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週境界の五重奏【2025/12/22】

 日曜の夜。都市の中央駅は、週の終わりを告げる冷気と、人いきれの熱で二層に分かれていた。天井の高いコンコースに、壁一面のニュース窓が並ぶ。地方の首長選で無名の新人が勝ったという速報。国際線ターミナルでは年末の出国が始まり、ロビーが渦を巻いているという映像。商店街とモールは年末セールで埋まり、非現金決済の比率が過去最高になったと解説が流れる。河川敷では冬の市民マラソンが開催され、凍てた息の白さがカメラに映っていた。湾岸のアリーナでは大型の年末ライブが開幕し、光が波のように跳ねる。


 そして、すべての画面の隅に、同じ小さな表示が点滅していた。


 (WEEK SHIFT 23:59 SYNC)


 ガリッ、とノイズが走り、表示の一文字だけが裏返った。(SYNC)が一瞬(SINK)に見えた気がした。


 票田マコトはその瞬間、背筋が薄く冷えた。自分の仕事場の奥でしか見ない文字だったからだ。


 市庁舎の臨時対策室には、紙のポスターと、電子の票の海が同居していた。壁のスクリーンに映る地図は、投票所ごとの色が次々と塗り替わり、最後にひとつの輪郭が確定する。新人候補が、現職を僅差で上回った。拍手が起き、誰かが泣き、誰かが肩を抱いた。


 「勝った……のか」


 マコトの声は、歓声に溶けて小さくなる。彼はキャンペーンの表で走る人間ではない。市の情報基盤部から派遣された、選挙データ連携の担当だ。市のシステムは、投票結果を受けて次週の設定を更新する。交通、決済、防災、広報。そのすべてが、日曜の深夜に切り替わる。


 (週移行)


 それがこの街の呼び名だった。昔は単なるメンテナンスだった。今は、暮らしの姿勢を微調整する都市OSの更新だ。優先信号の時間割も、観光案内の多言語順も、生活支援の申請窓口も、選挙の結果と連動して更新される。


 「票田さん」


 背後から声を掛けられ、マコトは振り返った。勝った新人候補が、汗の残る額を拭いながら近づいてくる。握手を求める手の指先に、細いリングが光っていた。


 「君がいなければ、今夜の更新は危なかった。感謝する。これを預かってくれ」


 候補は、リングに似たリストバンドを差し出した。透明な樹脂の中に、微細な繊維が渦を巻く。中には、紙の投票用紙をすり潰して練ったような灰色の粒も混じっていた。


 「週切替キー……」


 「市民の署名だ。これを核に触れさせれば、都市OSは勝敗を受理する。だが今夜は、負荷が高い。あらゆる回線が、年末の動きで熱を持っている」


 新人候補は、悪意のない顔で、けれど重い言葉を落とした。


 「信じている。君と、街を」


 マコトは答えられず、ただバンドを握った。冷たいのに、内側だけが微かに温かい。まるで、人の体温が残っているみたいだった。


 その頃、空港連絡線のホームでは、トラベル・ケンが客の列を解きほぐしていた。国際線の出国ラッシュが始まり、家族連れの荷物は、冬物の厚みで膨らんでいる。改札の前で迷う人、搭乗券の画面が開かない人、パスポートの読み取りが遅い人。ケンは声を張り、手を振り、笑顔の裏で時間を計算していた。


 「こちらは国際線ターミナル行きです。国内線は反対側。ええ、反対です。今のままだと、反対の反対に行きます」


 「反対の反対ってどっち」


 「いま立っているここが真ん中なので……」


 ケンは自分でも何を言っているのか分からなくなり、いったん息を吸った。肩の無線が、パチパチと鳴る。


 (週移行同期まで、残り……)


 耳元で機械音声が囁く。空港の案内AIは、都市OSと直結している。同期が始まる前は、いつもこんな調子だ。だが今夜は違う。電光掲示板の時刻が、一拍遅れて揺れる。


 「おいおい。頼むぞ、週またぎで止まるなよ」


 ケンの推しは、旅系の配信者だ。画面越しの異国の街を眺めるのが、彼の安い贅沢だった。だがその贅沢も、最近は生活費の圧に押され気味だ。家賃、食費、光熱。年末は手当が増えるはずなのに、出費が先に増える。だからこそ、今夜の混乱は避けたい。遅延は、そのまま現場の残業と、胃痛に変換される。


 一方、中心街のモールでは、セール丸サエが、決済端末の列を見つめていた。年末セールが本格化し、通路は袋の海になる。レジの前に、透明なパネルが立ち、購入者の決済手段が統計として浮かぶ。非現金比率が、過去最高を更新していく。紙幣の音は、もう懐かしい。


 「サエさん、端末がまた固まりました」


 新人の声に、サエは即座に頷いた。彼女はフロアの店員ではない。モール全体の決済を束ねる、外部委託の運用担当だ。推しは、節約情報をまとめる配信者(纏目ナナ)で、彼女の「今日のまとめ」だけは課金して見ている。サエの生活費は、まとめたクーポンと、まとめきれない残業で成り立っていた。


 端末の画面が、ピタリと止まる。


 (SYNC PENDING)


 「今夜はやけに出るわね。同期待ちってやつ」


 「同期って、推しの新曲が同時配信されるやつですか」


 新人は真顔で言った。サエは思わず眉を上げる。


 「それは同時公開。こっちは同時に止まる方。笑えない方」


 ツッコミが口から出たあと、サエは自分が少し楽になったのを感じた。笑いは、息継ぎになる。


 河川敷では、走破リュウが、フィニッシュゲートをくぐった。冬季市民マラソン。完走者の顔は、赤と白の混じった色になる。リュウの胸元のゼッケンが、氷の粒で光る。腕のセンサーが脈拍を計測し、完走証が自動で発行される。市の健康ポイントが加算され、次週の保険料の微調整が予告される。


 「走れば、得する。走らなきゃ、損する。そんな仕組み、走るのが好きなやつにとっては天国だ」


 リュウは息を吐き、笑った。推しは、走りのフォームを解説する古い動画だ。派手さはないが、地味に効く。彼は配達の仕事もしている。走るのは趣味であり、稼ぐための筋肉でもある。だが最近、配達の単価は伸びず、街の物価だけが滑っていく。政治の話を避けてきたのも、どこかで「自分には変えられない」と決めていたからだ。


 「けど、今日くらいは……」


 ゴール付近の大型モニターに、首長選の速報が出た。新人当選。観客がざわめく。リュウは知らない名前を見て、胸の奥が、少しだけ動いた。


 湾岸アリーナの裏口では、光音ミユが、音の海に沈んでいた。大型の年末ライブイベントが開幕する夜。ステージの床下に潜り、ケーブルを束ね、マイクの返しを調整する。外では客が歓声を上げ、上では照明が白い筋を描く。


 「ミユ、イントロの低音、もう少し丸くできる?」


 リーダー役の演者が言う。ミユは頷き、ミキサーのつまみを回した。音が、胃の底を叩くように変わる。


 ドン。ドン。ドン。


 「いい。今夜は、街ごと鳴らせそう」


 ミユの推しは、音ではなく人だ。昔、路上で歌っていた無名の歌手が、今夜この大舞台に立つ。その背中を支えるのが、彼女の仕事だ。生活費は正直きつい。だが、音の仕事は、数字よりも先に心臓を動かす。だから離れられない。


 そんな五人の端末に、同じ通知が届いた。


 (纏目ナナ 緊急配信:今夜まとめられないニュース)


 公共のニュース窓にも、突然、ひとつの映像が割り込む。黒いパーカーの女性が、机の上に紙束を積み上げていた。紙束の表紙には、手書きで(まとめ)とあるのに、積み方はまったくまとまっていない。


 「こんばんは、纏目ナナです。日曜夜の街は、情報が渋滞します。今日は特に、渋滞が物理に波及しそうです。ええ、もう波及している人もいますね」


 ナナはカメラの向こうを指差し、コメント欄を流し読みした。背景のモニターに、もじったタグが踊る。


 (#地方センキョ) (#出国ラッシュン) (#年末セール祭)


 「これ、いまのトレンドです。けど、今夜はタグより怖いものがある。画面の隅の(WEEK SHIFT)。見えてますか。見えてない人は、見えてないのが問題です」


 ナナは笑っていない。笑えない種類の話を、あえて平熱で言う。


 「週移行の同期が失敗すると、交通も決済も、票も音も、全部が同じ方向に倒れます。だからお願い。中心駅の地下、週境界センターに来られる人、来てください。来られない人は、端末の時刻がずれてないか、身近な人に伝えてください。まとめるのは、たぶん、みんなの側です」


 配信が終わったあと、画面が一瞬だけ真っ暗になり、白い文字が浮いた。


 (SINK 23:59)


 マコトは、窓のない廊下に出た。歓声が遠ざかり、足音だけが響く。冷たい蛍光灯の下で、リストバンドの樹脂が青白く光った。


 (市民の署名だ)


 新人候補の言葉が、耳の奥で反響する。政治は遠いと思っていた。だが遠いのは、距離ではなく、手触りだったのかもしれない。今夜、その手触りが、手のひらにある。


 マコトは、ナナの配信をもう一度開いた。コメント欄に、同じ不安が繰り返されている。改札が止まった。決済が遅い。時刻がずれた。小さな破綻が、点で散っている。


 彼は走り出した。市庁舎前の階段を降り、冷えた風に頬を切られ、駅へ向かう。靴音が、硬い石を叩く。


 タッ。タッ。タッ。


 駅のホームで、ケンが大きな荷物を抱えた客に肩を貸していた。マコトは声を掛けようとして、ふと胸元の名札を見た。(トラベル・ケン)と書いてある。職種が名前に組み込まれているのが、この街の癖だ。仕事がアイデンティティを食う。便利で、息苦しい。


 「すみません。週境界センター、どこですか」


 ケンは振り返り、マコトの手のバンドに目を止めた。


 「それ、投票のやつですか」


 「投票の……」


 「いや、搭乗の。搭乗の確認のやつ。国際線の。いまそれが止まってて」


 「これは投票の。投票が止まったら、もっとまずい」


 「投票が止まったら、搭乗も止まりますよ。人が動けないと、票も届かない」


 「票は届きません。もう締め切ってます」


 「締め切った票が動かないんですって」


 噛み合わないまま、二人は互いの言葉の中に同じ焦りを見つけた。ケンが苦笑し、マコトも肩を落とす。


 「すみません。いま、頭が搭乗ゲートでいっぱいで」


 「こっちも、頭が投票箱でいっぱいで」


 「どっちも箱じゃないですか」


 「箱です」


 その瞬間、二人の端末が同時に震えた。


 (週境界センター 地下二階 案内停止)


 サエはモールの裏口を抜け、外気に触れた。セールの熱気を背中に置くと、街の音が急に遠くなる。けれど遠くで、救急車のサイレンがひとつ鳴り、すぐにもうひとつが重なった。決済が止まれば、食料も薬も動かない。笑いごとではない。


 「纏目ナナ……」


 彼女の推しが、画面の向こうで「来て」と言った。サエは自分の首にかかった社員証を握り、駅へ向かった。途中、河川敷から来る走者の列が見えた。リュウが、完走メダルをジャラリと鳴らしながら、橋を渡ってくる。


 ジャラリ。ジャラリ。


 「すみません、中心駅って、こっちですか」


 サエが声を掛けると、リュウは頷き、汗の匂いを纏ったまま笑った。


 「ええ。俺も、そっちに用がある。まとめ……じゃない、纏目ナナの配信」


 「あなたも見てるの」


 「推しってやつです。節約じゃなくて、情報の方」


 「情報も節約しないと死ぬ夜ね」


 二人は足を速めた。


 湾岸アリーナの裏口では、ミユがイヤモニを外した。音が一瞬だけ遠のき、代わりに、端末の通知音が刺さる。


 (入場ゲート 認証遅延)


 「まさか、こんなタイミングで」


 ステージ上では、客が待っている。年末ライブの開幕。ここで止まれば、演者の心も折れる。ミユはスタッフ通路を走り、外へ出た。空は黒く、海風が強い。遠くに、中心駅のビル群が見える。そこへ、巨大な光の帯が伸び始めていた。


 (WEEK SHIFT)


 街そのものが、次の週へ進もうとしている。


 週境界センターは、中心駅の地下二階にあった。普段は地味な防災倉庫のような場所だ。だが今夜は違う。人が押し寄せ、係員が走り、端末の光が飛び交う。改札は半分が閉じ、エスカレーターが止まり、案内板が白いまま固まっている。


 ゴウン、と床下から低い振動が来た。都市OSの核が、同期の準備を始めた音だ。


 マコトとケンが地下へ降りた瞬間、照明が一段落ちた。暗くなった通路の先で、黒いパーカーの女性が立っていた。配信で見た顔。纏目ナナだ。彼女は手に紙束ではなく、小さな中継端末を持っている。周囲の係員が「ナナさん」と呼び、道を開けた。


 「来たね。投票箱と搭乗ゲートの人」


 ナナは、初対面の二人を一息でまとめた。ケンが目を丸くする。


 「なんで分かるんですか」


 「分かるようにしてるから。まとめ屋は、まとめられない人の癖を拾う。癖は仕事に染みる」


 マコトがリストバンドを見せると、ナナの目が細くなった。


 「週切替キー。新人の当選を署名するやつ。これがないと、都市OSは次週を受理できない。けど今夜は、それだけじゃ足りない」


 サエとリュウが駆け込んできた。サエは息を切らし、リュウは汗を湯気にしている。


 「決済が、モール全体で遅延です。非現金の比率が高すぎて、逆に詰まってます」


 「河川敷の計測ドローンが、帰ってこない。たぶん、同期に引っ張られてる」


 ナナは頷き、次にミユを探すように天井を見上げた。まるで、音を待っているみたいだった。


 そのとき、地下の壁面モニターが一斉に切り替わった。ニュース窓が、同じ一文を繰り返す。


 (週移行 強制開始)


 ブオオ、と空気が震え、改札のシャッターが降り始める。人々が悲鳴を上げる。


 「まだ、23:59じゃない!」


 誰かが叫ぶ。だが、時計はすでにずれ始めていた。早い場所と遅い場所がある。週の境目が、一本の線ではなく、裂け目になっている。


 ナナが叫んだ。


 「落ち着いて。今夜の週移行は、街の五つの流れを同時に同期する。票、移動、決済、走行、音。どれかが欠けると、同期が(SINK)に落ちる。落ちたら、街は一週間分のログを飲み込んで、沈む」


 マコトは息を呑んだ。選挙データの担当として知っている。同期失敗時のリカバリは、過去の週のバックアップを戻す。つまり、直近の出来事は薄れる。誰が当選したかも、誰が出国したかも、誰が何を買ったかも、誰が完走したかも、誰が歌ったかも。


 「そんなの、許されない」


 マコトが言うと、ケンが頷き、サエが歯を食いしばり、リュウが拳を握った。ミユはまだ来ない。代わりに、遠くからドン、ドン、と低音が響いた。アリーナのリハの音だ。


 ナナは、階段の踊り場へ皆を押し込んだ。そこだけが、妙に静かだった。コンクリートの壁が、外の喧噪を遮る。誰かの息遣いだけが残る。


 マコトは自分の掌のリストバンドを見た。市民の署名。政治は、数字ではなく、触れた手の温度だったのかもしれない。


 ケンは無線を握り締めた。空港の列の顔が浮かぶ。出国は、ただの移動じゃない。家族の事情、仕事の都合、帰れない人の理由。止める権利は、現場にはない。


 サエは端末の決済ログを思い出した。生活費の重み。セールの熱が、救いであり罠でもある。人は買い物で安心を買う。止めれば不安が暴れる。


 リュウはメダルを指で弾いた。走るのは逃げ道だった。でも今日は、誰かのために走った。走った先で、誰かと目が合う。そういう走り方がある。


 静けさの中で、ナナが小さく言った。


 「みんな、推しはいる?」


 サエが反射で答えた。


 「あなた」


 ケンが苦笑した。


 「旅の配信者です」


 リュウが言う。


 「フォーム解説の人」


 マコトは言い淀み、やがて吐いた。


 「……この街が、推しだった。嫌いになれない」


 ナナは頷いた。


 「推しは、信仰じゃない。生活の中の、小さな旗。旗があれば、群れは整列できる。今夜はそれを使う」


 階段の上から、ミユが滑り込んできた。頬に煤がつき、目だけが冴えている。


 「ゲートが止まり始めた。音響も、同期に食われる。だから、音で引っ張る。私は、街の耳を貸せる」


 ナナは五人を見渡し、指を折った。


 「票田マコトは、週切替キーを核へ。トラベル・ケンは、国際線の多言語案内を手動に切り替えて、人の流れを分散。セール丸サエは、オフライン決済トークンを配布して、物の流れを止めない。走破リュウは、走れ。物理で、裂け目を跨げ。光音ミユは、音で同期を整える。私は……まとめる。いや、まとめさせる」


 「待って。なんで私たちが、そんなことを」


 サエが言いかけたとき、ケンが遮った。


 「今夜、誰かがやらないと、現場が全部潰れます」


 リュウが笑った。


 「走るのは得意です。走らなきゃ損する夜だ」


 マコトがリストバンドを握り直す。


 「政治が遠いまま沈むのは、嫌だ」


 ミユがイヤモニを耳に戻した。


 「音が止まるのは、もっと嫌」


 ナナが、階段の壁に手を当てた。そこに、細い光の筋が走った。都市OSの核へ通じる配線の脈だ。


 「行くよ」


 ドン、と遠くで爆ぜる音。ライブの演出が始まった。街が、終盤の見せ場を用意しているみたいだった。


 地上に出ると、風景が一変していた。中心駅前の広場に、空港連絡バス、モールの搬入口、マラソンの表彰台、アリーナの入場ゲートが、奇妙に近い距離で並んでいる。この街は、週移行のために、重要な流れを一点に集める設計になっている。普段は便利だ。今夜は危険だ。


 空に、光の帯が走る。ビルの壁面に、もじったタグが巨大に投影され、流れ始める。


 (#市民マラ走) (#年末ライブ開幕) (#地方センキョ)


 ザザザ、とタグが擦れる音が、風に混じる。人々が顔を上げ、撮影し、叫ぶ。興奮と不安が同じ匂いで広がる。


 ナナが中継端末を掲げた。


 「配信、再開。みんな、聞いて。週移行は止めない。止めると沈む。だから、正しく通す。今夜の合言葉は(八日目)」


 コメント欄が爆発した。(八日目?)と疑問が飛び交う。


 マコトが叫んだ。


 「八日目なんて、カレンダーにない!」


 ナナが一瞬だけ笑った。ここで初めて、ユーモアが混じる。


 「あるよ。いま作るから」


 ケンが無線で空港側の案内を切り替え、言語を手動にする。英語表示は全角のまま荒いが、矢印は確かだ。客の列が、ひとつの塊から、いくつかの流れへ分かれる。人が動けば、詰まりが減る。


 サエはモール側の搬入口で、店員たちに小さな紙片を配った。オフライン決済トークン。紙に埋め込まれた薄い導電繊維が、あとでまとめて清算できる。紙の時代の遺物が、非現金の時代を救う。


 リュウは走り出した。広場の端から端へ、裂け目を跨ぐように。週移行の同期は、場所ごとにずれている。そのずれを、物理で埋める必要がある。リュウの足音が、広場の石を打つ。


 ダッ。ダッ。ダッ。


 ミユはアリーナの外壁に設置されたサブスピーカーへケーブルを繋いだ。ステージの低音が、街へ漏れ出す。ドン、ドン、ドン。音が、空気を振動させ、心臓を揃える。人の鼓動は、同期に使える。都市OSは生体信号も参照する。市民のリズムが揃えば、裂け目は閉じる。


 マコトは、週切替キーを胸に抱え、地下へ向かう扉を探した。だが扉の前に、警備のシャッターが降りかけている。ギギギ、と金属が鳴る。


 「待って!」


 マコトが滑り込み、肩でシャッターを押し上げた。重い。彼ひとりでは無理だ。そこへ、ケンが走ってきて肩を入れる。さらにサエが手を差し込み、リュウが戻ってきて腰で支えた。ミユがケーブルを抱えたまま、押し込む。


 ギギギギギ。


 五人の体温が、金属に移る。


 「これが……街の推し活か」


 ケンが息の合間に言い、サエが即座に返した。


 「推し活にしては、だいぶ重労働!」


 ツッコミが、笑いと同時に、恐怖の針を少しだけ鈍らせた。


 地下の核室は、冷たい白い光に満ちていた。中央に、透明な柱が立ち、その中で光が渦を巻く。都市OSの(週切替核)。周囲の壁面に、五つの入力が表示されている。


 (票) (移動) (決済) (走行) (音)


 いま、(票)だけが黄色い警告を出し、他は赤い遅延に沈んでいた。


 ナナの声が、端末越しに響く。


 「マコト、キーを核に触れさせて。でも、触れさせるだけじゃだめ。みんなの流れを同時に入れる。だから……合図したら、地上の人に叫ばせる。歌わせる。走らせる。買わせる。出国させる。全部を、同じ一瞬に寄せる」


 「そんなの、無茶だ」


 マコトが言うと、ナナが即答した。


 「無茶じゃない。日曜夜の街は、いつも無茶してる。今夜は、意識して無茶するだけ」


 ミユが低音を上げる。ドン、ドン、ドン。核室の床がわずかに震える。サエがオフライン決済の承認を一斉に送る。紙片が光り、上でレジの列が進む。ケンが空港の案内を分散させ、搭乗ゲートの読み取りを手動で補う。リュウが地上の広場を駆け回り、人の間を繋ぐ。ナナが配信で叫ぶ。


 「#年末ライブ開幕 今だけ、声を出して! #出国ラッシュン 行ってらっしゃいを叫んで! #地方センキョ おめでとうを叫んで! #市民マラ走 完走おめでとうって叫んで! #年末セール祭 買ったものを掲げて!」


 地上の広場が、一瞬で祭りの喉になる。


 ワアアアア。


 拍手。歓声。叫び。笑い。泣き。


 その音が、低音と混ざり、核へ落ちてくる。五つの入力が、赤から橙へ、橙から白へ変わっていく。


 マコトは、リストバンドを柱に当てた。樹脂の中の灰色の粒が、光を吸って輝く。市民の署名が、都市OSに触れる。


 ピン。


 高い音が鳴った。核の中の渦が、静かに形を変える。渦の中心に、見慣れない表示が浮かんだ。


 (DAY 8 CREATED)


 全角の文字が、冷たい部屋で奇妙に温かい。


 「八日目……」


 マコトが呟くと、ナナの声が笑い混じりに返した。


 「作れた。週を沈めないために、週を増やした。だから今夜は、次の週へ進む前に、余白の一日が挟まる」


 「そんなこと、可能なのか」


 ケンが息を切らして言う。


 「可能にしたのが、今夜の五つの流れ。票で方向を決めて、移動で国境を越えて、決済で生活を回して、走行で距離を縮めて、音で心臓を揃えた。都市OSは、数字だけじゃ動かない。人のリズムが必要」


 核室の壁面が、白く光り、表示が切り替わる。


 (週移行 完了)


 同時に、地上からの歓声が、少しずつ日常の音へ戻っていく。遠くで電車が動き出す音。改札が開く音。レジのスキャン音。走者の息。ステージの歌。


 サエの端末に、決済比率のグラフが戻った。高い数字のまま、安定している。彼女はふっと笑い、涙が出そうになるのをこらえた。


 リュウは膝に手をつき、息を整えた。走り終えたはずなのに、また走った。けれど今夜の走りは、逃げじゃなかった。誰かと一緒に、週の裂け目を跨いだ。


 ケンは無線で空港の状況を聞き、安堵の息を吐いた。出国の列が動いている。行く人が行ける。残る人が残れる。止めずに通した。


 ミユはイヤモニ越しに、ステージの歌声を聞いた。音が止まらない。街ごと鳴っている。彼女は、次の曲のために、低音を少しだけ丸くした。心臓に優しいように。


 マコトは核の柱に手を当てた。冷たい。だが、確かに脈があるように感じた。都市OSは機械だ。けれど機械は、人の週に寄り添うために作られた。政治は遠いのではなく、地下で鳴っている。


 核室の扉の前で、ナナが待っていた。いつの間にか、彼女は地下へ降りてきていた。黒いパーカーの袖をまくり、手首に同じような薄いリングをつけている。


 「あなた、ただの配信者じゃないでしょう」


 サエが言うと、ナナは肩をすくめた。


 「まとめ屋は、街の縫い目。私は市の情報広報の外注で、都市OSの監視もしてる。配信は、そのための回路。みんなが見て、反応してくれないと、同期は完成しないから」


 「つまり、私たち、視聴者参加型の保守作業に巻き込まれたってことですか」


 ケンが言うと、ナナが真顔で頷いた。


 「そう。しかも、参加しないと沈むやつ」


 リュウが笑った。


 「最悪の参加型だな。でも、走った甲斐はあった」


 マコトはナナを見つめ、問いかけた。


 「八日目は、いつまで続く」


 ナナは少しだけ間を置いた。


 「分からない。都市OSは、余白を嫌う。すぐに埋めたがる。だから、余白を守るのは人だ。明日が余日になるなら、あなたは何をする?」


 マコトは答えを探し、やがて言った。


 「市民の署名が、ただのデータで終わらないようにする。新人が勝ったという事実が、上書きで消えないようにする。政治を、触れるものにする」


 ケンは言った。


 「現場の声が、案内板の矢印に反映されるようにする。出国する人の事情を、数字で潰さない」


 サエは言った。


 「決済の比率が高いなら、高いなりの弱点を潰す。紙片のトークンみたいに、古いものも残す。生活費のために、街を止めない」


 リュウは言った。


 「走る理由を、逃げから繋ぎに変える。次の市民マラソンで、誰かを連れて走る」


 ミユは言った。


 「街の音を、ライブに混ぜる。週移行の低音も、誰かの鼓動も、曲にする」


 ナナは頷き、端末を掲げた。画面には、明日のカレンダーが表示されている。


 (月曜)


 その下に、小さく別の表示があった。


 (余曜)


 「見えた? 見えない人もいる。けど、見える人がいる限り、余白は残る。週を進めるだけが暮らしじゃない。余白を抱えて進む週もある」


 地上へ戻ると、空のタグは消え、かわりに、遠くのアリーナから歌声が流れてきた。年末ライブは続いている。中心駅のニュース窓には、新人当選の解説と、空港の混雑と、セールの数字と、マラソンの完走者と、ライブの開幕が並んでいた。どれも、今夜の裂け目を越えて残った。


 マコトは広場の片隅で、ひとつの小さな看板に気づいた。地下への入口の横に、いつの間にか貼られた紙。


 (週境界センター 次回まとめ募集)


 紙の端に、手書きで小さく書かれている。


 (#八日週)


 もじり方が雑で、笑いそうになる。だが笑っていいのか、まだ分からない。余白は、扱いが難しい。


 五人は互いに名刺も交換せず、ただ軽く会釈した。それぞれの仕事場へ戻るために。けれど、戻る足取りは少しだけ違った。週に押されるのではなく、週を支える側へ寄った。


 遠くで、空港連絡線の電車が動き出す。ガタン、ゴトン。モールのシャッターが上がる音がする。カシャン。河川敷の表彰台が片付けられ、金属が鳴る。カン。アリーナの照明が、夜空を撫でる。シャッ。


 日曜の夜が終わる。次の週が来る。その前に、ひとつだけ余白が挟まる。


 余白の名は、まだ誰も決めていない。


(了)

――あとがき――

 今回は、日曜夜に「選挙」「移動」「消費」「走り」「音楽」が同時に渦を巻くというアウトラインを軸に、近未来寄りの社会派ドラマとして組み、終盤だけ都市OSの更新で世界が揺らぐSF的裏切り(B型)に寄せました。地方首長選で新人が当選するニュースは、週切替キーという形で都市の意思決定に直結させ、国際線の出国ラッシュはトラベル・ケンの現場と列の描写に、年末セールと非現金決済比率の高まりはセール丸サエの運用とオフライン紙片トークンに落とし込みました。冬の市民マラソンは走破リュウの身体とデータの対比に、年末ライブの開幕は光音ミユの低音と群衆の合唱に対応させています。トレンドは#地方センキョや#年末セール祭など、タグ文化を少しだけもじって物語の回路にしました。報道が伝える現実の重さを茶化さないよう留意しつつ、複数の出来事が一夜に重なる感触を、フィクションの仕掛けで再構成しています。この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

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