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封関の夜に走る白い稲妻【2025/12/19】

冬の港町、潮の匂いにまじって金属の冷たさが鼻を刺した。海沿いの高架に沿って、白い光の点が等間隔に浮かび、ゆっくり円を描く。関門ドローンだ。空中で輪を作り、荷と人の流れを計るための移動式ゲート。その輪郭が霧に滲むたび、街灯の橙が一瞬だけ青白くなる。


「はいどうも、纏目ナナです。今夜の配信は、港の新名物、封関リングの点灯式。ついでに海南の自由貿易港が、島全体で関門運用を始めたってニュースも来てる。世の中、封関だらけ」


屋上の手すりに肘を置いた纏目ナナは、スマホを縦に構えた。黒いダウンの袖口から、指先だけが赤く覗く。画面のコメントは、速い。都市封関のデモだの、物流が止まるだの、利上げだの、全部が一つの流れになって押し寄せてくる。


数字の洪水は、ナナの家賃の締切日とも連動していた。再生数が増えれば暖房をつけられる。減れば、指がかじかんだまま次の月を迎える。


「封関って、缶詰のほうじゃないの?」


コメントに混ざった誤字を拾って、ナナは小さく笑う。


「封缶したら、港よりまず胃袋が詰むでしょ。今夜は封関。缶じゃない。……たぶん」


その「たぶん」の直後だった。輪を描いていた光点が、いっせいに高度を下げる。ピピッ、ピピピッ。乾いた電子音が、遠くの波音を切り裂く。関門ドローンが、予定より早く「閉鎖」の隊形に入った。


海沿いの道路に、透明な膜が走る。霧の中に、薄いガラス板を立てたような光。車のヘッドライトがそこで折れて、白い線になる。


「え、今閉じた? デモ、こんな時間から?」


ナナの声が少しだけ裏返った。画面の隅に、赤い警告が出る。「封関レベル2、通行規制」。


道路の下、スーツ姿の男が立ち止まり、膜に手を伸ばした。光は触れた指先を冷たく弾き返し、薄い霜の粒を散らす。男は舌打ちして走り出す。胸ポケットから、安っぽいキーホルダーが飛び出し、街灯にきらりと反射した。覇王兵土と書かれた小さな兵士の像。


ナナは咄嗟にズームを寄せた。視聴者がざわめく。「覇王兵士きた」「名探偵ツタ案件」。


「ちょっと待って。今の、誰。あの人、港のほう行ったよね」


霧の向こうで、輪を描く光が、さらに低く沈んだ。ゴゥン、と空気が震え、海面の黒が細かく波打つ。


相場修は、息を切らしてビルの自動扉をくぐった。中は暖房が効いていて、眼鏡が一瞬曇る。受付のモニターには、日景平均の赤い下向き矢印が大きく映っていた。


「反落、かよ……。よりによって、半導体とAIが重しって」


端末に表示されたチャートは、滑り台みたいに落ちている。修の口座は、今日だけで冬のボーナス一回分を削り取られていた。半導体企業の先物、AIサーバーの材料株。どれも「次の時代」を語るたび上がるはずだったのに、今夜は重石だ。


修は椅子に落ち、ポケットの中のポイントカードを指で折った。節約のために、投稿網で流行る「#リネ漫画でポイ得」に手を出した。推しの番組「#水曜のドウン街」の裏で話題になる「名探偵ツタ」の最新話を、ポイントで読むのが唯一の息抜きだった。だが今夜は、その一話さえチャートが許さない。


スマホが震えた。通知の見出しが踊る。


「日央銀会合前、追加利上げの可能性を示す見方」


「またそれか……。家賃もローンも、こっちの首も絞まるんだよ」


修は指で画面を払い、次に出てきた配信アプリのサムネイルを見て止まった。「纏目ナナ 封関リング点灯式 生配信中」。コメント欄には「今閉じた」「ヤバい」「港の膜バグった」。


「バグじゃ済まねえぞ」


修は持ち歩いているUSB型の暗号鍵を確認した。いや、正確には暗号鍵の形をしたただのアクセサリだ。金融系スタートアップのノベルティ。笑い話のつもりで付けていた。


背後でエレベーターが開き、女性の声がした。


「相場さん、ここにいた」


中原律がコートの襟を立てて入ってくる。髪に小さな雪の粒が付いていた。日央銀の地方支店、政策連絡の窓口にいる。修とは学生時代からの知り合いだった。


律はスマホを握りしめ、待ち受けに映るアイドル「井ノ上梨那」の笑顔を一瞬だけ指でなぞった。今夜が卒業セレモ二だと知っていながら、会合前の連絡対応で休めない。


「律、会合前夜にこんなとこまで来るなよ。市場が勝手に騒いでるだけだろ」


「勝手じゃない。騒ぎが現実を作る。だから見に来た」


律の視線は、受付モニターから修の端末へ移った。赤い数字が並ぶ。


「……痛いね」


「慰めはいらない。むしろ利上げの噂、止めてくれ」


律は言い返さず、スマホの画面を差し出した。港の封関リングの警告。交通規制の地図。点滅する赤。


「今夜のデモ、予定は深夜零時。なのに二十一時台で閉鎖が始まってる。外からも見える規模。これは市場だけの話じゃない」


修は唇を噛んだ。封関リング。物流と課税を一括で管理する「自由貿易港」向けのシステム。海南が全島で始めたと外電が報じ、各国が真似し始めた。ここでは、港を含む臨海区だけを一時的に「島」にして試す。


「外交の揉め事も絡む。中日の摩擦、まだ終わってないでしょ」


律は言った。ニュースでは、互いの調査船やビザの話が蒸し返され、SNSの温度が上がる。修は政治が苦手だ。だが、苦手でも金利と為替が殴ってくる。


「俺にできることは、数字を見るだけだ」


「数字でいい。相場さんの数字の嗅覚、借りたい」


律の声は硬いのに、手は小さく震えていた。彼女もまた、生活費の重さに追われている。家賃の更新、電気代、そして母の介護。利上げは正しいかもしれない。でも誰かの夜を削る。


二人はビルを出た。街は霧と雪の粒に包まれている。遠くでサイレンが鳴り、白い光が走った。白バイだ。


雪村迅は、その白い稲妻の上にいた。ハンドルを握る手袋の皮が、冷えた空気で硬い。フルフェイスの内側で、息が白く曇る。背中のベストには「高地県警」の文字。胸元には、小さなバッジが光っていた。全国白バイ競技大会、団体三位。誇りと、悔しさが同じ重さで揺れる。


給料の多くは、遠くの妹の学費と、白バイの整備費に消える。だからこそ、三位のバッジは高価だった。


「迅、港のリングが早閉めだ。交通整理に入れ」


イヤホンから指令が飛ぶ。迅は短く返事をし、車列の間を縫う。タイヤが濡れた路面を噛む。シャッ、シャッ。エンジンの唸りが、腹に響く。


港へ向かう大通りの交差点。透明な膜が、すでに車を止めていた。ドローンが低く旋回し、青白い光でナンバーと顔を読み取る。ピッ、ピッ。電子音が規則正しく、心臓みたいに刻む。


その膜の前で、老人のワゴン車が立ち往生していた。運転席の男が、窓を開けて叫ぶ。


「何だこれ、道が凍ってるのか! わし、予約があるんだ、eスポーツの大会!」


「大会じゃなくて、講習です。いったん車を寄せてください」


迅はバイクを止め、身をかがめて目線を合わせた。老人の手は震えている。怒りより、不安だ。運転寿命を伸ばすための市の新しい協定。eスポーツで反射と認知を鍛え、免許返納だけに頼らない支援にする。今夜はそのデモを港のイベントと合わせて行うはずだった。


老人の助手席から、若い男が顔を出した。星崎駆だ。黒いパーカー、首からスタッフ証。彼は老人の肩を叩いて笑う。


「大丈夫です藤田さん。道が凍ってるんじゃなくて、道が閉じてるだけです」


「閉じてるほうが怖いわ!」


「そこはツッコむとこじゃないです。怖いのは同じです」


駆の言葉が噛み合わず、藤田が眉をひそめる。迅は思わず口元が緩んだ。緊張の中で、妙に人間らしい。


駆は迅に向き直る。


「すみません、僕、星崎駆。市とeスポーツ協会と、運転寿命延伸の協定を結んだ者です。老人たちを港の会場に連れて行く予定で」


「今は通せない。リングが閉鎖モードに入ってる。原因不明だ」


迅が言うと、駆は唇を噛んだ。彼の施設は赤字ぎりぎりで、協定の注目が命綱だ。電気代が跳ね、機材のリースが重い。今夜の失敗は、明日の家賃に直結する。


そのとき、上空から声が降ってきた。


「現場の皆さん、聞こえますか。纏目ナナです。今、港へ向かう道路が封関されてます。通れません。通れませんが、画面は通ってます」


ナナの配信ドローンが、交差点の上でホバリングしていた。レンズがぎょろりと向きを変え、迅と駆と藤田を捉える。


「うわ、撮ってる。ナナさん、今それどころじゃ」


駆が手を振ると、ナナの声が弾む。


「それどころだから撮るの。#水曜のドウン街、今夜の街はダウンどころか封関。名探偵ツタ気分で真相追うよ」


「ツタじゃなくて、あなたがツタです。からみついてくる」


迅がぼそりと呟くと、駆が即座に拾った。


「今のツッコミ、白バイ隊は団体三位だけじゃなくて会話も上位ですね」


「褒めてないだろ」


三人の間に、ほんの一瞬だけ笑いが落ちた。霧の冷たさが、少しだけ薄まる。


だが次の瞬間、膜の内側でトラックがひとりでに動いた。無人運転の港湾シャトルだ。コンテナを積んだまま、ゆっくりと角度を変え、膜へ向かって進む。


「止まれ!」


迅が叫ぶ。ドローンが警告音を鳴らす。ピピピピ。膜が濃くなり、光が硬くなる。トラックはそれでも進む。タイヤが空転し、雪混じりの水を跳ね上げる。ザァッ。


駆が顔色を変えた。


「あれ、僕らの施設のシミュレーターと接続されてる車両だ。今夜のデモで、遠隔運転を見せる予定で……でも誰も操縦してないはず」


「操縦してる。誰かが」


ナナの声が急に低くなる。配信のコメント欄が炎の絵文字で埋まる。だが絵文字は使えない。代わりに「火」「火」「火」という文字が流れる。


蒼井和真は、港の会場でその光景をモニター越しに見ていた。翻訳用のイヤホンが耳に食い込み、頭が痛い。外套の内ポケットには、安いカイロと、読みかけの電子漫画が入っていた。名探偵ツタの推理が、現実の火種から目をそらす唯一の逃げ道だった。家賃の引き落とし通知が来るたび、和真は翻訳の単価を数え直す。


目の前には、外から来た視察団の代表。言葉は丁寧でも、視線は鋭い。


「貴国は、海南の封関運用開始に合わせて、同種の関門を実証している。これは偶然か」


和真は息を吸い、言葉を選んだ。


「偶然ではありません。物流の透明性を高めるための共同研究です。相互に利益がある」


代表の隣で、若い随員がスマホを見せる。SNSに流れる動画。港の膜、立ち往生する車、暴走するトラック。纏目ナナの配信だった。


「民間が勝手に煽っている」


随員が吐き捨てるように言う。和真は即座に否定しない。煽りにも、恐怖にも、理由がある。今の中日関係は、火種が乾いている。小さな誤解が、都市の封関より早く燃え広がる。


「こちらで制御します。安全を優先します」


和真が言うと、会場の外でサイレンが近づいた。白い稲妻が走る音。迅たちが来る。


港の会場は、冬の祭りみたいに仮設灯が並んでいた。大きなスクリーンが二枚。片方は物流の可視化デモ、もう片方は、アイドル「井ノ上梨那」の卒業セレモ二の中継予定。寒さを忘れさせるための娯楽が、政治と経済の真ん中に吊られている。


そのスクリーンが、突然、別の映像に切り替わった。


赤いチャート、日景平均。下向き矢印。見出し「半導体とAIが重し」。


続けて、別のテロップ。「日央銀会合前、利上げ観測」。


会場の空気がざわつく。投資家風の男たちがスマホを握りしめ、主婦が肩をすくめ、年金暮らしの老人が「また上がるのか」と呟く。生活費が、ニュースの文字として降ってくる。


修は会場の端で、そのスクリーンを見上げていた。律が隣に立つ。二人の間に、霧の粒が静かに落ちる。


「これ、誰が切り替えた」


修が問うと、律は顔をしかめる。


「会場の回線は、封関リングの中枢と直結してる。外からの侵入は難しいはず。でも……難しい、だけ」


修は胸ポケットの覇王兵土のキーホルダーを指で撫でた。さっきから、微細に震えている。安物のプラスチックが、まるで生き物みたいに。


「律、リングの中枢って、半導体どこのだ」


「複数。国外調達もある。だから市場が敏感になる。供給が止まれば、都市が止まる」


「止まりかけてる」


会場の外から、ゴウン、という低い振動が伝わった。リングが、完全閉鎖モードに移行した音だ。空気の密度が変わったみたいに、耳が詰まる。


その直前、静かな時間が一滴だけ落ちた。海の匂い。凍った指先。律がコートのポケットから小さな紙袋を出し、修に渡す。


「はい。甘いの。低血糖になると判断が鈍る」


「俺を老人扱いするな」


「相場さんは、数字の老人だから」


言い争いのようで、心配の形だった。修は紙袋を開け、温かい饅頭を半分に割って律に戻した。二人の指が一瞬触れ、すぐ離れた。触れたところだけが、少しだけ熱い。


次の瞬間、世界が動いた。


港の上空、霧の中から無数のドローンが湧いた。輪を作っていた光点が、いっせいに内側へ折れ、螺旋になる。キン、キン、と金属音が遠くで連鎖し、コンテナクレーンが勝手に回り始める。ギギギギ。巨大な鉄の腕が、夜空を掻く。


「来た……」


和真が息を呑む。代表団の顔色が変わる。警備が動き、迅が白バイを滑らせて会場に突っ込んできた。タイヤが雪水を切り、シャッ、と音が鋭い。


「全員、下がれ! コンテナが動いてる!」


迅の声は、ヘルメット越しでも通る。彼の視線が、老人たちの一団に当たった。駆が連れてきた受講者たちだ。藤田もいる。彼らはスクリーンの前で立ち尽くしていた。


「藤田さん、こっち!」


駆が腕を引く。老人の足がもつれ、転びそうになる。その背後で、無人トラックが会場の柵を突き破って侵入してきた。ゴガン。鉄の音。観客の悲鳴が、霧に吸われる。


「止める!」


迅が白バイをトラックの前へ滑り込ませる。危険な角度。だが彼の身体は、競技大会のコースを思い出していた。団体三位。あの悔しさを、今夜の誰かの骨に変えない。


「星崎! 遠隔で止めろ!」


迅が叫ぶ。駆は耳を塞ぎたくなる衝動を押し込み、スマホで施設のシミュレーターへ接続した。だが画面は赤い。「制御権限なし」。


「取られてる……誰かが制御を奪った!」


ナナのドローンが急降下し、駆の肩越しに画面を映す。コメントが流れる。「覇王兵土暴走」「封関リング反乱」。視聴者は物語にしたがる。だが現場は、物語で済まない。


修が一歩前に出た。彼の指が、アクセサリのUSB型鍵に触れる。ノベルティ。だが、その形には意味がある。金融の世界で、鍵は信頼の象徴だ。


「律、日央銀のテスト環境、都市封関に混ぜてないか」


律の目が揺れた。答える前に、彼女のスマホが震えた。内部連絡。「封関リング、デジタル通貨試験網と同期確認。外部遮断、優先」。


律の喉が鳴った。


「……混ぜてる。都市を丸ごと、資金の流れの実証にする。利上げの影響を、実地で測るために」


修は笑いそうになって、笑えなかった。


「市場の噂が現実を作るって、そういう意味かよ」


和真が間に割って入る。


「今は責任の話をしている場合じゃない。代表団が不信感を強めれば、外交摩擦はさらに悪化する。止めろ、今すぐ」


迅がトラックの横を並走し、バイクのサイドバッグから小さな棒を取り出した。警棒ではない。銀色の棒、競技用の計測タグ。彼の団体三位のバッジと同じ金属だ。白バイ大会で使われた「手動認証」の名残。


「これで、リングの手動口を開ける。中枢に近づければ」


「近づけるって、あそこだぞ!」


駆が指さす。コンテナクレーンの根元、ゲートの制御塔。透明な膜が三重に重なり、人が入れない。ドローンが低く唸り、警告光を走らせる。ビビビッ。


ナナが息を吸い込んだ。


「みんな、こっち。穴がある」


彼女が指したのは、会場の裏手。スクリーン搬入口のシャッター。そこに、細い隙間が開いていた。誰かが内側からこじ開けた痕跡。ナナはいつも、都市の隙間を見つける。まとめるために、切れ目を探す。


「名探偵ツタじゃなくて、名探偵ナナだろ」


迅が言うと、ナナが笑う。


「やめて。調子に乗ると死ぬタイプの称号」


笑いは短い。だが、短いからこそ、次の動きが決まる。


五人は走った。修、律、駆、迅、和真、そしてナナ。霧の中、ライトがぶれる。足音が水たまりを叩き、パシャパシャと散る。背後でコンテナが持ち上がり、ギャアン、と鉄が鳴る。


搬入口の隙間から入ると、内部は暖かい機械の匂いがした。配線の束、サーバーの箱、冷却ファンの音。ゴォォ。壁には大きな注意書き。「封関リング中枢、無断操作禁止」。


その下に、小さなステッカーが貼られていた。文字は手書きで、悪ふざけみたいに丸い。


「まとめなな」


ナナが固まった。


「……え、これ、私のファン?」


律がステッカーを見つめ、顔色を失う。


「違う。これは、試験網のコードネームだ。情報を『まとめ』て、政策判断に返す。市民の声、物流、決済、全部を一つに」


修の胃が冷えた。市場の数字だけじゃない。自分の迷いも、怒りも、笑いも、全部が回路に吸われる。


背後で、透明な壁が降りた。スゥ、という音。隙間が塞がれる。出口が消える。


「閉じ込められた?」


駆が叫ぶ。だがナナは、スマホを掲げた。画面にはまだ電波がある。封関は外を閉じても、内の情報は流せる。その仕様が、彼女の仕事を生かした。


「配信は生きてる。つまり、リングは完全に止まってない。誰かが『見せたい』んだよ。私たちの反応を」


修は深呼吸し、指先の震えを止めた。トレーダーの癖だ。恐怖を数字に変える。


「律、手動で止めるには、何が要る」


律は唇を噛み、言った。


「信頼鍵。二系統の署名。政策側と、市民側。そういう設計にしてある」


「市民側の署名って何だよ。俺の口座残高か」


「違う。世論の代表。情報のまとめ役」


律の視線が、ナナへ向いた。ナナは乾いた笑いを漏らす。


「ちょっと待って。私、ただのまとめ配信者。税金もちゃんと払ってるけど」


「まとめなな、という名前を使っていること自体が、リングの学習モデルに紐づいてる。あなたの発信は、市民の反応を集約する指標になってる」


和真が言った。


「つまり、彼女が署名すれば、リングは開く。だが、署名は責任になる。外に向けて何を言うかで、外交も市場も揺れる」


迅が銀色の棒を握り直した。


「責任は俺たち全員にある。閉鎖を解除しないと、外で誰かが怪我をする」


駆が叫ぶ。


「藤田さんたちが外だ! 僕のせいで連れてきた!」


修はUSB型鍵を差し出した。


「政策側は律。市民側はナナ。俺は……俺は数字で補佐する。リングが何を恐れて閉じたか、当てる。相場の役目だ」


律は震える手で、内部端末に接続した。モニターに、封関ログが流れる。外部侵入、偽装証明書、外交文書の改ざん疑い。輸入コンテナに紛れた一つの貨物。危険物ではない。だが、情報が危険だった。


和真が目を細めた。


「これは……代表団の『声明文』の偽造だ。相手国を侮辱する文言が混ざっている。これが公開されれば、摩擦は燃える」


「リングは、それを止めるために閉じた?」


修が問うと、律が頷いた。


「物流と情報を一体で見るから、危険を先に察知する。でも、その判断が粗い。市民まで巻き込んだ」


ナナのスマホが震えた。コメントが流れる。「中日ヤバい」「利上げ来る」「覇王兵土出撃」。彼女は一つ一つを読んで、息を吐いた。


「私、まとめるのは得意。でも、まとめた先で誰かを殴りたくない」


彼女はカメラを自分に向けた。霧の外では、コンテナが動き、白バイが走り、人が叫んでいる。その音が壁越しに低く響く。ドゥン、ドゥン。都市の心臓。


ナナは言葉を選び、配信に乗せた。


「今、港の封関リングが閉じてます。怖い。でも、これは誰かを閉じ込めるためじゃなくて、誤情報が外へ出るのを止めるために動いてる可能性が高い。煽り動画や断片だけで判断しないで。外にいる人は、白バイ隊の指示に従って、安全な場所へ。eスポーツの受講者は、車を動かさず、ハザードを点けて待って」


彼女の声は、いつもより低く、揺れが少なかった。視聴者の反応が変わる。罵倒が減り、質問が増える。まとめの質が変わる。


迅が呟く。


「まとめなな、やるじゃん」


「今言うと照れてミスる」


ナナが返し、駆が思わず笑った。だが笑いはすぐ止まる。端末が警告を鳴らす。ピピピピピ。


「封関レベル3。全域遮断、三十秒後」


律の顔が青くなる。


「リングが最後の段階に入る。ここで署名しないと、市全体が完全に『島』になる。通信も決済も外へ出ない」


修の背筋が凍った。市場が閉じる。金利も為替も、外の海の向こうになる。生活費の計算が、無意味になる。


和真が短く言った。


「署名しよう。偽造声明文を隔離し、閉鎖を最小にする。代表団にも説明する。言葉は私が背負う」


迅が銀色の棒を、端末の手動口へ差し込んだ。カチン。金属が噛み合う音。


律が政策側の署名を入力する。指が震え、キーを二度打つ。だが間違えない。彼女の仕事は、震えても正確であること。


ナナが市民側の署名欄に指を置いた。画面には、彼女のハンドル名が表示された。「纏目ナナ」。


「私が押したら、私の言葉が、誰かの利上げの理由になったりする?」


律が答えた。


「なるかもしれない。でも、ならないように、私たちがやる」


修が言う。


「市場は嘘も食う。でも、真実も食う。食わせ方を選べばいい」


駆が頷いた。


「ゲームだって同じです。ルールを知らないと、負けます。今、ルールを書き換えるなら、僕も手を動かす」


ナナは目を閉じ、押した。


その瞬間、港全体が光った。


透明な膜が、白い稲妻になって走る。バチバチ。霧が裂け、空気が焼ける匂いがする。ドローンの輪が一度だけ膨らみ、巨大な円環が夜空に浮かび上がった。雪の粒が光を受けて、星屑みたいに舞う。


ギギギギ、と動いていたコンテナクレーンが止まる。暴走トラックが急停止し、ゴムが路面を鳴らして、キィィ、と悲鳴を上げた。白バイの迅が、その横でバランスを取り、静かにブレーキを握った。彼のバッジが、光を受けて震える。


外のスクリーンが、元の映像に戻った。物流のデモ画面。次に、井ノ上梨那の卒業セレモ二。だが、その裏で別の小さなウィンドウが出る。「偽造声明文隔離完了。封関レベル1へ移行」。


会場のざわめきが、ゆっくり息を取り戻す音に変わる。誰かが泣き、誰かが笑い、誰かがただ肩を落とす。冬の夜は、まだ終わらない。


搬入口の壁が上がり、五人は外へ出た。冷たい空気が肺に刺さる。だがそれが、生きている痛みだった。


和真は代表団の前に立ち、頭を下げた。


「今夜の閉鎖は、あなた方を疑うためではない。第三者の改ざんを止めるためだ。説明責任は果たす。互いの不信で、海を凍らせたくない」


代表は沈黙し、やがて小さく頷いた。完全な信頼ではない。だが、火種に水をかける程度の合意はできる。


駆は藤田に駆け寄った。老人はワゴン車の横で震えていたが、無事だった。迅が交通整理をし、白バイ隊が道を開けていた。


「藤田さん、すみません。怖かったですよね」


藤田は鼻をすすり、駆の肩を叩いた。


「怖かった。でも、あんたが言っただろ。道が閉じてるだけだって。閉じてるなら、開けられる。ゲームも人生も」


駆の喉が熱くなる。彼は頷き、次の講習の予定を口にした。小さな一歩。だが続けることが支援になる。


修は律の横で、スマホを見た。日景平均はまだ下げている。半導体とAIは重い。だが、彼の指は売りボタンを押さなかった。代わりに、寄付の画面を開いた。星崎の施設への匿名支援。ポイント還元目当てで貯めた「#リネ漫画でポイ得」の残高も、全部入れた。


「相場さん、珍しい」


律が言う。


「利上げが来ても、少しでも生き延びる手を増やす。市場は冷たいけど、人は冷たくしたくない」


律は小さく笑い、ポケットからメモ帳を出した。会合に持ち帰るための、今夜の記録。数字だけでなく、人の息づかいも。


ナナは配信を終え、スマホを下ろした。コメント欄には「ありがとう」「落ち着いた」「まとめ助かった」という言葉が並ぶ。彼女はそれを見て、肩の力を抜いた。だが、画面の隅に小さな通知が出ている。


「まとめなな試験網、フェーズ2へ」


ナナは一瞬、笑えなかった。リングは開いた。だが、試験は終わっていない。都市はまだ、見られている。


冬の海から風が吹き、五人の間を通り抜ける。白い息が重なり、霧の中に溶ける。遠くで、封関リングの光点が再び輪を作り、今度は静かに高度を上げた。ゴゥン、と低い振動が、足の裏から骨へ伝わる。涙腺ではない場所が、震えた。


彼らはそれぞれの夜へ戻っていく。市場へ、会合へ、施設へ、道路へ、外交の席へ。そして、まとめる場所へ。


その背中の上で、港の光はまだ白く、稲妻の形をしていた。


(了)

――あとがき――

今回の物語は、冬の港町に「封関リング」という仕掛けを置き、経済と暮らしと外交が同じ夜に衝突する群像劇として組み立てました。株価が反落し半導体やAIが重しになるという市況ニュースは、相場修の損失と都市インフラの脆さを重ねています。日央銀会合前の利上げ観測は、中原律の葛藤と生活費の痛みとして配置しました。高齢ドライバーの運転寿命をeスポーツで延ばす協定は星崎駆の仕事に、白バイ隊が全国大会で団体三位という話題は雪村迅の技量と責任に繋げています。さらに中日外交摩擦の継続は蒼井和真の通訳と場の緊張に反映し、海南の自由貿易港が島全体で関門運用を始めた出来事を、封関の発想の起点として使いました。ジャンルは近未来SFの社会派サスペンスを王道に寄せつつ、ラストで「都市そのものが実験網に組み込まれている」という裏切りを少しだけ混ぜ、B型の終わり方にしています。報道の重さを茶化さず、要点だけを借りて人の選択の物語へ再構成しました。この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

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