(七)未来を描く恋人たち
タケルと彼女は、夜の雨の中で抱き合ったあの日から、さらに深く結びついていた。
互いの存在はもはや「恋愛小説を再現するための相棒」ではなく、「人生そのものを共に描く伴侶」へと変わりつつあった。
翌朝、彼女は目覚めた瞬間に机の上に置かれていた一冊のノートに気づいた。タケルが夜更けまで書いていた日記帳だった。表紙には彼の走り書きで「未来の設計図」と書かれている。
ページをめくると、将来の夢、二人で訪れたい場所、読みたい本、育てたい花、共に聞きたい音楽……細かなリストがびっしりと並んでいた。
「タケル……」
彼女はノートを胸に抱き、静かに涙ぐんだ。それは単なる計画ではなく、彼の心の奥底からあふれ出た「これからも一緒にいたい」という叫びのように思えたからだ。
図書館で読んだ恋愛小説を追体験するだけでなく、今度は二人で「新しい小説」を創るようにデートを企画するようになった。
春にはまだ見ぬ古都・京都で、桜舞う哲学の道を散策した。
夏には海辺の灯台に登り、水平線に沈む夕日を見送った。
秋には山岳鉄道に乗り、紅葉に染まる渓谷を眺めながら互いの未来を語り合った。
冬には雪深い温泉宿で静かな夜を過ごし、窓辺に映る雪明かりを見ながら心を重ね合わせた。
その一つ一つの場面は、既存の小説の再現ではなく、彼ら自身の「創作」であり「記録」だった。
しかし、運命は再び二人を試す。
タケルに新たな海外研究の誘いが舞い込んだ。今度はイギリスではなく、ドイツでの共同研究の話だ。期間は三年間。
彼は迷った。
「行くべきか、留まるべきか……」
彼女は静かに答えた。
「もう小説の筋書きに縛られなくてもいい。私たちは私たちの物語を選べる。離れても一緒、そばにいても一緒。大事なのは“心の距離”よ。」
タケルは胸を打たれた。
「じゃあ、一緒に来てくれる?」
「ええ。私も私の未来をそこで描いてみたい。」
二人は旅立ちを「別れ」ではなく「新章の始まり」として受け入れる決意を固めた。
異国の街並みは二人に新しい刺激を与えた。石畳の道、古城の影、クリスマスマーケットの光――全てが未知でありながら、どこか懐かしくもあった。
週末ごとに二人は日記を広げ、その週の思い出を「小説風」に書き記した。
「登場人物:タケル。特技:論文の山を笑顔で突破する」
「登場人物:彼女。特技:市場で値切り交渉を成功させる」
笑いながら綴るページは、やがて一冊の分厚いノートに重なり、まるで本物の小説のようになっていった。
三年目の冬、雪が舞う大聖堂の前。
タケルは小さな箱を取り出し、彼女に差し出した。
「君と出会ったのは偶然かもしれない。でもここまで歩んできたのは必然だ。これから先も、一緒に物語を書き続けてほしい。」
彼女は涙を浮かべてうなずいた。
「もちろん。あなたとなら、どんな運命でも変えていける。」
鐘の音が鳴り響き、二人の未来を祝福するかのように雪は光をまとって降り続けた。
日本に戻った二人は、再びあの市立図書館を訪れた。
かつて出会った棚の前に立つと、偶然にも「恋愛小説にシンクロする恋人たち」と題された一冊が置かれていた。
ページを開くと、そこには彼ら自身の物語が記されていた。
まるで誰かが見ていたかのように、出会いから再現デート、危機、祈り、留学、そして再会……すべてが小説として編まれていた。
彼女は小さくつぶやいた。
「これは、私たちの“証明”ね。」
タケルは彼女の手を握り、微笑んだ。
「じゃあ、次の章は僕たちで書こう。」
二人は静かな図書館を後にし、夕暮れの街へ歩き出した。
手を取り合いながら、心の中で同じ言葉を刻んでいた。
――「運命は与えられるものではなく、二人で描く物語である。」
そしてその物語は、まだ終わらない。
彼らの未来は、これからもページをめくるたびに新しい色で彩られていくのだった。