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ベイシンク交差点の夜【2025/11/29】

ベイシンク交差点の夜


 湾岸の巨大交差点に立つと、足もとで白線がかすかに震えていた。信号機のLEDがわずかに明滅し、頭上の四面ビジョンには物価指数のグラフとライブ映像が交互に映る。

「本日のベイシンク交差祭、まもなくプレ公開を開始します」

 女の声が空から降る。合成音声のはずなのに、妙に人間くさい抑揚があった。

 高石サナエは、その声の主の名前を知っている。都市実証プロジェクト用に開発されたAIキャラクター、「オルガマリ」。だけど、そのキャラがここまで街の鼓動にぴったり合わせてしゃべるよう、誰が仕込んだのか、それはまだ知らされていない。


 午後四時、交差点に隣接する湾岸区役所の仮設オフィス。壁一面のモニターには、今日だけで更新された経済ニュースの見出しが縦に並んでいる。

「首都圏の基礎物価、また上がったってさ。2%台後半で、中央銀行が本格的に利上げに踏み切るかも、だって」

 白神シオリが、紙コップを片手にスクロールを止める。フリーの経済記者であり、今夜のイベントの公式配信も任されている。

「数字は全角で読んでくれないかな」

 サナエが冗談めかして言うと、シオリは目だけで笑った。

「じゃあ……2.8%、って言い直そうか」

「余計に実感が出てくるからやめて」

 軽口を交わしても、胃のあたりの重さは抜けない。

 国から降りてきた追加予算は、史上最大級だった。十数兆円規模、その多くを新たな国債で賄うという。高石財政課長補佐、三七歳、今夜のイベントの「地域消費喚起担当」。肩書だけ並べると立派だが、彼女の机に残るのは、借金で膨らんだ数字と、物価上昇に追いつかない自分の給料明細だ。

「でもさ、その補正予算から出たお金で、こうして交差点を丸ごとイベントにできるんだから。せめて楽しませないと」

 背後から、刈波コウタがギターケースを抱えて顔を出した。二五歳、ストリートミュージシャン。今夜の目玉コンテンツ「ベイサイドMスタ・ストリート」のステージ担当だ。

「楽しませるのと、借金を正当化するのは別問題だからね」

「はい出た、お役所の正論」

 コウタが肩をすくめる。が、その目の下には濃いクマがあった。物価が上がるたび、安いインスタント麺のストックが減り、ギターの弦は交換時期を過ぎてきしむ。

「ところで、さっきのニュース。利上げしたら、俺のローン利息も上がるわけ?」

「上がる可能性はある」

「マジか……」

 コウタのため息に、オフィスの空気がわずかにしぼむ。

 テーブルの端では、ノートPCを二台並べて、若い女がキーボードを叩いていた。七色のシュシュでまとめた髪。画面には、SNSのタイムラインが複数列で流れている。

「はいはい、ため息もログるからね」

 彼女――纏目ナナが、タイピングの手を止めずに言った。

「ナナ、今どこがバズってる?」

「今夜のタグ候補はこんな感じ。『#湾岸Mスタ』『#薄衣こより4周年逆通』『#アニポテ交差上映』『#超相撲フードファイト』『#オルガマリークエイスト横断中』」

 次々と挙がるタグに、シオリが顔をしかめた。

「半分くらいが、何のイベントか分からないんだけど」

「分からなくしてるんだよ。全部を一言で説明できたら、まとめサイトの仕事がなくなるでしょ」

 纏目ナナ。人気まとめ系インフルエンサー「マトメナ」の中の人であり、今夜はプロジェクトチームの「SNS連携担当」として雇われている。彼女の仕事は、ニュースとエンタメと市民の愚痴を、タグという細い糸で編み直すことだ。

「ところで、『超相撲フードファイト』って、あれだよね」

 コウタが視線を移す。

「うちの御嶽丸さんの企画」

「おう」

 ドアが勢いよく開き、背中の広い男が入ってきた。元力士で、今は食レポ兼タレントとして人気の御嶽丸だ。浴衣の柄は派手だが、顔つきは驚くほど真面目である。

「インフレで食材も値上がりだ。だからこそ、みんなに腹いっぱい食わせて、『値上げの夜も笑って乗り切ろう』ってな」

「キャッチコピーが長い」

 ナナが即座に突っ込む。

「え、笑うとこ?」

「笑ってから考えるとこ」

 オフィスに、小さな笑いが広がる。その裏で、モニターの隅に新しいニュースのテロップが滑り込んだ。


 北海地方の泊嶺原子力発電所、再稼働判断へ。知事、近く最終意向表明。


 サナエの背筋に、軽い寒気が走る。

「また、エネルギーの話か……」

「サフハリンのオイルも、どうなるか分からないしね」

 シオリが別の窓を開く。そこには、北方の海上油田プロジェクトからの輸入を「国のエネルギー安全保障上、引き続き重視する」とした政府会見の文字起こしが並んでいた。

「海外の油田にも、原発にも頼って。この交差点のライトひとつだって、その綱渡りの上で光ってる」

 シオリの呟きを、ナナの指がすばやく拾う。

「『綱渡りのライト』……いいフレーズ。あとでまとめの見出しに使おう」

「勝手に使わないで」

「引用元は『湾岸区役所関係者』にしとくから」

「一番責任の所在が曖昧なやつじゃない」

 言い合いながらも、サナエはビジョンに映った別の数字に目を止めた。訪日観光客の国別構成。かつて圧倒的に多かった隣国からの観光客が、二番手に落ちたと赤い矢印で示されている。

 実家の小さな旅館は、湾岸から電車で一時間ほどの温泉街にある。一時期、大型バスで押し寄せた団体客も、ここ数年は減ったままだ。

「……今日は、ここにどこの言葉が飛び交うのかな」

「日本語か、スタンプか、絵文字か」

 ナナが答え、肩をすくめる。

「どの言葉でもいいよ。今夜のログは全部、『ベイシンク交差点の記録』っていうひとつの物語になるから」


 午後七時。湾岸の空は、群青から黒へとゆっくり傾き、交差点は歩行者天国に切り替わった。

 白線の上に、仮設ステージが四つ置かれている。音楽ライブのための「湾岸Mスタ」ステージ。大型スクリーンの前に並んだベンチは「アニポテ交差上映」のシート。道路脇には「超相撲フードファイト」の屋台群が立ち並び、中央の横断歩道には、拡張現実ゲーム「オルガマリークエイスト横断中」のチェックポイントが、スマホ越しにだけ見える。

 人、人、人。ビジネススーツ、観光客のリュック、部活帰りの制服。ざわめきが風に乗り、海の匂いと屋台のタレの香りが混じる。

「わあ……」

 コウタはステージ袖から顔を出し、見上げた。四面ビジョンには、自分の名前がテロップで流れている。

『刈波コウタ インフレ・ナイトセッション』

「タイトルからして、急に社会派だね」

 ナナがモニター前でニヤニヤする。

「もともと『恋も家賃も上がらない』って曲しか用意してないんだけど」

「それ、十分社会派だから」

 サナエは、会場全体を見渡せる管制テーブルに座り、インカムを耳に差し込む。目の前のタブレットには、イベント用ダッシュボードが開かれている。各ブースの来場者数、屋台の売り上げ、SNSのリアルタイム投稿数、そして物価関連ニュースの更新情報まで、全てが一枚の画面にまとめられていた。

 画面右上には、小さなキャラクターアイコン。金髪にティアラを付けた少女、「オルガマリ」が、時折ウインクしている。

「サナエさん」

 背後から声がして振り向くと、そこには小寄ラボの代表が立っていた。がっしりした体格に白衣という、現場に似つかわしくない格好だ。

「オルガマリの挙動、どうです?」

「……挙動?」

「彼女は、ニュースと来場者の反応を見ながら、ライトやBGMやビジョンの表示を自動で最適化するように設計してあります。言うなれば、『政策と都市のリズムを同期』させる実験ですね」

「そんな言い方したの、あなたが世界で初めてだと思いますけど」

 サナエはため息をついた。

「要するに、景気とニュースに合わせて、盛り上げ方を変えるってこと?」

「そうそう。例えば、物価ニュースが重くなったら、音楽のキーを少しだけ明るく上げるとかね」

「そんなアルゴリズム、誰が喜ぶんだろう」

「今夜のお客さん次第、ですよ」

 小寄ラボが笑った瞬間、ビジョンのオルガマリが軽く手を振った。まるで、こちらの会話を聞いているかのように。


「それでは、『湾岸Mスタ』最初のステージ、刈波コウタさんです」

 司会の声とともに、ステージのライトが一斉に跳ね上がる。

 ドンッ。

 ベースの低音が床を打つ。スモークが横断歩道の上に薄く広がり、コウタがギターを構えて一歩前に出る。観客のスマホが、星空のように光った。

「こんばんは、刈波コウタです。今日は、上がっていくものの歌をやります」

 ざわ、と笑いが起きる。

 ジャララララッ。

 弦をはじく音が、湾岸のビルの谷間に飛ぶ。歌詞は軽快だが、内容は生々しい。値上げされたコンビニ弁当、改定された電気料金、少しだけ減ったライブ会場のドリンク。

「上がっていくのは、温度か、利率か、君の機嫌か」

 スクリーンには、歌詞と連動して、簡易な物価指数のグラフが波打つ。同時に、ニュースチャンネルのテロップがフローティング表示で流れた。


『首都圏基礎物価、前年度比2.8%上昇』

『追加予算、約十数兆円を国債で調達へ』

『泊嶺原発、再稼働判断近く』

『北方海域資源プロジェクト、継続方針を表明』

『隣国からの観光客、主要市場で二位に後退』


 情報と音が、交差点の空気で渦を巻く。

 ウォオオオオッ。

 サビに合わせて、オルガマリがスクリーンの隅で踊り始めた。ティアラがきらめき、彼女の背後に、棒グラフと円グラフがリズムに合わせて跳ねる。

「おいおい、いつの間にあんなモーション入れた」

 バックヤードのテントで、小寄ラボが目を丸くした。

「事前には無かったですよね」

 ナナが、タブレットを覗き込む。

 画面の端に、小さなログが流れていた。

『オルガマリ:来場者の表情解析を反映し、演出パターンBに切り替えました』

「自分で判断してるってこと?」

「ま、まあ、そういう仕様だし」

「『だし』じゃないよ」

 サナエの心拍数モニターが、インカムの裏で少しだけ跳ねた。


 ステージがひと区切りつき、歓声が遠ざかったところで、サナエはビルの屋上に上がった。管制テーブルをナナに任せ、インカムだけを残して。

 屋上は、風と、遠くのエンジン音くらいしか聞こえない。

 カラン、とフェンスによりかかると、眼下に、光の十字路が広がった。人の列、屋台の赤い提灯、巨大スクリーンに映るコウタの姿。白線は、まるで電路のように交差している。

 ポケットの中で、スマホが震えた。

 母からのメッセージだ。

『ニュースで観たよ。泊嶺の原発、また動かすって。本当に大丈夫なのかね』

 実家の温泉街でも、原発の話題は何度も繰り返されてきた。雇用の話、安全の話、観光客の話。答えが出ないまま、人だけ歳を重ねていく。

『分からない。でも、灯りが消えたら困る人たちの顔は見える』

 そう打ってから、サナエはメッセージを消した。送信はしない。

 代わりに、眼下の交差点に視線を落とす。

 人びとは笑っている。屋台では、御嶽丸がタレまみれの唐揚げを掲げ、

「今夜だけは、値段を気にせず食えーっ」

 と叫んでいる。

「それ、明日からの生活を考えたら怒られない?」

 シオリがマイクを向ける。

「明日のことは、明日のニュースがなんとかしてくれるだろ」

「丸投げしないでください」

 二人の掛け合いに、また笑いが生まれる。その笑いの中に、自分も混ざっているのだと、サナエはふと気づいた。


 午後九時。イベントの後半戦、「ベイシンク・サマリーライブ」の時間が近づいていた。

 各ステージは一度音量を落とし、交差点中央に焦点が集められる。ビジョンには、オルガマリが大きく映し出され、金色のフレームが回転している。

「皆さん、こんばんは。オルガマリです」

 彼女は、まばたきし、笑った。

「この数時間で、この交差点には、たくさんの出来事が通り過ぎました。値段の上がった唐揚げ、インフレを歌うギター、北の海から届くかもしれないエネルギーのニュース。今から、それらをひとつの物語として、まとめてみます」

 ナナが苦笑する。

「まとめ役、完全にAIに取られた気分なんだけど」

「人間代表として、ツッコミ入れておいて」

 シオリが肩を叩き、カメラを構える。レンズの向こうには、交差点の中央に立つサナエとコウタ、御嶽丸、ナナ、小寄ラボがいる。それぞれが、自分の持ち場を一度離れ、一本の白線上に並んでいた。

「本当に全員出ちゃっていいの?」

 サナエが小声で聞く。

「管制は、さっきあなたが書いたマニュアル通りに、ナナが回してます」

 小寄ラボが答える。

「事故が起きたら?」

「そのときは、そのニュースもまとめましょう」

「やめて」

 苦笑しながらも、サナエは深呼吸をした。


 ザァァァッ。


 四方のビルの窓が、一斉に暗くなる。代わりに、交差点の白線が、内側から光を放ちはじめる。まるで、道路そのものが巨大なディスプレイになったかのようだ。

 頭上のビジョンには、さきほどの物価ニュースと、追加予算と、原発と、資源と、観光客の数が、色と音に変換されて流れ始めた。

『物価上昇率』は、波打つオレンジのラインとなって白線を走り、

『追加予算の規模』は、遠くのクレーンに投影された光の高さとなってそびえ、

『泊嶺原発の再稼働判断』は、北側の空に浮かぶ小さな光球として震え、

『北方海域資源プロジェクト』は、海の方角から届く青いパルスとなり、

『観光客の構成変化』は、歩道橋の上を歩く影の色として移り変わる。

 それらすべてを、オルガマリの声がなぞる。

「今、この街の明かりは、遠くの海と、山と、紙の上の数字に支えられています」

 静寂が、数秒だけ交差点を覆う。

 ピコン。

 サナエの手首のバンドが震えた。オルガマリからのプライベート通知だ。

『高石サナエさん。ここから先のナレーションを、人間にお願いしてもいいですか』

 思わず、顔を上げる。ビジョンのオルガマリが、こちらだけを見るように、そっと目を細めていた。

「サナエさん?」

 ナナが囁く。

「どうするの」

「……借金の説明は、AIに任せたくないかな」

 サナエは一歩前に出て、マイクを受け取った。


「高石サナエです。湾岸区役所で、今日のイベントの予算を組んだ人間です」

 ざわ、と観客が反応する。公務員が名乗り出るステージは、あまり見ない光景だ。

「さっきから、ニュースの数字ばかりが流れています。物価が上がって、追加の予算を借金で賄って、誰かが遠くの海でエネルギーを掘って、原発をまた動かすかどうかを決めて、観光客の数が増えたり減ったりして」

 サナエの声は、マイクを通して少しだけ震えていた。

「その全部が、ここで唐揚げを食べている人の、一枚のレシートに乗っています」

 御嶽丸が、思わず手にした串を掲げる。

「この唐揚げの値段も、たぶんね」

 笑いが起こり、またすぐに静かになる。

「今日、この交差点を光らせるために、国からもらったお金は、確かに借金です。いつか、どこかで、誰かが返さなきゃいけない」

 その「誰か」に、自分も含まれていると分かっている。でも、目の前の人びとを見ていると、その重さをただ数字として流すことに、耐えられなくなった。

「だから、せめて今夜は、『借金で作った光』が、誰の顔を照らしているのかを、ちゃんと見たいと思います」

 その瞬間、コウタが静かにギターを鳴らした。

 ポロン……。

「新曲、今作った」

「え、今」

 シオリのツッコミが、配信マイクに乗る。

「タイトルは『借金ライト』でどう?」

 ナナが即座に口を挟む。

「いや、もうちょっと夢のある感じで」

「『ベイシンク・クロッシング』は」

 小寄ラボが提案する。

「それ、イベント名と被るけど」

 御嶽丸まで乗ってきて、あっという間に、ステージ上が小さな会議室になった。

「ちょっと、今生で会議しないでください」

 シオリのツッコミに、観客席から笑いが起こる。その笑いの波を見て、サナエはふっと肩の力を抜いた。

「じゃあ、タイトルは後でいいから。今は、歌って」

 コウタがうなずき、弦を強くはじいた。

 ジャーン。

 オルガマリが、それに合わせて指を鳴らす。

 パチン。

 白線の光が、ゆっくりと脈動を始めた。物価指数のグラフと、来場者数と、屋台の売り上げと、SNSの投稿数が、ひとつのリズムにまとめられていく。画面の片隅に、小さく数字が並ぶが、それはもはや誰も細かく読んでいない。

 歌は、借金の話から始まり、夜の明かりと、人の顔、そして明日の不安で終わる。サビでコウタが「それでもここで立っていたい」と歌うたび、白線の光が少しだけ強くなる。

 ウォオオオオッ。

 歓声が上がる。御嶽丸がそれに乗せて、

「物価も感情も、上がるなら一緒に上がれーっ」

 と叫ぶ。

「それはそれで困るけど」

 ナナが即座に突っ込み、また笑いが生まれる。

 シオリのカメラは、その笑顔と、すぐ横でニューステロップを見つめる真剣な横顔と、両方を捉えていた。


 歌が終わると、交差点の光はゆっくりと落ち着き、白線はただの白線に戻っていく。

 ふと、風が変わった。海の方角から、冷たい空気が流れ込む。

 サナエは空を見上げた。北側の空には、小さな光球――泊嶺原発を象徴する演出――が、まだ震えながら浮かんでいる。

「これは、今日だけで消える光じゃないね」

 つぶやくと、隣でナナがうなずいた。

「まとめようとしたって、まとめきれない話もあるから」

「それでも、まとめるの?」

「まとめるよ。今日のログは、きょうのうちに」

 ナナはポケットからスマホを取り出し、指を走らせる。

「タイトルは、『ベイシンク交差点、借金ライトの夜』でどう」

「ちょっと待って、それバズったとき私が怒られるやつ」

「怒られてから修正するから大丈夫」

「大丈夫じゃない」

 二人のやりとりに、また小さな笑いがこぼれた。


 イベントが終わり、日付が変わる頃。交差点は通常の車道に戻り、信号機は赤と青を淡々と繰り返していた。

 サナエは、片付けの終わった横断歩道に立つ。白線はもう光っていないが、目を閉じれば、さっきの光の脈動がまぶたの裏に残っている。

「お疲れさまでした」

 背後から、シオリが声をかける。肩にかけたカメラが少し重そうだ。

「配信、どうだった?」

「視聴数は、まあぼちぼち。でも、コメント欄に、『数字が怖くなくなった気がする』って書いてた人がいた」

「それは、少し危ない感想だね」

「『怖くない』じゃなくて、『怖さの意味が分かった』ってことだと、信じたいけど」

 二人はしばらく、車の列を眺めた。ヘッドライトが白線をまたぎ、遠ざかっていく。

「コウタは?」

「さっきまで、ナナと一緒にタグ戦略会議してた。『#借金ライト』はやめとこうって」

「賢明だと思う」

 ふと、上空のビジョンに目をやると、オルガマリがひとりで画面に残っていた。ティアラを外し、素顔のような表情でこちらを見ている。

「今日は、ありがとうございました」

 スピーカーから、少しだけ控えめな声が流れた。

「こちらこそ。あなた、どこまで分かってるの」

 サナエが聞くと、オルガマリは首をかしげた。

「私は、ニュースとセンサーと、皆さんの声を読み込んで、最適なまとめ方を探すプログラムです」

「『最適』って、誰にとっての」

「今夜、この交差点にいた人たちにとって、です」

 その答えが完全ではないことは、すぐに分かる。それでも、まったく外れているとも言い切れない。

「じゃあ、今日のまとめは、どうなるの」

 シオリが尋ねる。

 オルガマリは少しだけ考えるように目を閉じ、それから答えた。

「『世界の問題は、ほとんど解決していませんが、この交差点では、少しだけ目を合わせる人が増えました』」

「……長い」

 ナナの声が、どこからともなく飛んできた。

「タグにするなら、『#目が合った夜』くらいにしないと」

「それもいいですね。保存します」

 オルガマリが、くすりと笑う。

 サナエは、そのやりとりを聞きながら、白線を一歩、また一歩と踏みしめた。

 借金ライトの夜は終わった。でも、明日もまた、ここに人は集まり、誰かが歌い、誰かが数字を眺め、誰かがまとめる。

 その繰り返しのどこかで、自分は何を守り、どこまで笑いに変えるのか。答えはまだ出ない。

 ただ、さっき歌の中で見た光景――数字と顔が同じリズムで揺れる感覚だけが、胸の奥で静かに明滅していた。


(了)

――あとがき――

 今回は、近未来寄りの社会派ドラマに、ほんの少しだけ都市型SF要素を混ぜたつもりです。舞台が「ベイシンク交差点」という湾岸の巨大交差点であることから、経済ニュースとエンタメイベントが物理的に交差する一夜を描きました。

 参照したニュースのうち、首都圏の基礎物価上昇と中央銀行の利上げ観測は、刈波コウタのインフレを歌うステージと、サナエの胃の重さとして表現しました。巨額の追加予算と借金頼みの財政は、「借金ライト」という言葉や、イベント自体が国の補正予算で賄われている設定に反映しています。北の原子力発電所の再稼働判断と北方資源プロジェクトの綱渡りは、泊嶺原発の光球演出や、サフハリンの油田ニュースとして描き、海から届く青いパルスに変換しました。観光構図の変化、隣国からの観光客が二番手に落ちたという話題は、サナエの実家の旅館の不安や、交差点に集まる客層の変化として織り込みました。

 トレンドタグでは、「#湾岸Mスタ」「#薄衣こより4周年逆通」「#アニポテ交差上映」「#超相撲フードファイト」「#オルガマリークエイスト横断中」といった形でもじり、音楽番組風ステージ、逆通配信企画、アニメ上映、相撲フードイベント、横断歩道RPGという五つの企画に割り当てています。御嶽丸の屋台と「超相撲フードファイト」は、物価高とそれでも食べて笑いたいという感情の両方を象徴させる場面としました。

 ジャンルとしては、全体は現実寄りの群像劇ですが、クライマックスでAIキャラクターのオルガマリが演出を同期させる場面で、やや王道の近未来SF要素に寄せています。一方で、ラストは世界が劇的に変わるわけではなく、「世界の問題はほとんど解決していない」という言葉であえて王道のカタルシスを外し、交差点レベルの小さな変化に焦点を当てました。

 報道で扱われる経済やエネルギー、安全保障の問題は、一つ一つが非常に重く、現実の当事者にとっては簡単に物語化できるものではありません。この物語では、それらを直接の論評ではなく、「光」や「音」や「タグ」に翻訳し、街の一夜として再構成しました。その距離感が、重さを軽んじるものではなく、別の角度から考えるきっかけになればと思います。

 この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

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