①⓪
心臓が大きく伸縮している。
アナスタジアが帰ってきた。カリスト様との不仲を耳にしてからも、実家に帰ってきたことはない。
いよいよ、離縁目前なのだろうか。
突然帰ってきた理由はなんなのだろうか。
とにかくアメリーに会わせたくない一心で足を進める。
「いたい」
「あっ、ごめんなさい。強く引っ張ってしまいました」
必死に逃げようとするあまり、腕を引く手に力が入り過ぎていた。
しゃがんで腕を撫でてあげる。
「ごめんね」
「いいよ」
「ゆっくり行きましょうね」
「うん」
私情にアメリーを巻き込んではいけない。
楽しく過ごすためにハーブ園に向かっているのだ。私が怪訝でどうするの。
アナスタジアが、わざわざ私を探して回るとは思えない。
それにハーブ園は敷地の南端にあり、室内からは人影くらいしか見えない。
少しくらいはしゃいでも問題はない。
「アメリー、今晩飲むハーブを摘みましょう」
「これ」
「ラベンダーですね。可愛いと思いますよ」
「あれも」
アメリーは次々指差して走っていく。カゴの中はみるみるハーブが積み上がっていった。
爽やかな香りに何度も深呼吸を繰り返す。
ここに来たのは正解だった。
「そうだ、お菓子を食べましょう」
「はい!!」
「ふふ……、いいお返事。焼き菓子を持ってきましたよ。座りましょう」
ハーブ園内にあるベンチに並んで腰掛け、バスケットを開く。
アメリーが食べやすいように千切って渡すと、小さな口いっぱいに頬張り幸せですと表情で物語る。
「美味しいですか?」
うんうんと頷く。
アメリーの好きな焼き菓子だから尚のことだろう。
二人で明日は何をしようかと話し合う。久しぶりに街へ出かけるのもいいかもしれない。
髪が伸びてきたアメリーに可愛い髪飾りをデザインしてもらうのはどうだろうか。
アメリーはアナスタジアのDNAを受け継ぎ、華やかなドレスやアクセサリーを好む。そしてそれらがとてもよく似合っている。
何を着せても可愛いので、私も侍女も毎日のコーディネートが楽しくて仕方ない。
(そうだ、セレスも同行してもらおうかしら)
なんて考えていると、その侍女が慌てた様子でハーブ園に走り込んで来た。
「何事ですか、セレス」
「お嬢様、大変です」
「落ち着いて、お茶を飲んでください」
自分のティーカップにはまだ口をつけていなかったので、侍女に促した。
侍女は「申し訳ございません。いただきます」と一気に飲み干すと、大きく肩で息をし、「セレフィナ様にお会いしたいと、ソレイス第三王子殿下が訪問されております。お嬢様のいる場所に案内してほしいと」
「王子殿下が? それで、今はどちらに?」
「ハーブ園の入り口でお待ち頂いております。アメリー様はいかが致しましょうか」
「え、そんな、急に言われても……」
アメリーは慌てふためく私と侍女の顔を交互に見ている。
そして視線を前に移すと、「あっ!!」と声を発して走り寄った。
「こんちわ」
その人を見上げて挨拶をする。
「こんにちは。ご挨拶ができるのかい。えらいね」
「えへへ〜。だれ?」
「私は、ソレイス・ノエ・アルカディアだ。あなたは?」
「あえりー」
「アエリーちゃん?」
「あえいー!!」
アメリーとまだはっきり言えず、もどかしそうに必死に繰り返す。
聞き取れずに困っているソレイス王子殿下に、つい「アメリーです」と合いの手を入れた。
「アメリーちゃんか!! 失礼した。ごめんね」
「いいよ」
「お詫びに菓子をあげよう」
ソレイス王子殿下は、アメリーを抱き上げて私に向き直った。
アメリーは背の高い男性に抱っこされて、高くなった視界に「きゃっきゃ」とはしゃいでいる。
「やぁ、久しぶりだね。フィーフィ」
「王子殿下……どうして」
「突然、すまない。本当はもっと早くに訪ねたかったのだが、仕事が忙しくて。君に忘れられているかもしれないと思いながらも、どうしてももう一度話をするまでは私も諦めがつかなかったんだ。それで……もしかして、フィーフィが私のプロポーズを断る理由は、この子にあるのかな」
ソレイス王子殿下は、普段通りの質素なドレスに、最低限しか施していないメイクの私を見ても、落胆の色を浮かべなかった。
それどころか突然の訪問を詫び、一方的に逃げた私と話がしたいなんて、どこまで優しい人なのだ。
こんな人に嘘はつけない。
私は、アメリーの全てを包み隠さず話そうと決意を固める。




