⑧
馬車がスピードを緩めていく。パーティー会場に到着したようだ。
ソレイス王子殿下は「二人きりの時間が終わってしまった」と残念そうに言う。
「改めて、婚約を申し込ませてほしい」
馬車が完全に止まった。
繋いだ手は離さないままだった。
感極まって、パーティーの前から泣いてしまうのを必死に堪える。
私はいつだって姉のように完璧にこなせなくて、貴族という肩書きが重荷に感じることも度々あった。
恋愛なんて煌びやかな世界とは一生無縁だと、自ら距離を置いてきた。
なのに、こんな私に好意を持ってくれる人がいるなんて、奇跡でしかない。
私はソレイス王子殿下が好きだ。
想いが通じ合うなんて期待は持てなかったけれど、勝手に好きでいるのは許してほしいと、心の片隅で大切に保管してきた。
けれど、ソレイス王子殿下も同じ気持ちだと知ってしまえば、この気持ちを隠し通すなど出来ない。私は恋に溺れ、何も手が付かなくなってしまうだろう。
「あの、ソレイス王子殿下……」
馬車の扉が開き、優雅な音楽が流れ込んでくる。
これまでたくさんの書物を読んできたのに、こんな時に使える知識は何一つなかった。
言葉を選ばなければならないが、気持ちが焦るほど、頭が混乱してしまう。
「どうした? フィーフィ。一先ず、この話は保留でいい。パーティーを楽しもうじゃないか」
「……き、ません」
「え?」
「王子殿下との婚約の話は、お受けできません。失礼します」
「待って、フィーフィ!!」
馬車から飛び降りて、走り去る。
ちょうど、父が降りたばかりのモンフォール家の馬車を見つけて飛び乗った。
「すぐに、引き返してください」
「ですが、お嬢様……」
「いいのですよ。これで、良いの」
馬車が出発する。今来た道を逆走し、会場から離れていく。
ソレイス王子殿下は追いかけて来なかった。きっと護衛の騎士や、彼を狙っているご令嬢、他にも沢山の人に囲まれて身動きが取れなくなっている。誰もが彼の到着を心待ちにしているのだ。
彼に話しかけたくて、認知欲しくて必死でアピールをする。
そんな人を独り占めなんて、烏滸がましいとしか言いようがない。
「ソレイス王子殿下……」
好きです———。声に出してはいけない言葉を飲み込む。
その胸に飛び込めれば、どんなに幸せだろうか。
でも、私には叶わない。
アメリーのために生きると決めたのだ。
姉の不祥事を自分の恋愛のために暴くなど、冷血でしかない。
アメリーはもう、私が産んだ子供だと役場に登録されている。
紛れもない、私はアメリーの母親なのだ。あの子を守るのは私しかいない。
恋愛にうつつを抜かしている場合ではない。
ソレイス王子殿下には、私じゃなくとも相手は直ぐに見つかるだろう。
どうか、相応しい誰かと幸せになってほしい。
「あぁ、これではまたお父様に叱られますね」
自虐的に吐き出す。
伯爵邸に帰ると侍女が走り寄り、何事かと訊ねる。
馬車の中で泣き腫らした顔は、それはそれは酷い状態だった。
侍女は何も聞かず、湯浴みへと誘ってくれた。
髪を丁寧に洗う手つきが、いつもより優しく感じる。
私はさっきの出来事の一部始終を聞いてもらった。
「アメリー様のことも、受け入れてくださる気もしますけれどね」
「そんなの、ただの理想でしかありません。アメリーの存在がバレると、お姉様の不祥事だって知られてしまいます。妹の私が裏切るなんて許されないでしょう」
姉の名前を出すと侍女が「そう言えば」と切り出す。
「アナスタジア様、あまり結婚生活が上手くいってないようですよ」
「まさか……!? 本当なのですか?」
「えぇ、アナスタジア様が嫁がれてもう一年が経とうとしてますけれど、ご懐妊の報告を聞いてませんでしょ? そりゃ授かるものですから二年、三年かかってもおかしくありませんけれど……」
侍女は声を顰めて言う。どうやら両親が話しているのを偶然聞いてしまったらしい。
「カリスト様の遊び癖が直らないようです」
「カリスト様が!?」
あの優しかった彼が、そんな軽薄な人になっているなんて知らなかった。一途に姉を慕っていると思い込んできた。でもそれは私が彼に見た幻想だったのか。
姉もカリスト様もパーティーが好きではあるが、二人に限らず貴族なら殆どがそうだと言える。私のように、華やかな場所が苦手だなんて言ってる人の方が稀である。
「カリスト様がパーティーに足繁く通い、それに開き直ったアナスタジア様も気を使うのをやめたようです。
だから、お嬢様がアナスタジア様を気遣う必要なんてありません。
アメリー様との関係は、そりゃ経緯は酷いですが、れっきとしたお嬢様のお子様です。堂々としていれば良いじゃないですか」
侍女は「アメリー様を受け入れてくださらないような人なら、その時判断すればいい」と付け加えた。
「ありがとう、セレナ。あなたがいてくれて、本当に良かったです。でも、もう終わってしまいました」
はっきりと申し出を断ってきた。
私の恋は、すでに終わっていた。




