表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

第七話|彼女の「小さな動物」モード

その夜、嵐は前触れもなくやってきた。


激しい雨が窓ガラスを打ちつける。まるで闇の向こうで、誰かが必死に扉を叩いているかのようだった。


銀白の稲妻が空を裂き、一瞬だけリビングの片隅を照らし出す。


筱月さつきはカーペットの上にあぐらをかいて座り、タブレットに向かっていた。画面の光が横顔を淡く照らし、ペン先はデジタルキャンバスの上を滑らかに走っている。描かれているのは、半透明のクラゲ。深い青の海の中で、静かに漂っていた。


次の瞬間、雷鳴が轟いた。まるで屋根の真上で炸裂したかのような大きな音。


筱月の体がびくりと強張る。指先が震え、タブレットが「ぱたん」と床に落ちた。


画面には、触手がかすかに揺れるクラゲの姿が映ったまま止まっている。


声は出さなかった。


けれど、驚いた小動物のように素早く立ち上がり、ひんやりとした床を裸足で駆け抜け、そのまま自室へ飛び込む。ドアはほとんど叩きつけるように閉められた。その音の奥に、わずかな震えが混じっていた。


キッチンで牛乳を温めていた曉雨あめは、その物音に眉をひそめる。


火を止め、湯気の立つマグカップを二つ手にして部屋へ向かった。明かりはつけない。ときおり窓の外で閃く稲光だけを頼りに、ベッドの上の姿を見つける。


筱月はすでに布団にくるまり、丸い目だけをのぞかせていた。まるで雨宿りする猫のように。


「また雷、怖いの?」


曉雨はくすりと笑う。からかいではない、ただ優しい理解が滲んでいた。


牛乳を枕元に置き、布団の端をめくって中へ滑り込む。


「怖くないし!」


筱月は強がるが、すぐに彼女の胸元へと身を寄せる。


「ただ……急にちょっと寒くなっただけ。」


「はいはい。寒くて、描きかけのクラゲまで放ってきちゃったのね。」


曉雨はそっと髪を撫でる。指先にわずかな湿り気を感じた。さっき慌てて走ったせいか、額にうっすら汗がにじんでいる。


再び雷鳴が響く。


筱月は反射的に、さらに深く胸元へ顔を埋めた。


曉雨は小さな子どもをあやすように、優しく背中を叩く。


外では嵐が荒れ続けているのに、部屋の中はふたりの呼吸だけが静かに重なっていた。


「知ってる?」


曉雨が低く囁く。


「雷はね、空が太鼓を叩いてる音なんだよ。稲妻は、雲が花火を上げてるの。」


筱月は腕の中でもぞりと動き、小さく返事をする。


「……うん。」


顔を上げないまま、しばらくしてから、そっと続けた。


「じゃあ……あなたが、私の花火になってくれる?」


曉雨は微笑み、腕に力を込めて彼女を抱きしめる。


「もちろん。ずっとそばにいるよ。」


嵐はまだ止まない。


それでも、この瞬間だけは、もう誰も怖くなかった。


――本当に強い人ほど、誰かに抱きしめてもらう時間が必要なのかもしれない。

そして、いちばん無邪気な誰かが、ときには静かに灯りを守っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ