(四)運命を変える出来事
たどる二人の運命は、見えない空気のような何かが二人の知らない間に空間を超えて、ドイツ弁証法哲学における見えざる神の手のように、操作しているようである。
自由放任主義的な本当の自由経済ではなく、弁証法的思想の止揚法の手法のように恋人という集合知を上手に導くのが垣間見えるのであった。
であれば、集合知である恋人たちは神の操作に対して従順な法則に則るべき掟の中にあるので、時として、恋人として道に外れた時は、神罰を下し正しい道に正すのも、また恋人として望ましい姿や実践をすれば、恋人のお気に召すことも必需な事であった。
なぜなら、神は父であり、創造の母との間に生じた恋人を愛しているからである。
いつ恋が生じるかは神の父と想像の母との想像の意図によって生まれるのであり、恋人たちはその子なのである。
恋人たちは、常に向上心で強調し合うことでお互いを尊重し、尊敬することは、恋人たちの危機に備えた回避的方法のために必要な、二人の愛の貯金のような安心に支えられている。
小さかれ、大きかれ、危機が訪れた時は、その二人の愛の貯金を取り崩すことに他ならなかった。
その愛の貯金は、心の充足度や二人の間を結ぶ糸の強さによって変化するものかもしれない。
タケルと彼女の間にはこれまでに幾たびの危機が訪れていた。
その度に、二人は関係が遠ざかりつつもまた元に戻るのであった。
それは彼の言葉が彼女にとって受け止めがよくできていなくて、心が少し食い違ったり、
言葉を交わさずに視線や仕草でわかり合っているだけに、微妙がズレが生じて、感情がれたりしていた。
その度にれた二人の関係の修復は彼と彼女の神妙な偶然の一致によりまた元に戻るのだった。
しかし今回は、海外留学という大きな溝が彼女と彼の間にでき、また彼女にはブーケに入った手紙の友人のことが気がかりになっていた。
2月になり、彼女はバレンタインデーに備えて、どのプレゼントにするかカタログや普段からお店の商品をあれこれ彼女自身の中で模索しながら選んでいた。
今年は洋酒が流行していることを知った彼女は、チョコレートの中にブランデーが入った、
「ブランデーチョコレートガナッシュ」をプレゼントしようと、パッケージはディープグリーンの包装紙に赤色のリボンと白のカーネーションということに決めた。
メッセージカードに、
「いつもありがとう、仲良くしてね。」
ほんの短い言葉だけど、彼女なりに精いっぱいの気持ちを込めた。
「留学が正式に決まったら、搭乗日に空港まで見送りに行くわ。」
出発当日の朝。
彼女は出発当日、空港に彼を見送りに行くかどうか迷っていた、見送りに行かなければ、このまま彼とは終わってしまう。でも見送りに行って、メッセージを伝えれば彼は戻ってきてくれるかもしれない。
そう思った彼女は、準備しておいた花束に、直筆のメッセージカードを添えておいた。
メッセージカードには「戻ってきて欲しい」と愛らしい文字で書いた。
彼女は急いでタクシーを呼び止め、市内の空港へとタクシーを走らせた。
すでに彼の乗る便のチェックインは始まっていた。
でも彼はまだ一般の出発ロビーで雑誌を読んでいた。
彼女はタクシーを降りると、回転式ドアを素早く通り抜けて、出発ロビーへ急いだ。
混雑する出発ロビーで彼を遠くから見つけると、
「彼は、まだいつものままだわ。」
「髪型も同じだし、服装だって同じ趣味のままだわ。」
「今、彼に私の想いを伝えれば、彼は納得して戻って来てくれるかもしれない。」
彼に声をかけるか、どうか少し戸惑いながら、様子を伺っていた。
空港のロビーは、春先の旅行客やビジネスマンでごった返していた。人の声、スーツケースのキャスターの音、アナウンスの響きが交錯し、まるでひとつの大きな雑音の海のようだった。
彼女はロビーの隅に立ち尽くしていた。
胸の前に抱えている花束は、昨日、ブーケの友人から渡されたものだ。柔らかな花びらの香りがするたびに、心はざわついた。
「君は君の道を歩んだほうがいい」
友人はそう言って花束を手渡してきた。そのときの彼の真剣な眼差しが、頭から離れない。
君がタケルとの運命を進むなら、それでいい。
それは誰が決めることでもない、見えない何かが決めることさ。
タケルは遠い空へ旅立ってしまう。
一緒に過ごした日々は確かにあったけれど、これから先も続く保証はない。自分がひとり残されてしまう未来を考えると、心の奥で「別の誰かに寄りかかる方が楽なのではないか」とささやく声がした。
彼女の目には大粒の涙が見えていた。
「私、寂しい。どうしたらいいの。」
「戻ってきて欲しい。」
言葉には出ない想いを彼女の心で中で何回も繰り返していた。
けれど――彼女の心は、それでもずっとタケルを探していた。
そのとき。
「――お客様にご案内いたします。ただいまご搭乗予定のフライトは、天候の影響により欠航となりました」
ロビーにアナウンスが響いた。周囲がざわめき始める。
耳に入ってくる言葉を理解した瞬間、彼女の心臓は大きく跳ねた。
人の波の向こうに、見慣れた背中が見えた。
スーツケースを引き、肩で息をしながら歩いてくる青年。
「……タケル?」
声は思わず漏れた。
彼は視線を巡らせ、彼女を見つけると、一直線に歩いてきた。表情には驚きと戸惑い、そして少しの安堵が入り混じっている。
「行けなくなった。急に……留学そのものが中止になったんだ」
言葉は短かった。
それでも、彼女には十分すぎるほどだった。
手にした花束が重く感じられた。胸の奥の揺らぎが、決壊するように涙へと変わっていく。
「……私、もう迷っていた」
唇が震える。
「花束を受け取って……でも、心はずっとあなたを探してた。離れたくなかった」
タケルは静かに微笑み、彼女の手から花束を受け取った。
しばし見つめ、それを近くのゴミ箱に置いた。
「もういい。君が僕を選んでくれたなら、それで十分だ」
その言葉に、彼女の心の奥に張り付いていた不安が一気に解けていった。
これまで抑えてきた感情が堰を切ったように溢れ、彼女は涙をこぼしながら彼の胸に飛び込んだ。
タケルの腕がしっかりと彼女を抱き寄せる。
周囲のざわめきは遠く、世界に二人しかいないように感じられた。
ブーケの手紙の彼からは、程して手紙があった。
「突然のお手紙失礼します。小生、家業に大きな天変地異が起こりまして、故郷に帰らざるを得なくなりました。故郷に帰ってからは家業の再建を私が引き受けることになりました。教会の活動においてはご鞭撻ご指導賜りましたことを、大変うれしく思って感謝の念に耐えない所存です。これからものご健康とご発展を祈念いたしておる所存です。どうぞこれからも末長く活発で明るくお過ごしください。それではお元気で。」
キャンセルされた出発便の代わりに、新しい旅が、ここから始まる。
それは海外への旅ではなく、二人で歩む長い未来への道のりだった。