揺れる夜のマトメタグ【2025/12/10】
スマホの画面が、真夜中の信号機みたいに赤と黄と青を同時に点滅させていた。緊急地震速報、津波注意報解除、欧州気候監視センターの速報プッシュ、謎の経済ニュース、そしてトレンド欄には「#東北震域2025」「#中独批判応酬」「#ガソ車逆襲」がぎゅうぎゅうに並んでいる。
ヘッドセットを首にかけた纏目ナナミは、その全部を指で払い落としながら、ため息をひとつ吐いた。
「……これ、全部まとめるの、ほんとに今やるの?」
目の前には、市役所の地下を改装した多目的ホール。折りたたみ椅子と配信用のカメラ、壁一面のLEDスクリーン。その上には大きく「冬前夜フェス×緊急防災スペシャル #揺れる夜まとめ生」と書かれている。
ホールの空調は壊れているのかと思うほど生暖かい。十二月のくせに、Tシャツ一枚でも汗がにじむ。さっき外に出たとき、夜空は冬なのに夏の匂いがした。
さっきの本震は、沖合で起きたマグニチュード7.5の大きな揺れだった。津波注意報はもう解除されたと、防災アプリは冷静に告げている。それでも、地下のコンクリートはときどき「ミシ」と鳴り、天井の配管が小さく震えていた。
「纏目さん、カメラ位置もう一度確認いいですか」
声をかけてきたのは白石ノボルだ。五十代、危機管理課のベテラン職員。ネクタイは外し、腕まくりをしたワイシャツの袖口には、さっきの揺れで飛び散ったホコリが灰色の帯になっている。
「どうせまた余震来ますからね。カメラ倒れにくい位置にしときたいんですよ。あ、あと自己紹介のとき、うちの課の正式名称、噛まないでくださいね」
「市役所危機管理・気候レジリエンス推進課……でしたっけ」
「惜しい。最後に“室”が付きます」
「長いんですよ。タグに入りきらないですって」
ナナミは笑ってみせるが、胸の奥は静かに波立っていた。
自分のチャンネル「マトメナ7」は、ニュースをテンポよく編集して皮肉を添え、「#今日の世界を五分で理解」みたいなタイトルで再生数を稼いできた。炎上と紙一重のギリギリを攻めることで、生活費とスタッフのギャラを払ってきた。
けれど、今この地下ホールに並んでいるのは、さっきまで避難所だった折りたたみベッドと、まだ不安で帰れない何十人もの市民だ。その前で、自分はいつもの調子で災害と外交と暑さと車とメディア戦争を「まとめ」ていいのか。
ステージ上手側の控えスペースでは、三人がそれぞれのスマホと向き合っていた。
ひとりは、長い髪をひとつにまとめた張リンフェイ。中国出身の若い記者で、国際ニュースサイト「ポリフォニア」の東湾支局に勤めている。黒いノートPCを膝に置き、画面を食い入るように見つめていた。
「また出ましたね……」
小さな声が漏れる。画面には、祖国のニュースアプリの速報が並んでいた。中国外務省の報道官が、来訪中の独国外相との会談で、日本の軍備拡大を強く非難した、とある。見出しは煽るような語句で彩られ、その下には「#中独批判応酬」「#軍拡と記憶」が踊っていた。
「リンフェイさん、それ、今日の外交コーナーで触れますか」
隣の椅子で、メガネを押し上げたアミール・ヴェラが尋ねる。彼は欧州気候監視センター「ECMA」のデータ科学者で、今回の配信では「今年は観測史上二番目か三番目に暑い年になる」というレポートを解説する役だ。
「触れないわけにはいかないですよね……でも、どの言語で、どの温度で、言えばいいのか」
リンフェイは、ノートPCの別タブに開いた日本語版と英語版の記事を交互に眺めた。SNSのコメント欄には、日本語と中国語と英語と罵倒が混ざり合っている。
「温度といえば、こっちは気温の温度を心配してるのにね」
アミールは苦笑し、自分の端末の画面を見せる。そこには、ECMAが出した最新レポートの図表が並んでいた。赤やオレンジの線が、最近数十年の気温上昇を示している。
「“今年は、記録上二番目か三番目に暑い年になる見込みです”……。このフレーズ、あなたの言葉でどう訳すか、あとで相談させてください」
「いいですよ。代わりに、私は“軍拡”って言葉の温度を下げる訳し方、考えます」
ふたりの会話に、「ぶおん」と低いエンジン音が割り込んだ。
ステージ袖に、古いワゴン車が一台、ゆっくりと滑り込んできた。横には「三浦ガレージ」の手書きロゴ。運転席から降りてきた三浦カズオは、オイルの染みた作業着のまま、照れくさそうに頭をかいた。
「いやあ、地下に車で入るなんて、普通は怒られるんだけどさ。今日は“避難用車両の展示も兼ねて”ってことで、特別に」
白石が眉をひそめる。
「安全基準の書類、あとでちゃんと出してくださいよ、三浦さん」
「出します出します。うちも最近、国際なんちゃらコンサルの調査で取材受けてさ。“世界でガソリン車の人気が盛り返してる”とか言ってたろ。あれ見た市役所の人が、“ぜひ番組でしゃべってくれ”って」
三浦は胸ポケットから折りたたまれた資料を取り出した。「#ガソ車逆襲」「#エンジン回帰」というタグのついた、派手なグラフだ。
「エコだなんだって言われて、うちの工場もEV改造ばっかりやらされてきたけどさ。結局、こういう古いエンジン車が、地震のとき一番頼りになるんだよ。充電スタンド止まっても、ガソスタさえ無事なら走れるから」
「気候科学者としては、ちょっと複雑ですけどね」
アミールが苦笑する。その肩を軽く叩きながら、低い英語混じりの声が割り込んだ。
「複雑でも、ストーリーがあればいい。視聴者は、矛盾を抱えた人間のほうを見たがる」
クロフォード・テイラーだ。ノーザンパラスト・スタジオ日本統括。高価そうなジャケットに、カジュアルなスニーカー。片手で電話会議をこなしながら、もう片方の手でスタッフに指示を飛ばしている。
「いいかい、この配信は、ただのローカル防災番組じゃない。世界中で配信される“揺れる夜スペシャル”の第一弾だ。うちの本社は今、ビジョンワークス社への一〇八〇億ドル規模の買収提案で世界を騒がせている。だからこそ、現地の生々しいコンテンツが欲しいんだ」
「その情報、ここで言っちゃっていいんですか」
ナナミが思わずツッコむ。
「もう海外の経済ニュースには全部出てる。どうせなら、こちらからも匂わせておこう。“巨大メディア戦争の片隅で、ひとつの街の地下ホールが揺れている”ってね」
「匂わせ方がヘビーなんですよ……」
ナナミは額を押さえた。
配信開始まで残り三〇分。ステージ中央の丸テーブルに、主要メンバーが集められた。
テーブルの上には、白石が用意した避難経路図、リンフェイの外交メモ、アミールの温暖化グラフ、三浦のエンジンパーツ、クロフォードの売上予測資料、そしてナナミの台本が、ぐちゃぐちゃに重なっている。
「では、段取りを確認します」
白石が真面目な顔で口火を切る。
「第一部、防災の基本。津波注意報が解除されたあとも気を抜かないポイント。第二部、今年の異常な暑さと気候変動。第三部、国際情勢と地域への影響。第四部、モビリティのこれから。第五部、メディアの役割。こんな流れで」
「第六部は」
クロフォードが手を挙げる。
「視聴者投げ銭の分析と、来週のスピンオフ企画の告知だ」
「そんな部、聞いてません」
ナナミが即座に突っ込む。
「いや、重要だよ。“お金の避難経路”ってテーマで」
「避難するのは人ですから」
「人がお金を持って避難するから、両方ですよ」
「論点をうまくずらさないでください」
テーブルを挟んで、妙なコントが始まる。三浦は笑いをこらえきれず、肩を震わせた。
「じゃあさ、俺のコーナーは、“ガソリン車でいくら稼げるか”じゃなくて、“どれだけ人を運べるか”って話にしますよ」
「そう、それ。人を運び、情報を運び、お金も……」
「最後のは今切りました」
ナナミが指で空中のテロップをつまむジェスチャーをすると、白石も少しだけ笑った。
「いいですね、そのノリ。避難訓練って、真面目なだけだと誰も参加したがらないので」
笑い声が、地下ホールの天井にふわりと浮かぶ。だが、そのすぐ上で、目に見えない断層が静かに歯を鳴らしていることを、誰も知らない。
ホールの片隅では、避難してきた子どもたちが、簡易マットの上でカードゲームをしていた。年配の女性が、紙コップの味噌汁を配っている。非常用照明の白い光が、全員の顔を少し青く見せていた。
「配信開始一五分前です」
スタッフの声が響く。頭上のスピーカーからは、例の「ピンポンパンポン」というチャイムが鳴り、防災センターの自動アナウンスが流れる。
『本日の津波注意報は、すべて解除されました。しかし、余震には十分ご注意ください。地下二階の多目的ホールでは、防災情報の生配信を行っています。ご希望の方は……』
「希望じゃなくて、もうみんなここにいるんだけどな」
ナナミが小さくつぶやく。ヘッドセットを耳にかけ、マイクを口元に寄せると、自分の心拍の速さまで拾われそうな気がした。
彼女の視界の隅で、スマホの通知バナーがまた光った。
《速報 ノーザンパラスト・スタジオ、ビジョンワークス社への敵対的買収提案を正式発表》
《速報 中国外務省、日本の軍拡を「地域の脅威」と非難》
《速報 欧州気候監視センター 「2025年は観測史上二番目か三番目の暑さ」と予測》
ニュースアプリは、容赦なく世界を投げ込んでくる。
「……ねえ白石さん」
「はい」
「この配信、ほんとに“まとめ”ていいんですよね。切り貼りして、笑いも入れて」
白石は少し考え、ゆっくりと首を振った。
「笑いは、必要だと思います。でも、今日の笑いは、“ごまかす笑い”じゃなくて、“怖さをはっきり見たうえで、それでも前に踏み出すための笑い”でいてほしいです」
「そんな上手いこと言います?」
「うちには、危機管理ヒーロー物の古い特撮DVDコレクションがあるんですよ。名台詞は全部覚えています」
「それ、今度配信で取り上げましょうか」
「勘弁してください」
ふたりは、ほんの少しだけ緊張をほぐし合った。
照明が落ち、ステージにだけスポットライトが当たる。ナナミはセンターに立ち、背後の巨大スクリーンには、青い世界地図と真っ赤な震源マークが浮かび上がっていた。
「……マイク、入ります」
ディレクターの声。三、二、一――指が静かに折りたたまれていく。
「こんばんは。マトメナ7こと、纏目ナナミです」
声が少し震えたが、マイクがその震えを優しく包む。
「ここ、東湾市役所の地下ホールから、“冬前夜フェス×緊急防災スペシャル #揺れる夜まとめ生”をお送りします。さっきの大きな揺れで、不安な人も多いと思います。でも、今この場所には、専門家と、現場の声と、そして、画面の向こうの皆さんがいます」
背後のスクリーンに、世界中からのコメントが流れ始める。日本語、英語、中国語、絵文字。視聴者数のカウンターが、ゆっくりと、しかし確実に増えていく。
「第一部は、防災の基本。市役所危機管理・気候レジリエンス推進……」
「室です」
ステージ袖から小さく聞こえる白石のツッコミに、会場から笑いが起きる。
「……推進室の白石さんに、お越しいただきました」
白石がステージに上がり、避難経路図を掲げる。そのときだった。
「――ゴゴゴゴ」
低い地鳴りのような音が、地下の床を這った。照明がかすかに揺れ、スクリーンの端にノイズが走る。
「揺れます!」
白石の声と同時に、天井のスピーカーからも緊急地震速報のチャイムが重なった。
『強い揺れに警戒してください。強い揺れに――』
椅子に座っていた市民たちが、一斉に顔を上げる。カメラがぶれ、ライトがきしみ、ナナミの足元でステージ板が「ミシッ」と鳴った。
「しゃがんで、頭を守って!」
白石の指示が飛ぶ。避難訓練で何度も聞いたフレーズだが、今は本物だ。
ナナミもマイクを握ったまま、片膝を付き、カメラの向こうへ叫ぶ。
「画面の前の人も、立ってるならしゃがんで、棚から離れて! ツイートするのは、揺れが収まってから!」
「今の“ツイート”って言い方、もう古いんじゃ……」
三浦の小声のツッコミが聞こえたが、誰も拾わない。
揺れは、思ったより早く収まった。だが、地下の空気は一段と重くなったように感じられた。
数十秒の沈黙。非常用電灯の緑のランプだけが、かすかに瞬いている。
「……落ち着いてください。今のは、本震の余震と考えられます」
白石が、少し息を切らしながらマイクを受け取る。
「津波の心配は、今のところありません。念のため、最新の情報が入り次第、お伝えします」
観客席から、ほっとしたため息と、まだ収まらないざわめきが混じった音が立ち上る。
ナナミのイヤホンに、ディレクターの声が飛び込んできた。
「視聴者数、一気に跳ね上がりました。世界同時視聴、一〇万越えです」
その数字が、スクリーンの隅に小さく表示される。桁がひとつ増えるたびに、ナナミの胸の中で、不快な鼓動もひとつ増えた。
「……このまま続けるの?」
思わず口にすると、反対側のイヤホンから、クロフォードの声が重なった。
「もちろんだ。今の揺れは、番組にとっては“最高のリアル”だ。視聴者は、現場の声を聞きたがっている」
「“最高”って言葉、選び直してもらえません?」
ナナミは、かすかに怒りをにじませる。
クロフォードは、一瞬だけ黙り、言い直した。
「失礼。“最も貴重な”だ。君たちが無事なら、なおさらね」
「そこに“なおさら”を付けたのは、評価します」
ナナミは、息を整え、再びカメラを見据えた。
「では、第二部に進みましょう。今年の、この変な暑さの話です」
アミールがステージに上がる。背後のスクリーンには、色とりどりの折れ線グラフが広がった。横軸には年、縦軸には世界の平均気温。最新の線は、上へ上へと伸び、2025年のところで赤く点滅している。
「こんばんは。アジア拠点から来ました、アミール・ヴェラです」
日本語に少しだけアクセントが混じる。
「今、外に出て“なんか暑いな”と感じている人、多いと思います。うちのセンターの分析では、今年は記録が始まってから二番目か三番目に暑い年になる見込みです」
スクリーンに、「#2025猛暑記録塗り替え?」という仮タグが浮かぶ。
「もちろん、地震そのものは、気候変動とは直接関係がありません。でも、海面温度が高いと、津波のエネルギーの伝わり方や、沿岸のインフラの負担は変わってきます。暑さに弱い人が避難所で体調を崩すリスクも、増えます」
「数字で見ると、どうしても“遠い話”に聞こえますが」
ナナミが補足する。
「今このホールがこんなに蒸し暑いのも、配信用のライトだけのせいじゃないわけですね」
「そう。だから、冷房の電気代を節約することと、人の命を守ることのバランスを、政治も、市民も、考えないといけない」
アミールはそう言いながら、観客席の子どもたちを見た。カードゲームをしていた少年が、汗で額を光らせながらも、真剣な眼差しでスクリーンを見つめている。
そのとき、ナナミのスマホがまた震えた。
画面には、別の通知。
《新着トレンド #ノーザン対ビジョン》《新着トレンド #軍拡と抑止》《新着トレンド #ガソ車逆襲》
世界は、どの話題を一番上に置くかで、いつも揉めている。
ナナミは一度深呼吸し、第三部へと話を繋いだ。
「次は、その“揉めている世界”の話です。張リンフェイさん」
リンフェイが、ノートPCを抱えてステージに上がる。スクリーンには、三つの国旗が並んだ。日本、中国、独国。それぞれの旗の上に、ニュースサイトの見出しが浮かんでいる。
「さっきも速報が出ましたが」
リンフェイは、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「中国外務省の報道官が、独国の外務大臣との会談で、日本の防衛費増額と軍備の近代化を“地域の安定を脅かす”と批判しました。日本側は、“専守防衛の範囲内だ”と説明していますが、ネット上では“どちらが挑発しているか”という論争が続いています」
スクリーンに、「#中独批判応酬」「#歴史と安全」という文字が流れる。
「私は中国出身で、日本で記者をしています。そのせいで、どちらの国のSNSでも、“裏切り者”“スパイ”と書かれることがあります」
客席が、少しざわつく。
「でも、今日ここで見ている風景は、とてもシンプルです。揺れて、怖くて、隣の人の安否が気になって、でも、仕事や生活費のことも頭から離れない。そういう人たちが、ここに、そして画面の向こうにいる」
リンフェイは、観客席の一番前に座る老夫婦に目を向けた。彼らは手を握り合いながら、静かに頷いている。
「だから、私は今日、“どちらの国が悪いか”じゃなくて、“どうすれば、揺れている土地で生きている人たちを、遠くからでも支えられるか”を考えたい」
コメント欄が、一瞬だけ静かになり、やがて拍手の絵文字で埋まっていく。
「リンフェイさん」
ナナミがそっと尋ねた。
「それ、あとでカットされたくないですよね」
「ええ。だから、今ここで生で言いました」
ふたりは、目だけで笑い合った。
「第四部は、車の話です。三浦さん」
三浦が、ステージ袖のワゴン車を軽く叩いてから、ゆっくりと前に出る。背後のスクリーンには、古いガソリン車と最新の電動車が並ぶイラストが映った。
「どうも。“三浦ガレージ”の三浦です」
照明を浴びた作業着の油染みが、妙に誇らしげに光る。
「最近、“世界でガソリン車がまた人気だ”ってニュース、見た人いますかね」
少し手が上がる。
「なんか、電気自動車のインフラが追いつかないとか、電池の原料がどうとか、いろいろ理由はあるみたいだけど。正直に言うと、うちみたいな工場は“やっと仕事が戻ってきた”ってホッとしてます」
スクリーンに、「#ガソ車逆襲」「#エンジンの声を聴け」という文字が躍る。
「でも、今日ここで車の話をするのは、“エンジン最高”“環境なんて知らん”って言いたいからじゃないです」
三浦は、観客席にいる若い母親と小さな子どもを見た。
「さっき、この子たちを一時的に高台の学校まで運んだのは、この古いガソリン車でした。EVももちろん大事。でも、災害の現場では、“今ここで確実に動くもの”が一番価値がある。だから俺は、“ガソリン車を残せ”じゃなくて、“どの車がどんなときに役に立つか、ちゃんと考えて使い分けよう”って言いたいんです」
コメント欄に、「うちの街も同じ」「田舎だとEV無理」といった現実的な声が並ぶ。アミールが、少しだけ微笑んだ。
「エンジンの音がうるさいって怒られることもあるけどさ」
三浦は、軽く笑ってワゴン車のキーを回した。
「ぶおおおん」
地下ホールに、低いエンジン音が響く。その振動が、なぜか心地よく感じられた。
「この音がうるさいって思う人もいれば、“まだ動いてくれる”って安心する人もいる。たぶん、それが今の世界の矛盾なんでしょうね」
「うまくまとめましたね」
ナナミが感嘆の声を漏らす。
「まとめ役は、そっちに変わってもらおうかな」
「いやいや、俺、カメラ向けられると汗止まんなくなるんで」
実際、額からは汗がだらだらと落ちていた。それが気候のせいなのか、緊張のせいなのか、誰にも判別できない。
「第五部、メディアの話です」
ナナミが言うと、クロフォードがステージに上がる。背後のスクリーンには、世界各地の都市の夜景と、そこに浮かぶ無数の画面のサムネイルが重ねられた。
「こんばんは。ノーザンパラスト・スタジオのクロフォードです」
日本語に英語の韻が混ざる。
「うちの会社は今、世界中のニュースで取り上げられています。“巨大メディアが、別の巨大メディアを飲み込もうとしている”と」
スクリーンに、「#ノーザン対ビジョン」「#メディア再編」の文字が躍る。
「僕たちは、よく“視聴者のために”と言いますが、正直に言えば、視聴率や広告収入のために動くことも多い。さっきの余震で視聴者が一気に増えたとき、僕は一瞬、“やった”と思ってしまった」
会場の空気が、少しだけ冷たくなる。
「でも、そのすぐあとで、このホールでしゃがんで頭を抱えていた人たちの顔が、頭に浮かびました。それから、“さっきのやった、は取り消しだ”と思いました」
クロフォードは、ポケットから小さな紙片を取り出した。そこには、ナナミの配信チャンネルの名前と、今日の企画書の一部が書かれている。
「今日、僕がここに来たのは、視聴率のためだけじゃないと、自分にも言い聞かせたいからです。巨大メディアがどうであれ、ローカルな場所から、本当に必要な情報と、ちゃんと怖がるための笑いを世界に届ける。もしうちの会社がビジョンワークスを飲み込んだとしても、こういう番組は、絶対に削らせないつもりです」
「……今の、録画残しますからね」
ナナミが念を押す。
「好きに使ってくれ。上層部が見たら、ちょっと顔をしかめるだろうけど」
クロフォードは、肩をすくめて笑った。
その瞬間だった。
スクリーンに、新しい赤いテロップが走った。
《緊急速報 沖合で再び大きな地震 マグニチュード7クラスの可能性 津波警報の有無は現在確認中》
同時に、天井のスピーカーから、さっきよりも鋭いチャイムが鳴り響いた。
「ピンポンパンポン――」
地下ホールの空気が、一瞬で凍る。
スクリーンが、見る間に複数の窓に分割されていく。
左上には、新しい震源マップ。赤い円が、さっきよりも岸に近い場所で点滅している。
右上には、最新の気象衛星画像。暗い海の上に、まだ高い海面温度を示す色が広がっている。
左下には、さっきリンフェイが紹介した外交会見の続報。中国語と独語の見出しが、日本語訳とともに流れ、「地域の緊張が高まる」と強調されている。
右下には、経済ニュースの速報テロップ。「ノーザンパラスト・スタジオの買収提案に対し、ビジョンワークス社が“敵対的だ”と声明」の文字。
その上から、トレンドタグの帯が斜めに走る。「#東北震域2025」「#中独批判応酬」「#2025猛暑記録塗り替え?」「#ガソ車逆襲」「#ノーザン対ビジョン」。
まるで、世界のうねり全部が、この地下ホールに押し寄せているかのようだった。
「白石さん!」
ナナミは、ステージ袖にいる白石を振り向く。
「津波、来ますか?」
白石は、耳に当てた無線機から流れる情報を、必死で聞き取っていた。顔には、長年の訓練でも隠せない緊張が浮かぶ。
「まだ“警報”は出ていません。でも、“注意報以上になる可能性がある”という情報も……」
「避難、始めますか」
「公式発表前に動くと、混乱するかもしれない。でも、この地下にいる人だけでも、上の階に移動させておいたほうが安全です」
白石の視線が、ナナミと、クロフォードと、客席の人々を、ぐるりと巡る。
「纏目さん。この配信、“避難番組”に変えられますか」
ナナミの胸に、強い鼓動が打ち付けた。
彼女の頭の中には、瞬時に、いくつもの計算が走った。視聴者の期待、スポンサーのロゴ、本社の意向、炎上のリスク、広告収入、スタッフの給料。画面の向こうで、ただ“面白い危機”を求めているかもしれない人たちの顔。
そして、ここで膝を抱えている子どもたちの顔。
「……変えます」
ナナミは、マイクを握り直した。
「クロフォードさん。番組タイトル、今ここで変えていいですか」
クロフォードは、一瞬だけ迷い、それからゆっくりと頷いた。
「いいだろう。どう変える」
「“冬前夜フェス×緊急防災スペシャル #揺れる夜まとめ生”から――」
ナナミは、スクリーンの端に映る自分の姿を見つめた。そこには、ニュースを軽くいじって笑いに変える“マトメナ7”のキャラクターが映っている。
「“冬前夜フェス×緊急避難ライブ #今ここにいる顔まとめ”に」
ディレクターが、慌ただしくキーボードを叩く。スクリーンのタイトルが、瞬く間に書き換えられる。トレンド欄に、「#今ここにいる顔まとめ」という新しいタグが追加される。
「番組の方針を変更します」
ナナミは、カメラを真正面から見据えた。
「これから、ここにいる人たちを、安全な場所へ誘導します。その様子を、そのままお届けします。“恐怖を消費する映像”じゃなくて、“怖がりながら動く人たちの背中”を、世界に見せたいと思います」
クロフォードのイヤホンに、本社からの英語の怒号が飛び込んでくる。彼は一瞬だけ顔をしかめ、それからマイクをオンにした。
「こちらノーザンパラスト・スタジオ日本。現場判断で、番組方針を変更します」
英語で、簡潔に。本社の重役たちが、モニターの向こうで顔をしかめる姿が目に浮かぶ。それでも彼は続けた。
「この映像は、会社の買収交渉にも使える。“数字だけ見ている巨大メディア”か、“現場で揺れている人を映すメディア”か。どちらが価値があるか、視聴者に決めてもらいましょう」
「それ、かなり挑発的ですよ」
ナナミが苦笑する。
「さっき、“敵対的買収”って言っただろ。今日は少しだけ、“敵対的部下”にもなってみるよ」
クロフォードは、悪戯っぽくウインクした。
白石は、マイクを受け取り、落ち着いた声で指示を出し始めた。
「では、地下二階にいる皆さん、慌てずに立ち上がってください。階段の位置は、こちらの矢印に従ってください。走らず、押さず、しゃべりすぎず。車椅子の方、小さなお子さん連れの方は、近くの人が声をかけてください」
スクリーンの左側には、避難経路図が大きく映し出され、矢印がゆっくりと動いていく。
アミールは、避難を手伝いながら、カメラに向かって短く付け加えた。
「もし今、別の街でこの配信を見ているなら、自分の家や職場の避難経路を、この機会に確認してください。暑さも、地震も、国境を選びません」
リンフェイは、観客席の一番後ろから、スマホで多言語字幕の案を打ち込み始めた。
「中国語と英語の視聴者向けに、“今ここで起きていること”を、正確に伝えます。誤訳や煽りのない言葉で」
彼女の頭の中では、同時に祖国の家族の顔も浮かんでいた。今夜の配信を見て、何を思うだろうか。
三浦は、ワゴン車の後部ドアを開け、臨時の荷物置き場として使い始めた。
「お年寄りの荷物、こっちに置いてください。階段、なるべく身軽で上がりましょう」
子どもが、不安そうにエンジンを見上げる。
「この車、また動くの?」
「動くよ。もし津波が来るようなことがあったら、上の階に運んだあと、さらに高い場所に向かうのに使うつもりだ」
「ガソリン、もったいなくない?」
「命より安いガソリンはないよ」
三浦の言葉に、子どもは少しだけ笑った。
カメラのひとつが、ゆっくりと引いていく。
地下ホール全体が、スクリーンに映し出される。避難する人々の列、エンジンの横を通り過ぎる子ども、図面を掲げる白石、字幕を打ち込むリンフェイ、汗を拭きながら車椅子を押すアミール、電話で本社とやり合うクロフォード。
その中心で、ナナミがマイクを持ち、ひとりひとりの顔をカメラに向けていく。
「お名前と、今一番心配していることを、教えてもらえますか」
彼女は、列の先頭にいる老夫婦にマイクを向けた。
「孫が、沿岸部の町で働いていてね。連絡がまだつかないのが心配だよ」
「でも、ここでこうして人が動いているのを見ると、少し安心します」
老夫婦は、カメラの向こうの誰かに向けて微笑んだ。
次に、子どもを抱いた若い母親。
「仕事がシフト制で、地震が来てもなかなか休めないのが不安です。でも、こうやって“仕事と防災”の話をしてくれる人がいるって分かっただけでも、救われた気がします」
ナナミは、ひとつひとつの言葉を胸に刻みながら、マイクを渡していく。
コメント欄が、静かに変わっていく。「怖い」「やば」「神回」といった軽い言葉に混じって、「うちも避難経路確認した」「祖父母に電話した」「給料日の前だけど募金した」といった、ささやかな行動が報告され始める。
ディレクターが、ナナミのイヤホンにささやいた。
「視聴者数、さっきより減りました。でも、コメントの密度は、今がいちばん濃いです」
「それで、いいです」
ナナミは、はっきりと答えた。
階段を上りきったところで、白石の無線機が短く鳴いた。
「こちら危機管理・気候レジリエンス推進室。最新情報を共有します」
耳に当てた無線機から、上司の声が聞こえる。
『先ほどの地震について。津波警報ではなく、注意報が発表されました。ただし、波の高さはあまり大きくない見込みです。沿岸部には引き続き注意を呼びかけますが、内陸のこの施設については、現時点で大きな危険はありません』
白石は、小さく安堵の息を吐いた。
「皆さん、安全のために上の階に移動していただき、ありがとうございます。このまましばらく、ここで様子を見ましょう」
避難を終えた人々が、体育館のような広いフロアに集まる。窓の外には、冬だというのに白く霞んだ夜空。街の灯りが、熱で揺れているように見えた。
ナナミは、カメラをその窓の方へ向ける。
「今、外の海は、少しだけ高くなって、また静かになろうとしています。世界のニュースも、今は騒がしくて、いつか静かになるかもしれません。でも、その間に、私たちは何度も揺れる」
彼女は、自分の胸に手を当てた。
「今日、私は“まとめ配信者”として、ニュースを面白く切り貼りして見せるつもりでここに来ました。でも今、目の前にあるのは、切り貼りできない顔と声ばかりです」
スクリーンに、「#今ここにいる顔まとめ」のタグが、静かに輝く。
「だから今日は、“まとめ”を変えます」
ナナミは、カメラから目を逸らさずに言った。
「今日起きたことを、五つのニュースじゃなくて、五つの“顔”で覚えていてください。揺れの中で避難経路図を掲げた白石さん。暑い夜に、これからの気温の話をしてくれたアミールさん。国と国の間で揺れながら、ここにいる人たちの言葉を選んでくれたリンフェイさん。古いエンジンで人を運んでくれた三浦さん。そして、巨大メディアの中で、現場の番組を守ろうとしているクロフォードさん」
画面には、それぞれの顔がアップで映し出される。汗、疲れ、笑い、迷い。その全部が、そのままの解像度で。
「ニュースのタグは、いつか流れていきます。でも、“あの夜の顔”は、誰かの記憶の中で、ずっと残るかもしれない」
ナナミは、最後に自分自身の顔をスクリーンに映した。
「そして私、纏目ナナミは、“まとめる”ことで誰かを傷つけたことがあったかもしれないと、今夜やっと気づきました。これからは、“笑って終わり”じゃなくて、“笑ったあとに、ちょっとだけ動きたくなるまとめ”を作っていきたいと思います」
コメント欄に、「推します」「新しいマトメナ7、期待」「今日のまとめ、保存した」といった文字が並ぶ。
クロフォードのスマホに、本社からのメッセージが届いた。
《今日の番組、社内で物議。だが、視聴者の反応データは良好。現場判断、尊重する》
彼は、小さく笑い、画面をリンフェイとアミールに見せた。
「ほらね。世界を動かすのは、数字だけじゃないけど、数字もたまには味方になる」
ホールの照明が、少し落とされる。避難のざわめきが収まり、代わりに静かな話し声が広がっていく。
白石は、ポケットから、小さなキーホルダーを取り出した。古い特撮ヒーロー「クライシスマン」のミニフィギュアだ。
「さっき、“危機は笑って真正面から”って台詞、頭の中で何度も再生してました」
ナナミが覗き込む。
「それ、今度、配信で……」
「だから勘弁してくださいって」
ふたりは笑う。その笑いの中に、さっきより少しだけ軽い空気が混じっていた。
アミールは、窓の外の夜空を見ながら、タブレットにメモを書き込んでいた。
《ケーススタディ ある沿岸都市の、十二月の夜。地震、津波注意報、異常高温、国際緊張、メディア再編。すべてが重なったとき、人々は何を優先したか》
「そのレポート、学会だけじゃなくて、一般の人にも読めるようにしてくださいね」
リンフェイが、隣でコーヒーを飲みながら言う。
「もちろん。難しい式は、裏ページに隠します」
「私は、今日の配信について、三か国語で記事を書きます。“敵”とか“味方”とかじゃなくて、“同じ夜を共有した人たち”って言葉で」
三浦は、避難が一段落したフロアの隅で、ワゴン車のエンジンを静かに止めた。
「ガソリン、結構使っちゃいましたね」
ナナミが、紙コップのお茶を差し出す。
「いいさ。あんたの今日の“まとめ”のほうが、ずっと燃費よかったよ」
「エンジンじゃなくて私が燃え尽きないように、今度うちのチャンネルのスポンサーになってください」
「うちの工場、そんな余裕ないって」
ふたりは笑いながら、横に並んで床に座り込んだ。
遠くの海は、静かに息をついている。国と国の言い合いも、巨大メディアの駆け引きも、この街の夜には、今のところ直接は届かない。それでも、スマホの画面には、世界中からのコメントが流れ続けていた。
《あのタグ、明日も残っててほしい》《仕事帰りに防災グッズ買う》《車の点検、予約入れた》《親に電話した》
ナナミは、そのひとつひとつを読みながら、ゆっくりと目を閉じた。
「……この夜を、明日もまとめ直そうかな」
誰にともなく呟いたその言葉は、配信のマイクには乗らなかった。だが、隣でお茶を飲んでいた白石と、少し離れた椅子に座っていたクロフォードには、はっきりと届いていた。
「そのときは、またここを使ってください」
白石が言う。
「スポンサー枠は、うちの会社が押さえておくよ」
クロフォードも、肩をすくめながら言った。
ナナミは、少しだけ照れくさそうに笑った。
地上に出る階段の向こうには、まだ蒸し暑い冬の夜気が待っている。地球は少しずつ熱を溜め続け、国境線は言葉の火花を散らし、車は今日もどこかでエンジンを鳴らし、巨大メディアは数字を追いかける。
それでも、この街の誰かは、明日の朝も、防災マニュアルと配信台本をカバンに入れて出勤するだろう。
そして、誰かのスマホのトレンド欄には、こう表示されるかもしれない。
「#東北震域2025」「#中独批判応酬」「#2025猛暑記録塗り替え?」「#ガソ車逆襲」「#ノーザン対ビジョン」――そして、その少し下に、ひっそりと。
「#今ここにいる顔まとめ」
それをタップした誰かの画面に、今夜の地下ホールの光景と、揺れながらも笑っていた人たちの顔が、そっと浮かび上がる。
そのとき、この夜の“まとめ”は、ほんの少しだけ、世界を変えるのかもしれない。
(了)
――あとがき――
今回の物語は、沿岸部で起きたマグニチュード7.5級地震と津波注意報解除のニュースを、地下ホールという一つの空間に閉じ込める形で再構成しました。中国の外務当局が独国外相に向けて日本の軍備増強を批判した報道は、張リンフェイの葛藤と、多言語コメント欄のざわめきとして描きました。欧州系の気候監視機関が「今年は観測史上二番目か三番目に暑い年になる」と伝えた内容は、アミールのグラフと蒸し暑い十二月の夜気に変換しています。加えて、世界でガソリン車人気が戻りつつあるという調査報告を三浦の生活実感に、巨大映像会社による他社への敵対的買収提案をクロフォードの電話越しのプレッシャーとして折り込みました。
ジャンルとしては、近未来寄りの社会派ドラマと群像劇を基調にしつつ、ラストはあえて“世界は急に変わらないが、人のまとめ方は変えられる”という穏やかな方向に着地させています。災害や地政学リスクそのものを解決する展開ではなく、配信という枠組みをどう使い直すかに焦点を置いたので、王道のクライマックスよりは静かな余韻を狙いました。
現実の報道は、被災した方々や当事国の人々に直接関わる重い事実です。この物語では、固有名詞や具体的な数字をわずかにもじりつつ、ニュースに触れたときの感情や生活の揺れをフィクションとして切り取ることを意図しました。実際の政策判断や安全情報については、必ず公的機関や信頼できる報道を参照してください。そのうえで、こんな物語が「タグの向こう側にいる顔」を少しだけ想像するきっかけになれば幸いです。この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。




