⑦
ソレイス王子殿下はこちらを見るなり、顔を綻ばせ、あの日と同じ笑顔を向けてくれた。
「ご、ごきげんよう。アルカディア第三王子殿下」
気まずさを隠すように挨拶をするも、カーテシーもあの日から上達していない。
ソレイス王子殿下は目を丸くし、「おやおや」と一歩近寄る。
「あんなに素敵な夜を過ごしたというのに、それは他人行儀すぎやしないかい? フィーフィ」
背の高いソレイス殿下は上肢をかがめ、私の顔を覗き込んだ。
隣で話を聞いていた父は、何事だと物語る引き攣った笑顔で私を見ている。
きっと私が王子殿下に対し、粗相をしたと思っているのだろう。
フィーフィが何なのか、そこから説明させられそうだ。今は父とは目を合わせたくなくて、頑なに視線を逸らした。
ソレイス王子殿下は一度父の方に向き直り、「セレフィナを私の馬車に乗せても構わないか」と訊ねる。
「勿論でございます。アルカディア第三王子殿下。まさか、以前のパーティーでセレフィナと交流していたなんて、聞いておりませんで。
お礼の一言も送らず、なんとお詫び申し上げれば良いか……」
「構わない。あの日の二人の時間は、私も大切にしたいと思っていたからね。
でもこんなにも会えなくなるとは思わなかった。また直ぐにでもパーティーで会えると期待していたのに、体調でも崩しているのかと心配をしていたんだ。
誰かが何か知っているかと思っても、不思議なほどセレフィナの噂話も情報も入ってこない。
それで、こうしてお邪魔させてもらったというわけだ」
ソレイス王子殿下が私を心配?
覚えてもらえてただけでも奇跡だし、私はあの日、王子殿下を押し倒した挙句、衣装を汚してしまって……。
(あ、しっかりと粗相しているじゃない。なのに謝罪もせず今まで過ごしてしまったじゃない)
反省しても遅いが、帰ってからのアメリーの看病。更には父からの説教はいつもに増して長かった。とても王子殿下への気を回す余裕はなかった……気がする。
今からでも謝りたいけれど、半年も経ってしまえば意味もない。
気まずいまま、馬車に乗り込んだ。
アメリーが部屋から出てこなくて良かった。
姉に似て社交性が高く、甘え上手だ。新しい客人には片っ端から近寄っていく。
ソレイス王子殿下を見て、興味を持たないはずはない。
子供がいますなんて、言えない。
アメリーを守るためにも。
ソレイス王子殿下とこんな形で再会出来るなんて、思いも寄らない。
嬉しいか? と聞かれると、そりゃ嬉しいに決まっている。
でも素直に喜べないのは、隠さなければならない存在があるから。
向かい合って座ろうとすると、王子殿下は「こっち」と、私を隣に座らせた。
腰を引かれ、寄りかかる体勢で馬車は出発。
「で、殿下。あの、えっと……これは、その……」
ひっつきすぎではないかと言いたいが、頭が混乱して訥ってしまう。
「フィーフィ!!」
「ハイッ!!」
「会えなくて寂しかったのは、私だけだったってことなのか?」
ソレイス王子殿下が、ぐいと顔を寄せ、拗ねた子供のような表情になる。
視界には瞳しか映らないほど近い。
思わず背中を撓ませても、顔を反った分だけ王子殿下の顔も近付くものだから、このまま倒れそうになってしまう。
(顔が近い、顔が近い、いい匂いがするし、髪はサラサラだし、記憶の殿下の何倍もかっこよくて、どうすれば良いのか分からないわ!!)
心の叫びは届かない。助けてくれる侍女もいない。
父は私がまた王子殿下の前で失態を犯していないか、気が気じゃないだろう。
でも、お父様、ごめんなさい。私には到底対処できません。
ぎゅっと口を噤み、目を閉じる。
すると私の肩にとすんと王子殿下が顔を落とした。
「すまない、怖らがせたいわけじゃない」
「いえ、そんな……」
「フィーフィと出会った日、声をかけたのは気まぐれだった。……いや、正直に言うとパーティー会場には入るタイミングを少しでも遅らせたかったんだ。
舞踏会は好きだけど、最近は婚約目当てで付き纏われてばかりで、ちっとも楽しめなくなっていた。
あの時は周りの目を盗んで抜け出し、庭園へ逃げた。フィーフィが目に留まり、時間稼ぎになればいいと、その程度の気持ちしかなかった。でも……」
ソレイス王子殿下が私の手を握り、もう片方の手で顎を支え見上げさせた。
「理想の女性と出会えたって、本気で思えたんだ」
「私が……?」
私が王子殿下に気に入ってもらえる要素があるとは思えない。けれど、彼は続けて想いを聞かせてくれた。
「私をアルカディア第三王子だと知っているのに、取り繕う言動もせず、媚態を示そうともせず、私ばかりに気を使う。
転んだ時だって、他の女性ならドレスが汚れたと嘆いただろう。それを理由に、私との次の約束へ繋げようと交渉してきただろう。
なのに君ときたら私の心配ばかりして、自分の髪が乱れようがドレスが汚れようがお構いなしだ。
自己肯定感の低い人だとは感じたが、踊っている時の屈託のない笑顔には、私もつられてしまったほど魅力的だった。本当はもっと感情豊かな人なのかもしれないと思った。
フィーフィが帰った後も、君のことばかり考えていた。
緑の上で横たわった時、もっと愛の言葉を囁いておくべきだったと後悔したくらいだ。
これだけ言えば、私の気持ちを信じてもらえる?」
にっこりと微笑んだソレイス王子殿下の瞳に吸い込まれてしまう。
私が小さく頷くと、目を細め、ゆっくりと顔が近づく。
細い鼻梁が髪に触れ、額に唇が押し込まれた。




