冬の同時進行灯【2025/12/20】
照明ミカは、スタジオの天井から垂れた黒いトラスを見上げた。指先でカラビナのロックを確かめ、腰の工具袋の重みを一度だけ揺らす。足元の床には、配信用のケーブルが蛇みたいにうねり、踏むたびにゴムの匂いが立った。壁一面のモニターには、五つの映像が同時に映っている。市の会見室、遠い大陸の首脳会議、研究所の白い作業台、赤いカーペット、そして年末特番のスタジオセット。
コンソールの端には、星座図のシールが貼ってある。かつて舞台照明を極めた師匠、星野ソウの手帳から剥がれた一枚だ。ミカの推しは、師匠の「光は嘘をつかない」という演出哲学だった。
ピピピ。
画面の隅に「速報」が走り、次の瞬間、テロップが大きく切り替わった。物価高に対応するため、追加の交付金が決まったという。ミカの耳元のインカムにも、制作の声が割り込む。
「照明、今夜は段取りが一つ増えた。政策解説の枠が前倒しだ」
「了解。色温度は変えますか」
「変える。生活の話だ、冷たく見せるな」
ミカは、コンソールのフェーダーに手を置いた。指の腹が、いつもより乾いている。年末は、空気も予算も薄い。
背後で、椅子がきしんだ。振り向くと、財崎コウジが紙袋を抱えて立っていた。スーツの胸ポケットから、朱肉の匂いがした。
紙袋の持ち手に、小さな野球ボールのキーホルダーがぶら下がっていた。剛腕シンペイの名前が、かすれた油性ペンで書いてある。役所の机に向かう指先の力は弱いが、コウジの推しは、あの豪腕だった。
「遅くなりました。交付金の説明資料、最新版です」
「その紙袋、弁当じゃないの」
「弁当もあります。値上がりしたので、交付金が欲しいです」
ミカが言い返すより先に、スタジオの隅から乾いた笑い声がした。小柄な女が、スマホを片手に歩いてくる。パーカーの背中に、白い文字で「MATOME7」とある。纏目ナナ。配信の切り抜きと速報まとめで食べている、通称マトメナナだ。
回線費と端末代が上がっても、彼女の収入は視聴の波任せだ。だから数字に執着する。推しが数字、と言い切れるのは、生活費が背中を押すからだった。
「交付金、交付金って、みんなお金の話しかしてないよね。今夜は視聴数も交付してほしいなあ」
「交付するのは金だ。視聴数は降ってこない」
「降ってくるよ。タグを撒けば」
ナナは、画面に指を向けた。モニターの一つに、配信のコメント欄が流れている。そこには、もじったハッシュタグが踊っていた。
#物価高対策ん #年末特番ぼう #全固体でんち丸
コウジの眉が跳ねる。
「対策んって何ですか。誤字でしょう」
「誤字じゃない。わざと一文字ずらすの。検索避け兼ねて、炎上避け。現代の礼儀」
「礼儀がずれてる」
ミカは、二人の言い合いを背中で聞きながら、照明のプリセットを呼び出した。今夜は、都市が次の季節へ動き出す夜になる。そういう夜ほど、現場は簡単に暗闇へ落ちる。
同じ頃、電池丸ユウは研究所の冷たい床に片膝をついていた。白衣の袖をまくり、手袋越しに銀色のパックを抱え上げる。中身は、全固体電池の試作セル。液体の代わりに固体の電解質を使う。漏れにくく、燃えにくく、高密度。理屈は簡単だが、量産は地獄だった。
カチリ。
ユウは、端子の保護キャップを閉じた。ラベルには、油性ペンで「全コタツ」と書いてある。冬の現場で、妙に温かくなるからだ。上司は嫌がったが、現場は愛称を必要とする。
「ユウ。今夜の発表、社長は強気だ。量産計画を公表する。投資家も、政府の補助も、全部狙う」
上司の声が、ガラス越しに響く。ユウは返事をしなかった。学生ローンの返済表が、脳の裏で点滅している。材料費も上がった。乾燥室の電気代も上がった。物価高は、研究にも容赦がない。
ユウの推しは、理科を噛み砕く配信者タンサン博士だ。夜更けに流れる実験配信を見ながら、彼は「分かるまで噛む」を自分の口癖にした。今夜、自分が映る側に回る。胃の奥が痛い。
「追加交付金の話、知ってるか。工場の電力補助も対象になるかもしれん」
「交付金が交付菌にならないなら、ありがたいです」
「何だそれ」
「ネットの字幕です。昨日、マトメナナが……」
上司は眉をしかめ、会話を切った。ユウは、全コタツを胸に抱えた。今夜、このセルを舞台へ持ち込む。映えるのは苦手だ。でも、映えなければ、量産は遠い。
剛腕シンペイは、球場の室内練習場で、投球フォームの動画を止めた。スマホの画面には、自分の腕が映っている。肘の角度、指の離れ。投げれば投げるほど、身体は資産になり、同時に減価償却される。
ドン。
背後のロッカーが閉まる音に、シンペイは肩をすくめた。マネージャーが紙の招待状を差し出す。今夜はプロ野球のオフシーズン表彰式。成績と人気と話題をまとめて評価される、年末の儀式だ。
実はシンペイの推しは、年末特番に出る着ぐるみキャラ「ネンマツン」だった。ロッカーの奥に、サイン入りの小さなぬいぐるみを隠している。豪腕の男が柔らかいものに救われることを、本人は誰にも言わない。
「剛腕賞、最有力だ。スーツは用意した。車も出す」
「車代、今年は上がったな」
「ガソリンも上がった。物価高だ。だからこそ、賞金と契約更改が大事だ」
シンペイは、笑えなかった。地元の弟が、野球を辞めてバイトを増やした。物価高のニュースは、テレビより先に家族の声で入ってくる。
「ところで、年末特番に出る件、忘れるなよ。表彰式と同じ会場だ。配信も同時だと」
「同時は苦手だ。投球は一球ずつだ」
「今夜は都市が同時進行なんだとさ。お前の腕も、照明も、電池も、政治も」
政治、という言葉に、シンペイは少しだけ顔をしかめた。投手は、マウンドの上では世界の中心だが、世界の政策には触れないように生きてきた。触れると、炎上する。
それでも、今夜は逃げられない。
エル・グラーフは、ホテルの小さなデスクで、薄い紙の資料をめくっていた。表紙に、全角の「EVU首脳会議」と印字されている。対ロウ制裁の協議。誰かを罰する話ではなく、何を守るか、何を断つかの話だ。彼は、外交官ではない。政策の調整役、つまり「間」を埋める仕事だ。
窓の外で、街のネオンが瞬いた。遠い国の言葉が、イヤホンから流れる。エルはそれを日本語に置き換え、さらに、視聴者に届く形に砕く。そんな作業をしていると、ふと、自分が空っぽになった気がした。
ピロン。
通知が鳴る。纏目ナナからのメッセージだ。
「今夜の出演、よろしく。タグは、#EVU首脳貝議 で行くね」
エルは、手が止まった。貝。
「首脳会議、だ。海産物の議論ではない」
「でも貝は伸びるよ。海の話題って強い」
「伸びるために意味を壊すのは、制裁より痛い」
エルは送信し、ため息をついた。ホテルの料金も、年末価格で跳ね上がっている。生活費を計算しながら、彼はふと、自分の推しのことを思い出した。小さな日本の深夜番組で、無名の照明スタッフが舞台裏を語っていた回だ。光は、政治より正直だ。エルは、その言葉に救われている。
夕方、会場となる多目的ホール「クロスゲート」は、五つの入口から五つの人波を吸い込んでいた。赤いカーペットには、野球選手と関係者。白いパネルの前には、技術系の記者と投資家。別の扉には、市の窓口相談ブースに並ぶ個人事業主。上階の小会議室には、海外回線の機材。地下のスタジオには、照明と音声と配信のスタッフ。
ザワザワ。
空気が重なり、熱を持つ。廊下の壁には、配信の告知ポスターが貼られていた。年末特番の配信同時放送が過去最高を更新しそうだ、というネットメヂアの記事が、既に話題になっている。今夜は、その記録を狙う。
ミカは、スタジオの裏口から会場を見渡した。手すりの向こうに、巨大なスクリーンが組まれている。上段には政策の会見、右に外交、左に技術、下に表彰式、中央に年末特番。見開きなら、ここだ。観客の視線が一斉に上を向き、五つの世界が一枚の夜に重なる。
ナナが、ミカの横に来た。指先で、スマホの画面を滑らせる。
「ねえミカさん、照明のフェーダー、配信の視聴数と連動できない」
「できるわけないでしょ。光は電気で点くの。視聴数は数字」
「数字も電気だよ。サーバの中で流れてる」
「だからって、視聴者のコメントで明るさが変わったら、ホラーになる」
「ホラーも伸びる」
「伸びるな」
コウジが、相談ブースの前で息を整えていた。紙の申請書、電子の申請書、印鑑、個人番号。市の窓口は、現場だ。追加交付金は、決まっただけでは届かない。届くまでの間に、人は光熱費を払う。
ユウが、試作セルのケースを抱えて通路を歩いてくる。胸元の社員証が、照明に反射して白く光った。シンペイは、その横を大股で通り過ぎ、赤いカーペットへ向かう。スーツの肩が、強い。エルは、上階の回線室へ駆け上がりながら、手すり越しに会場を見下ろした。五つの入口から入った人たちが、同じ一点へ集まっていく。
都市が、次の季節へ動き出す音がした。
中盤の舞台は、技術発表のステージだった。白い幕が上がる。ユウが、全コタツを掲げる。照明が当たり、銀色のパックが氷みたいに輝いた。カメラが寄る。配信のコメントが流れる。ナナのタグが、画面の下で跳ねる。
#全固体でんち丸 #ぜんこたつ #量産けいかく
ドォン。
低い効果音が鳴り、スクリーンに工場のCGが映った。固体電解質の粉体が、ベルトコンベアを流れる。ロボットアームが、セルを積み上げる。現場の熱と匂いが、映像越しに伝わる気がした。
「固体だから安全、という単純な話ではありません」
ユウの声が、マイクで増幅される。喉が乾く。客席の端に、コウジが立っているのが見えた。申請書の束を抱え、真剣に聞いている。政治と技術が、同じ席に座っている。
「量産には、設備と人と、電気が要ります。電気代が上がれば、計画は沈みます。だから、今夜の追加交付金の議論が、私たちに関係します」
コウジが小さくうなずいた。ナナは、その瞬間を切り抜く準備をしている。
客席の奥で、誰かが手を挙げた。
「質問です。全固体って、全員コタツ、ってことですか」
会場が一瞬、静まり、その後、笑いが広がった。ユウは、目を泳がせた。ナナが、すぐに拾う。
「違う違う。全固体は、液体じゃなくて固体って意味。コタツはユウくんの個人的な愛称。つまりボケ。今の質問はツッコミのふりしたボケ。二重ボケは配信だと事故る」
「事故るな」
ミカが舞台袖でつぶやき、照明の角度を変えた。光の筋が、ユウの手元を正確に追う。政治より正直な光が、ここにある。
次の瞬間、スクリーンに別の映像が割り込んだ。赤いカーペットの表彰式会場。シンペイが、フラッシュの嵐の中で立っている。司会者が、受賞者名を呼ぶ。音楽が鳴り、拍手が広がる。配信は、画面分割で同時に流れる。
パァンパァン。
拍手の効果音が、わざと少し大げさに重ねられた。ナナが、コメント欄に「同時進行、気持ちいい」と流す。ミカは、その軽さに少しだけ救われた。救いは、軽いから救いなのだ。
舞台の裏、細い搬入口の通路は静かだった。人の流れから外れた場所だけが、年末の夜に小さな穴を開ける。ミカは、壁にもたれ、紙コップの熱を手に移す。ユウが隣に座り、全コタツのケースを膝に置いた。コウジが、通路の奥で電話を切り、印鑑ケースを握り直している。エルが、階段を降りてきて、ネクタイを緩めた。
しばらく、誰も話さなかった。遠くから、拍手と音楽とニュースの音が混ざって聞こえる。都市の鼓動が、壁越しに伝わる。
ユウが、ぽつりと言った。
「量産って、夢みたいに言うけど、現場は消耗戦です。固体電解質の粉が高くて、呼吸も苦しくなる。電気代が上がると、乾燥ができない。乾燥ができないと、セルが割れる」
ミカは、紙コップを回した。
「照明も同じ。予算が削られると、光が薄くなる。薄い光は、顔色を悪く見せる。顔色が悪い番組は、視聴が減る。視聴が減ると、もっと予算が減る」
コウジが、苦笑した。
「交付金も、決まっただけじゃ足りない。申請書の書き方が分からない人に、説明する時間が必要です。でも窓口は、人が減ってる」
エルが、カップの蒸気を見つめた。
「制裁も、決めるだけでは終わらない。決めた後に、誰が寒くなるか、誰が困るか。そこを見ないと、政治はただの言葉になる」
ミカは、四人の沈黙の間に、ナナの気配がないことに気づいた。どこへ行った。あの女は、静かな場所が苦手なはずだ。
その時、天井の蛍光灯が、ほんの一瞬だけ脈打った。
チカ。
ミカの背筋が伸びる。彼女は、工具袋の中の予備ケーブルに手を伸ばした。ラベルには「冬至」と書いてある。年末の現場は、暗闇を前提に準備する。
クライマックスは、同時配信が最高潮に達した瞬間に訪れた。年末特番の本番。表彰式の受賞コメント。政策解説のコーナー。外交のリモート出演。技術の量産計画。すべてが一つの配信枠に編み込まれ、視聴者数のグラフが、山脈みたいに盛り上がる。
ザザッ。
回線室からノイズの音が漏れた。エルが、イヤホンを押さえ、スタッフに叫ぶ。
「海外回線が不安定だ。首脳会議の映像が飛ぶ」
ミカは照明卓のモニターを見る。電圧のメーターが、わずかに下がっている。会場の空調が、外の冷え込みに負けて全開になっている。都市が次の季節へ動き出すとき、電気の需要は跳ねる。さらに今夜は、全員が同時に配信を見ている。基地局もサーバも、熱くなる。
ピピピピ。
警告音が重なった。次の瞬間、会場の照明が、半分だけ落ちた。
ドン。
客席からどよめき。スクリーンが暗転し、五つの映像が一度に消える。残ったのは、非常灯の薄い緑と、観客の顔の白さだけだ。
暗闇の中で、ナナの声が響いた。
「みんな、スマホのライト、点けて。コメント欄じゃなくて現場!」
ナナが、客席の通路に立っていた。両手を頭上に上げ、指で円を描く。配信者の動きだ。観客の数百、数千の手が、迷いながらも同じ動きを真似る。
パチ、パチ、パチ。
スマホのライトが点く音はしない。だが光が、次々と生まれる。白い点が増え、暗闇が星空になる。ミカは、その瞬間を見て、息をのんだ。見開きなら、ここだ。天井の黒いトラスの下で、人の手が夜空を作る。
「ナナ、何をしてるの」
ミカがインカムを通さず叫ぶと、ナナは振り向き、口だけで笑った。
「照明は電気で点く。でも電気は、どこから来る。今夜の全固体、そこに答えがあるんでしょ」
ユウが、舞台袖で全コタツのケースを開けていた。固体電池は、衝撃に強い。それでも、緊張で手が震える。ミカは工具袋から「冬至」と書かれた予備ケーブルを引きずり出し、端子の位置を指さした。
「この非常系のラインに、入れられる」
「でも、勝手につないだら、規約が……」
コウジが、暗闇の中で印鑑ケースを開けた。朱肉の匂いが、妙に強い。彼は、申請書ではなく、非常時運用の承認書類を取り出す。市が会場に貸与している非常電源の、臨時接続の条項。普段は誰も読まない紙だ。
「僕が責任を持つ。今夜の追加交付金、現場で使うための条文が、ここにある」
「そんなの、会見で言ってなかった」
「言う時間がなかった。だから僕がここにいる」
シンペイが、舞台袖に飛び込んできた。スーツの袖をまくり、腕を見せる。暗闇でも、その腕は分かる。
「ケーブルが届かないなら、投げればいい」
ミカが振り向く間もなく、シンペイはケーブルの束を肩に担ぎ、投球フォームで放った。黒い蛇が空を切り、舞台上の端子の前へ落ちる。
ヒュッ。
音が、投球の記憶を呼び起こす。観客が一瞬だけ歓声を上げる。スポーツの興奮は、暗闇でも明るい。
ユウが端子を接続する。カチリ。ミカがブレーカーのレバーを押し上げる。エルが、回線室で予備の衛星回線を切り替える。ナナが、スマホを掲げたまま、観客に叫ぶ。
「ライトは消さないで。今夜はみんなが照明。タグは……」
ナナは一瞬だけ迷い、それから画面に新しいタグを出した。
#年末特番ぼう #物価高対策ん #EVU首脳会ぎ #プロ野球ほう賞 #ぜんこたつ電池
ミカは、笑いそうになって堪えた。首脳会ぎ。会議をぎ、で止めるな。
「ナナ、会議は、会議!」
「会ぎ、の方が可愛い。可愛いは伸びる」
「可愛いで制裁を語るな」
エルの声がインカムから飛んできた。ミカは、暗闇の中で、誰かが本気で怒る声に少し安心した。怒れるのは、生きている証拠だ。
次の瞬間、スクリーンが復活した。まず中央の年末特番のセットが映り、次に表彰式の壇上が点灯し、最後に会見室と首脳会議と研究所が戻る。五つの映像が、星空の客席の上に再び重なった。
ゴォォ。
会場のどこかで、空調が唸りを上げる。電圧メーターは安定していない。それでも、光は戻った。ミカは、フェーダーをゆっくり上げた。観客のスマホの星と、舞台照明の筋が、混ざり合う。人工の光と人の光が、一つの夜を支える。
コウジが、カメラの前に立った。資料を持つ手が、少し震えている。だが声は、静かだった。
「追加交付金は、困っている人に届くための仕組みです。申請が難しいなら、窓口へ来てください。今日ここにいる人も、配信で見ている人も、誰かの生活を支える側になれます」
視聴者のコメントが流れる。生活費の嘆き、店の不安、ありがとう、申請が分からない。コウジは、言葉を噛まずに答える。政治の言葉が、初めて生活の言葉になる。
エルが画面に映った。背景は回線室の金属壁。彼は、難しい単語を避けた。
「対ロウ制裁は、相手を苦しめるためだけのものではありません。戦争を広げないための線引きです。ただ、その線の内側でも外側でも、寒さは同じに来る。だから、支え合いが必要です」
ユウが、全コタツの温度センサーの画面を見せた。固体電池が、群衆の無線と光の中で、わずかに自己発熱している。彼は、それを隠さなかった。
「今夜、私たちは電池を非常用に使いました。量産計画は、こういう現場の責任も含めます。安全データは公開します。批判も受けます。その上で、進めます」
シンペイが、表彰式の壇上に立った。スポーツ紙のカメラが寄る。彼は、賞のトロフィーを握り、客席の星空を見る。いつもならマウンドの孤独がある。でも今夜は、孤独が分割され、共有されている。
「僕は投げるだけの人間だと思ってました。でも、投げたボールが届く距離は、意外と短い。だから、届く範囲を大事にします。賞金の一部、地元の少年野球へ寄付します。物価高で道具が買えない子がいると聞いたので」
会場が、拍手に包まれる。パァンパァン。ミカは、照明を少しだけ柔らかくした。光が、彼の頬の汗を優しく見せる。
その時、配信の視聴者数が過去最高を更新した、とスタッフが叫んだ。年末特番の配信同時放送が、記録を塗り替えた。ナナが、泣きそうな顔で笑う。彼女の推しは数字だ。だが今夜の数字には、人の手が付いている。
「ミカさん、見た? 過去最高だよ」
「見た。だから、次は責任も過去最高ね」
ナナは、一瞬だけ真面目な顔をした。そして、コメント欄に一つだけ固定文を流した。
「煽りより、まず生活。デマより、まず確認。困ったら窓口」
それは、まとめ屋としては損な言葉だ。伸びにくい。だがナナは、送信した。
終演後、クロスゲートの外は、薄い雪だった。道路の照明が、白い粒を光らせる。五人は、裏口の階段に並んで立った。手すりに積もる雪を、シンペイが指で払う。ユウは、全コタツのケースを抱え直し、コウジは朱肉をしまい、エルはネクタイを締め直し、ミカは工具袋の肩紐を直す。
遠くで、救急車のサイレンが一度だけ鳴り、すぐに消えた。都市は、まだ落ち着いていない。政治も、外交も、技術も、スポーツも、放送も、年末の夜に同時に揺れている。
「結局、視聴数で電気は作れたの」
ユウが、ナナに聞いた。ナナは首を傾げる。
「作れたっていうか、集まった。みんなが同時に配信して、無線が熱くなって、全コタツが拾って、ちょっとだけ助けた。全部、ちょっとずつ」
ミカは、ユウのケースに手を当てた。まだ温かい。固体電池の温度センサーのログが、画面に残っている。曲線が、奇妙に滑らかで、まるで視聴者数のグラフみたいに見えた。
コウジが、息を吸う。
「追加交付金も、同じかもしれない。国が決めて、市が配って、現場が使って、生活が少しだけ助かる。全部、ちょっとずつ」
エルが、雪の中で微笑んだ。
「制裁も、ちょっとずつ。だが、ちょっとずつの積み重ねが、次の季節を決める」
シンペイが、ポケットからサインボールを取り出し、コウジに渡した。
「窓口で疲れたら、これ見て投げる気分になってください。投げないでいいですけど」
「投げたら事件です」
ミカが言い、五人は短く笑った。ユーモアは、凍えた指先を少しだけ動かす。
その時、ユウのケースの中で、全コタツのログ画面が勝手に切り替わった。温度曲線の下に、見慣れない文字列が出る。全角の、短い文。
「次ノ季節ヘ 交付ハ 光」
ナナが息を呑んだ。コウジが覗き込み、ミカが眉を寄せ、エルが言葉を失い、シンペイがボールを握り直す。
ミカは、ゆっくりと雪の降る空を見上げた。街のネオンが、今夜より少しだけ淡い。だが確かに、次の季節へ向かっている光だった。
(了)
――あとがき――
今回の物語では、物価高に対する追加交付金の決定を、財崎コウジが現場で条文を引き出し「決まっただけでは届かない」現実として描きました。EVU首脳会議での対ロウ制裁協議は、エル・グラーフが言葉を砕き、罰ではなく線引きとして説明する場面に反映しています。全固体電池の量産計画は、電池丸ユウの試作セル「全コタツ」を舞台へ持ち込み、停電をきっかけに責任と公開へ踏み出す転換点にしました。プロ野球のオフシーズン表彰式は剛腕シンペイの受賞スピーチとして、年末特番の配信同時放送が過去最高という話題は、纏目ナナが視聴数と倫理の間で揺れる動機に重ねています。タグは「#物価高対策ん」「#年末特番ぼう」など少しもじり、まとめ文化の便利さと危うさを同居させました。全体は近未来の群像劇として王道に寄せつつ、ラストだけ「光の交付」というSFの種を残すB案型の終わり方にしています。報道の重みを軽く扱わないよう、誰か一人を悪者にせず、現場の小さな決断として再構成しました。この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。




