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揺光旗の六点二【2026/01/07】

一月六日。仕事始めの朝は、空気だけが妙に張り切っていて、人間のほうはだいたい眠い。

海沿いの合同庁舎の地下、揺光アヤメはモニターの前で目をこすっていた。壁一面のパネルに、細い光の線が幾重にも走る。地面の揺れを光として読む(揺光)システムだ。加速度センサーの波形を、色と速度に置き換えて投影する。耳で聴く地震計の代わりに、目で見る地震計。


アヤメの机には、推しの防災マスコット「ユレピヨ」の小さなキーホルダーがぶら下がっていて、微動でもチリンと鳴る。


「今日も平和であれ」


言ったそばから、白い線が一瞬だけ跳ねた。ピコン。アヤメは背筋を正す。震度に換算すれば、ただの微動。なのに線の跳ね方が、誰かの指で弾いたみたいに不自然だった。


地上のコワーキング喫茶では、纏目ナナが同じ跳ねを別の形で見ていた。ハンドルネームは「マトメナナ」。推しは、無駄に煽らず淡々と検証する理系配信者で、その人の口癖(確かめてから言おう)を、ナナは自分のまとめ欄の一行目に貼っている。彼女の画面に並ぶのは、つぶやき広場ツブッタの急上昇語と、各社の速報、そして自作のまとめ用AI(ナナ式)の出力ログ。

仕事始めの式典、株価の高騰、遠い国の軍事行動。いつもなら別々に流れていく話題が、同じ朝に重なっている。


「#仕事始めしき、#日景さい高値、#米宙協議、#ベネズエラ模様」


ナナはタグを読み上げて、すぐに口をつぐむ。さらに上に、新しいタグが滑り込んできた。


「#地震速ふぉ?」


まだ揺れていない。少なくとも、ナナの椅子は揺れていない。なのに、ツブッタは先回りするみたいに熱を帯びていく。


そのころ、六畳の部屋で株高カズミは、モニターを二枚並べていた。片方は日景平均、片方は自分の生活費の表。家賃、電気、通信、食料。数字はいつも地味に人を殴る。表の端には、推しのバーチャル歌手「ルーミィ」への月額応援費が、こっそり一行だけ潜んでいた。


「よし。今日こそ更新だ」


日景平均が過去最高を叩いた。ピン。彼女は笑い、同時に指が勝手に震える。相場の熱は麻薬に似ている。上がれば嬉しい。下がればもっと見たくなる。


「逆指値は……六点二で。縁起が悪いけど」


六点二。なぜかその数字が、今朝から頭にこびりついていた。


同じ数字を、党本部の式典会場でも見た者がいた。旗始マコトだ。自友党本部の若い進行係。壇上の巨大な電子旗を点検していると、試験映像の隅に、細い光の線が走った。まるで地震計の波形みたいに。

そして一瞬、表示が崩れて、六点二、と出た。


「おいおい、うちの旗が株価に浮かれて数字出すなよ」


隣の技術者が首をかしげる。「仕様にはないですね……。外部入力?」


マコトは笑ってごまかした。今日は仕事始め式だ。党の幹部も、役所も、記者も集まる。失敗は許されない。胸の内ポケットには、推しの旗職人ユニット「ハタシゴ」の缶バッジが入っている。式典の成功は、推しへの恩返しでもあった。


その記者の一人が戦乱リョウだった。戦地帰りの映像屋。今は、映像配信サイト(ユウトーブ)で国際情勢を解説して食べている。今朝のネタは米国のベネズエラへの軍事行動と、それに対する米国内世論の割れ方だ。

リョウは、再生数のために煽るのが嫌いだった。嫌いなのに、煽らないと生活が崩れる。それが一番嫌いだった。リョウの推しは、戦場の端で黙って水を配る無名の人たちだ。だから、派手な言葉を選ぶたびに、喉が擦れる。


「賛否がほぼ五分五分。コメント欄は十倍荒れる、と」


自分で言って、自分で苦笑する。


控え室では法眼タケシが、書類の束を指で揃えていた。外務の法務担当。今日、党本部での式典に合わせて、対外声明の論点整理を求められている。

だが上から降りてきた方針は、短い一文に集約されていた。


「法的評価は控える」


控える、控える、と、紙の中で言葉が増殖する。タケシはそのたびに胸が詰まる。評価しないことも、評価だ。タケシの机には、娘がくれた「条文かるた」の札が挟まっている。(正しい言葉は人を守る)と書かれた手作りの札だ。曖昧さには、曖昧さの責任がある。


午前十時。式典は始まった。壇上では幹部が、景気回復と危機管理を並べて語る。会場の大スクリーンに、揺光システムのデモ映像が映し出され、アヤメが説明役として呼ばれた。


「地面の揺れは、耳ではなく目で見られます。ここが大きく光れば、強い揺れです」


「光るのはいいけど、評価は控えてね」


壇下からタケシがつぶやくのが聞こえて、アヤメは一瞬だけ固まった。評価? なにを?

マコトが慌てて小声で返す。


「それ、式典の評価の話ですか? 今それ言うと、みんなアンケートの話だと思います!」


タケシは眉を寄せる。「いや、国際法の……」


「国際法って、うちの旗の国際化ですか? 旗、輸出しません!」


「誰が旗を輸出するんだ」


噛み合わない三人の会話に、近くで配信準備をしていたリョウが笑いをこぼした。ナナはそれを聞き逃さず、ツブッタに短い動画を上げる。タイトルはこうだ。


「仕事始め式で評価の話が迷子」


クスッと笑う人が増えた。会場が一瞬だけほぐれた。その直後だった。


ゴゴゴゴ。

床が、音から先に揺れた。照明がぶら下がり、電子旗が波打つ。椅子の脚が、勝手に跳ねる。誰かの悲鳴が、別の誰かの喉を叩いて増幅する。


「机の下!」


アヤメは叫び、壇上のマイクがハウリングする。キィィ。スクリーンが一瞬暗転し、揺光の線が暴れた。白が赤になり、赤が紫になる。光が、光のまま、地面の怒りを描いていく。


ドン。

天井の化粧板が落ち、粉塵が舞った。ザザッ。人が流れ、警備員が誘導する。マコトは電子旗の制御卓に飛びついた。電源を落とせば火災は防げる。落とせば、暗闇になる。

躊躇した一秒のあいだに、もう一度大きく揺れた。


グラァン。

ガラスが鳴った。外の街からサイレンが重なる。ピピピピ。緊急速報が各端末に降る。


「中国地方で規模六点二級の揺れ。津波の心配は……」


アナウンスの途中で、言葉が切れた。通信が混んでいる。


揺れが収まったとき、会場は別の場所に変わっていた。式典の舞台は避難所の受付になり、旗は布のように垂れ、議員の席は毛布の山になった。

人は、予想より静かだった。震えたのは床だけではない。みんなの中の(明日も同じ)が、ひび割れていた。


非常階段の踊り場。アヤメは、粉塵で白くなった指先を見つめた。耳鳴りの奥で、揺光の線がまだ走っている気がする。視界の外側が明滅する。光の残像は、恐怖よりも先に理屈を呼び戻す。


「……センサーは生きてる。よかった」


彼女の隣で、ナナがスマホを両手で握りしめていた。画面にはツブッタのタイムライン。タグが爆発している。


「#地震速ふぉ、急上昇一位。次が……#日景さい高値。地震なのに株の話で殴り合ってる」


「殴り合うなよ……」カズミが笑った。笑い声が乾いて、すぐに咳に変わる。「でも、気持ちは分かる。家賃は揺れで止まらない」


リョウはカメラを下げたまま、階段の壁に背を預けていた。「今、配信したら数字は稼げる。だけどさ。画面の向こうに、揺れてる人がいる」


タケシが口を開く。「声明は……」


「評価は控える?」マコトが反射で言って、すぐに自分で自分を睨んだ。


その沈黙を破ったのは、アヤメの小さなペンライトだった。揺光ペン。机の上に置くと、加速度を拾って光る。今は、白い点がゆっくり脈を打っている。


ピコン、ピコン。

規則的すぎる。余震の間隔にしては、整いすぎている。


アヤメは息を吸う。「これ、地面じゃない。人の動き。ここ、みんな同時に貧乏ゆすりしてる」


「そんなわけ……」カズミが言いかけて、周囲を見る。確かに、足が揺れている人が多い。恐怖を逃がすための、小さな震え。集まれば、床を揺らす。


ナナが目を丸くする。「情報の揺れが、人の揺れを増やす。タグが震源、みたいな」


マコトが立ち上がった。「会場、避難所として開けます。党本部だけど、今はただの箱です。使える物は全部出します」


タケシは頷いた。控えるべき言葉と、控えたくない現実が、胸の中でぶつかった。「法の話は後回しだ。今は、人の流れを評価しよう」


会場に戻ると、スクリーンが復旧していた。だが映るのは式典ではない。複数の窓が並び、災害速報、株価、国際ニュース、そしてリョウの配信画面のプレビューまでが同居している。

誰かが言った。「世界が一枚の板になったみたいだ」


毛布の列の向こう、巨大なスクリーンに、光と文字と顔が同時に流れる。床には割れたガラスが星屑みたいに散り、人の息が白い霧になって漂う。電子旗は半分だけ点き、青い線がゆらゆらと地震計のように揺れていた。


カズミの端末が鳴る。ピンピン。日景平均は、地震の最中でも最高値を更新していた。

彼女は笑えなかった。市場は、揺れを飲み込んで加速する。加速は人を置き去りにする。


ナナのAIが、勝手にまとめを吐き出した。画面に短文が並ぶ。


「政府、米国の軍事行動への法的評価を回避」

「日本、立場明言せず」

「ベネズエラ情勢、拡大懸念」


ナナは指を止めた。「待って。これ、言い方を間違えると、支持してるみたいに見える」


その心配は、もう現実になっていた。ツブッタの外では、怒号が上がり始める。誰かが切り取った文だけが回り、火種になり、風になる。

リョウが外の様子を窓から見た。「記者が来てる。いや、配信者だ。煽りが早い」


タケシはスクリーンを見つめ、喉の奥で何かが折れる音を聞いた。控えると言った瞬間から、言葉は他人の手で折り畳まれる。


「私が訂正する」ナナが言った。「でも、早さでは勝てない」


「なら、遅くする」アヤメが言った。


「遅くする?」


アヤメは揺光システムの設定画面を開いた。揺光は本来、専門家用の高速表示だ。だが彼女は、人間の目が追える速度に落とし、色数を減らした。白と青だけにする。派手さを捨てる。


「光が落ち着けば、人の足も落ち着く。地面は揺れてるけど、人の揺れは止められる」


マコトがうなずき、電子旗の制御卓に手を置く。「旗も使える。巨大な光源だ。指示を出そう」


カズミは躊躇いながら、取引アプリを閉じた。指が痛む。「通信が混んでる。だけど、市場回線は優先度が高い。私の端末、証券会社の専用線に繋がってる。そこから会場のスクリーンに流せるはず」


「そんなの、裏技じゃ……」マコトが言いかけて、現場の毛布の山を見て言葉を飲んだ。


リョウがカメラを持ち上げる。だがレンズを人に向けない。スクリーンに向ける。「煽りじゃなく、今ここで必要な映像を流す。コメント欄は閉じる」


しん、と静けさが落ちた。毛布を被った子どもが眠り、湯気のない紙コップが並び、誰かのスマホが充電切れで黒くなる。遠くのサイレンだけが、世界の外側を走り続ける。


その静けさを、また揺れが割った。


ドン。

余震。だが最初より浅い。浅い揺れは、建物を鋭く刺す。天井がきしみ、避難所の人波が一斉に立ち上がる。人の揺れが地面の揺れに上乗せされる。

揺光ペンが狂ったように点滅した。ピコンピコンピコン。


同時に、スクリーンが変な色に染まった。赤い世界地図。ベネズエラの辺りが点滅し、米国の旗に似た模様が重なる。次の窓では、米中協議の文字が踊り、次の窓では日景平均が跳ね、最後の窓では「仕事始め式、成功」と式典映像が勝手に再生される。


「誰か、乗っ取った!」マコトが叫ぶ。


リョウが歯を食いしばる。「こういうのを流せば、人は勝手に物語を作る。危機を利用する物語だ」


タケシは、スクリーンの隅に小さく表示された文を見た。英語のようで、英語ではない。法律の条文番号のような、株の銘柄のような、震度のような数字。

6.2。

まただ。


アヤメは理解した。揺光が拾っているのは地面だけじゃない。スクリーンの点滅が、人の目を揺らし、足を揺らし、その振動が床を揺らし、センサーに戻ってくる。情報が振動になって循環している。


「止める。光を、一本にする」


彼女は揺光システムの出力を、電子旗に直結した。会場の半分を覆う巨大な旗が、一色の青に沈み、次に、白い線が一本だけ走った。

ゆっくり、ゆっくり。呼吸の速度で。


ザワザワが、スッ、と薄まった。人は目に従う。目が落ち着けば、足が落ち着く。


ナナが叫ぶ。「今! ツブッタに出す!」


彼女はタグを新しく作る。現実のタグに似ていて、少しだけ違う。誤爆しにくいように。


「#地震速ふぉ2 避難所内は座る 出口は右 走らない」


短文。まとめではなく、指示。彼女のAIは反論するように候補文を出してくるが、ナナは全部消した。


カズミは専用線でスクリーンに文字を流した。派手な速報ではない。青い旗の下に、白い線と、白い文字だけ。


「余震中 落下物注意 子ども優先 水は一人一杯」


リョウはカメラでそれを映し、ユウトーブに流した。コメント欄は閉じたまま。だが再生数は上がっていく。上がる理由が、今日は嬉しくなかった。


タケシは、ついにマイクを掴んだ。党の会場で、政府の人間が勝手に話せば問題になる。だが問題は、もう床に落ちている。


「今、外で流れている切り取りは不正確です。政府は支持も非難もしていません。法的評価を控えるというのは、立場を曖昧にするためではなく、事実確認を優先するためです」


言い切った瞬間、誰かが拍手した。パラパラ。次に、もっと多くの拍手。パンパンパン。

拍手は揺れより穏やかな振動で、床を叩いた。


マコトは電子旗の下で、散らばったガラス片に毛布を投げた。「旗は飾りじゃない。今は、影を作る布だ」


余震が収まり、スクリーンの乗っ取り画面が消えた。残ったのは青い旗と白い線と、避難の指示だけだった。

人は、少しずつ座った。泣く子が泣き止み、年寄りが水を受け取り、知らない者同士が毛布を譲り合う。

世界の問題は解けない。だが、ここでの揺れは小さくできる。


夕方。外は冷え、空は暗い。瓦礫の匂いが遠くから漂う。会場の隅で、五人とナナは並んで紙コップを持った。


カズミが言った。「私、今日の利益、全部消した。専用線の利用料が高すぎる」


ナナが笑う。「生活費の表、揺れた?」


「揺れた。でも、今はそれでいい」


リョウが遠くを見る。「賛否が割れるニュースは、明日も来る。でも、割れたままでも生きられる映像を撮りたい」


マコトは、半分消えた電子旗を見上げる。「仕事始め式、たぶん台無しだ。でも、今日この箱が役に立った。旗が、誰かの頭上の屋根になった」


タケシは、紙の束を握り直した。「控える、って言葉を、今日は一回だけ減らせた気がする」


アヤメは揺光ペンの点滅を見つめた。静かだ。人の足も、静かだ。

だが、ペンが一度だけ、遅れて光った。ピコン。


ナナの端末に、誰かからの匿名通知が届く。短いログ。時刻は、最初の揺れの三十秒前。内容は、たった一行。


「#地震速ふぉ 予告」


ナナは息を止めた。予告できるはずがない。自然の揺れは、先に言葉にならない。

なのに、言葉が先に走った。


彼女は画面を伏せ、誰にも見せなかった。今日は、暴く日じゃない。守る日だ。

守るために、まとめる。まとめるために、時に控える。控えるために、いつかは言う。


アヤメが小さくうなずいた。揺れは終わらない。だが、揺れを読む目は、ここにある。

(了)


――あとがき――

中国地方での規模六点二級の地震というニュースは、党本部の仕事始め式がそのまま避難所に変わる場面に置き換えました。日景平均の最高値更新は、株高カズミが生活費と相場の間で揺れる軸に。米国のベネズエラ軍事行動と賛否が割れる世論、そして日本側が法的評価を控えるという話題は、戦乱リョウの配信と法眼タケシの葛藤として絡めています。トレンドの「#地震速ふぉ」「#日景さい高値」「#ベネズエラ模様」は、短文広場の熱として背景に流し、情報の揺れが人の揺れに重なる感触を狙いました。また「#仕事始めしき」「#米宙協議」を、式典の空気とスクリーンの雑多さに混ぜ、政治と生活が同じ画面に並ぶ違和感を出しました。

物語は近未来の群像災害ドラマを王道に走らせつつ、最後だけ予告のログでSF的な影を差すB案の型にしています。

実際の報道が持つ重さを茶化さないよう、固有名詞はずらしつつ、出来事の核だけを借りて、個々の選択の物語に組み替えました。

この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

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