第九話|わたしのうっかりさん
湯気がやわらかく立ちこめる浴室。
淡い黄色の灯りがタイルに反射し、重なり合うふたりの影を映している。
曉雨は小さな椅子に座り、濡れた髪を両手で抱えるようにしていた。
眉を寄せ、指先で髪をこすりながら、不思議そうに首を傾げる。
「……あれ……なんか、きしきしする……?」
小さな声でつぶやく姿は、雨に打たれてしょんぼりした子猫みたいだ。
洗面台の前では、筱月が歯ブラシをくわえたまま振り向く。口元にはまだ泡が残っている。
その視線の先には――
半分以上使われたボトルを逆さに掲げ、ぽかんとした顔をしている曉雨の姿。
「……」
次の瞬間。
「ぶっ――っ、げほっ……曉雨!それボディソープ!まさかそれで髪洗ったの!?」
筱月は思わず歯磨きの泡を吹き出し、腰を折って笑い出す。
曉雨はぱちぱちと瞬きをし、手元のボトルを見下ろす。それから自分の髪を触り、ようやく状況を理解したらしい。
「え……?」
声はしぼんだ風船みたいに小さい。
「だって……シャンプーと似てたし……いい匂いだったし……」
「いい匂いなら何でも頭に塗るの?」
筱月は口元の泡を拭き取りながら歩み寄り、濡れた頬をつまむ。目は笑いで細められている。
「この、うっかりさん。」
曉雨は頬をふくらませ、小さく反論する。
「だって……同じ匂いなら、同じかなって……」
「はいはい。」
筱月はくすっと笑い、髪に触れた瞬間また吹き出した。
「ちょっとごわごわしてるし……ほら、じっとして。座ってて。私が洗い直してあげる。」
「えぇ……もう一回……?」
ぶつぶつ言いながらも、曉雨は素直に座り直す。肩をすぼめた姿は、やっぱりどこか子猫みたいだ。
「もちろん。じゃないと明日、絡まって大変だよ。」
筱月は手のひらにシャンプーを出し、そっと髪をすくい上げる。その動きは壊れ物を扱うみたいに優しい。
温かいお湯が髪を伝い、泡がふわりと広がる。柑橘系のさわやかな香りが浴室いっぱいに満ちていく。
曉雨は目を閉じ、耳をほんのり赤く染めながら、小さくつぶやいた。
「……私、やっぱりドジかな。」
筱月の手が一瞬止まる。
そして、そっと身をかがめ、耳元にささやく。
「ドジじゃないよ。」
柔らかな声。
「ただね、私の曉雨は……放っておけないだけ。」
笑みを含みながらも、どこか真剣な響きがあった。
曉雨は何も言わなかった。
けれど、口元がこっそり上がるのを、隠しきれなかった。




