第三章|筱月(さつき)のからかい
風が廊下をすり抜け、曉雨の耳元の髪をふわりと揺らした。
彼女はうつむいて本のページをめくっており、背後から忍び寄る影にまだ気づいていない。
「きゃっ——!」
突然、頭頂から冷たい気配が駆け抜けた。
曉雨はびくりと顔を上げたが、すでに帽子はさらわれていた。
つま先を立て、手を伸ばす。けれど指先が掴んだのは、空っぽの空気だけ。
「返してっ!」
頬をふくらませて睨みつける彼女は、怒った子猫そのもの。
手をばたばたと宙に振っても、何も届かない。
筱月は目を細めて笑う。指先に引っかけた帽子を高く掲げ、
ひらひらと揺らしながら、こう言った。
「“お姉ちゃん”って呼んでくれたら、返してあげるよ?」
「いじわるっ!」
曉雨はぴょんぴょん跳ねるが、髪は乱れ、顔は真っ赤、
耳までうっすらとピンクに染まっていた。
……その時だった。
筱月がふと、動きを止める。
彼女の目線がすっと横に流れ、ふいに口元を吊り上げた。
その視線の先――そう、「あなた」に向けられている。
その瞳には、ほんの少しのいたずらと、ほんの少しの余裕。
まるでこう言っているかのよう。
「よく見ててね。面白くなるから。」
彼女はゆっくりと、その帽子をあなたの前へ持ち上げ――
ぴたりと、あなたの目の前に「ぽすん」と被せた。
視界が闇に包まれる。
音だけが残る。帽子の向こう側、かすかな「ちゅっ」という音。
それは羽のように軽く、鼓膜をくすぐるような響き。
筱月はようやく、ゆるゆると帽子を取り戻し、
それを自分の頭にすっと被せた。
指先が髪をなぞり、熱を帯びた自分の耳たぶをそっと撫でる。
「おりこうさん。」
低く囁くその声は、甘くて、でも刃のように鋭い。
……ねぇ、まだ、見てる?
彼女の悪戯は、まだほんの始まり。




