表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
296/337

白線調整官の祝祭【2025/12/04】

 冬の広場に、光る白線が一本、すっと引かれていく。

 九条ミサトは膝をつき、冷たい石畳に指先で触れた。白線はただの塗料ではない。街の拍子をそろえるための、市公認のアルゴリズムライン。その夜だけ、歩行者の流れも、歓声の波も、ここを基準に調整される。

 頭上のスクリーンには、巨大な文字が躍っていた。

 

 「冬のサービス祭 リアルタイム指標、今夜も高水準です」

 

 サービス業の景気感を示す指数が、今月も予想より強い――と、スタジオのアナウンサーが笑顔で告げる。数字の横には、生中継予告のロゴが並ぶ。

 

 FNS歌宵祭 開演まであと三〇分。

 ゲームイベント「PS伍の最高瞬間」同時開催。

「京元大雅誕生祭2025」サプライズ企画進行中。

 朝のバラエティ「ラヴィっ都」特別生ロケ。

 マンガ読んでポ活 現地ミッション受付中。

 

 祝祭と企画とポイントと、あらゆる「消費のきっかけ」が、この広場に詰め込まれている。

 

 「ミサトさーん、ライン、もうちょい右です」

 

 声をかけてきたのは、小さなジンバル付きカメラを構えた女の子だった。パーカーの胸には「まとめ菜々ログ」と刺繍されている。

 

 「纏目ナナ。現場でその名前を連呼するなって言ってるでしょう」

 「でもブランドですから。今日のまとめ動画、広告単価が跳ねる予感しかしないんですよ。サービス指数も上向き、歳末特需、案件祭り」

 「その話はあと。白線、何センチ」

 「体感で五センチ右。あ、いえ、視聴者のチャット的には、『もう一歩だけ寄せて』って」

 

 ナナが端末を振ると、コメントの帯が空中に浮かんだ。「画角的にもう少し右」「屋台の牡蠣が映るように」と、匿名の声が白線の行方にまで口を出してくる。

 

 ミサトはため息をつき、白線スプレーを握り直した。

 

 「……広場の安全を調整するのは市役所。チャットじゃない」

 「でも同時に、広場の空気を調整するのは、視聴者ですよ」

 

 ナナは悪びれずに笑い、すでに一〇万人を超えている視聴者数を見せつける。画面の隅には、小さくニュースが流れていた。

 

 同性同士のカップルが、婚姻を認めない現行制度は違法ではないか――最高裁の判断を求める集団訴訟が、ついに大法廷に回付されたという速報。

 

 ミサトの胸の奥が、かすかに硬くなる。

 白線の先、広場の隅には小さなレインボーの旗が見えていた。原告団を支える団体のブースだ。そこには、見慣れた横顔もいるはずだった。

 

「ミサトさん?」

 「……なんでもない。ナナ、配信のタイトル、もう決めたの?」

 「はい、『サービス指数も恋も上げたい夜』で行きます」

 「過剰なまとめ禁止」

 

 軽口を交わしながら、ミサトは白線の位置を微修正する。広場の中心に描いた一本の線。それは人の波を割る境界であると同時に、拍手と歓声を響かせるための音楽的な「リズムの基準」でもあった。

 

     ◇

 

 広場の一角、青い暖簾の屋台から、潮の匂いがかすかに流れてくる。

 「海崎水産」と染め抜かれた布の向こうで、海崎カイがスマートレジの画面と格闘していた。表示には無情な文字が並んでいる。

 

 「牡蠣仕入れ価格 前月比 二倍」

 

 「……笑えないな」

 

 カイは頭を掻き、屋台のメニュー札を睨んだ。看板商品の焼き牡蠣、牡蠣フライ丼、牡蠣出汁スープ。冬の書き入れ時だというのに、海は赤潮と高水温で不作続き、養殖場の多くが休業中だ。

 

 「海崎さん、現実から目をそらしてませんか」

 

 ひょいと顔を出したのは、御手洗ソラだった。首から下げた社員証には、スタートアップ企業「ポ活ラボ」のロゴ。

 

 「こっちはこっちで現実ですよ。うちのアプリ、『マンガ読んでポ活』、今夜のミッションに『海崎水産で牡蠣を食べる』を入れちゃったんですから」

 「聞いてないぞ、それ」

 「だって、牡蠣と言えばここだって、営業資料にも書きましたし」

 「営業資料から修正しろ。牡蠣が無いんだ」

 「えっ」

 

 ソラの目が、現実を認識するまで三秒ほどかかった。

 

 「えっ、って、えっ。屋台の名前に牡蠣が入ってますよ?」

 「看板は過去の栄光だ。今あるのは、代替メニューの陸牡蠣風コロッケだけ」

 「陸牡蠣風って、ただのコロッケでは」

「そこを『風』でごまかすのが、サービス業だろうが」

 「いやそこは、実態に即した表示を……」

 

 ソラが理屈っぽく突っ込むたびに、カイはコロッケの山を指で叩く。

 

 「コロッケ、ポコポコ、リアル在庫。アプリ上では何百個でも増やせるんだろ?」

 「在庫を増やすアプリじゃないです。マンガ読ませてポイント付けるアプリです」

 「じゃあそのポイントで、牡蠣を育ててくれ」

 「無茶振りにも程がある」

 

 やり取りは完全にコントだったが、笑いの下に流れる焦燥は本物だった。カイはこの冬の売り上げで、借りたばかりの冷蔵コンテナのローンを払わなければならない。ソラの会社も、次の投資ラウンドがこければ一気に資金繰りが悪化する。

 

 「そういえばさ」

 

 ソラがふと、頭上のスクリーンを顎で指した。

 

 「サービス業の指数、また上がったって。街は元気ってことになってるけど」

 「うちの帳簿には、その元気、まだ届いてないな」

 「ですよねえ……」

 

 ふたりの溜息が重なったところで、白線の端が屋台の前まで伸びてきた。

 

 「そこから先は、立ち止まり禁止エリアになります」

 

 ミサトが顔を出し、ヘルメットのバイザー越しにふたりを見た。

 

 「九条さん。うちの列、切らないでくださいよ。ポ活ミッション、ここからですよ?」

 「列がここを越えると、緊急車両の動線と重なるの。アプリのミッションも動線表も、両方守りたいから、白線で折り返す」

 

 ミサトは、白線をくるりと曲げた。即席の迷路のように、屋台の前に折り返しゾーンができる。

 

 「おお、これ、ゲームっぽいですね」

 「ソラ、写真撮って『リアル迷路行列ミッション』にしていい?」

 「広告費次第で」

 

 ナナがすかさずカメラを構え、迷路と屋台と看板を一枚に収める。テロップが踊る。「牡蠣不足でも笑って並べる冬の知恵」。

 

     ◇

 

 「羽鳥工房ハゴエ」。朱塗りの看板の下、色とりどりの羽子板が風に揺れていた。

 

 「今年の顔、そろいましたねえ」

 

 ミサトが覗き込むと、職人の羽鳥ハゴエが、丸眼鏡の奥で目を細めた。板には、今世紀最大のホームラン記録を打ち立てた二刀流選手や、脱炭素政策を掲げた新顔の政治家、街の子どもたちに人気のVチューバーなど、さまざまな「二〇25年の人々」が描かれている。

 

 「でも、一枚だけ、まだ真っ白」

 

 ミサトが指差した板には、下書きも何もない。

 

 「それはね、今夜決めるんだよ」

 「今夜?」

 「この広場から生まれる『ニュースの顔』を、目で見て決めたい。景気の指数も、トレンドのタグも、たしかに時代の顔だろうけどさ。絵にするときには、ちゃんと、手触りがあるものを描きたいと思って」

 

 ハゴエは、白い板をそっと撫でた。

 

 「たとえば、あの子たちとかね」

 

 指先の先、レインボーの旗のブースでは、同性カップルと支援者たちが、署名を集めている。テーブルには、説明パネルが並んでいた。

 

 「性別の違うカップルと同じように、婚姻を認めてほしい。違うのは性別だけだって」

 「最高裁の判断で、何か変わるかな」

 「変わると信じている人の顔は、もうここにあるよ」

 

 ミサトは、旗のそばに立つふたりの女性を目で追った。片方は、日本国籍。片方は、東アジアの小さな国の出身。姓の違うふたりは、長年連れ添っているのに、戸籍上は「他人」のままだ。

 

 そのうちのひとりが、ミサトに気づいて、軽く手を挙げた。母。その隣で、もうひとりの母が、少し照れたように笑う。

 

 「九条さん」

 

 背中をつついたのは、ナナだった。

 

「取材、行きます?」

 「……公務中だから。線からはみ出ないところまでなら」

 

 ミサトは、白線の内側ギリギリまで近づく。母たちのブースには、もうひとつのニュースが貼られていた。

 

 「不動産登記と国籍を紐づける新データベース、政府が来年度導入へ」

 

 所有者の国籍が一覧できるようになれば、海外資本による土地買収の監視に役立つ――そう説明する記事。しかし同時に、国籍や出自によって、不動産取引の差別が強まるのではないかという懸念も添えられている。

 

 「国籍も、性別も、全部ラベルにされちゃうね」

 

 ハゴエがぽつりと言った。

 

 「羽子板には、ラベルを書かないの?」

 「私はね、描くのは顔だけでいいと思ってる。どこの国の誰だって、『今年の顔』になるときは、だいたい同じ顔してるんだよ」

 

     ◇

 

 夕闇が濃くなるころ、ステージ裏では、別の光がまたたいていた。

 

 「照度六〇、色温度四五〇〇、ドローン群、テスト飛行開始」

 

 早乙女レンは、タブレットを睨みながら、空に浮かぶ光の群れを操っていた。元は劇場の照明技師。今は「空間演出エンジニア」と肩書きを変え、こうして屋外イベントの光を、アルゴリズムと共に制御している。

 

 「レンさん、あの白線にもライト当てられます?」

 

 ナナがひょこっと顔を出す。

 

 「当てるのは簡単だけど、理由は?」

 「配信のコメントで、『あの白線、何の呪い?』って聞かれてて。光を当てて『これは祝福のラインです』って説明したら、バズるかなって」

 「呪いって。九条さんが聞いたら怒るぞ」

 

 レンは笑いながらも、白線の上に柔らかなライトを落とした。青白く光るラインは、広場を一本の五線譜のように区切っている。

 

 「なあ、ナナ」

 「なんです?」

 「お前のチャンネル、今度のまとめで、俺の名前も出してくれよ。『光の職人、低賃金で叫ぶ』みたいな」

 「タイトルの文末が雑です」

 「だってよ、サービス業の指数が上がってるって言っても、こういう現場の単価はそう簡単に上がらないんだ」

 「それは、ちゃんとした取材で」

 「お前のまとめ、いつもちゃんとしてるか?」

 「そこまでちゃんとしてないから、伸びてるんです」

 

 レンが吹き出し、タブレットから目を離す。

 

 「正直だな」

 「『全部をきれいにまとめない』のが、うちのポリシーなんで」

 

 ナナはカメラを回しながら、ステージ袖へと視線を送った。そこには、今夜の主役の一人、京元ダイガの姿があった。

 

 マフラー姿で台本をめくる彼の横顔を、ナナは一瞬、仕事を忘れて見つめる。

 

 「推し、ですか」

 「推しでは……ありますけど、それはそれ、これはこれ。まとめ役は距離感が命ですから」

 

 彼が読んでいる台本の表紙には、太い字で「国籍と土地を守る新時代プロジェクト」と書かれている。将来の不動産登記データベースのPR映像。そのイメージキャラクターに、ダイガは選ばれていた。

 

 「境界線の話ばっかりだな、今夜は」

 

 レンがぼそりとつぶやく。

 

 「土地の境界、国籍の境界、恋愛の境界。白線、足りるかな」

 「足りなくなったら、まとめて一本にするしかないですね」

 

 ナナのその言葉は、ただの冗談として、そこでは流れた。

 

     ◇

 

 FNS歌宵祭のオープニングが始まる十分前になって、異変は起きた。

 

 「九条さん、これ、やばいです」

 

 ソラがミサトに駆け寄る。端末の画面には、「マンガ読んでポ活」のダッシュボードが表示されていた。

 

 「『京元大雅誕生祭2025』ミッションの参加者、想定の三倍です。ステージ前に集中してて、白線の内側、ギュウギュウで」

 「白線をもっと広げる?」

 「広げるスペースがありません。そっちに、同性婚訴訟のパレード隊が回ってきちゃってて」

 

 ミサトが顔を上げると、広場の反対側から、レインボーの旗を掲げた人々の列が近づいてくるのが見えた。彼らは最高裁へのアピールを目的に、歌番組の生中継に合わせてメッセージを届けようとしている。

 

 「さらに」

 

 ナナが、自分の配信画面を見せる。

 

 「まとめ菜々ログ、同時視聴十八万人。『国籍と土地のデータベースって何』『外国ルーツの人が家買いにくくなるの?』ってコメントが洪水で」

 「つまり」

 「つまり、『境界線』にまつわる全部の話題が、ここに集まってきてます」

 

 頭上のスクリーンでは、バラエティ番組「ラヴィっ都」のロゴが踊り、その隣にニュースのテロップが流れる。

 

 「政府、国籍情報を含む不動産データベースを来年度にも本格稼働へ」

 「同性カップル婚姻訴訟、最高裁大法廷へ」

 「牡蠣不足、外食チェーンに打撃」

 

 その全ての現場が、今、同じ石畳の上で交差しようとしていた。

 

 「九条」

 

 インカム越しに、市の危機管理担当の声が飛んでくる。

 

 「ステージ前、許容量ギリギリだ。レインボーパレードは、広場の外周に迂回させろ」

 「でも、彼らの目的は……」

 「白線を増やせ。境界線で区切れ。どちらも安全に通すんだ」

 

 白線を増やす。それは、本来の「拍を整える」役割から、「人を分ける」役割への転換を意味していた。

 

 ミサトは、スプレー缶を握りしめたまま、しばらく動けなかった。

 

     ◇

 

 ステージ上では、レンがドローン群に指示を飛ばし、光のアーチを作っている。海崎の屋台では、コロッケが売り切れ間近で、ソラがスマホ片手に追加ミッションを考えていた。

 

 「海崎さん、『陸牡蠣風コロッケ完売ミッション』どうですか」

 「売り切れたらミッション達成できないだろ」

 「じゃあ、『牡蠣が無い現実を受け入れるミッション』で」

 「それ、世の中のほとんどの人が未達だぞ」

 

 軽口が飛び交うなか、パレード隊の先頭が屋台の前まで来た。

 

 「すみません、進路、こっち通っていいですか」

 

 レインボーの旗を持った女性が、カイに頭を下げる。その横顔に、ソラは見覚えがあった。ニュースで何度も見た、同性婚訴訟の原告のひとりだ。

 

 「どうぞ。……うん?」

 

 カイの視線が、彼女の後ろで旗を支えるもうひとりの女性に移る。さきほどミサトが見つめていた、ふたりの母の姿だった。

 

 「九条さんの、お母さんですよね」

 

 ソラが小声でつぶやき、カイが驚いたように顔を上げる。その瞬間、頭上のスクリーンに、アナウンサーの声が響いた。

 

 「まもなく、最高裁判所前からも中継が入る予定です」

 

 最高裁の映像と、広場の映像が、二分割で並ぶ。境界線だらけの画面の中で、人々の声と光が行き交う。

 

     ◇

 

 クライマックスは、何の前触れもなく訪れた。

 

 「照明系、バグりました」

 

 レンの叫びに、ステージスタッフがざわめく。ドローン群の一部が制御を失い、白線の上空に集まり始めたのだ。

 

 「なんで白線の上だけ、反応してる」

 「さっき、ポ活ラボのAPIと連携したときに、白線の座標を『注目スポット』として共有したろ。それが、何かの拍子で『最優先照射エリア』に変わった」

 

 白線の上に光が集中する。人々も、光に引き寄せられるように、白線の近くへ滞留し始めた。結果として、ステージ前とパレード隊の間の空間が、ますます狭くなる。

 

 「このままだと、押し合いになる」

 

 ミサトは、白線の上に立ち尽くし、周囲を見渡した。

 

 ステージ袖では、京元ダイガがマイクを握り、出番を待っている。台本には、国籍と土地のデータベースの意義を、明るく説明するセリフが並んでいるはずだ。

 

 パレード隊は、そこで足を止めている。白線が、彼らの前に立ちはだかっていた。視線の先には、レインボーの旗と、ミサトの母たちの顔。

 

 「九条」

 

 インカムから、上司の声。

 

 「白線を増やせ。パレード隊と観客を完全に分離しろ」

 

 増やす。分ける。刻む。

 

 ミサトは、手の中のスプレー缶を握り直した。そして、逆の動作を始めた。

 

 白線を、消していく。

 

 「ミサトさん!?」

 

 ナナが叫ぶ。ミサトは、白線の上に消し液を噴霧し、ラインを断ち切った。その代わりに、一本の新しい線を描き始める。

 

 ステージから、パレード隊へと、ゆるやかに弧を描くライン。

 

 「それ、動線じゃなくて……」

 「道筋よ」

 

 ミサトはナナを振り返り、短く言った。

 

 「境界線じゃなくて、導線にする」

 

 レンの耳にも、その言葉が届いた。

 

 「了解。新しいラインに沿って、ライトを再配分」

 

 彼はタブレットを叩き、ドローン群に指示を出す。光の川が、白線に沿って、ステージから広場の中央へと流れ始めた。

 

 「ソラ、アプリ側、協力できる?」

 

 ナナが叫ぶ。

 

 「できますけど、何を」

 「ミッションの通知、一斉送信。『今から一分間、拍手を一拍遅らせてください』」

 「一拍、遅らせる?」

 「ステージの歓声と、パレードの声が、ずれるように」

 

 ソラは一瞬固まったが、すぐに端末を操作した。

 

 「全ユーザーに送信。『一拍遅れの拍手チャレンジ』開始」

 

 海崎の屋台前で、コロッケを頬張っていた客たちにも、通知が届く。レンの光が合図のように瞬き、京元ダイガがステージに歩み出た。

 

 「皆さん、こんばんは」

 

 ダイガが挨拶をすると、広場のあちこちから拍手が起きる。だが、その拍手は、いつものように一斉ではない。通知に従って、一拍、遅れて響く。

 

 パレード隊の先頭が、新しいラインに沿って、ステージの方へと歩き始める。レインボーの旗と、PR用の巨大スクリーンが、同じ画角に収まっていく。

 

 「本当は、台本どおりに、新しい不動産データベースの話をする予定でした」

 

 ダイガは、マイクを握りしめたまま、スクリーンを見上げた。カメラが彼の顔をアップにする。ナナの配信画面も、その瞬間を切り取っていた。

 

 「でも、今、ここにいる皆さんと、画面の向こうの皆さんに、別の話をしたい」

 

 ライトが、新しい白線をなぞり、パレード隊の顔を照らす。ミサトの母たちが、互いの手を握りしめている。その隣には、ハゴエが急ごしらえで描いた一枚の羽子板が掲げられていた。

 

 そこには、性別のわからないふたりの人物が、同じ方向を見て立っている姿が描かれている。背景には、小さな家と、ぼんやりとした白い線。

 

 「国籍とか、家の持ち主とか、ラベルで区切るためのデータベースも、きっと必要なんだと思います」

 

 ダイガの声が、揺らぎながらも広場に広がる。

 

「でも、境界線は、誰かを締め出すためだけじゃなくて、誰かが隣に立つために、引き直せるはずです」

 

 一拍遅れの拍手が、波のように広がる。その隙間に、パレード隊の「同性どうしの婚姻を」という声が、はっきりと入り込んでいく。

 

 ナナはカメラを構えながら、自分の心臓の鼓動も、一拍遅れて聞こえるような感覚に襲われていた。

 

 「これも、まとめるんですか」

 

 レンが横でつぶやく。

 

 「……いつもみたいに、面白かったところだけ切り取るのか」

 「全部をきれいにまとめないって、さっき言ったばかりですからね」

 

 ナナは、自分に言い聞かせるように答えた。

 

 「今日は、切り取らずに、そのまま残します」

 

     ◇

 

 番組が終わるころには、広場の熱気も少しずつ冷め始めていた。

 

 「ふう……」

 

 海崎カイは、最後の陸牡蠣風コロッケを自分でかじりながら、片付けを始めていた。

 

 「売り上げはどうでした」

 

 ソラが、タブレットの売上アプリを見せる。

 

 「牡蠣が無いわりには、悪くない。『牡蠣が無い現実を受け入れるミッション』、意外と達成者が多かったな」

 「世の中、案外、受け入れる準備はできてるのかもしれません」

 「何の話だ」

 「まあ、いろいろです」

 

 ソラは広場の中央を見やった。白線は、ところどころ途切れながらも、新しい弧を描いたまま残っている。

 

 「九条さん、大丈夫かな」

 

 そこへ、ナナがやってきた。カメラはすでにオフになっている。

 

 「ミサトさんなら、今、上からめちゃくちゃ怒られてます」

 「笑って言うなよ」

 「でも、あのラインを引いたから、誰も押し潰されなかったし、声も届いた。視聴者のコメント、『あの白い道の意味、あとからじわじわ来る』って」

 「お前のまとめ、いつ配信するんだ」

 「今夜は、『まとめない版』をそのままアーカイブにします。タイトルは……そうですね」

 

 ナナは、夜空を見上げた。ドローンの光は消え、代わりに冬の星がいくつか、控えめに瞬いている。

 

 「『白線調整官の祝祭』、かな」

 

     ◇

 

 イベントがすべて終わり、広場がほとんど無人になったころ。

 

 ミサトは、消しかけの白線の上に立っていた。インカムは外され、代わりにスマホのニュースアプリが開いている。

 

 「同性カップル婚姻訴訟、大法廷で弁論へ」

 「不動産データベース、国籍情報の扱いめぐり議論続く」

 「冬のサービス指数、堅調」

 

 どのニュースも、「続きはこれから」と言っているようだった。

 

 「九条」

 

 背後から声がして、振り返ると、ハゴエが白い板を抱えて立っていた。

 

 「さっきの羽子板、見た?」

 「ええ。ふたり並んだ人のやつ」

 「もう一枚、描いてみようと思ってね」

 

 ハゴエは、真っ白な板をミサトに差し出した。

 

 「今度は、あなたたちの顔を」

 「うちの、母たちの?」

 「それも。その隣で、白線を引く誰かの姿もね」

 

 ミサトは、しばらく板を見つめていた。そこに浮かぶ未来の輪郭を、まだはっきりとは想像できない。

 

 「境界線を引き直す仕事って、疲れますね」

 「でも、その線があるから、走れる人もいる」

 

 ハゴエの言葉に、ミサトは小さく笑った。

 

 「……明日も、この広場の白線、引き直します」

 

 スマホの画面には、ナナのチャンネルにアップされたばかりの動画が表示されている。タイトルは、ナナが口にしたとおりだった。

 

 『白線調整官の祝祭』

 

 再生ボタンの横には、視聴回数が増え続ける小さな数字。どこかの誰かの夜にも、今、あの白線が伸びているのかもしれない。

 

 ミサトは、消えかけのラインの上を、一歩ずつ歩き出した。

 

(了)


――あとがき――

 

 サービス業の指数が上振れしたニュースは、広場の頭上に映る経済番組や、御手洗ソラたちが嘆く「現場に届かない景気」として物語に組み込みました。同性婚訴訟が最高裁に持ち込まれた話題は、九条ミサトの家族とレインボーパレードの場面に反映させています。不動産登記と国籍情報のデータベース構想は、京元ダイガのPR台本と、新しい境界線をどう引き直すかというテーマの背景として描きました。歳末恒例の羽子板に二〇二五年の顔を描くニュースは、羽鳥ハゴエの工房と、「今年の顔」を選ぶ白い板として登場させています。牡蠣不足の報道は、海崎カイの屋台が看板メニューを失い、陸牡蠣風コロッケで踏ん張るエピソードに投影しました。

 

 ジャンルとしては、近未来寄りの社会派SFと群像劇を意識しつつ、クライマックスでは王道的な「祝祭の一夜の交差」を選びました。大きな制度や判決がすぐに下るわけではなく、各登場人物が自分の仕事や表現の中で境界線をどう扱うかを決めるところで物語を閉じています。祝祭の高揚と、翌日の現実の間にある揺らぎを、白線の引き直しというイメージで統一しました。

 

 実際のニュースは、深刻で複雑な背景を持つものが多く、その重さを軽く扱わないように気をつけつつ、フィクションとしては「ひとつの広場に集まる夜」という形で再構成しました。具体的な政策判断や判決の方向性には踏み込まず、当事者や現場にいる人々の視点から「今、何を選べるか」を描くことを心がけています。

 

 この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ