夢を載せた雪のドリームレール【2025/12/11】
夢を載せた雪のドリームレール
高橋レンは、ホームの端でスマホを掲げながら、薄い冬空を見上げていた。
頭上のコンコースには巨大なスクリーンがぶら下がり、赤いテロップが絶えず流れている。そこには、近海上空で日本の哨戒機に向けて隣国の軍艦が射撃用レーダーを照射し、それに対して同盟国が「日本防衛への関与は揺るがない」と声明を出した、というニュースが繰り返し映っていた。
画面の端には、SNSで急上昇中のタグが踊る。
「#USJpnSecureか」
レンは小さくつぶやく。フード越しに吐いた白い息が、スクリーンの冷たい光を切った。
同じタグを、今朝自分も動画のタイトルに入れた。元防衛シンクタンクの肩書きを使った「安全保障まるわかり解説」だ。それでも再生数は伸びていない。代わりにバズっているのは、隣の画面に映る企画だった。
全国の「叶えたい夢」を集めて走る特別列車「ドリームレール号」。企画したのはPR会社のピーアールタイミス社。応募された夢の中から選ばれた数十人が、雪国へ向かう一夜限りの臨時列車に乗って旅をし、その様子を生配信するという。
ホームに停まっている車両は、真新しい銀色の一両編成。側面には「DREAM RAIL」と大きく描かれ、その下に、小さく「雪と夢を運びます」と書かれている。
ホームのスピーカーからは、別の警告も流れていた。
「中部高速道路公団からのお知らせです。明日から山間部では本格的な降雪が予想されています。お車でお出かけの際は、必ず冬用タイヤか滑り止め装置をご準備ください……」
新たなタグ「#冬タイヤ前線」が、画面の隅で点滅する。
レンは、バッグから招待状を取り出した。真っ白な厚紙に「ドリームレール号 特別解説ゲスト」と印刷されている。
「夢どころか、生活費の心配で頭がいっぱいなんだけどな」
そう毒づきながらも、彼は改札に足を踏み入れた。
◇
車内に入ると、雪の匂いがした。まだ出発前だというのに、冷えた金属の匂いと、かすかな融雪剤のにおいが空調に混じっている。
「わあ……本当に窓が全部スクリーンになってる」
高い声に振り向くと、山崎ユメコが、座席の列の途中でくるりと一周していた。黒いダウンの裾がふわりと舞い、彼女の視線の先では、窓ガラス一面に雪景色の試験映像が流れている。まだ駅を出ていないのに、深い森の中を走っているようだった。
「すみません、乗車券の確認をお願いします」
声をかけてきたスタッフは、栗色のボブヘアに明るいスーツを着た女性だった。胸の名札には「村上カナエ」とある。
「本日は、ドリームレール号にご乗車いただき、ありがとうございます」
完璧な笑顔。しかしレンは、どこかで見覚えがある気がして首をかしげた。
「村上さんって、もしかして……」
「あ、もしかして、ですかね。副業でニュースまとめチャンネル『マトメナナエ』をやってまして」
カナエは、小さくピースサインを作った。
「ああ、あの『きょうの日本、三分でまとめてみた』の。コメント欄、だいぶ荒れてますよね」
「そこ、初対面で触れます?」
カナエの笑顔に、かすかなひきつりが混じる。
「でも、おかげさまで登録者は増えてるんですよ。今日は、その『まとめ役』としても呼ばれていて。乗客のみなさんの夢と、この国のニュースをぜんぶ一本の動画にまとめるのが、わたしのミッションです」
「夢までまとめるんだ」
「まとめます。まとめないと、生活費がまとめて吹き飛ぶので」
二人とも、そこで小さく笑った。空気が少しだけやわらぐ。
後方の座席では、ノートPCを開いた青年が、猛烈な速さでキーボードを叩いていた。黒縁メガネにパーカー、首には社員証のようなカード。
「佐伯ミナトさんですよね」
カナエが声をかけると、青年は顔を上げた。
「は、はい。えっと、アルゴネクスト社の佐伯です。AIトレーディング担当で」
「株のAI、ですよね。さっきニュースでやってました。景気は冷え込んでるのに、AI関連株のおかげで株価指数は史上最高とか」
「ええ……正直、ちょっと複雑です。経済の記事が不景気の話で埋まってる日に、自分のモデルが『買い』シグナルを出して、会社がボーナスを払うんですから」
ミナトは苦笑しながら、画面を傾けた。そこには銘柄コードとチャートが並んでいる。右肩上がりの線には、「AIクラウド総合」「次世代半導体連合」など、派手な銘柄名が並んでいた。
画面の端には、今日のトレンドタグ「#AI株バボル」が点滅している。
「それでも生活費は、上がらないんですよね」
カナエが、肩をすくめた。
「だからこそ、こういう企画に呼ばれたときくらい、夢のある話をしたいです。うちの会社の宣伝じゃなくて」
ミナトの視線が、一瞬だけ窓に向かった。仮想の雪景色に、自分の顔がぼんやり映る。
「おお、久しぶりに乗るなあ、この線」
低い声がして振り向くと、スーツ姿の男性が、通路に立っていた。首元には見慣れないロゴの社員証。「ポステル不動産開発」と書かれている。
「遠藤ソウタです。荷物、多くてすみません」
彼の足元には、古びた郵便袋がひとつ置かれている。赤いラインが入った麻袋で、ところどころが擦り切れていた。
「それ、本物の郵便袋ですか」
ユメコが目を丸くする。
「ええ。うちの会社の資料室に眠ってたやつで。今日行く『星見高原駅』の、昔の郵便貨物線で使われていたものらしいです」
ソウタは、袋の表面を指先でなぞった。消えかけた地名が浮かび上がる。
「今は全部、数字でしか見られていない土地です。資産評価額、開発効率、投資利回り……。でも、ここには、人の手書きの住所と、誰かが待っていた手紙が乗っていた」
その声には、かすかな悔しさが混じっていた。
カナエが、名札を覗き込む。
「ポステルって、日本郵信ホールディングス系ですよね。海外のファンドから『遊んでる不動産をもっと活用しろ』って、最近ニュースになってました」
「ええ。あのニュースのおかげで、うちの部署は大忙しです。数字上は、たしかに価値が眠っている。でも、その価値を掘り起こした瞬間に、町の記憶や居場所が消える事もある」
ソウタは、窓の向こうの仮想の雪山をじっと見た。
「今日は、その矛盾を、自分の夢として持ってきました」
「では最後に、一般枠でご参加の山崎ユメコさん」
カナエが振り向くと、ユメコは、背負っていたリュックをぎゅっと抱きしめていた。
「わ、わたしは、その……『夢を物語にする仕事がしたい』って応募しました」
頬を赤くしながら、彼女は続ける。
「実家が、星見高原駅のすぐ近くなんです。昔は郵便局で、いまは小さなカフェになっていて。そこから見える夜の線路が、子どものころから大好きで……。そこを走る列車の話を、ずっと書き続けてきました」
リュックから、一冊のノートがのぞいた。表紙には、丸い字で「ドリームレール」と書かれている。
「今日こそ、その物語を現実にして、誰かに聞いてもらえたらいいなって」
ユメコの言葉に、車内の空気が少し変わった。
レンは、その変化を感じながら、自分の胸ポケットから小さな録音マイクを取り出した。
「じゃあ、俺の夢も録っておこうか」
そう言って、赤いランプを点灯させる。
「『安全保障のニュースを、怖がらせるんじゃなくて、守りたいものから話せる解説にしたい』。それが、今日の俺の夢だ」
◇
発車のベルが鳴る。
「ピンポンパンポン」
柔らかいチャイムに続いて、車内アナウンスが流れた。
「本日は、ドリームレール号にご乗車いただき、ありがとうございます。当列車は、雪国の星見高原駅まで、皆さまの夢を乗せて運行いたします」
「ガタン」
車体が小さく揺れる。窓のスクリーンが、一斉に夜の街の映像に切り替わった。ビルの壁面には、さきほどの安全保障ニュースと、AI株高の速報が並んで流れている。
「ほんと、怖いニュースとお金のニュースばっかりだなあ」
ミナトがぼやく。
「だからこそ、この列車を企画したんだと思いますよ」
カナエがタブレットを操作しながら答えた。
「番組タイトルは『夢でニュースを乗りこなせ』。タグは『#Dreamレール』。……あと『#USJpnSecure』と『#AI株バボル』も勝手にぶら下げときます」
「なんか、物騒と欲深さが同居してるタグだな」
レンが苦笑すると、ユメコが手を挙げた。
「あ、あの。タグって、そんなに何個も付けて大丈夫なんですか」
「大丈夫じゃないです」
「えっ」
即答に、ユメコが固まる。
「でも、付けます。バズるかどうかは、数と運なので」
「運なんですか」
「そうです。だから、夢と同じです」
理屈のようで理屈になっていない説明に、レンとミナトは同時にツッコんだ。
「どっちなんだよ」
「論理とオカルトのハイブリッドだ……」
車内に、ささやかな笑いが広がる。
やがて列車は、都会の光を抜け、本物の山間部へ差しかかった。
窓のスクリーンは現実の映像に切り替わり、黒い山肌に、ところどころ白い雪が張りつき始める。
「ゴトン、ゴトン」
レールの継ぎ目を踏む音が、リズムを刻む。
ミナトはノートPCを閉じ、代わりに小さなデバイスを取り出した。
「それ、何ですか」
ユメコが覗き込む。
「心拍センサーです。座席の肘掛けに触れている人の心拍を拾って、簡単なグラフにするやつ。うちの会社で試験的に作ったんですけど、上からは『これで投資家の心理をリアルタイムに測れないか』って言われてて」
「こわ」
カナエが素直な感想を漏らした。
「今日は、投資家じゃなくて、夢を見る人の心拍を測ってみたいんです。ニュースで不安になったときと、夢を語るときで、どんな違いが出るのか」
ミナトは、そう言ってセンサーを肘掛けに取りつけていく。
「個人情報とかは……」
レンが眉をひそめると、ミナトは手を振った。
「記録するのは統計だけです。誰がどの波形かは分からないようにしておきます」
「じゃあ、夢の鼓動のまとめ役は、わたしってことで」
カナエがタブレットを構える。
「『マトメナナエ』特別編、『ドリームレールの心拍ニュース』。いいタイトルじゃないですか」
「いや、長いわ」
レンのツッコミに、また笑いが起こった。
◇
列車が最初のトンネルに入ろうとしたときだった。
「ピピッ」
小さな警告音が、車内のどこかから鳴った。続いて、車内照明が一瞬だけ暗くなる。
「えっ、停電?」
ユメコが不安そうに周囲を見回す。
「いえ、非常用電源への切り替えです」
車掌の声がインターホンから聞こえた。
「ただいま先行区間で、雪雲の影響によるレーダー信号の乱れが発生しております。自動運転システムが一時的に保守モードに入りましたので、ここから先は手動運転に切り替えます」
「レーダー信号……」
レンの脳裏に、昼間のニュース映像がよぎる。隣国の軍艦が照射したというレーダーと、それに抗議する日本の防衛担当者。それを支持する同盟国の声明。
「まさか、ここで軍事的な……」
とっさに浮かんだ想像を、レンは頭を振って追い払った。
「違う。これはただの気象レーダーの乱れだ」
そう分かっていても、胸の奥で別のざわめきが広がる。
ニュースで何度も見た「レーダー照射」という言葉が、現実のレールの上で鳴り響いた気がした。
そのとき、ミナトの持つデバイスが一斉に鳴った。
「ピコン、ピコン」
心拍グラフが跳ね上がる。乗客たちの鼓動が、同じタイミングで速くなっていた。
「……やっぱり、不安のニュースは、夢のニュースよりずっと強いですね」
ミナトが小さくつぶやく。
カナエは、タブレットの画面を見て眉をひそめた。
「SNSでも、さっそく『ドリームレール号が軍事レーダーに捕捉された』みたいな、変なデマが飛び始めてます。タグは『#Dreamレール危機』」
「そんなの、まとめなくていい」
レンは、思わず口を挟んだ。
「でも、放っておくともっと広がりますよ」
「なら、『違う』ってまとめよう。事実と一緒に。不安だけを増幅させるまとめじゃなくて」
レンの声は、いつになく強かった。
カナエは一瞬きょとんとしたが、すぐに口元を引き締めた。
「分かりました。じゃあ、『マトメナナエ』特別号、『ドリームレールはレーダー照射されていません』、行きます」
「タイトルで全部言ったな」
ミナトの冷静なツッコミに、緊張の中にも笑いが紛れ込む。
列車はトンネルに入り、窓の外は真っ暗になった。
その闇の中で、ユメコは静かにノートを開いた。
そこには、一本の物語が書かれている。
「夢を載せた列車が、雪の夜、予定にない駅に止まる。その駅は、誰の地図にも載っていない。けれど、いつか夢を諦めた人たちが、必ず一度は通る場所」
子どものころから書き続けてきた物語の、最初の一節だった。
「ねえ」
と、ユメコは小さな声で言った。
「もし、本当に予定にない駅に止まったら、それって、ただのトラブルでしょうか。それとも……」
「夢の仕業?」
レンが続きを言う。
「そういうの、好きですよ」
ソウタも、珍しく柔らかい声を出した。
「予定にない駅には、予定にない価値がある。少なくとも、数字には出てこない価値が」
彼は、足元の古い郵便袋を軽く叩いた。
「ゴトン」
列車が、トンネルの中で一段と揺れた。
◇
トンネルを抜けたとき、窓の外は一面の雪だった。
「うわ……」
誰かの声が漏れる。
白い世界の中に、古びたホームがぽつんと浮かんでいた。錆びた駅名標には、かろうじて「星見高原」と読める文字が残っている。
「えっ、もう着いたんですか」
ユメコが驚いて立ち上がる。
「いえ、予定よりだいぶ手前です」
車内アナウンスの声にも、戸惑いが滲んでいた。
「前方のポイント信号に異常があり、安全確認のため、旧星見高原貨物駅跡に停車いたします」
「旧、ですって」
ソウタが立ち上がる。
「そこ、今はうちの会社の管理地のはずです。近くの旧郵便局も、取り壊し候補になっている……」
ユメコの顔色が変わった。
「え、それって、もしかして……うちの実家……」
言い終える前に、列車は「キイィ」とブレーキ音を立てて停まった。
ドアが開くと、冷たい空気が一気に流れ込んでくる。
「ザッ」
ホームに降り立った瞬間、靴の裏で雪が鳴った。
そこは、時間から取り残されたような場所だった。薄暗いホーム、かろうじて立っている木の柱、遠くに見える小さな建物。赤い郵便マークが、雪に半分埋もれている。
「……やっぱり」
ユメコは、震える声でつぶやいた。
「あの建物、うちの実家です。星見高原郵便局……だった場所」
ソウタも、その方向を見つめた。
「現地を見るのは、初めてです。資料上は『老朽化した遊休不動産、駅前開発の障害』ってラベリングされてましたが」
「障害、ですか」
レンの胸に、ざらりとした違和感が走る。
同じ頃、スタッフたちは慌ただしく動き始めていた。
「高速道路が雪で一部通行止めになったみたいです。冬タイヤを付けていない車が立ち往生しているとか」
誰かがスマホの画面を見ながら叫ぶ。
ニュースアプリには、「明日からの大雪に備え、冬用タイヤ装着を呼びかけていた高速道路公社の予想通り、山間部で雪が急速に強まっている」といった文面が流れていた。
「予定していた星見高原駅まで線路はつながってますが、線路設備の点検が終わるまで、一〜二時間ほどはここで待機になるそうです」
カナエが皆に説明する。
「配信、どうします」
スタッフが不安げに尋ねると、カナエは周囲を見回した。
古いホーム。雪。赤い郵便マークの建物。乗客たちの不安と期待が混じり合った表情。
そして、空には、厚い雲の隙間からわずかに星がのぞいている。
「……ここでやりましょう」
カナエは、決意した声で言った。
「予定外の停車駅特集、『夢の臨時ホームから中継です』。どうせなら、この偶然を全部まとめてしまいましょう」
◇
旧駅舎の中は、思ったより暖かかった。
「ガラガラ」
重い引き戸を開けると、かつての切符売り場と郵便窓口の面影が残っていた。壁の掲示板には、色あせた観光ポスターと、古い時刻表。その横に、手書きの小さなメモが貼られている。
「『夢は出すだけで届く』……?」
レンが読む。
「母の字です」
ユメコが、目を細めた。
「ここが郵便局だったころ、母がよくそう言ってました。『叶うかどうかは別として、出さなきゃ届かないでしょう』って」
その言葉に、ソウタがはっとしたように彼女を見た。
「……それ、社内で今度の再開発会議のスローガンにしたいくらいですね」
そう言ってから、自嘲気味に笑う。
「でも、現実には『価値は掘るだけで数字になる』みたいな言葉ばかりが並ぶんです」
レンは、窓から外を見た。ホームには、列車の明かりが落ちている。雪はしんしんと降り続け、世界を静かに包み込んでいた。
「せっかだから、ここをスタジオにしましょう」
カナエがタブレットをセットし始めた。
「旧郵便局から、『夢の中継スタジオ』。タイトルは……」
「長くしないでくださいね」
ミナトが先回りしてツッコむ。
「じゃあ、『夢は出すだけで届くのか』特集。これくらいなら」
「ギリ許せる」
レンが頷く。
撮影が始まった。
「カメラ、回りました」
スタッフの声に合わせて、カナエが進行を務める。
「ここは、雪に埋もれた旧星見高原駅の郵便局跡です。高速道路の通行止めと、列車の安全確認のため、私たちは予定外の停車をしています。ですが、せっかくなので、ここで皆さんの『夢』を改めて聞いていきたいと思います」
まず呼ばれたのは、レンだった。
彼は、古い郵便窓口の前に立つ。背後のガラスには、外の雪と、列車の光が揺れている。
「俺の仕事は、安全保障のニュースを解説することです。最近は、隣国の軍艦がレーダーを向けてきただとか、同盟国がそれに対して強い言葉を使っただとか、そんなニュースばかりです」
彼は、一度言葉を切ってから続けた。
「でも、ここに立っていると、ニュースの言葉が、急に遠く感じます。レーダーも、ミサイルも、この古い郵便局も、全部、『誰かの生活』の上に乗っている。俺はそれを、怖がらせるためじゃなくて、『何を守りたいのか』から説明できる人間になりたい。それが、俺の夢です」
カメラの向こうで、心拍センサーが静かに波形を描く。不安のときより少しだけ穏やかな、しかし力強い波。
次に呼ばれたのは、ミナトだった。
彼は、ノートPCではなく、小さな心拍センサーを手に持っている。
「自分は、AIで株を売り買いするモデルを作っています。経済が冷え込んでいると言われる中でも、AI関連株のおかげで株価指数は上がり続けています。ニュースでは『景気を支えるAIブーム』なんて言われていますけど……」
ミナトは、一度だけ笑った。
「正直、自分でもそれが、本当に誰かの役に立っているのか、分からなくなる瞬間があります。だから、今日は別のアルゴリズムを試したい。ここにいる人たちの心拍を集めて、『不安』と『希望』の波を可視化する。それを、株価じゃなくて、物語や音楽に変える。そんなAIの使い方を探したい。それが、今の夢です」
心拍センサーの画面には、色とりどりの波形が重なり始めていた。
ソウタは、古い郵便袋を抱えて前に出た。
「自分は、かつて国営だった郵便グループの不動産を、開発案件として扱う仕事をしています。最近、海外の投資ファンドから、『遊休不動産の価値をもっと引き出せ』と強いプレッシャーがかかっています」
彼は、袋を軽く持ち上げた。
「この袋の中身は、もう、とっくにどこかへ届いているはずです。でも、袋そのものは『遊んでいる資産』と見なされる。今日停車しているこの駅も、資料上は『老朽駅施設』と書かれている。だけど、ここには、誰かの夢の出発点や、待ち合わせの記憶があるはずです」
ソウタは、カメラの向こうを見た。
「数字だけじゃ測れない価値を、どうやって会社に伝えるか。それを考えて、明日、提案書を書こうと思います。旧郵便局と駅を、『夢を出す場所』として残す案を。うまくいくかどうかは分かりません。でも、出さなきゃ届かないので」
最後の言葉は、掲示板のメモと同じだった。ユメコの目が、少し潤む。
そして、ユメコの番が来た。
彼女は、ノートを胸に抱えて前に出る。
「わたしの夢は、『夢を物語にして、誰かの不安を少しだけ楽にすること』です」
ノートを開き、最初のページを指で押さえる。
「子どものころ、父が『この線路は、昔郵便を運んでいた列車の道なんだ』って教えてくれました。雪の夜、線路の上に立つと、見えない列車の音が聞こえる気がしたんです。わたしは、それを『ドリームレール』って呼んで、ずっと物語を書いてきました」
ユメコは、少し息を吸った。
「今日、予定外にここに止まったのは、たぶん、雪とレーダーと古い線路と、いろんな偶然のせいです。でも、もしかしたら、誰かの夢が、ちょっとだけ進路を曲げたのかもしれない。そう思えるような物語を、これからも書きたい。それが、わたしの夢です」
彼女の声が、旧駅舎の木の壁にやさしく響いた。
心拍センサーの波形が、ふっと静かになり、ゆるやかな山のような形を描いた。
最後に、カナエがカメラの前に立った。
「わたしの本業は、こういう撮影の進行役や、PRの仕事です。でも、もうひとつ、副業でニュースまとめチャンネル『マトメナナエ』をやっています」
彼女は、少し居心地悪そうに笑った。
「よく『また切り抜きかよ』とか、『人の不安で稼ぐな』とか、言われます。そのたびに、『でも、まとめることで情報を追える人もいるはず』って、自分に言い訳してました」
カナエは、背後の掲示板に貼られたメモをちらりと見た。
「でも、さっきここで、『夢は出すだけで届く』って言葉を見て、思ったんです。『不安』も『怒り』もまとめられるけど、『夢』もまとめられるんじゃないかって。今日は、この場所から、『夢のまとめ速報』を配信します。不安を煽るタイトルじゃなくて、一人ひとりの夢の輪郭が分かるまとめを」
レンが、その言葉に小さく頷いた。
「それと……」
カナエは、カメラを真っ直ぐ見た。
「『マトメナナエ』のナナエは、わたしの名前から来ています。でも、今日からは、ここ星見高原の『七つの小さな駅』の名前も背負いたい。全部を一気に救えるわけじゃないけど、せめて、夢を語れる場所として残せるように、仕事をしていきたい。それが、わたしの夢です」
◇
配信が終わるころ、雪は少し弱まっていた。
「ピンポンパンポン」
列車のアナウンスが、再び鳴る。
「安全確認が完了しました。当列車はまもなく、本来の目的地である星見高原駅へ向けて出発いたします」
ホームに戻る乗客たちの足音が、雪を踏む音と重なる。
「ザッ、ザッ」
ユメコは、旧郵便局の戸口で一度振り返った。
「また、戻ってこられるかな」
「戻ってきましょう」
ソウタが隣で答えた。
「個人的にも、会社としても」
レン、ミナト、カナエも、その後ろに続く。
ふと、レンは空を見上げた。
厚い雲の切れ間から、いくつもの星がのぞいている。その光が、まるで線路の行き先を示す標識のように見えた。
列車が再び動き出す。
「ゴトン、ゴトン」
車輪のリズムに合わせて、窓の外の景色が流れていく。
今度は、窓のスクリーンに、さきほどの配信のコメントが流れていた。
「『怖いニュースの話なのに、ちょっとだけ楽になりました』」
「『株の話、初めてワクワクした』」
「『うちの町の旧郵便局も、残してほしい』」
「『夢は出すだけで届く、っていい言葉だ』」
そして、一番下には、ひときわ目立つタグが流れていた。
「#Dreamレール、予定外停車、ありがとう」
ミナトのデバイスには、乗客たちの心拍データが残っている。
不安で跳ね上がった波、夢を語るときに静かになった波、笑うときに揺れる波。それらをじっと見つめながら、彼は新しいプログラムの構想を書き始めた。
株価ではなく、物語と連動するAI。誰かが夢を語ると、優しいメロディが流れる仕組み。
ソウタは、社内宛てのメールを下書きしていた。
旧星見高原駅と郵便局跡を、ドリームレール号と連携した「夢の発着所」として活用する案。収支計画の横に、小さく書き添えた言葉がある。
「数値化しづらいが、地域の誇りと記憶という無形資産が存在する」
カナエは、タブレットでテキストを打っていた。
「『マトメナナエ特集 夢は出すだけで届くのか』」
その記事の中で、彼女は初めて、センセーショナルな見出しをやめた。代わりに、レンたちの言葉を、ほとんどそのまま載せた。まとめるのは順番と背景だけ。感情は、そのまま残した。
ユメコは、ノートの最後のページを開いた。
そこには、まだ何も書かれていない。
「ねえ」
と、彼女は窓の外を見ながらつぶやいた。
「この列車が、また予定外の駅に止まる話、書いてもいいかな」
「いいと思いますよ」
レンが隣で笑う。
「そのときは、俺も付いていきます。安全保障解説付きの夢列車、悪くないでしょ」
「じゃあ、俺はBGM担当で」
ミナトが手を挙げる。
「心拍センサーから音楽を作るAI、『ハートビートコンポーザー』」
「名前がちょっとダサい」
カナエの容赦ないツッコミに、車内がまた笑いに包まれる。
「でも、いいですね。夢をまとめるって、こういうことかもしれない。みんなの役割を、ちょっとずつ持ち寄って」
列車は、やがて本来の星見高原駅に滑り込んだ。
ホームには、新しい観光案内所の看板と、その横に、小さな張り紙があった。
「『旧郵便局跡を、地域と企業とで活用する構想が検討されています』」
ソウタは、その文面を見て、小さく息を吐いた。
「早いですね」
レンが驚くと、ソウタは笑った。
「メール、思ったよりちゃんと読まれていたみたいです」
下車する人々の頭上で、駅のスピーカーが告げる。
「本日のドリームレール号の旅は、これにて終了です。皆さまの夢が、少しでも前に進みますように」
その声を聞きながら、ユメコは最後にホームを振り返った。
遠く、雪の向こうに、旧駅舎の屋根がかすかに見えた気がした。
そこから、見えない列車の音が聞こえる。
「ガタン、ゴトン」
それは、ニュースにも株価にも載らない、小さな夢の鼓動のように響いていた。
(了)
――あとがき――
今回は、「安全保障の緊張」「AI相場の高揚」「不動産の再評価」「冬タイヤの呼びかけ」「夢を乗せた列車」というアウトラインを、一両編成の臨時列車ドリームレール号に集めて物語を作りました。
隣国艦艇によるレーダー照射と同盟国の支持のニュースは、冒頭の駅の大型スクリーンと、山間部でレーダー信号が乱れて自動運転が止まる場面に対応させています。
景気後退下でもAI関連株が指数を押し上げている報道は、佐伯ミナトの仕事と葛藤、そして心拍データを音楽に変換する「株価ではなく物語と連動するAI」というアイデアとして使いました。
郵便グループの保有不動産にアクティビストが目を付けている話は、遠藤ソウタの所属するポステル不動産開発と、旧星見高原駅と旧郵便局を残すかどうかの議論に重ねています。
高速道路会社が大雪に備えて冬用タイヤ装着を促すニュースと、トレンドタグ「#冬タイヤ前線」は、通行止めと予定外停車のきっかけにし、「夢を乗せた列車」企画の記事は、PR会社ピーアールタイミス社とドリームレール号そのものの設定になりました。
ジャンルとしては、近未来寄りの現代ドラマにごく薄いSFと社会派要素を混ぜた形で、旅と成長という王道をなぞりつつも、レーダーの乱れと予定外の停車を「夢と偶然とAIの交差点かもしれない」と解釈することで、少しだけジャンルを外したラストにしています。
ニュースで扱われる安全保障や経済、不動産、気象災害は、現実には重く簡単には解決できない問題ですので、物語の中では安易にハッピーエンドにせず、「自分の仕事や表現で何を守り、どこまでを笑いに変えるか」を登場人物一人ひとりに選ばせる形で距離を取りました。
この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。




