冬のタグは雪空を巡回する【2025/12/12】
校舎の窓という窓が暗かった。体育館も、音楽室も、図書室も、冬の十八時にはもう無人だ。
インフルエンザ様の流行で、学区の学校は次々と臨時休校になり、この市立東ヶ丘中も、きょうから少なくとも一週間は閉めることになった。
藤沢シンヤは、白い息を吐きながら屋上に立っていた。
元は航空自衛隊の戦闘機パイロット、今は非常勤講師兼、夜間の見回り係だ。職名が増えるごとに年収は減っている、そう苦笑いしながらも、耳だけは相変わらず空を追っている。
「……聞こえるな」
北西の夜空の向こう、見えない日本海の上で、低い重低音が雲を揺らした。
ゴオオオオ……という腹にくる響き。シンヤには、それが日米共同訓練の機影だと分かる。
きょうは、沖合で新型防空システムの訓練があり、米軍の大型戦略機B53も参加していると、夕方のニュースが言っていた。画面には、灰色の機体が空母から離れた位置を悠然と飛ぶ合成映像が映っていた。
「B53、こんな時間まで飛ぶのかよ」
つぶやいた瞬間、雲の切れ目から、白い尾を引く点が三つ、かすかに見えた。戦闘機二機と、その後ろにゆっくり動く大きな影。B53だ。
その遥か下、街の灯が点々と散っている。インフルエンザで人通りは少ないが、灯りの数は変わらない。誰もが部屋の中で、画面だけはいつも通り光らせている。
校舎の窓の一つ、その奥でも、ひとつの画面が青白く輝いていた。
◆
「――はい、こんばんは。冬のまとめ枠、纏目ナナです。校舎から、勝手に生回線」
教室の後ろのロッカーに、リングライトと簡易カメラが設置されている。
宮本アオイは、マイク付きイヤホンを耳にさし、自分の顔が映るタブレットをのぞき込んだ。黒髪をひとつに結び、眼鏡を外した彼女は、昼間の理科教師ではなく、動画配信者「纏目ナナ」に切り替わる。
コメント欄には、すでに数百の視聴者が集まっていた。多くは休校中の中高生だ。
『ほんとに学校から配信してるの?』
『背景の掲示物、うちと同じで笑う』
『インフルでヒマすぎるから助かる』
「ちゃんと許可は、多分、取りました。……多分ね」
アオイが肩をすくめて笑うと、コメントが一斉に「多分はダメw」「先生なのに」と流れた。
画面右上には、その日のトレンドタグをもじったタイトルが並ぶ。
『#マクラス四〇周年ってマジか』
『#カウコン生回線で年越し準備』
『#すみっケぐらしのラッキーセット争奪戦』
『#JOゼロ結成6周年ありがと三万』
「まずはニュースまとめから行きましょう。きょうの一つ目は、さっきも上を飛んでたやつ」
アオイはタブレットに保存した資料を指でめくり、日本海上空の日米共同飛行訓練のニュースを開く。
画面には、空撮映像風に編集された雲と、CGで合成されたB53の姿が映っている。
「日本海の上を、日米の戦闘機とB53が一緒に飛びました、って話です。なんでかって言うと……」
廊下の扉がガラリと開いた音がして、アオイは一瞬だけ配信画面から視線を外した。
そこに立っていたのは、校舎の夜担当である藤沢シンヤだ。
「……先生。夜間の無断配信は、勤務マニュアルにないと思うが」
「ありましたよ、多分。『防災教育その他のためのオンライン活動を妨げないこと』って」
「『その他』が強引すぎるだろ」
シンヤがあきれた顔で教室に入ってくる。コメント欄がざわついた。
『誰この人』
『イケオジきた』
『多分って口癖、先生の同僚も同じなの?』
「紹介します、この校舎の守護神。元パイロットの藤沢さんです」
「誰が守護神だ。非常勤講師だ」
「元パイロットって、きょうのB53もやっぱり危ないやつなんですか?」
アオイがマイクに向かって振ると、シンヤは一瞬だけカメラを見てから、ため息をついた。
「危ないから訓練している。危ないものを知らないままよりは、少しマシだ」
その言い方は、ニュース原稿のように抑制が効いているが、目の奥は真剣だった。
コメント欄に「正論」「こわ」「でも助かる」と、さまざまな反応が流れる。
アオイは一拍置いて、別の資料に切り替えた。
「じゃあ、次のニュース。こっちは私たちの真上の話です。インフル様で学校がどんどん閉まってます。うちも、きょうから休校」
画面には、地域の学校の臨時休校一覧と、若い世代の患者数が急増しているグラフが映る。
『うちの小学校も休み』
『親は仕事あるから家でゲームしてる』
『受験生なのにやばい』
「だから、きょう私たちは、ここから授業でもあり雑談でもあり、防災のテスト配信でもある配信をしてます」
そう言ってアオイが笑うと、背後の窓ガラスの向こう、雪まじりの夜空を横切っていく航跡が、かすかに光った。
◆
太平洋の向こう側、高層ビルの一角で、レイ・ハドソンはカップに冷めたコーヒーを注ぎ足した。
中涯ファーマ連携室、北米パートナリングオフィス。きょう開設されたばかりのそのフロアは、まだ段ボール箱が山積みだ。
レイは感染症研究者であり、新設された連携室の責任者でもある。
壁際の大型スクリーンには、世界各地のインフルエンザ患者数のグラフと、日本のスクールクローズ情報が映っていた。
「子どもの患者が、ここまで増えるとはな」
グラフの傾きは、急な坂道のようだ。日本だけでなく、アジア全体で似た曲線を描いている。
レイは、画面奥に表示された小さな動画サムネイルに気づいた。
「冬のまとめ枠、纏目ナナ」と書かれた日本語の配信だ。再生数は、じわじわと伸びている。
「……また彼女か」
かつて共同研究のアウトリーチ企画で出会った、宮本アオイ。
その配信者としての名が「纏目ナナ」だと知ったとき、レイは「ずいぶんとそのままな名前だ」と笑った。
世界のニュースをまとめ、でもどこかで一つ、自分の足元の小さな話を混ぜる、その癖が、彼女にはある。
レイはヘッドセットを装着し、ビデオ通話のアイコンを押した。
『あ、レイ先生。今配信中なんだけど』
画面に映ったアオイは、配信をしながら器用に通話にも応じる。
「知っている。コメント欄が、きみの多分攻撃で荒れていた」
『攻撃って言わないで。で、どうしました?』
「子どもの患者数、想定より二週間早い。日本の学校現場の状況を、もう少し具体的に教えてほしい」
レイは画面を切り替え、連携室のスタッフに簡単な英語で指示を出した。新しいRNAワクチン候補のデータを、日本の規制当局に送る準備だ。
『こっちは、こっちで一つ相談があります。今夜、雪山のビッグエア大会とコラボ配信する予定なんですけど』
「ビッグエア?」
『四年ぶりに、スチーム艇っていう外国のスキー場で、ビッグエア・ワールドカップが復活するんです。それに合わせて、日本でも元代表の人たちがオンライン大会やるって』
「その会場に、人は集まるのか。インフルのせいで、観客は減っているのでは」
『それを逆手に取るんです。現地はガラガラでも、配信は満席にする。ついでに、ワクチンと防災の話も、少しだけ混ぜたい』
画面の中でアオイが悪戯っぽく笑う。
レイは、その計画が無謀であるのと同時に、妙に理にかなっていることも理解していた。
「分かった。きみの配信に、専門家ゲストとして出よう。中涯ファーマ連携室の宣伝も、少しだけ混ぜさせてくれ」
『いいですよ。ただし、製品名は出さない約束で』
「当然だ。ニュースを笑いに変えるのはきみの仕事で、慎重に解析するのがぼくの仕事だからな」
二人の会話の向こうで、大型スクリーンの日本地図に、別の警告アイコンが点った。
青森県沖、地震活動活発。気象庁による「継続して注意」という字幕が、小さく表示される。
◆
その青森沖にほど近い山間の町で、ハルト・クニミツはスノーボードを肩にかついで、ジャンプ台を見上げていた。
「……でかくなってんなあ、これ」
山の中腹、人工照明に浮かび上がるビッグエア用のジャンプ台は、まるで雪の砦の斜面だった。
コース横に設置された小さな特設ステージには、スポンサー企業のロゴと、「リターン・ビッグエア・フェス」の看板が並んでいる。
元ナショナルチームのビッグエア代表、クニミツ・ハルト。
膝の故障で一度は競技を離れたが、今はこの町のスキー場で、コーチ兼イベント担当をしている。
「客席、スカスカだな」
観客席には、間隔を空けて数十人の人影があるだけだ。インフルエンザと、地震のニュースでキャンセルが相次いだ。
その代わり、ゲレンデの端には、配信用のカメラと、巨大なスクリーンが設置されている。画面には、さっきまでのアオイの教室配信のアーカイブが流れていた。
「クニミツさん、こっち、計測機器の設置終わりました」
呼びかけたのは、白いヘルメットに地味なジャンパー姿の女性だ。
如月ミユキ。大学の地震火山観測センターから派遣された研究者で、このスキー場周辺に新しく置かれた地震計を調整するために来ている。
「如月先生、そんな足場の悪いとこで機械いじって大丈夫なんですか」
「雪山で転ぶ人にだけは言われたくないです」
ミユキは、ジャンプ台横の斜面に半ば埋まりながら、小さな箱型の地震計にケーブルをつないでいる。
足元の雪が、ザクッ、ザクッと音を立てた。
「青森沖の群発地震、ニュースでやってたでしょう。あれの揺れが、ここまでどう届くか、観測したいんです」
「ここで大きいの来たら、ジャンプ台ごと崩れません?」
「そのときは、あなたが華麗に飛んで逃げてください」
ミユキの言葉に、ハルトは思わず笑った。
「俺、ビッグエアで地震から逃げるヒーローって、そんな漫画みたいな役、引き受けてないんですけど」
「さっき、配信で言ってましたよね。『何かあったら、ジャンプで全部どうにかする男、クニミツ・ハルトです』って」
「う、聞いてました?」
ミユキはにやりとし、ヘルメットの中で眉を上げた。
「コント番組ですか、あの配信」
「違いますよ。あれは真面目に時事をまとめてる……多分」
「『多分』って言ってる時点で、コントです」
二人の言い合いの横で、スピーカーからテスト用の音楽が鳴り始めた。ドンドンという低音と、ザワザワという観客のざわめきの音。
ハルトは、ステージ横に張られたタイムテーブルを確認した。
今夜、ここから纏目ナナの配信とつないで、ビッグエアの決勝を生中継する予定だ。その合間に、防災トークとワクチントークを挟む。スポンサーの中には、中涯ファーマ連携室のロゴに似た、青いDNAマークの企業も混ざっている。
「揺れも、感染症も、全部ひっくるめてショーにするって、どう思います」
ハルトがふと真面目な声で尋ねると、ミユキはケーブルをまとめる手を止めた。
「本気で怖がっている人には、笑い話にはしないでほしいです。でも、怖さを知らない人には、笑いを入口にしてもいいと思います」
「その線引きがむずかしいんですよね」
「だから、あなたみたいな、バカみたいに空を飛ぶ人が必要なんですよ」
「褒めてます? それ」
「多分」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのとき、遠くの山の向こうで、かすかなゴゴゴ……という地鳴りのような音がした。
ハルトは空を見上げたが、そこには星と雲と、細い飛行機雲だけが浮かんでいた。
◆
「さあ、ここからは雪山との合同です。中継つながりますか」
アオイの声に合わせて、教室のプロジェクタが点き、黒板の上に雪山の夜景が映し出された。
ジャンプ台の照明が、白い雪を青く照らし、その上で小さな人影が飛び跳ねている。
『うわ、でか』
『こんなとこから飛ぶの』
『クニミツさんきたー』
映像の中で、ハルトが手を振り、マイクを口元に近づける。
「纏目ナナさん、聞こえるー?」
「はい、教室スタジオからつないでます。そっちは寒そうですね」
「そっちはインフルで寒いらしいじゃないですか。こっちは物理的に寒いだけです」
『うまいこと言った』
『どっちも寒いよ』
『インフルで雪山行けない』
コメント欄が笑いで埋まる。
教室の窓の外では、静かに雪が降り始めていた。薄いガラスを通して、ときおり遠くの空のゴオオオ……という音が聞こえる。B53たちが、まだ日本海を巡回しているのだ。
「きょうは、リターン・ビッグエア・フェスと題して、四年ぶりに復活したスチーム艇の大会に合わせて、日本からも飛びます」
ハルトの背後の巨大スクリーンには、「STEAM艇 BIG AIR WC RETURN」とロゴが映っている。もちろん、正式名称から一文字ずつ変えてある。
「ただし、現地の観客席は、インフルと天候でガラガラです。そのぶん、この配信で、画面越しの声援を送ってください。ついでに、防災の話も少しだけ」
「はい、ここで専門家を呼んでいます。まずは、地震のプロ、如月ミユキさん」
カメラが切り替わり、ミユキがヘルメット姿のままマイクの前に立った。
「こんばんはいま、山のふもとの地震計の前からお伝えします。青森沖で、ここ数日、小さな地震がたくさん起きています。すぐに大きい地震が来るって話ではないですが……」
「『多分』?」
アオイが教室からツッコむと、ミユキは苦笑した。
「科学的には、『多分』じゃ困るんですけど。『可能性はゼロじゃない』。だから、何も起きないうちに、避難経路を確認しておきましょう、って話です」
『ゼロじゃないのか』
『でも忘れるんだよなあ』
『避難訓練サボったの反省』
コメント欄が少し真面目な空気に変わる。
「そして、もう一人。インフルのプロ、中涯ファーマ連携室から、レイ・ハドソンさん」
教室のプロジェクタに、オフィスの一角が映し出された。段ボール箱を背に、白衣姿のレイが手を振る。
「こんばんは。夜勤中の研究者です。日本の学校が、次々に閉まっているというニュースを見て、胸が痛みます」
レイは、日本語と英語を混ぜながら、今季のインフルエンザが若い世代に多く出ていること、新しいワクチン候補がどこまで進んでいるかを、コンパクトに説明した。
専門用語のたびに、アオイが分かりやすい言葉に言い換える。
「まとめると、早く寝ろと」
「そう。あと、マスクと手洗いと、ワクチン。ぼくたちは、新しいワクチンを、できるだけ早く、でも安全に届ける準備をしている」
「パートナリングオフィスって、パートナー探してるオフィスって意味ですか」
ここで、教室の隅で見ていたシンヤが唐突に口を挟んだ。
アオイが思わず吹き出す。
「藤沢さん、それ、婚活サイトじゃないんですから」
「違うのか。てっきり、レイさんの婚活拠点かと」
『婚活オフィスw』
『B53よりこわい』
『ワクチンより縁結び』
コメント欄が再び笑いで埋まり、レイも苦笑した。
「仕事のパートナーです。けれど、きょうの配信を通じて、ぼくたちは新しい意味でのパートナーにもなれるかもしれない。情報を共有し、互いに備えるという意味で」
笑いの余韻が残る中で、彼の言葉は少しだけ重く響いた。
◆
決勝の一人目が、ジャンプ台のてっぺんに立った。
ハルトはスタートハウスで、選手の背中を軽く叩いた。
「風、いい感じだ。行ける」
照明に浮かび上がる雪片の流れで、風向きを読む。小さな感覚の積み重ねが、着地の一メートルを左右する。
ドオオオ……という音楽と、観客のワアアア……という声援が重なり、選手が滑り出した。
板が雪を切り裂き、シュウウウ……と白い尾を引く。そのままジャンプ台の縁に差しかかり、空へと放り出される。
空中で、身体が回転し、板が光を反射して軌跡を描く。その背後、遠くの夜空を、三つの光点が横切った。日米合同訓練中の戦闘機だ。
教室のプロジェクタ越しに、アオイとシンヤと生徒たちが、その一瞬を「おお……」と見上げる。
音は届かない。ただ、画面の向こうとこちら側の視線だけが、同じ一点に集まる。
ドシンッ。
雪を踏みしめる音とともに、選手は無事に着地した。
歓声が爆発し、教室のコメント欄も、スタンプと歓声で埋まる。
『今のやば』
『空の光も合わせ技』
『漫画みたい』
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……。
足元から、低い揺れが這い上がってきた。
ジャンプ台の支柱がギシギシ……と鳴り、照明がカタカタ……と震える。
「地震!」
ミユキの声が、観客席に響いた。
彼女はすぐさま地震計のモニタを確認し、小さく息を呑む。
「青森沖、マグニチュードは中くらい……でも、揺れが長い。余震も続くかも」
教室の天井の蛍光灯も、ゆっくりと揺れ始めていた。
アオイはマイクを握りしめ、カメラの向こうの視聴者に向かって叫ぶ。
「落ち着いて。机の下、ある人は入って。体育館の人は、頭を守って。スマホのライトは、節電モードで」
シンヤはすでに廊下に飛び出し、校内放送のマイクを握っていた。
「こちら藤沢だ。揺れは中程度、校舎にいる職員と避難中の人は、決めた場所へ集合。体育館を一時的な避難所に切り替える」
ゴウン、ゴウン、と古い校舎が軋む音。窓ガラスがカタカタ……と鳴り、雪が一気に舞い上がる。
屋上の守衛用カメラが揺れながら捉えた空には、遠ざかる戦闘機の尾が、震えた線で描かれていた。
山のジャンプ台では、観客たちがスタッフの誘導で坂の下へ移動していた。
その中で、一人の選手が、ジャンプ台の途中で立ち尽くしているのが見えた。
さきほどの揺れで、スタート直前にバランスを崩し、真ん中あたりで停止してしまったのだ。
「ハルト!」
ミユキが叫ぶより早く、ハルトは板をつけたまま斜面を駆け上がった。
ザザザザ……と雪を蹴り、揺れる足場を飛び移りながら、選手の背中に手を伸ばす。
「こっちだ、ロープにつかまれ!」
ジャンプ台脇に張られた補助ロープを掴ませ、自分の体を支点にして引き寄せる。
その瞬間、また一段と大きな揺れがドン、と来た。
空が、短く暗くなった。
B53と戦闘機たちが通り過ぎた雲の帯が、揺れる照明に切り裂かれ、星がにじむ。
ハルトは歯を食いしばり、自分もろとも雪の斜面に転がり落ちた。
ゴロゴロゴロ……と雪煙を上げながら、選手と一緒に安全な場所まで滑り落ちる。
「大丈夫か!」
「……はい!」
選手の震える声を聞いた瞬間、ハルトは胸の奥から笑いがこみ上げた。
「今の、リプレイしたらバズるな」
「やめてくださいよ、命がけだったんですよ」
「だからだよ」
二人のやり取りのすぐそばで、ミユキは地震計のデータを確認し、携帯端末から災害情報ネットワークに速報を送った。
◆
揺れが収まったあと、東ヶ丘中の体育館には、近所の住民や一時帰宅できない生徒たちが集まっていた。
バスケットゴールに毛布がかけられ、ステージの上には、さっきまで教室で使っていた配信機材が運び込まれている。
「――というわけで、ここからは、避難所スタジオ・バージョンでお送りします」
アオイがマイクを持ち、体育館の一角からカメラに向かって話し始めた。
背後には、体育座りをしている生徒たち、段ボールの間仕切り、体育館の柱に貼られた簡易の避難経路図が映っている。
『え、避難所から配信してるの』
『大丈夫なのこれ』
『でも情報助かる』
「地震は落ち着きましたが、青森沖の活動はしばらく続くらしいです。というわけで、ここからは本番の『ニュースを自分の場所に引き寄せる』時間です」
アオイは、カメラの向こうとこちら側を、ゆっくりと見回した。
「日米の訓練も、インフルも、ビッグエアも、青森沖の地震も、全部『遠くのニュース』として流れてきます。でも、今夜みたいに、一気につながることもある」
ステージの脇で、シンヤが、小学生に毛布を配りながら、ちらりとアオイを見た。
彼は、校庭に臨時のヘリポートを描く準備を終えたところだ。B53ではなく、災害時に物資を運ぶヘリが、いつでも降りられるように。
「この体育館では、インフルを広めないように、マスクと距離をお願いします。ワクチンの話は、レイ先生、そっちから」
プロジェクタに映ったレイが、避難所の様子を見て一瞬だけ表情を曇らせ、それから真剣な声で話し始めた。
「きょうの揺れで、ワクチン工場に大きな被害は出ていないと聞いています。でも、物流や人の動きが止まると、届けるのが難しくなる。だからこそ、平常時に備えを進める必要があります」
如月ミユキも、山の観測所からスマホ一つで参加した。
「さっきの揺れで、ジャンプ台の地震計も、きれいに波形が取れました。このデータがあれば、次に似た揺れが来たとき、どこがどれくらい揺れるか、少しだけ予測が良くなります」
『ニュースで見たやつが、今ここでつながってるの変な感じ』
『地震こわいけど、こうやって話されるとちょっと落ち着く』
『B53の音、さっき窓から聞こえた』
コメント欄と、体育館の中の小さなざわめきが、同じリズムで揺れているように感じられた。
アオイは、ふと、自分が「纏目ナナ」という名前を選んだ理由を思い出した。
世界中のニュースの「端っこ」を少しずつ集めて、一つにまとめる役割。けれど、本当にまとめるべきなのは、画面の向こうの誰かの不安と、自分の町の現実なのかもしれない。
「最後に、一つだけ」
アオイは、カメラの向こうと体育館の隅々をもう一度見た。
「きょう、ビッグエアで無茶な救助をしたクニミツさん。ああいうのは、真似しないでください。でも、『何かあったら、自分のジャンプで一歩だけ変える』っていう気持ちは、ちょっとだけ真似してもいいと思います」
体育館の隅でスマホを握りしめていた一人の生徒が、小さく手を挙げた。
画面越しに、ハルトが照れくさそうに頭をかいた。
「俺のジャンプなんて、大したもんじゃないですよ。こっちも、インフルで客席スカスカですし」
「スカスカだからこそ、画面が埋まるんですよ」
アオイの言葉に、笑いが起きる。
「それに、スカスカの客席と、ぎゅうぎゅう詰めの避難所なら、今はスカスカの方が安全です」
ミユキの冷静なツッコミに、さらに笑いが広がった。
体育館の天井スピーカーから、かすかにゴオオオ……という音が聞こえた。
誰かが、災害情報のヘリか何かだろうと言ったが、シンヤは空を見上げたまま、小さく首を振った。
「あれは、訓練中のやつだな」
「まだ飛んでいるんですか、B53」
「守るために飛んでいる。少なくとも、そう信じている人たちが、あのコックピットにいる」
シンヤの言葉に、アオイは少しだけ目を細めた。
世界のどこかで飛ぶ機体と、この体育館の中の配信と、山の上の地震計と、海の下を揺らす断層。
全部が、一本の見えないタグでつながっているように思えた。
「じゃあ、そのタグに、私たちも一個だけ言葉を付け足しましょうか」
アオイは、配信のタイトル欄に、新しいタグを打ち込んだ。
『#きょうのニュースを自分ごとに』
それはトレンド入りなんかしない、地味なタグだ。
けれど、画面の向こうで、それを真似してつぶやく人が、少しずつ増えていく。
雪は静かに降り続き、体育館の屋根を柔らかく叩いている。
遠く、日本海の上空を巡回する光の列は、夜の雲の向こうで、誰にも見えない軌跡を描き続けていた。
(了)
――あとがき――
お読みいただきありがとうございます。今回の物語では、冬の夜に散っているニュースが一本の回線でゆるく結びつくイメージから、近未来寄りの社会派SFとして構成しました。日米の共同飛行訓練の報道は、B53の重いエンジン音と夜空の航跡として、校舎や雪山の頭上を何度も通過させています。インフルエンザで若い世代の患者が増え、学校閉鎖が広がるニュースは、空っぽの教室と避難所になった体育館の情景に変えました。青森沖の地震活動についての情報は、如月ミユキの仕事と地震計の波形、ジャンプ台を揺らす地鳴りとして組み込んでいます。
中涯ファーマのパートナリング拠点開設は、レイ・ハドソンの職場として描き、婚活と勘違いされる軽いボケから、世界規模のワクチン開発というテーマへつなげました。四年ぶりに復活するビッグエア大会の話題は、クニミツ・ハルトの雪山イベントとジャンプシーンの核に置いています。トレンドタグは、マクラス四〇周年やカウコン生回線、すみっケぐらしのラッキーセットなど、少しもじった形でコメント欄に流し、現代のタイムラインのざわめきだけを借りました。
ジャンルとしては、大きな陰謀や超技術で世界を救う方向にはせず、「ニュースを自分の足元の出来事として語り直す」という軸を重視した、王道寄りの群像ドラマにしています。訓練中の機体も、インフルも地震も、物語のあとで消え去るわけではありませんが、それでも配信や仕事のかたちを少し変えることで、登場人物たちの視界が変わる終わり方を選びました。
実際の報道や被災された方々の現実からは距離を保ちつつ、固有名詞や数字をもじり、要点だけを抽象化してフィクションに置き換えています。ニュースの重さを茶化し過ぎないように注意しながらも、画面のこちら側で笑ったり、自分の備えを考え直したりする余白が残れば幸いです。この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。




