レイ・ノクターは完璧令嬢である
レイ・ノクターをひとことで説明するなら完璧令嬢だ。
前髪ありの金髪ロングヘアに、青い瞳の若様。金髪キャラにも属性が色々あるけど、落ち着いた声音でギャグパートでも変なことしないタイプの姫君だ。シリアスなファンタジーゲームに出てくるタイプの氷や水属性の魔法が得意そうな女の子。
彼女はゲームの主人公や僕と同い年の設定で、現代でいう高校に該当する貴族の学校のクラスメイトとして登場する。
頭脳明晰で文武両道、あらゆる分野で彼女は誰かの後を追うことは無く、いつも彼女の後ろを人は追う。その高い能力や家柄をおごらず、誰に対しても優しい。
そんなご令嬢に将来なる少女。つまりレイ・ノクターさん十歳が、机を挟み僕の目の前にいる。そして彼女もまた、こちらを見ている、僕の、婚約者として。
メロからノクター家について聞いた直後のこと、僕はすぐさま父に現状を聞きに行った。
婚約といっても、決定ではないはず。お見合いをしたあと、お互い良さそうな感じだったら婚約といった流れだろう。メロが婚約者と言ったのは、多分たまたま。最悪の場合に備え。安全に留意して二階辺りから飛び降りるか、少し離れた池にでも軽く沈んでおこうと考えながら父に尋ねたところ、婚約は決定事項だった。婚約を決定してからの、顔合わせ。衝動的に飛び降りそうになったがメロに確保された。
父が言うには三か月も前に「そろそろミスティにも婚約者が必要だね」という話をし、僕は「はぁ」と答えたらしい。本当に記憶にない。その頃の僕は、誕生日のカウントダウン前祝いを一日刻みでしたいという父を抑えるのに必死だった。
そんな僕のノイローゼ一歩手前の返事を了承ととらえた父は、あれよあれよという間に婚約者候補からいい人を選び、婚約者を選んだということだった。その後、あれよあれよという間に支度をして、ノクター家の屋敷に辿りついた。
そして、うっすらとゲームで見覚えのある、どこか機械的で淡々としたノクター伯爵と、儚げなノクター夫人と挨拶を交わし、親は親同士、子は子同士と別れさせられ、紅茶を飲んで親交を深めましょうと、レイ・ノクターと二人、こうして一室に収容されてしまったわけである。
そうして、収容部屋の真ん中には、どうぞここでお話ししてくださいと言わんばかりのテーブルと椅子があり、レイ・ノクターと僕が席に着くと、どこから見ていたのか扉が開き使用人が現れ紅茶と菓子を出すとまた去っていった。
目の前には湯気と香りの立つ美味しそうな紅茶、甘い香りのするクッキーが並べられている。ティーカップも、クッキーのお皿も煌びやかな装飾がされ美しいはずなのに、対向車線ならぬ向かいにお座りのレイ・ノクターによって、すべてが石化し白黒に見える。
「改めまして、初めまして。レイ・ノクターと申します」
「こちらこそ初めましてミスティ・アーレンと申します」
目の前のレイ・ノクターを伺う。彼女はゲーム登場時の十五歳の姿しか知らないが、まぁ、十歳のレイ・ノクターだなとは思う。「この子が十歳のレイ・ノクター⁉」にはならない。
そして、彼女の顔を見たら、ゲームのミスティのように異常執着を向けたらどうしようかと心配していたけど、無かった。普通に芸能人にいそうだし将来アイドルとか女優になるんだろうなとは思うけど、怖いが勝つ。怖いので顔も身体も見たくないし、仮に怖くなくても見ていたら気持ち悪がられそうで嫌だ。居心地が悪い。そもそも目的なく女の子と同じ空間にいることが苦痛だ。ぐうーっと胸のあたりを押さえつけられているような気分。インフルエンザの時の頭痛をほうふつとさせる痛みが目頭を襲う。拷問とまではいかないけど、この場から出たい。
可愛い女の子が目の前にいるんだろ、と思われるかもしれない。そういう話じゃない。
可愛い女の子が視界に映った瞬間、思い切り急所を蹴り上げられたとする。それを繰り返されたら、可愛い女の子を可愛く思えても怖くなるだろう。それと同じことが起きている。蹴られてなんかないけど。怖い。
ミスティは嬉々として彼女と二人きりになろうとしていたし、腕に鎖をはめて犯罪をしようとしていたけど、その記憶以前に、居たたまれない気持ちになる。助けてほしい。
それに肝心なレイ・ノクターのイベントも思い出せないし。
ミスティの行いのえげつなさが強すぎて、かき消えてしまっている気さえする。彼女を見て思い出すのは、歯を食いしばり目の前の獲物を食い殺さんばかりの猛禽のようなミスティの表情や、主人公を崖から突き落とし、「お風呂頂きましたよ」とでも言わんばかりの様子、勝ち誇った高笑いばかりだ。
自分の前世を思い出した時に、自分の前世の記憶、きゅんらぶの登場人物のネット評、大体の結末は思い出せた。でも彼女とそのイベントや選択肢に関してはさっぱりである。結局、主人公がどの選択を選んで、ハッピーエンドに入れるか知っているところで悪役の僕には関係ないけれど、これは、物語を進行していくうえで分かっていく、トラウマやコンプレックス、彼女自身の根幹に関わるようなイベントが一切分からないということだ。
何が地雷か分からない、つまり取扱注意。
行きの馬車の中でずっと、この婚約を無かったことにする為に何ができるか考えていたものの、相手のことを何も知らないのであらゆることが怖い。四つん這いになって「ケタケタケタ」とか叫びだして床でも這いずり回れば婚約解消になるのだろうが、絶対男性不信にさせるし両親の教育も問われるので出来ない。
死罪投獄よりかは幾分ましだろうが、下手に悪評がたち、後に死罪投獄の布石になるのも怖い。
だから今日は、婚約話を覆すことは諦め、婚約破棄の際は協力する、敵ではない姿勢を示すことに決めた。しかし、突然「あなたには十五歳の時運命の出会いが訪れるので、その際は身を引きます。僕はいわばその間のつなぎの婚約者です」と宣言すればそれもそれで相手に恐怖を与える。それに彼女は礼儀として誰に対してもにこやかに接するが、男性が得意なわけじゃない、むしろ苦手寄り……緊張するみたいな描写があったような……あれ、ちょっと思い出せたかもしれない
「わたしの事は気軽にレイって呼んで」
「……はい」
お気遣い賜り恐縮です。永劫呼びません。主人公が気軽に彼女を「レイさん」と呼んだとき、「ノクター家の者以外は僕だけがレイと呼ぶ権利があるんだよ」とミスティは主人公の背中を蹴り飛ばしたので絶対呼ばない。
目の前の紅茶にも手を伸ばさず、じっと紅茶を見つめるだけの人として生きていると、その不審な様子を緊張と捉えたレイ・ノクターが今度はこちらに笑いかけた。
「そんなに緊張しないで。ほら、わたしたち同い年でしょう?」
「あはは」
緊張をほぐそうとしてなのか、砕けた口調でレイ・ノクターが微笑むものの、僕の口から出たのは愛想笑いではなく、機械音声の読み上げのほうが百倍マシの「あはは」だった。「あ」に「は」がふたつ。誰か僕をここから出して。ゲームではレイ・ノクターがミスティに「ここから出して」と懇願し「それは出来ないお願いだ」と言い襲い掛かっていたけど、誰か僕をここから出して。
一方のレイ・ノクターはこんな僕に怪訝な顔ひとつせずニコニコしていた。淑女教育ってやべー奴を相手にしてもニコニコするような指導があるのか、僕に怯えて殺されないようにニコニコしているのか分からない。両方な気がする。
「こ、こ、婚約って、いきなりですよ、ねー」
何を話せば、一家離散にならず屋敷で働く人を離職させずに済むのだろう。正直もう僕の命は諦めるから、家と使用人は見逃してほしい。
「婚約ってそういうものじゃない?」
場を和ますようにレイ・ノクターが微笑む。
この言葉は前にも聞いた記憶がある。婚約者がいることを主人公が指摘した際に、似たようなことを言っていた。このまま会話を進めていけば、彼女について徐々に思い出していけるかもしれない。思い出して、何か将来のデッドエンドの打開策を見つけねば。どうにか会話のネタになるようなものは無いだろうか。
「そ、そ、そうですよねー」
頑張ってくれ僕の口角筋。顔を上げて「ステキなお部屋ですねー」と部屋に感動するそぶりを見せつつ何かヒントがないか見回すと、部屋の隅の棚にチェスセットを発見した。てっきりここは客間か何かと思ったが、もしかしたら違う部屋なのかもしれない。少し古びたチェスセットは、掠れや傷はあれど、丁寧に手入れされていた。
「やり方は分かる? 少しやってみない?」
チェスセットを凝視した僕を見て、彼女は立ち上がるとチェスセットを取り、テーブルにのせた。僕はチェスセットを見ていただけで、別にやりたくはない。しかし彼女は「先攻と後攻はどちらにする?」と着席しながら、こちらを伺った。どうやらチェスをするのは決定らしい。どうしよう、このまま呑気にチェスをしてもいいのか? しかし、断る理由も無い。
「じゃ、じゃあ、僕は後攻でお願いします……」
「わかった、じゃあわたしから始めるね」
レイ・ノクターは、徐に駒を動かした。僕は緊張しながらも自軍の駒に手をかけた。
一つ一つ駒を進め、守りに徹する。ゲームを開始して早十分。形勢はレイ・ノクターがやや優勢。で僕は完全に手加減されていた。
「だいぶ慣れているみたいだね、よくやってるの?」
実はオンラインゲームでめちゃくちゃやってました、なんて言えず曖昧な笑みを返す。
そもそも、ゲームをしながらの会話は苦手だ。基本ソロプレイだったのもあるかもしれない。黙ってゲームをすることが普通だったから、全く言葉が出てこない。するとレイ・ノクターは「あ、そうだ!」と何かを思いついたようにこちらを見た。
「ねえ、負けた方がなんでも言うことを聞くっていうのはどう?」
は⁉
僕は愕然とした。そしてゲームの一幕を思い出す。ゲームで「負けたほうが何でも言うことを聞く」はミスティが主人公に対してよく行っていた。大抵は主人公が負け「この学校から去れ」と言われたりするとレイ・ノクターが現れ庇い、「ならこいつの目の前で僕に口づけしろ」と命じられ──といった本当にろくでもない場面だ。物語終盤の最終勝負では主人公が勝って、「今までの罪を認めろ」とミスティに命じ……という流れなのだが、それにしてもとただただ思う。
というか何でそういう発想になる? 生粋のギャンブラーか何か?
ゲームのミスティがヤバいと思ってたけど、この国の貴族がヤバいの?
理解できないコミュ強の発想に混乱する。
そもそも彼女が勝って僕にお願いしたいことなんてないだろうし、僕にもメリットが無い。「チェスゲームに勝ったので婚約解消で」なんて許されないだろうし。ただただ怖い思いするゲームじゃんこれ。鬱々としていると彼女のキングの位置が視界に入った。
「あ、チェックメイ……」
今ならビショップを置いて勝てる。反射的に近い手癖の動作でレイ・ノクターのキングを追い詰め、チェックメイトと言いかけ呆然とした。勝った、勝ってしまった、僕が。レイ・ノクターを負かしてしまった。何がチェックメイトだ。僕の人生がチェックメイトだ。どうしよう、彼女の機嫌を損ねたら僕は死ぬ。恐る恐る彼女の挙動に注視していると彼女は「わぁ、わたしの負け。結構強いつもりだったんだけど……、すごい……」と僕を称え始めた。
どうやら勝敗は気にしていないようだ。ありがたい、寛大。流石品行方正で、誰にでも優しいレイ・ノクター。十歳から器が違う。「あはは」と「……はい」しかまともに会話できない不審者に負かされても、暴れださないし声も荒げない。
「わたしにお願いことはある?」
ほっと安堵していると、レイ・ノクターは願いについて切り出してきた。何の願いにするか。第一希望は「婚約を解消してほしい」第二希望は「ここから出して」になるが言えない。
ならば願いを伝えるのではなく、願いを伝える体で自身の意思を表明するのはどうだろう?
「……では、お好きな……運命を感じられる男性が現れましたら、その際は僕に必ず教えて頂けないでしょうか」
「どういう意味でしょう?」
「協力したいのです。世はいずれ自由な恋愛の形が広がります。ですから僕は、その際婚約解消が出来るよう必ず尽力します」
本当に。全力で協力する。この誠意がどうかレイ・ノクターに届いてほしい。僕の望みは、家族と使用人の生活の安定だけだ。心を込めて頭を下げる。
「貴方は婚約に前向きではないの?」
レイ・ノクターが戸惑い気味に声をかけてきた。確かにこの時点でまだレイ・ノクターは主人公と出会っていない、だからこの時点で「婚約破棄に協力するよ」なんて言っても、「何言ってんだこいつ」にしかならない。
婚約者による協力および全面降伏宣言ではなく、突如「あはは」を発する、不審な人間の延長線上の言葉にしかならないのだ。でも、押し切るしかない。
「こ、婚姻は、愛する者同士でするものですから、ね。一生を添い遂げるのですから」
こう言えば、少なくとも不審者ではなく、恋愛至上主義的令息の言葉として受け止めてもらえるだろう。それにレイ・ノクターが同じようなことを言っていた。だから大丈夫だと自分に言い聞かせるようチェスセットに手をかけ、片付け始める。
「愛するもの、ね」
レイ・ノクターに視線を合わすことなく、そして間が持つように手を一生懸命動かしていると一瞬彼女の声が冷えたような気がした。気づかないふりをして視線を下に固定し片付けを続けていると、不意に彼女は「わたし、なにか気に入らないことしたかしら?」と僕に平坦な、なんてことのない話を聞くような調子で爆弾を投げてきた。
「え」
どうしてまた、よりによって地獄の質問を何故投げかけてくるのだろう。趣味、音楽の好み、食の好み、装飾品や絵画のあまたある話題の中で、何故瞬間最大威力音速の剛速球を投げてくるんだ。意味が分からない。
でも、多分、これは十歳の素直な疑問。他意はないはずだ。
「……いえ、僕が言いたいのは、僕ではレイ・ノクター様に分不相応ということです。この先あなたに運命の男性が現れたとき、僕との婚約は必ず障害になる。僕は自分の存在が、将来的に誰かの恋路の……幸せの邪魔になることが嫌なのです」
「運命、ねぇ」
レイ・ノクターは僕の心を透かすように見る。まるで品定めされているみたいだ。警察が犯人の供述を精査するみたいな目。怖い。
「貴女は運命を信じているの? 恋愛に、憧れがあるとか」
「いえっ」
僕は反射的に否定する。
「ならどうして?」
「僕は、誰かの人生の邪魔になったり害になりたくない……ただ、普通に、誰にも迷惑かけずに生きていきたいので……」
疑わしいとは思いますが、あなたは、今から五年後運命の恋に落ちるんですよ。そしてその恋が僕を殺す。そう言ってしまいたいけれど言えない。
かといって、いい言葉が思い当たらず、言葉に詰まる。通夜の様な静まり返った室内に、大時計が秒針を刻む音だけが響き渡る。
全国秒針の音色に耳を澄ませましょうコンテストがあるならば、間違いなく今の僕たちは優勝できる。
そうして、地獄のような沈黙は続いた。それが断ち切られたのは双方の両親がそろそろ時間だと部屋に訪れた夕方で、僕たちはずっと互いの内情を探るかのように押し黙っていた。
「ォアアアア……」
ノクターの屋敷から屋敷に帰ると、僕は湯あみを済ませ夕食をとることなくベッドに向かった。ぼんやりと寝ころび天井を見つめながら今日について考える。
今日、僕はノクター家で、地獄の沈黙を作り出した。そして帰りの馬車で、そのことを大層悔やんだ。しかし、帰宅して時間が経ち、僕の胸にあるのは奇妙な安心感だ。今日、僕は不審がられて地獄の沈黙を作り出した。しくじったと考えていたけれど、屋敷に帰りレイ・ノクターという脅威から離れ、そこまで悪くなかったんじゃないかと思うようになってきた。なぜならばレイ・ノクターに対して、「ミスティ・アーレンは完全なる不審者である」という印象を作り出したからだ。
これから何か行動しなくても、このままいけば婚約の話は流れるはずだ。ミスティは婚約の取りまとめで沈黙という状況は作り出さなかったはず。むしろガンガンいってただろう。
今の僕の行動は、ミスティから確実に逸れている。今日の僕の振る舞いは、最適解ではないまでも、ゲームオーバーを目指した行動ではないはずだ。
ミスティはミスティでも、中身は凡人。運命って案外簡単な分岐で大きく変わるものなのかもしれない。
「今日はぐっすり眠れそう……」
目を閉じて、羊を数える。羊が二千五百匹を超えた頃、羊たちは共食いをはじめ、徐々に意識は薄れていった。




