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動く公邸と鳴る港【2025/12/31】

 段ボールの角が、冬の空気を切って指に食い込む。

 如月迅は白い手袋の上から痛みを押し殺し、トラックの荷台から降りた。公邸の門は分厚く、警備灯が青白い円を路面に落としている。報道用のカメラが並び、レンズの列が夜の獣みたいに光った。

「総理が公邸に入ったって、そんなに絵になるかね」

 同僚が息を吐く。吐息が白い。

「絵にするのが仕事なんだろ。動いてるって言いたいんだ」

 迅は箱を抱え直した。側面に黒いマジックで、搬入先と品名が書いてある。

(公邸 第一棟 BATON 共振器)

 読めない単語は、現場を忙しくする。迅は胸の中で舌打ちした。


 玄関ホールは静かだった。磨かれた石床に靴底がきゅっと鳴る。廊下の先で、誰かが小さく笑った。新任の総理が、公邸に引っ越した。就任直後から動きを強調する、と昼からニュースが繰り返していた。ここにいると、政治が家具と同じ重さで運ばれてくる気がする。


 そのとき、床が、ゆっくり持ち上がった。

 ガタン。

 吊り下げ照明が揺れ、影が波打つ。壁の絵が斜めに跳ねた。

「地震だ」

 誰かが言うより早く、警報音がいくつも重なった。ポケットの端末が震え、文字が踊る。

(奄美大島近海 マグニチュード五点六 最大震度四)

 遠い海の揺れが、ここまで届く。迅は箱を抱えたまま、膝を曲げて踏ん張った。

 ゴゴゴゴ。

 揺れは短く、しかし嫌な残り方をして消えた。廊下の奥で、警備員が無線に叫ぶ。報道陣が門の外でざわめき、ガラス越しにフラッシュが瞬いた。


 迅は箱の角を指で確かめた。破れていない。中身は無事だ。人間だけが、無事かどうかをあとで確かめる。


 公邸の外に出ると、冷たい風の中で一人の女が配信端末を掲げていた。マスクの上からでも目が笑っているのが分かる。髪は短く、耳に小さなイヤホン。

「動いてるねえ、公邸も、世の中も」

 女は画面に向かって言い、すぐに迅に視線を投げた。

「搬入の人? 手元だけ映していい?」

「駄目だろ。ここ、国の中枢だぞ」

「だから手元だけ。箱のラベルだけ。世間はそういうの好き」

 迅は言い返そうとして、ラベルの文字が視界の隅で光った。BATON。知らない単語が、知らない日常を呼び込む。


 女は名乗った。

「纏目ナナ。まとめ配信をやってる。今日は年の瀬だから、政治も災害もスポーツも、全部まとめて流すの」

「まとめって、切り貼りのことか」

「切り貼りは悪口じゃないよ。縫い合わせるってこと。ほら、余震もまだ続くかもしれないし」

 ナナは画面を二本指で拡大し、震度分布の地図を見せた。遠い島のあたりが赤く染まっている。

「余震ウォッチャーがね、すごい速さで解析してくれてる。私の知り合い」


 その名前に、迅は小さく眉をひそめた。余震ウォッチャー。変な肩書きだが、変な肩書きの方が今は強い。みんな、仕事が不安で、推しが欲しくて、生活費が重くて、政治の話題に疲れている。だから短い言葉に吸い寄せられる。


 翌朝、迅は公邸からの呼び出しで港の方へ向かった。搬入はまだ終わっていないのに、追加の荷が出たという。休暇ダイアの表示で電車が間引かれ、ホームには苛立ちと年末の荷物が渋滞していた。遅延のお詫びが流れるたび、スマートフォンを握る手が強くなる。


 港湾地区の多目的ホール、潮風アリーナ。外壁に巨大な電子幕があり、夕方からの番組予告が流れていた。

(今夜は第六十七回 日本レコド大将 生中継)

 文字の下に、別の告知が重なる。

(同時開催 VRイベント #モンステ除夜の鐘)

(抽選で豪華賞盆)

 盆、だった。賞品じゃなくて盆。誤字なのか、ネタなのか。迅は思わず笑いそうになり、喉の奥で止めた。年の瀬に笑う体力すら、節約したい。


 搬入口の前で、蛍光ベストの男が指示を飛ばしていた。細身で、動きがやけに丁寧だ。首から下げた名札に、鐘守玲司とある。

「そこの台車、こっち。段差あるから、角を守って。箱は絶対に寝かせない。寝かせたら、鳴らない」

「鳴る?」

 迅が聞き返すと、男は真顔で頷いた。

「除夜の鐘、代替鐘。今夜は寺だけじゃなくて、ここも鳴らす。配信で鳴らす。だから俺は除夜バトラー。鐘の執事」

「執事って」

「執事だよ。鐘はわがままだ。機嫌が悪いと音が死ぬ」

 玲司は段ボールに目を落とし、ラベルを読んだ。

「BATON共振器。来たか。これがないと、鐘がネットに繋がらない」

 迅は首の後ろが冷たくなるのを感じた。公邸の箱が、ここに来る。政治の中枢の装置が、年末番組の舞台裏に混ざる。境界が薄い。


 そこへ、背の高い男が風と砂を連れて入ってきた。コートの襟に細かな砂粒が光っている。目は乾いた笑いを宿し、手には小さな金属ケース。

「遅れてすまない。港の税関が混んでいた。休暇ダイアのせいで人も車も回らない」

 男は自己紹介した。

「砂原ソハイル。砂嵐の商人って呼ばれてる。売るのは電気と、水と、少しの沈黙だ」

「沈黙は売れないだろ」

 迅が言うと、ソハイルは肩をすくめた。

「売れる。人は騒音に疲れてる。だから静かな時間を買う。高いぞ」

 冗談か本気か分からない口調で、ソハイルはケースを開けた。中に入っていたのは、掌に収まる銅の欠片だった。古い鐘の一部のように見える。

「共振の調律材だ。鐘守さん、これを使う。音は情報になる。情報は避難になる」

 玲司が欠片を受け取る指が、妙に慎重だった。


 背後で、誰かが走ってきた。スポーツバッグを抱えた若い女だ。頬が赤く、目がぎらぎらしている。追田ケイ。名札はないが、胸元のストラップにポイント管理アプリの画面が張り付いていた。

「すみません、抽選の受付どこですか。豪華賞盆って、ほんとに盆が当たるんですか」

「盆が当たってどうする」

 玲司が即座に突っ込む。

「盆は大事ですよ。年末は供え物が増えるし、マンガ読んでポイ活で貯めたポイント、ここで換金できるって聞いたから」

「換金は駄目。規約」

「規約って、どこの」

「俺の」

 玲司は胸を張った。

「ここは除夜の鐘イベントだ。ポイントの戦場じゃない」

「でも、#LINEEマンガ読んでポイ活って、今日のトレンドですよ。世の中がそう動いてるんです」

 ケイが言い返すと、玲司は一拍置いてから、ゆっくり首を傾げた。

「動いてるのは、お前の親指だ」


 そのやり取りを、どこからかカメラが抜いていた。纏目ナナが階段の上で配信端末を構えている。迅と目が合うと、ナナは小さく手を振った。

「集まってきたね。公邸ムーバー、余震ウォッチャー、砂嵐の商人、除夜バトラー、賞品ハンター。今日の群像、揃った」

「勝手に役名を付けるな」

「役名があると、視聴者が覚える。覚えると、助け合える。ねえ、迅。昨日の揺れ、奄美のやつ。まだ余震が続いてる。今夜も来るかも」

 ナナの声は軽いのに、目が軽くない。まとめ屋の目だ。重いものを毎日見て、重さを見失わない目。


 余震ウォッチャーは、そのときホールの裏手で配電盤を覗き込んでいた。久慈震也。大学の研究室を追い出されかけている院生で、机の上の地震計は中古。だが、端末の画面に流れる波形は生き物みたいに鮮やかだった。

「奄美の揺れ、最初の主震のあと、浅い断層がずるずる滑ってる。都市圏には直撃しない。でも、こういう日は、人が集まるから危ない」

 震也は独り言のように言い、コーヒーを一口飲んだ。安い粉末。生活費を削った味がする。

「だから俺は、今日だけでも役に立ちたい」


 夕方になり、アリーナの客席に人が入り始めた。年末の空気は、希望と焦りの混合だ。売店では油の価格がどうとか、卵が高いとか、そんな会話が湯気に混ざる。スクリーンには海外の映像が流れた。砂色の海岸、黒煙、港のクレーン。遠い海で、サウジ主導の軍がイエメン沖の港を爆撃した、とニュースが伝える。ソハイルの指が無意識に拳を作った。

「港が燃えると、船が止まる。船が止まると、燃料が揺れる。揺れると、家賃も弁当も揺れる」

「原油は堅調だって言ってたよ。地政学リスクがあるのに、供給余剰で押さえられてるって」

 ナナがコメント欄を読み上げる。まとめる声が、遠い戦火を近所の冷蔵庫まで運んでくる。

「市場は合理的だ。でも、人の生活は合理的じゃない」

 ソハイルは低く言った。


 ホールの裏では、迅が箱を開けていた。BATON共振器。中身は金属の筒と、薄い板と、配線の束。説明書はなく、代わりに公邸の封印シールが貼ってある。政治の匂いがする。玲司が覗き込み、手を伸ばす。

「これ、鐘の近くに置く。音を拾って、圧縮して、拡張現実(AR)に変換する。視聴者の端末に、鐘の振動が伝わる」

「振動が伝わって、何になる」

「人が同じタイミングで揺れる。そうすると、避難誘導の同期が取れる」

 意味が分からないのに、嫌な納得がある。迅は公邸の廊下で揺れた床を思い出した。あの揺れを、わざわざ共有する意味。


 ステージ上ではリハーサルが始まっていた。日本レコド大将。架空の大将旗が立ち、司会者が派手に手を振る。歓声の代わりに、客席の端末が光り、心拍のように点滅する。玲司がインカムで叫ぶ。

「照明、三秒遅らせて。カメラ、寄りすぎ。寄るな、引け。引くと、全体が見える」

 全体。全体が見えるのが、怖い。


 その瞬間、アリーナの床が、今度は鋭く跳ねた。

 ドン。

 観客の悲鳴が一斉に立ち上がる。照明が左右に振れ、スクリーンが一瞬暗転した。震也の端末がけたたましく鳴る。

「余震だ。来た」

 ゴゴゴゴゴ。

 波が押し寄せるような揺れ。客席のペットボトルが転がり、床を滑っていく。舞台袖の大道具が倒れ、金属がぶつかる音が響いた。

 ガシャーン。

 玲司が客席に向かって手を広げる。顔は青いのに、声は通る。

「その場でしゃがんで。頭を守って。走らない。出口は確保してる」

 迅は反射で、倒れかけた箱を抱えた。公邸の箱を、ここで壊すわけにはいかない。政治の装置が、年末の床に転がったら、明日のニュースが増える。


 揺れが収まるまで、長い十秒があった。十秒で、人は未来を何度も想像する。天井が落ちる未来。炎が出る未来。スマートフォンが圏外になる未来。どれも現実の延長だ。


 ようやく揺れが止むと、客席にざわめきが戻った。誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが配信を回し続ける。ナナの声が客席スピーカーから流れた。

「今の揺れ、震度は大きくない。だけど、ここは人が多い。落ち着いて。出口の係員の指示に従って。コメント欄に余震情報を貼るね」

 まとめ屋が、緊急放送みたいに自然に混ざっていく。視聴者はそれを娯楽だと思うのか、命綱だと思うのか。境界がまた薄い。


 舞台裏の通路は、静かだった。揺れのあと、音が一度死ぬ。遠くで誰かが椅子を直す音がするだけ。迅は壁にもたれ、手袋を外して指の痺れを確かめた。ケイが近くでしゃがみ込み、スマートフォンの画面を見つめている。画面には抽選のページと、地震速報が重なっていた。

「当たったら嬉しいのに、当たると怖い。変ですよね」

 ケイがぽつりと言う。

「人は、当たりを欲しがる。外れを怖がる。両方持ってる」

 ソハイルが通路の反対側から言った。砂の匂いが薄く漂う。

「港が燃えた映像を見たあとで、豪華賞盆を追うのは、罪か?」

「罪じゃない。生活だよ」

 震也が答えた。いつの間にか合流していた。目の下に疲れがある。

「俺だって、研究が当たれば奨学金が続く。外れたら、家賃が払えない」

 玲司がインカムを外し、頭をかいた。

「俺は、今夜の鐘が当たらないと困る。音が外れたら炎上する。炎上は、本物の火より怖いことがある」

「炎上って、港みたいに?」

 ケイが言うと、玲司は即座に首を振った。

「違う。港の火は消す人がいる。炎上は、消す人が増えるほど燃える」

「それはそれで、物理が変だな」

 震也が真顔で言い、ケイが笑った。笑うと、少しだけ呼吸が戻る。


 ナナが通路の角に現れた。配信端末を胸の前で抱え、声を落とす。

「みんな、今夜、このまま続行する?」

 玲司が答える前に、迅が言った。

「続けるしかない。人は帰れない。休暇ダイアで電車は減ってる。ここにいるのが一番安全なら、ここを安全にする」

 自分の口から出た言葉に、迅は驚いた。ムーバーは、物を運ぶだけだと思っていた。だが今は、人の居場所を運んでいる。


 ソハイルがケースからもう一つ、薄い板を取り出した。砂色の透明板だ。

「砂嵐発電の膜だ。風がなくても、温度差で電気を生む。港が燃えようが、油が堅調だろうが、ここは暗くしない」

「売る気?」

 玲司が聞く。

「今夜は、貸す。返さなくていい。返すなら、次の誰かに渡せ」

 ソハイルの目が一瞬だけ、遠い海を見る。イエメンの港の黒煙。爆撃の音が耳の奥で鳴り続けているのかもしれない。


 客席では、スポーツファンが大画面の前に集まり始めていた。北米プロフット最終戦の中継が、ここでも流れる。チーム名はチャージャズ。クォーターバックのハーバトが欠場、と字幕が出た瞬間、ため息が連鎖した。

「終わった。うち、終わった」

 若い男が頭を抱える。

「終わってない。守備がある」

 玲司が反射で言い返し、すぐに自分が口を挟んだことに気づいて咳払いした。除夜バトラーは本当はフットボールオタクだ。推しは言葉より先に出る。

 ケイが目を丸くする。

「鐘の執事なのに、スポーツも執事なんですか」

「俺は執事じゃない、バトラーだ」

「同じじゃないですか」

「違う」

「何が」

「格が」

 噛み合わない会話に、迅は思わず肩を震わせた。笑いは小さく、しかし確かに場を緩めた。


 夜が深まり、ステージは本番に向けて組み替えられた。音楽賞の華やかな演出の裏で、椅子が避難スペースの列に変わる。スクリーンの下に、非常食の箱が積まれる。豪華賞盆の抽選台が、給水ポイントの台に変わる。誰もそれをはっきり言わない。言った瞬間に、娯楽が避難所に変わり、人が怖がるからだ。


 BATON共振器は、ステージ中央の鐘の台座に固定された。銅の欠片がそこに添えられ、玲司が小さな木槌で叩いて調律する。

 コン。

 音は短く、澄んでいた。震也が端末を見て、頷く。

「周波数が揃った。これなら、揺れの情報と同じ帯域に乗る」

「揺れと鐘が同じ帯域って、縁起悪いな」

 迅が言うと、ナナが口元だけ笑った。

「縁起は、人が後から付ける。先に必要なのは同期」


 客席の照明が落ちた。スクリーンに、夜の海が映る。そこに重なるように、文字が浮かぶ。

(#日本レコド大将 生配信)

(#モンステ除夜の鐘 参加者募集)

(#休暇ダイア 帰れない人はこちら)

 最後のタグだけ、明らかに毛色が違う。だが視聴者は気づかない。タグ文化は、混ぜれば混ざる。


 ナナがマイクを握った。まとめ屋が、司会者になる。

「年の瀬、いろんなニュースが流れてる。政治が動いて、地面が揺れて、遠い港が燃えて、油の値段が揺れて、推しの選手が欠場して。全部、私たちの生活の端っこに刺さる。だから今夜は、刺さった端っこを抜かない。縫い合わせる。鐘を鳴らして、同じ時間を共有しよう」

 玲司が目を閉じ、槌を握った。迅は客席の出口を見渡し、ケイは抽選台の前で非常食の袋を数え、ソハイルは砂色の膜を天井に張り、震也は端末の波形に指を置いた。


 静かな一瞬が来た。世界が息を止めるような沈黙。客席の誰かが咳をし、その音すら大きく聞こえる。外では風が吹き、港のクレーンがきしむ。


 次の瞬間、鐘が鳴った。

 ゴォォン。

 音が胸郭を叩き、床を揺らし、スクリーンの海面を震わせる。BATON共振器のランプが一斉に点滅し、客席の端末が光の粒を吐いた。粒は空中に浮かび、拡張現実(AR)の文字列になって渦を巻く。

(#豪華賞盆 当選者発表)

(#休暇ダイア 臨時停車)

(#余震ウォッチャー 次の揺れまで三分)

 暗い客席に無数の光が咲いた。揺れる光の中で、人の顔が上を向く。スクリーンには海外ニュースの字幕が小さく走り、港爆撃の映像が一瞬だけ挿し込まれる。油のチャートが端に表示され、堅調推移の文字が踊る。スポーツ中継の画面が片隅に残り、欠場したハーバトの背番号だけが空白のように光る。政治の速報も流れた。総理が公邸から緊急メッセージを出す準備、と。


 ゴゴゴゴゴゴ。

 鐘の余韻に重なるように、地面が再びうねった。今夜、最大の揺れだ。客席の光が一斉に揺らぎ、ARの文字が崩れかける。

「来るぞ」

 震也が叫ぶ。

 玲司が槌を振り上げた。鐘を鳴らすのは縁起担ぎじゃない。同期の合図だ。

 ゴォォン。

 ソハイルが砂色の膜のスイッチを入れた。天井から薄い光が降り、停電しそうな照明を支える。

 ブゥン。

 迅が台車を突っ込み、倒れかけた照明柱を押さえる。公邸で鍛えた腕が、今は客席を守る。

「出口、開けたまま。走らせるな」

 玲司が怒鳴る。声が鐘より通る。

 ケイが抽選台の札をひっくり返した。そこには小さく書いてあった。

(当選=優先配布)

「これ、当選した人から非常食を渡すんじゃなくて、当選した番号の列にいる人から渡すんです。列を作らせるための当選」

 ケイの声は震えていたが、手は速い。賞品ハンターの指が、初めて誰かのために動く。

「豪華賞盆って、盆じゃないんだな」

 迅が言うと、ケイが笑いながら泣いた。

「盆も、あるかもしれない。次の回で」


 スクリーンが大きく切り替わった。公邸からの中継。総理が白い壁の前に立っている。背後に、見覚えのある箱が映った。迅が運んだ箱だ。総理は落ち着いた声で言う。公邸に住むのは見せかけではなく、危機のときに現場と直結するためだ、と。政治の動きは、家具より重いが、家具と同じ速度で動かねばならない、と。

 その言葉の直後、総理の横に置かれた装置が光った。BATONの親機だ。共振器の兄弟。

 ナナが息を呑む。

「繋がった」

 公邸とアリーナが、鐘の振動でリンクする。揺れの情報が、音に変換され、全国の端末へ飛ぶ。避難所の位置、臨時停車の情報、余震の予測、給水の案内。全部が、タグの形で流れる。人はそれをトレンドだと思って開き、気づけば行動している。


 揺れが収まり始めた。ゴゴゴが、ゴ……と短くなり、最後にふっと消える。客席の誰かが拍手を始めた。音はばらばらで、しかし広がった。拍手は娯楽のためだけじゃない。生き残った実感のための音だ。


 スポーツ中継の画面で、チャージャズの控えのクォーターバックがフィールドに出た。観客席から小さな歓声が上がる。欠場は終わりじゃない。代わりが出る。生活も同じだと、誰かが言った。言わなくても、目がそう言っていた。


 ソハイルは砂色の膜を見上げ、静かに言った。

「港は、まだ燃えてるだろう。戦争は止まらない。油の値段も、明日には変わる。だが今夜、この場所の暗闇は止められた」

 震也が端末を閉じる。波形は落ち着き、余震の間隔が伸びている。

「俺の解析は、ただの数字だと思ってた。でも、数字が人の足を動かすなら、研究室の机より価値がある」

 玲司は槌を置き、手のひらを見つめた。握り続けた跡が赤い。

「鐘はわがままだ。でも、わがままに付き合うと、人が一つに揺れる。揺れは怖いけど、孤独よりはましだ」

 ケイは非常食の箱を抱え、ポイントアプリの通知を消した。代わりに、配布リストのメモを開く。生活費のための狩りが、今夜だけ方向を変えた。

 迅は出口に立ち、外の空気を吸った。夜はまだ冷たい。だが、港の向こうの雲が少し明るい。遠い戦火の黒煙ではない。年末の薄い月明かりだ。


 ナナが迅の隣に立った。配信端末を下ろし、素の声で言う。

「まとめって、ずるい仕事だと思ってた?」

「思ってた。切り貼りで、世の中を軽くする」

「軽くしないと、持てない日がある。重いままだと、落とす」

 ナナは端末を見つめた。コメント欄には、避難できた、電車に乗れた、鐘の音で落ち着いた、そんな言葉が流れている。中には、海外の港の映像を見て胸が痛い、という声もあった。重さは消えない。だが、重さを共有する回路は作れる。

「明日もニュースは来る。たぶん、もっと変な形で」

 ナナの目が、一瞬だけ遠くを見る。スクリーンの隅に、見知らぬタグの予告がちらりと浮かんだ。

(#次の揺れの前に)

 それが誰の仕込みか、まだ分からない。


 アリーナの外に出ると、臨時停車した電車のライトが線路を照らしていた。休暇ダイアの表示が、今夜だけは優しかった。人の列がゆっくり動く。誰も走らない。鐘の余韻が、まだ胸の中で揺れている。


 迅は手袋をつけ直し、空になった台車の取っ手を握った。物は運び終えた。だが、運ぶべきものはまだ残っている。居場所。情報。沈黙。誰かの明日。


 遠くで、もう一度だけ鐘が鳴った。今度は小さく、しかし確かに。

 コン。

 銅の欠片が、ポケットの中で温かかった。


(了)

――あとがき――

 公邸に新しい総理が入居して動きを示したという話題は、冒頭の搬入と、終盤で公邸と会場が通信で繋がる仕掛けに反映しました。奄美近海の地震は、余震ウォッチャーの解析と会場の揺れとして物語の推進力にしました。遠い港への爆撃と原油相場の揺れは、砂嵐の商人の葛藤と生活費の不安として、観客の会話や映像に混ぜています。スポーツの話題は、チャージャズのQB欠場を会場の大画面に残し、代役が出ることで人の支え合いを重ねました。トレンドの「#日本レコド大将」や「#モンステ除夜の鐘」「#LINEEマンガ読んでポイ活」は、年末配信と抽選企画の看板に置き換え、「豪華賞盆」は避難誘導と配布に転用する小さな笑いとして回収しました。

 ジャンルは社会派ドラマ寄りの近未来SFにして、結末は王道のまま小さな希望を残す型を採用しています。ニュースの重さを軽んじず、ただしフィクションとして再構成することで、人の手が届く範囲の選択を描きました。

 この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

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