたいので屋敷に来てくれませんか」という内容が記されていた。そして、手紙を受け取った我が父が「では近いうちに」と返事をし、双方の予定を鑑みた結果、現在に至る。展開が早い。ついていけない。
この、レイ・ノクターという攻略対象の存在が現れ始めてからの、婚約が実はほぼ決定や、屋敷への来訪など突然の連続と強引すぎる物事の動きは、「レイ・ノクターには婚約者がいる」という設定を崩さない為の、世界の理的なものが働いているんじゃないかと疑わざるをえない。
もしくは僕が不審者すぎて、早めに打ち解けておこう、もしくはコミュニケーション能力を鍛えようと思わせたのか。レイ・ノクターは誰にでも手を差し伸べるし、顔合わせの時の僕の態度は最悪だった。世にはなってはいけないと考え、ホスピタリティを発揮して今日にいたったのだろうか。
両方な気がする。
そして今日も屋敷に着き、僕の両親はノクター夫人と大人のお話をすると別室へ、僕とレイ・ノクターは二人きりにされた。
ちなみにノクター伯爵はどうしても外せない用事があると出て行き、僕両親対ノクター夫人という図式らしい。「ごめんなさいね、招いておいて」と夫人が謝っていたが、出来ることなら永遠に招かないでほしかった。本当に申し訳ないけど。
「次は何処へ行く? ミスティ」
廊下を歩きながら、レイ・ノクターが嬉々として笑う。今回も一緒にお茶を飲むものだと思っていたが、「今日は屋敷の中を案内するよ」というレイ・ノクターの言葉により、現在屋敷を徘徊ならぬ案内してもらっている。案内してもらったところでこの屋敷に住む日なんて永遠に来ないし、知る必要は何処にもない。出ていく扉だけ知りたい。
「行きたいところが思いつかないかしら?」
レイ・ノクターはこちらに笑いかける。はい。地獄と刑務所以外ならどこでもいいです、という言葉を飲み込み曖昧に笑い返した。彼女と会うたびに、曖昧な笑みの技術が向上していく気がする。
というか彼女は本当に前回の対面を忘れているのだろうか?
二週間と言えど、人はそんなに簡単に物事を忘れられる生き物ではないはずだ。二週間前の食事ならまだしも、婚約不審者との初対面、あの記憶が強く記憶に残らないはずがない。白を基調とした王宮のような廊下を歩きながら、そっとレイ・ノクターの歩く背中を見つめる。
……もしや、婚約者との初対面だからこそ、あの地獄の沈黙を「恥」だと捉えたレイ・ノクターが、両親の手前正直に話せず、持ち前の善良性で仮にも婚約者を悪く言えず「ミスティいい人でしたよ」なんて曖昧に誤魔化し、それを彼女の両親が「いい人」と誤解したなんていう、誤解が誤解を生んだ状況なのでは?
彼女の後ろを歩きながら考えていると、突然レイ・ノクターが停止する。危うくぶつかりそうになるが、距離が開いていて接触はしなかった。レイ・ノクターはこちらに振り返り、「ここの先が、父の部屋なの」と言って、目の前を指で指し示す。豪壮な、いかにも屋敷の主の部屋ですよ、といった扉があった。しかし気になるのはレイ・ノクターの表情だ。どことなく悔やむような、悲しむような、どちらともない表情で彼女は扉を見つめている。
「まあ、父はあまり家に帰ってこないから、覚えなくていいかもしれない」
ぼそっとレイ・ノクターが呟く。その声は、今まさに彼女の触れられたくない部分、要するに地雷を踏んだんじゃないかと不安がよぎるような声色だ。
でもレイ・ノクターとお父さんのイベントなんてあった覚えもないし、今朝喧嘩して気まずいとか、そういう可能性もあるはず。
「ああ、大広間を案内するのを忘れてた、こっちよ」
レイ・ノクターが手招きし、来た道を戻っていく。声色も表情も、こちらを気遣うものに変わった。違和感を抱きながらもそのまま少し歩いていると、大広間に通された。
「ここが大広間。今度夕食会を開くから、ここで一緒に食事をしましょうね」
レイ・ノクターは僕に見て回ってもいいと伝えるよう微笑みかけ、手ぶりで奥へ入るよう促してくる。間違いなく最後の晩餐だ。死ぬやつだ。そう心の中で彼女の言葉に震え上がりながら部屋の中をぐるりと見渡す。
すると視界に入るのは、白と金を基調とした調度品たち。
そして中央には、人間の火葬も可能そうな大きい暖炉があった。僕を放り込んでほしい。その上には肖像画が飾れそうなスペースがあった。
なんだろう。空白、という印象が強い。壁が白いから寄り空きスペースとして目立つのだろうか。部分的に色が違うならば実は死体を隠して塗装している、隠し扉があることが疑われるが、本当に何もない空間。真っ白な壁だ。でもそのスペース以外は、壁に花や装飾がかけられ、まるでその場所を開けているかのように、そこだけに何もない。
「わたしたち、ここで食事をしていたの」
じっと空きスペースを眺めていると、レイ・ノクターが沈黙を気にしてか口を開いた。その言葉に「……していた?」と疑問を感じるままに返答をすると彼女は「父は忙しいし、母は食事をとらないときがあるから、それに二人とも、今は大体自室で取るから」と、どこか寂しそうに返す。
「そうなんですか」
「別に、一緒に食べても食べなくても同じだけど」
父を語る彼女は責めているような寂しそうな、かといってそれだけじゃないようだった。レイ・ノクターとて十歳の女の子なわけで。父親が中々家にいないことは寂しいのだろう。
それにしても、空きスペースが気になる。ついつい食い入るように見つめてしまう。肖像画でも飾ればいいのに。
「お父様は……自分にも他人にも厳しい方だから。仕方ないの」
相槌を打とうと思いながら、何となくレイ・ノクターの言葉に引っかかるものを感じる。彼女の物言いや、雰囲気、声色ではなく、その言葉自体に。
――仕方ないの。
そうだ、これだ。
「何かあった?」
じっと食い入るように壁を見つめる僕を、レイ・ノクターが不審がる。
怪訝さを隠さない、蒼の瞳。
海に透かしたかのような色を見て納得した。ああ、そうだ、この言葉はゲームの中で、レイ・ノクターが彼女の母の墓前で発した言葉だ。「仕方がない」そう言って、悲しげに彼女が言ったのだ。
『仕方ないの。どうしたって、お母様はもう戻ってこない』
ゲームの中の十五歳の彼女。
目の前の、十歳の彼女は僕を見て「どうしたの?」と首をかしげる。
「すみません何でもないです」
愛想笑いをつくり誤魔化すと、レイ・ノクターは深く追求することも無かった。そして僕から視線を外し、そろそろ移動しようと広間の扉に手をかけ僕に促す。促されるまま彼女の方へ向かいふと立ち止まった。
……レイ・ノクターの母の墓前?
墓前って、死ぬところじゃないか。そう考えて、ゲームのイベント映像がまるで目の前に投影されたかのように映し出される。主人公が、彼女と一緒に彼女の母のお墓参りをするイベントが。
ある時、レイ・ノクターは唐突に学校を休む。主人公が気になりノクターの屋敷へ向かうと、丁度レイ・ノクターはどこかへと出発する途中で、話の流れで一緒にどこかへ向かうことになる。そしてその場所は、墓地だった。彼女は命日に母の墓参りへと向かい、主人公は同行することとなる。そして墓参りを終えた帰り道に、レイ・ノクターは淡々と語るのだ。母がどんな存在であったかと共に、その死の理由を。夫人は殺されたのだ、彼女が十歳の時に。夫人に届かぬ恋心を抱き、その恋の炎を憎悪の炎に変えてしまった実の甥に。彼女の母はゲーム開始にはもういなかった。もう亡くなった状態だった。
ゲームでは、今まさに空いている暖炉の上の壁に、レイ・ノクターの母であるノクター夫人の肖像画が飾られていた。だから違和感を感じていたのだ。あったはずの肖像画が無かったから。
しかし今、その絵は存在してない。ノクター夫人が死んで、その顔を忘れないようにという意味も込め、伯爵が画家に描かせたから。
――犯人はお母様を刺し殺すとき、愛している、幸せになろうと叫んでいたの。
──劇場の前だったから、周囲は劇の演出だと誤解していて、誰も助けてくれなかったわ。
──私はお母様を助けられなかった。
──仕方ないことなの。仕方ない。みんな言うの。お父様は言わなかった。
──お父様は私のことを恨んでいる。
温度の無い声で、ゲームのレイ・ノクターは言っていた。母は、狂った甥に殺されたと。目の前の彼女は十歳だ。ゲームで描写されていた彼女の母の命日は──、
「明日だ」
呟いたその瞬間、糸が切れたようにゆっくりと意識が途切れた。




