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潮流電池と銅色の波【2026/01/09】

潮騒アンナは夜明け前の堤防で、指向性マイクを海へ向けた。波が銅色にひらめき、遠くに黒い塔が揺れている。端末の速報欄に赤い帯が走った。東の海で隣国が試掘を進め、日本政府が抗議したという。アンナのイヤホンに、ザザッと波とも風とも違う拍が混じった。まるで誰かが、海の底で短い文章を打っているみたいに。


アンナはその音を切らずに、配信アプリの録音を続けた。仕事はニュース動画の編集兼リポート。生活費のために、再生数が伸びやすい短尺を毎日作る。きょうの流行は、某俳優の短編投稿を真似するタグだった。彼女の画面にも「#平城紫曜_インスタグラフ短編」が勝手に出てくる。名前の一文字だけ違うせいで、検索の海が妙にざらつく。


「潮騒、やめてよ。こっちは寝不足なんだから」


背後から声がした。抗浪カズマが、厚手のパーカーのフードをかぶったまま、缶コーヒーを差し出してきた。彼は港の保守会社で働きつつ、海に関わる情報の検証を趣味とする。趣味と言っても、本人は趣味という言葉を嫌う。


「抗議って、結局、紙のやりとりで終わるんだろ」

「紙も武器だよ。たぶん。でも……この音、聞こえる?」

「聞こえる。聞こえすぎる。海のノイズにしては、規則がある」


カズマはポケットから、手のひらサイズの古い受信機を出した。アンテナが折れかけている。彼はそれを海へ向け、眉をひそめた。


ピピッ。


受信機が、潮騒と同じ拍で光った。


その日の昼、連携ユウタは霞のように白い庁舎の廊下を走っていた。背広の内ポケットには、越地経産政務官の面会メモ。午後に日米経済連携協議会の代表が来る。議題は、エネルギーと交通と情報の供給網。世界の結び目がほどけないよう、結び直す仕事だ。だが結び目は、ほどける時ほど、静かだ。


「ユウタ、資料は?」

「こちらです。あと、東の海の件で問い合わせが増えています」

「抗議の文言は外務側が整える。こちらは経済の穴を塞ぐ。穴は海底にも、街角にも開く」


越地は淡々としていた。ユウタはその淡々に救われつつ、同時に焦っていた。現場の空気が見えない。数字だけが増えていく。


同じころ、車輪ミサキは駅前の仮設テントで、工具箱を抱えてしゃがんでいた。新設のシェアボードポートの検収。協業相手は、海外発のモビリティ企業「LIMO」。駅は青物横丁。ホームの上を電車がガタンゴトンと通るたび、足元の床がわずかに震え、ポートの支柱に取り付けた発電ユニットが微かに唸る。潮流電池。地下水路の流れと、駅の微振動で充電する新方式だ。電気代は下がる。だが、機械は安くならない。


「ミサキさん、今月も部材、値上げっす。輸入がね……」

「知ってる。知ってるけど、知ってるだけじゃネジは締まらない」


彼女は苦笑しつつ、ボルトを締めた。作業用のグローブの甲には、子どもっぽいステッカーが貼ってある。「毒の浄火」。最近流行の電子マンガだ。毒を浄化するのではなく、火で燃やして浄めるという、だいぶ物騒なタイトル。ミサキは夜更かしの言い訳に、その絵をよく眺めた。


ポート脇の案内板には、開設記念キャンペーンの告知がある。ポイントが貯まる。ハッシュタグは「#LINEAマンガでポイント貯めよ」。ミサキはため息をついた。自分が好きなものほど、生活の計算に絡んでくる。


氷上リョウは、リンクの端で子どもたちに声を飛ばしていた。パックが氷を削り、キィンと鳴る。防具の値段も遠征費も上がった。スポンサーは渋い顔をする。そんな時に限って、世界ジュニアの映像が流れてくる。カナダが銅メダルを取ったというニュース。優勝でも準優勝でもないのに、映像の中の少年たちは泣き笑いしていた。


「銅でも、胸を張るんだ。ほら、背中を丸めるな」

「コーチ、銅って安いんでしょ?」

「安いのは、買う時だけだ。守るのは高い」


リョウは言いながら、自分の手にしたキャッチャーグローブを見た。野球用ではない。昔、ゴーリー用に改造した捕球手袋だ。氷上では、キャッチャーが最後の壁になる。


夕方、潮騒アンナの編集室に、纏目ナナが現れた。肩までの黒髪を、妙に几帳面にまとめている。彼女の名刺には「マトメナナ通信」と書かれていた。まとめサイトの運営者だと誤解されがちだが、本人は嫌がる。彼女がやっているのは、要約配信と対話の場の設計。コメント欄を、戦場にしないための工夫でもある。


「そういえば、今日のトレンド、キャッチャーって出てた」

「また野球の季節?」

「違う違う。コメント欄の暴投を受け止める人のこと。胃薬が友だちの人」

「胃薬、生活費に入れてない人、多いよね」

「だから言葉の投球を、なるべく穏やかにしたいんだ」


「アンナ、さっきの海の音、ちょうだい」

「まだ編集前。仕事の段取りが……」

「段取りは私がまとめる。いや、つなげる。まとめると角が立つから」


ナナは軽く笑い、端末を差し出した。画面には、豪州が反ユダヤ主義への国立委員会を設置するという海外記事の要約が出ていた。背景には、海辺の観光地で起きた銃撃事件があるらしい。事件の名前がコメント欄で踊り、踊りながらねじれていく。


「こういう時、誰かが「全部あいつらが悪い」って言う。言うと、楽だもんね」

「楽な言葉は、毒だ」

「毒なら、浄火で燃やす?」

「燃やすと、煙が出る。煙は肺に残る」


アンナは昼に録った潮騒の音声を再生した。ザザッ、ザザッ。そこに、ピピッという短い信号が、一定間隔で挟まっている。


ナナの目が細くなった。

「これ、コメント欄の荒らしと似てる。周期が。短い刺激を繰り返して、注意を奪う」

「海が、荒らしてるって?」

「海じゃない。海の底の、誰か」


その夜、カズマは港の倉庫で一人、古い受信機に新しい電源をつないでいた。波形を画面に出すと、規則的な凹凸が並ぶ。単なるビーコンではない。周波数が微妙に揺れている。まるで、人の呼吸みたいに。


「抗議するなら、証拠が要る」


カズマはそうつぶやき、アンナの音声データを暗号化して保存した。鍵は、ミサキが貼ったステッカーと同じ絵柄の小さなQRコード。ミサキは知らない。カズマは知っている。遊びの皮をかぶった鍵は、見落とされる。


翌日、青物横丁駅前のポート開設イベントは、思ったより人を集めた。通勤客、買い物客、配信者。京玖電鉄ののぼりが風に鳴り、LIMOの車体が整列する。車輪が朝日に光り、路面の白線がまっすぐに伸びている。ミサキはヘルメットをかぶり、マイクを握った。


「潮流電池で充電する新ポートです。停電時でも最低限、移動の足を守れます」


その言葉の直後だった。


ピコン。


ポートのランプが一斉に点滅し、次の瞬間、車体が自走を始めた。ギュイィィン、とモーターが唸り、整列が崩れる。まるで群れが散るように、ボードがばらけていく。


「え、待って、ロックが!」

「ミサキさん、止まりません!」


スタッフの叫び。観客のどよめき。アンナは反射でカメラを回し、ナナは配信のコメント欄を閉じた。閉じないと、火に油が注がれる。


カズマが前に出た。手のひらの端末に、海の波形を表示している。

「これ、海の信号と同期してる。潮流電池の制御線が、拾ってるんだ」


ボードが歩道を横切り、ベビーカーの前へ滑り込む。


ドン!


リョウが、ゴーリーのように腰を落とし、キャッチャーグローブで車体の先端を受け止めた。手袋が震え、氷ではなくアスファルトが擦れて、ザリッと音を立てる。


「リンクの外でも、キャッチャーは仕事だ」

「コーチ、今の、野球? ホッケー?」

「どっちでもいい! 止めるのが仕事だ!」


リョウが叫ぶと、子どもたちが反射で列を作り始めた。普段の練習の癖。彼らはボードの進路に沿って間隔を取り、手を伸ばし、押さえ、誘導する。ミサキはその動きに気づき、声を合わせた。


「左、空けて! 車輪の角度、見て! 逆に押すと転ぶ!」


カズマはポートの制御箱へ駆け寄り、工具ではなく、受信機を押し当てた。ピピッ。ピピッ。彼は波形の間に、逆位相の信号をねじ込む。


ザザッ……ピタリ。


ランプの点滅が止まり、ボードの自走が収まった。人々の息が一斉に漏れた。アンナのカメラの中で、ミサキの頬に汗が光る。ナナの画面では、閉じたコメント欄の代わりに、短い字幕が流れていた。「安全確認のため一時停止」。余計な煽りはない。必要な情報だけ。


だが、静まり方が不自然だった。海の信号は、まだ続いている。止まったのは、駅前だけだ。


イベントは中止になり、関係者だけが近くの喫茶店に集まった。店内は古い木の匂いがする。コーヒーの湯気が、窓の曇りに溶けた。外では電車が通るたび、ガタンゴトンと低い振動が床を揺らす。ミサキは砂糖を一つ入れ、溶けるのを黙って見た。


「値上げ、値上げで、余裕がない。余裕がないと、安全が削られる。削りたくないのに」

「余裕がないのは、こっちもだよ」ユウタが言った。「庁舎は冷暖房も付くけど、議論の温度が上がりすぎると、別の意味で息が詰まる」

「温度って、コメント欄の?」ナナが眉を上げた。

「そう。どこかで起きた憎しみが、数字になって飛んでくる。豪州の委員会の話も、もう国内の会議に影響してる」

「世界はリンクだな」リョウがカップを持ち上げた。「つながってる。転ぶのも一緒」


アンナは、喫茶店の壁に貼られた古いポスターを見た。そこには「軌跡の聖女」映画化、と手書きで書かれている。奇跡ではなく軌跡。歩いた跡が、誰かを救うという話だ。アンナはふと、自分の録った潮騒の音が、どこへつながるのかを想像した。


夕方、ユウタの端末に、越地から短い指示が届いた。「青物横丁へ。現場を見ろ」。その一文の下に、日米経済連携協議会代表の同行が示されている。会議室ではなく、駅前で話す。異例だ。だが、穴は駅前にも開く。


数時間後、駅前広場には簡易ステージと大型スクリーンが設置された。急きょ「地域レジリエンス展示」と銘打たれ、潮流電池ポートの安全対策と、国際連携の実証が同時に行われることになった。越地と協議会代表が並び、報道陣が囲む。ミサキは工具箱を抱えたまま、端に立った。アンナはカメラを構え、ナナは配信の設定を見直す。コメント欄は、段階的に開く。荒れたら閉じる。閉じる前に、話を戻す導線を作る。


スクリーンには、世界ジュニアのハイライトが一瞬だけ映った。カナダの銅メダル。会場の子どもたちが沸く。リョウはその歓声を利用して、呼吸を整えさせた。大きな音は、人の心を一つにすることも、割ることもできる。


そこへ、別の映像が割り込んだ。


ザザザザッ。


スクリーンが乱れ、東の海の空撮らしき映像が映る。黒い塔。海面の泡。次に、豪州の海辺の街角の監視映像。人が走り、悲鳴が遠くで途切れる。最後に、意味の切れた字幕が踊った。憎しみを煽る単語。誰かを名指しする矢印。矢印の先は、ここにいる観客へ向いている。


会場が凍った。


「止めろ!」誰かが叫んだ。

「これはデモじゃない!」ユウタが前へ出た。

「デモだよ。悪い意味の」カズマが低く言った。「海の信号が、今度はスクリーンの制御にも入ってる」


ナナが配信を一時停止した。視聴者数は落ちる。落ちるが、今はそれでいい。彼女は自分の手を見た。指先が震えている。震えは恐怖だけではない。怒りが混じる。だが、怒りのままに言葉を投げると、矢印に乗る。


アンナは、耳にイヤホンを押し込んだ。潮騒の中の拍。ピピッ。ピピッ。さっきより速い。会場の空気が、同じ周期で浅くなる。人が息を短くし始めると、言葉も短くなる。短い言葉は、刃になりやすい。


「呼吸を、長く」


アンナは自分に言い聞かせ、マイクの入力を切り替えた。海の音ではなく、潮流電池の発電ユニットの振動音。ガタンゴトンの下に、細い高周波が潜っている。ミサキが前日、ポートの支柱に耳を当てていた理由が、今ならわかる。


「ミサキ、潮流電池の制御線、物理的に切れる?」

「切れる。でも切ったら、移動の足が止まる」

「止めるのは、敵の足だ」カズマが言った。「こっちの足は、別のルートを作る」


ユウタが越地を見た。越地はうなずいた。政治の言葉ではなく、現場の合図で。


「協議会代表、お願いがあります」ユウタは通訳も介さず、ゆっくり言った。「あなたの側の技術チームに、ここの制御系のログ解析を依頼したい。いま、ここで」

代表は一瞬だけ驚き、次に首を縦に振った。連携。言葉が、行動に追いつく瞬間。


リョウは子どもたちを集め、リンクでやっている「壁」を作らせた。人の流れを整える壁。押し返さない。受け止める。キャッチャーの壁だ。子どもたちの手が互いの肩に置かれ、背中が揃う。見慣れた景色が、駅前に現れた。


ドン、ドン。


どこかでボードがまた動き始めた。今度は駅前の外周を回り、観客の足元へ突っ込もうとする。ミサキが走り、車体の前に膝をついた。彼女はボードの底面に貼られたカバーを剥がし、黒い小箱を露出させた。潮流電池の制御モジュール。そこに、見覚えのない薄い板が差し込まれている。


「これ、後付け……」

「海の信号を拾うアンテナだな」カズマが言った。「誰かが、海底からここへ橋をかけてる」


アンナはふと、最初の夜明けを思い出した。黒い塔。銅色の波。あれは資源の試掘だけではない。海底の何かに触れるための棒。情報のための棒。


「海底ケーブル……」ユウタが言葉を飲み込んだ。「掘削が、通信の幹に近いって、報告が来てた」

「経済も外交も、結局そこへ戻る」越地が静かに言った。「線を切られると、社会が沈む」


スクリーンの字幕は、さらに過激になった。だが、ナナはそれを見せなかった。彼女は配信画面に、別のテロップを出した。シンプルな一行。「今ここで起きているのは、誰かを憎ませる操作です」。コメント欄は閉じたまま。代わりに、事実確認のリンク集だけを表示する。彼女の指が忙しく動く。まとめるのではなく、つなげる。


ミサキがモジュールから薄い板を引き抜いた。その瞬間、ポートの支柱が低く唸った。潮流電池が負荷を失い、余った電力が一気に放出される。


ブォン!


駅前の路面に埋め込まれた誘導灯が、青白く光の線を描いた。まるで海の波紋が地面に転写されたように。光の線は、スクリーンの制御盤へ向かい、そこから空へ伸びる。伸びた先に、小型ドローンが浮かんでいた。黒い点がいくつも。目のように。


ギャリリリリ。


ドローンが一斉に旋回し、光の線に沿って降りてくる。観客の上を低空でかすめ、恐怖を煽る音を出す。金属の羽音。刃みたいな音。


リョウがキャッチャーグローブを構えた。氷の上で何度もやった動き。距離を測り、落下点を読む。彼は一歩踏み出し、跳んだ。


バシン!


グローブが一機を捉えた。機体が震え、ライトが消える。子どもたちが声を上げそうになるのを、彼は目で制した。歓声は刃にも盾にもなる。今は盾にしろ。


カズマは受信機を空へ向け、逆位相の信号を最大出力で撃ち返した。ピピピピピピッ。海から来た拍に、別の拍を重ねる。アンナはその音を拾い、スクリーンへ流した。潮騒のリズム。人の呼吸に近い、長い拍。


ザザッ……ザザッ……。


会場の空気が、少しだけ戻る。誰かが深呼吸をした。深呼吸は、連鎖する。刃になりかけた言葉が、喉の奥で丸くなる。


その瞬間、協議会代表の技術チームが制御盤のログを解析し、ユウタの端末へ図を送った。侵入経路は海底ケーブル側からの反射波。直接のハッキングではない。ケーブルに近い海底で、掘削機が出す振動を、通信の物理層に混ぜている。情報ではなく、情報の土台を揺らす攻撃。古くて新しい手口。


「証拠になる」ユウタが言った。

越地がうなずいた。「抗議の紙に、骨を入れられる」

アンナはカメラを回し続けた。今の映像は、煽りではなく、記録になる。

ミサキはボードの電源を落とし、代わりに手で押して移動させた。移動は止めない。形を変える。

ナナは配信を再開しなかった。代わりに、会場のスピーカーから短い案内だけを流した。「落ち着いて、係員の指示に従ってください」。再生数より、呼吸を選んだ。

リョウは子どもたちの肩を叩き、壁を解いた。「よく守った」。銅メダルみたいな言葉だ。


ドローンの数が減り、スクリーンが黒に戻った。黒い画面に、越地が自分の声だけで語り始める。国際連携の話。交通の足の話。憎しみの拡散を止める仕組みの話。豪州の委員会が示した課題は、海の向こうだけのものではない、と。


アンナのイヤホンには、また海の拍が戻ってきた。だが今度は、短い刺激ではなかった。長い、長い周期。ザザッ……ザザッ……。潮騒に似て、潮騒より整っている。まるで、こちらの呼吸が整うのを待っていたみたいに。


夜。駅前の喧騒が引いたあと、五人は堤防へ戻った。昼の銅色ではなく、街灯の白が波に散る。ナナが言った。


「まとめるって、怖いね。短くすると、刃になる」

「でも、つなげるのも怖い」ユウタが言った。「つなげた先で、誰かが転ぶかもしれない」

「転んだら、受け止めればいい」リョウが海を見た。「キャッチャーの仕事だ」

ミサキは自分のグローブのステッカーを指で撫でた。「毒は、燃やすんじゃなくて、熱を下げる方法もあるのかな」

アンナは録音機のランプを見つめた。潮騒の下に、あの拍がまだいる。消えない。だが、さっきより優しい。


カズマが受信機を閉じた。

「海の底で、誰かが打ってる文章は、まだ読めない。でも、きょうのログは残った。紙に骨を入れる骨だ」

「骨って、硬いよね」ナナが鼻で笑った。「硬いだけだと折れるけど」


五人の間に、短い沈黙が落ちた。遠くで電車がガタンゴトンと走り、潮流電池のユニットがそれに合わせて、コトリ、と小さく鳴った。まるで合図。


アンナは耳を澄ませた。ザザッ、ザザッ。その間に、ほんの一瞬だけ、別の音が混じった。


ピピッ。


それは、最初の夜明けと同じ短さで、しかし違う意味を持つ短さだった。注意を奪うためではなく、存在を知らせるための短さ。アンナは録音を止めなかった。世界は複雑で、海は深い。深いものほど、急に説明しない。


堤防の上で、ナナが端末を掲げた。配信はしない。代わりに、下書きのタイトルだけが画面に浮かぶ。「毒の浄火_実写化?」。彼女は自分で首を振り、消した。そして、別のタイトルを打った。


「軌跡の聖女_呼吸の作り方」


その文字が、潮騒に溶けていった。

(了)


――あとがき――

東の海での試掘に対する日本側の抗議は、冒頭の黒い塔と海底ケーブルの伏線として使い、終盤で「紙に骨を入れる証拠」へつなげました。越地経産政務官が日米の経済連携協議会代表と意見交換するニュースは、駅前での異例の合同実証という形に変えて、現場で連携が立ち上がる瞬間を描きました。京玖電鉄とモビリティ企業LIMOの青物横丁ポート開設は中盤の暴走シーンに直結させ、交通革新の明るさと不安を同時に出しています。世界ジュニアのカナダ銅メダルはリョウの「守る」感情の支えに、豪州の反ユダヤ主義対策委員会の設置はコメント欄の毒と向き合う動機にしました。トレンドの「#平城紫曜_インスタグラフ短編」と「毒の浄火」「軌跡の聖女」「#LINEAマンガでポイント貯めよ」も、配信文化や生活費の手触りとして差し込みました。ジャンルは近未来SFと社会派ドラマを軸にしつつ、ラストで「海の拍」が主体性を匂わせる形にして、王道から少しだけ外す型を選びました。報道の重さを軽くしないよう、固有の悲劇を消費せず、情報の扱い方と呼吸の戻し方へ焦点を寄せています。この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

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